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忘却メズマリズム~清楚なお嬢様に催眠をかけたはずが、ヤンキー人格が出てきて尻に敷かれた件~  作者: 春代 羽羽


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第7話:昏倒

 さっきは災難だった。催眠アプリの件で詰められるし、変なやつに絡まれるせいで購買のパンは売り切れてるし。まあなんにせよ。今日の俺は、本当に、腹が、減っている! あとは5,6時間目を残すのみとは言えど、腹の虫は容赦なく体力と集中力を奪っていく。せめて自販機でクソ甘いやつでも買って糖を補給しようか? しかし今日はあまり金も持ってないし……。

 ええい、こうなったらやけだ。男は根性! 我慢で今日を乗り切る!


 **


「それで、生天目さんは保健室に運ばれたんですね」

「あはは……あのバカが迷惑かけてすまねえな、八咫野さん」

 6時間目前の休み時間。私、八咫野 氷織(やたの ひおり)は、生天目さんに頼んで灯里に変わる準備をしようとしていたところ、木下さんに彼の所在を聞かされました。

 まさか、彼が空腹のあまり倒れるとは。運動部でもないのに。いえ、そういえば彼は私が呼び止めたから、彼はお昼を食べられなかったのでしょうか。お見舞いくらいには行きましょうか。


 **


 あと5分しか休み時間も残っていないため、私は覗く程度にしておきましょう。

 ちょうど目の前に保健室のドアがありますね。ガラガラと引いてササッとお見舞いをしてしまいましょう。


「失礼しま……」


 と呑気に入ったのもつかの間、保健室は穏やかな空気ではなかった。保健室の先生らしき女性の声が、焦燥のままに声をかけている。

「生天目くん! 大丈夫!?」


 ……生天目さん?

 呆気に取られる。彼は空腹で運ばれただけでは? 先生が焦ることって一体……。そうだ。彼の様子を見なければ何も分からない。

 急に覚束無くなった足を小走りに動かす。小綺麗な保健室の空気を吸い込んで吐く。

 ベッドを仕切るカーテンを分ける。


 そこには、ただ虚ろな目で空気を見つめ、脂汗をびっしょりかいた生天目さんがいた。先生の声にまるで反応がなく、ただただ何かに脅えている。吸気は締められるように、呼気は無声で叫ぶように。その異様さを見てしまう。

「なばため……さん?」


 漏れた声に反応した先生がようやくこちらに気づく。

「あ、八咫野さん、彼についてなにか知らない? 目が覚めた瞬間、過呼吸になったり、何が何だか……」


 私まで視界が転ぶような気に飲まれながら視界を巡らす。空腹とは関係なく、身体的な症状ではなさそう。しかし脂汗と気の動転が著しい。ストレス性、トラウマ。

 友人関係? 彼の交流は私と木下さん程度。

 家庭?……数日前、彼の部屋での会話が思い出される。

『……去年までは母親が来てたんだけどな。色々あって離婚して、親権を持ってる親父も、ここに来るような性分じゃねえから』


 家庭環境、その答えがハマってしまう。しかしあの時、彼は自分からそれを言って、何ともなかったのに。

 彼は一体、何と戦っているのだろうか。


 彼に触れることすら出来ぬままでいることに、私は何を思っただろうか。気付けば勝手に彼の汗に手を伸ばし……。

 しかしチャイムが阻む。

「八咫野さんは帰りなさい。暫くはこのままだろうし」

「……わかりました。ですが、せめてこれだけ」


 私は彼の手をこねくり回し、デコピンの形を作る。それをおでこの前まで持っていき、ほぼ小突かせるようにデコピンをさせた。――そして『私』になる。私は手をおでこに当て、ボソリとつぶやく。

