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忘却メズマリズム~清楚なお嬢様に催眠をかけたのに、ヤンキー人格が出てきて尻に敷かれたんだが~  作者: 春代 羽羽


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第■話:賢治という”憎悪”

 これは、どこにでもあってはいけない、一人の少年の話。

 彼は普通の家庭に生まれた。

 父親は中小企業の研究者だ。いつからか重役にまで昇り、親会社に出向いたり他国に渡ることも多く、家にいる時間は少なかった。不愛想だが、彼の目はむしろ仕事への充実感であふれていた。

 母親は売れない元役者だった。ある一人の男の子を生み、彼を育てることに注力していた。


 そんな、普通の生い立ちだった生天目賢治。彼はしかし、少しだけ普通じゃなかった。最初は少し、観察眼が優れていただけだった。誰かの糸くずに気付き、誰かのミスに気付き、教科書の答えの間違いにも気づき。しかし、それがだんだんと、同年代との関わりにくさに繋がっていった。


 中学校に上がるころ。小学校の頃の同級生も多かったが、あまり話せる人もいなかった。その状態がどんな悪評を呼んだのか知らないが、彼を避ける人は増え、彼の弱気なさまを見て見下す人もまた現れるようになった。


 この状況は、賢治という人物へ疎外感と否定ばかりを与えた。ある女子は「何考えてるのかわからなくて気持ち悪いよね」「この前だって、『これはちがうよ』って、私の作文を馬鹿にしてきたの」「一人でいるのがかっこいいって思ってそう」と口々に言い。ある男子は「あれが『天才サマ』だっけ?」「違うよ。あれは『ヒョーロンカ気取り』ってやつだよ」とちょっかいをかけて。きっとみんな、いじめている自覚はなかった。

 賢治自身も、この言葉たちに特段ひどい憎悪を抱いているわけではない。


 真に災いしたのは、賢治の「観察眼」そのものだった。彼はとても素直だった。言われたことを全て受け止めた。そして考えた。「どこがダメだった」「どこを嫌われた」「ここが気持ち悪いんだ」「顔も」「声も」「動きも」「思考も」……。彼は嫌悪した。自分自身を。一時は飛び降りだって考えたほどに、追いつめられた。

 ――いや。追いつめた。自分で結論を出し、自分を嫌い、自分で自分を嫌悪、憎悪した。彼の思考はやがて哲学にもなるほどに、その観察眼を内側に封じ込め、ただひたすらに自分を観察し、自分の感情を観察した。外からの事象も全て、彼自身への否定材料として消費された。

 そして、観察眼は外に向けられなくなった。……母親の料理が冷食になる機会が増え、母親の態度がだんだんと冷めていくことに気づかないほどに。

 賢治はその後も、関わりを断った。ネットの小説を読むことで、なんとか気さくというものを学び、恋愛観を知り、友情を知った。年相応に反抗期も迎えようとしていた。


 そして高校受験が終わり。賢治はその反抗心と孤独を求める心から、一人暮らしを提案した。すんなり受け入れられ、マンションの一室を決め、家具のあたりをつけて。


 三月にもなり、マンションに家具を置き始め、もうすぐ賢治の新しい生活が始まる……かに思えた。


 家具も置き終わったころ、賢治の父が、男性と一緒にホテルに入っていく母親の写真を見せた。父親が探偵を雇って手に入れた、不倫の決定的な証拠だった。


 最悪の時期の判明だった。父親は昔から、配慮に欠ける人物でもあった。


 そして、賢治の新しい部屋で、母親は賢治を冷ややかに見下ろして。母性という仮面をはぎ取って。演技カーテンが下りきる寸前に見える無表情で、「……そう」と言って出ていった。不倫相手の家族と会う時間のセットはいつの間にか済み、父親はやるせなく、逃げるように去っていった。部屋には孤独だけが残っていた。



 

 反抗心は、愛情への反発。孤独は、ひとえに愛情を求める心。親という、愛情を一生かけて注いでくれるはずの、人間としての当たり前。なのに、母親は「愛している」演技をした。父親は「子供の愛し方がわからず、目を背けた」。