「……やっぱバカじゃん」


「あの、八咫野さん?」

「それじゃ、また来るんで」


 先程までよりぶっきらぼうな言い方に驚いただろうか。保健室の先生は語調の変化に何度か見返していた。綺麗な2度見3度見だった。


 ——————


 保健室のベッドでまた目が覚める。伸びをしてから、カーテンが外の光で朱色となっているのに気付く。もう夕方か。

 ……ああ。あれを思い出してしまったのか。もう、捨てたはずなのだが……。

 そういや、さっき八咫野の声がしたような気もする。どっちだかは分からないが。


 ……帰るか。保健室にバッグも運ばれている。俺は鈍る体を起こし、重りのような体でベッドを発つ。こんな気持ちのまま帰ることになろうとは。時計はもう既に6時を刺している。


 八咫野の部活も終わる頃か。人格切りかえは出来ただろうか。いや、俺がこれじゃできないだろう。あいつに迷惑をかけてしまった。

 保健の先生はもう帰ってしまったのか。本当に誰もいない空間だ。


 廊下から駆け足が聞こえてくる。まさか、部活が終わってすぐにあいつが来たのか? 俺は少し身構え……。


「賢治~大丈夫か?」

「……夏向かよ」

「悪かったな。八咫野さんじゃなくて」


 体から力が抜ける。そこはせめて夏向じゃないだろうと嘆息する。


「……()()か?」

「ああ。不甲斐ねえ」

「まあしょうがないさ。それより、結構八咫野さん心配してたぞ」

「……そうか」

「お前、変わらないな。催眠好きも変わらないのかよ」

「多分無理だな。これ以外じゃダメだ」

「……ま。俺は確認に来ただけだ。帰るわ」

「おう。サンキュ」

「気にすんな。友達()()()()もんだろ」


 そう言ってから、夏向は手をヒラヒラさせて去る。そしてその数秒後。廊下を荒々しく踏み駆ける音。それはだんだん近づき、やがて八咫野の顔が保健室に見える。


「ハァハァ……あ」

「あ、よう」

「……あ、生天目、その、奇遇だな」

「ダッシュで来といて奇遇はないだろ」

「うるさい。水着は着脱がちょっとめんどくさいんだよ」


 また少しため息をついてから、彼女は語調を整える。


「お前、もう大丈夫なのか」

「おう。直った」

「……そっか。」


 いくらか安堵が見える。


「それはそうと、お前いつの間に灯里になってたんだな。1人で行けたのか?」

「あー……。いや。あんたの指で無理やり」

「へー。そうか」


 少しホッとした。……? あれ。なんだよホッて。

 灯里はなんだか少し、申し訳なさげに俯いている。


「あ、その、賢治。これの原因ってあたしたちだったりする?」

「……は? 何言ってんだお前」


 灯里ってこんな馬鹿みたいなこと言ったっけか。灯里がこんなにしおらしいのは落ち着かない。俺は何かしてやろうかと思い、少し目を逸らしてデコピンをする。


「あだっ」

「お前は変な雰囲気を出してんじゃねえ」


 といいながら向き直る。って、あれ。そういえばデコピンって……。


「うぐぅ、痛いですよ生天目さん。いきなり変えないでくださいよ……」

「あっ、すまん」

「まあ、その、何はともあれ、大丈夫そうで安心しました。灯里も心配してたので」

「あいつが心配って……」

「ダメですよ生天目さん。あの子だって女の子ですよ」


 人差し指を突き出して俺の頬に刺してくる。こいつもこいつで距離感バグり始めている気もするが。


「ごめんな。心配かけて」

「素直でよろしい、ですっ」


 氷織はにこやかな表情に戻り、地面に置いてあった鞄を持ち上げる。そして……。


「では生天目さん。帰りましょうか」

「ああ……おう」


 氷織が差し伸べる手を思わず取り、清潔な堅苦しさを残す保健室を出る。夕暮れの日が彼女の安堵を紅く照らす。そのさまがあんまりに美しくて……。


 俺には少し、気持ち悪く見えた。

投稿作業の不手際で、なろうに第六話を更新することができなかったため、第六話と第七話を同時投稿しました。

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