 そしてそれは、賢治の中のある疑念に、「こたえ」を与えた。

「みんなから嫌われ、ダメなところばかりで、そんな俺を愛してくれる人は、俺が胸を張って愛せる相手はいるのだろうか」

 愛されることの最後の砦である母親はとうの昔に虚像だった。愛されることはないのだと、賢治は自分に言い聞かせた。

 ――そうだ。今までの俺はすべてそうだった。

 ――なんどもなんども、認めてきた。

 ――価値がないなんてものじゃない。

 ――……じゃあなんだろう。

 ――価値がないものより下ってなんだろう。おれはなんだろう。なんでおれはいるんだろう。しにたかったのに、まったくしねなかったおれは。

 ――これから、どう、いきるのがいいだろう。



 それからというもの、賢治はたまに夢を見た。

 中学生の嗤い声と一緒に【お前は誰かを愛してはいけない】【愛する人を汚してはいけない】【こんなにんげんなのだから】……。

 女性の冷ややかな蔑視線とともに【お前が誰かに愛されるわけがない】【これから先も】【愛する人に愛されることほど、反吐の出ることはない】…………。

 この考えはまさに呪いだった。観察眼で見つけた自分の欠点、それを改善するための余力も奪い、賢治という人物の性質を、ただひたすらに固定した。

 

 賢治には、中学生らしく、性的コンテンツへの興味は人並みにあった。けれど、その作品にのめり込もうとすると、その考えが頭をよぎった。誰かの深愛、誰かの性愛、そのどれもは彼と関係が在ってはいけないという呪いで。

 なのに、誰かを傷つけることも痛々しく見えて嫌いだった。


 そして、彼は催眠というジャンルに出会った。実写では嘘っぽいが、二次元ではまさに夢のもの。


 愛されるはずがない彼でも、愛されていることにできる。愛してはいけない彼にも、催眠状態の間だけの虚構の相手を好いたっていい。何より、嘘であると初めからわかっている。真愛を向けられなくてもいい。


 恋愛への年相応の渇望を諦めていた賢治にとって、これ以上のものを得られなかった。

 彼にとっての恋愛観は、虚構ありきのものとして、固着していった。


 そして、母親の不倫相手の家族とファミレスで対面した。不破と名乗った親と子。互いに最初は謝りあい、そののち、賢治の父と相手の母は互いの息子を置いていつの間にか意気投合して。

 賢治も、向かいの席に座る夏向という少年に話しかけてみようと思った。そうしたら、思いのほか、読んでいたラノベやゲームの話が合った。皮肉にも、不倫相手の息子なのに。そして、話すうちに、同い年でしかも同じ高校に通うことを知った。


 彼にとって、初めての友達だった。その後も、LIEN(リーン)で通じ、ゲームの通信機能で遊ぶことも増えた。


 それでも、彼にかかった呪いが解けたわけではなかった。


 夏向も、彼の抱える闇の深さに気付きつつも、それを治せる力が自分にはないことに気付いていた。

 だから彼は心理療法の本を読み漁ったが、まだ彼に効果的なアプローチができず。ただ見守った。「自分を愛せるように頑張ろう」なんて、そんな少しの火花で照らしてやろうとすれば、――まさに賢治自身が壊れんとする爆弾のような呪い、彼のつもりに積もった爆弾を見張るしかできなかった。原因を除こうとしても、その基は賢治自身なのだから。

 呪い自体には気づいていても、爆弾の形状をしていることを彼自身も自覚していない強大な汚物を。


 一方、……自身はそのことに気付けないほど、賢治はやはり自分を呪うことに一生懸命だった。その内側に爆弾が膨らんでいることなど、知る由もなかった。何せ、機微を見るための観察眼。大きすぎるそれに気付けなかった。



 親愛も、恋愛も性愛も友愛も、そのどれもを知覚できなくらいに麻痺していた賢治は、これからも愛のない世界で、生きていくのだろうと思っていた。



 


 でも、彼の爆弾は爆発した。

 それはつまり、彼に愛する人ができて、彼を助けようと一生懸命になってくれる人ができて。それが同一人物で。それに気付けるほど成長出来て。

 爆発して、心が壊れそうになっても、それでも変わらずに接していてくれるであろう関係で。強くて優しくて、賢治をいつも見ていてくれる。冷ややかな視線で塗り替えられた過去をさらにぬり返すくらいに、好きであれること。

 本当に嬉しい。

 本当に嬉しい。


 だから。

 ――――これ以上、無理をしてほしくない。だって、俺が一番憎悪するのは同級生でも母親でもなく、俺自身だから。最初から決めていたことだ。だから……もう、いいんだ。

 もうこれ以上、俺を変えないでくれ。俺を殺さないでくれ。きっと俺は、君の気持ちを受け取れない。俺の人生が示した、この結論を、変えないでくれ。

 無駄なことをしないでくれ。


 ひおり、おれのことなど――。


 もう、忘れろ。

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