第56話:緞帳のないふたりと
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緞帳は、演劇の節目を表すための重大な仕掛けである。始まるためにはあげなければならない。終えるためには下げなければならない。
それをライターで炙ったのなら。継ぎ目を失ってしまったのなら。
火の海の真ん中で見世物のように踊るしか、ない。
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保健室の一角に、残響する言葉があった。夏向がそれを食い殺さん目で見ている。
「ええ本当に……演じるっていいものでしょう」
「……お前、本当に言ってるのか」
「ええ。演技は私の人生そのもの。でもどうしても、母親の役だけは、全う出来なかった。そのせいであなたに迷惑をかけたこと。……そのことはいつまでも心残りだわ。でも嘘をついていたつもりは、ほんの微塵もなかった」
三上は隅で、もはやくるまって存在感を消さんとしている。
「私は演劇が、演技が好き。だからここまで演じることを貫き、教室を持ち、そして今も尚演劇のためにこの身をやつしている。私の子供なら、少しくらいわかったでしょう?」
夏向が彼女を睨んでいるのに、俺は下を向いた。……わかってしまった。俺はごきげんを演じた。嘘を演じたつもりは微塵もない。むしろ彼という文章を自分が顕現させたような。あの場において何よりも真実だとさえ思うほど。
演技は、嘘では無い。
真実を得るための、過程だった。
理解って、しまった。
だから俺は、呼吸を深くし、笑いかけて。
「……お前は、母親の演技をできたのか」
「ええ。少なくともあなたを育てられたもの」
「……そうか」
夏向は口をあんぐり開けて言葉を詰まらす。
「ところで、結局新しいお父さんはどうなんだ。今でも家でいちゃラブか」
「け、賢治、お前何言ってんだ!?」
夏向が俺の肩を激しく揺さぶった。まだ頭の頂点がグワングワン揺れて気持ち悪い。
「いや、求めてた答えは得られたよ。だから聞いとこうと思ってな」
「……ッ馬鹿が!」
吐き捨てるような夏向をよそに彼女へ向き直る。
「ええ。もちろん。新しい子供はいないけれど、2人きりの時間を楽しんでいるわ。……あの人の前だったら私、何者にもなれるもの」
「そうか」
俺はヤツの目をもう一度見る。なるほど、嘘の気配は何もない。本当に恋をしているようだ。
「なるほどなー。それがお前にとっての愛情だってのか」
「ええ。あの人に教えてもらったわ」
うっとりと。彼女はこちらよりも向こうのなにかに心を奪われている。
「料理とかはしているのか」
「ええ。私とあの人、どっちも忙しいから、できる方がやるって感じだけど」
「いただきますは揃ってからってか」
「もちろん。欠かせないものね」
「俺はあまりしないんだが」
「あらそうなの」
たわいもない会話が、今空間にあった。三上も夏向も、交互に見るばかりで何も言えない。
「賢治はどうなの。ちゃんと食べているの」
「ああ。実は料理を作ってくれるクラスメイトがいてな」
「へえ、良かったわね。栄養バランスは大丈夫?」
「ああ。いつもうまい料理で、感謝してるさ」
「そうなのね」
俺とこいつの会話は、つつがなく進む。夏向が声を漏らした。
「なんだよ、これ……」
三上も会話の主を、交互に見た。得体の知れないものを見る目だった。理解を阻んでいた。
だから、そろそろ、俺も作り笑いを辞める。
「……叱らないのか」
「何を叱るっていうの。あなたが元気でやっているなら、元であっても嬉しいものよ」
「俺、お前のことをお前って呼ぶぞ。親に対して」
「……反抗期かしら。成長したのね」
「いただきますをしないんだぞ」
「忘れてしまうこともあるわ」
「料理を作ってくれるクラスメイト、あれ実は女子なんだ」
「あらそうなの。ぜひ紹介して欲しいわ」
ああ。やっと、わかった。求めていた答えが、ようやく得られた。
「今の俺の言葉は、だいたいラノベで見た親子の会話。その母親たちはどいつもこいつも、こんな言葉たちに対して、心配をするんだ。そんな図に憧れて、違和感で距離を置いてたんだ」
俺はベッドから出ようと、ふらつきながら足を出す。
「今あんたが子供を作ろうとしない理由だ。……あんたは、子供が嫌いなんだろ」
「そんなわけないわ」
「あんたはずっと、演技をして生きてきた。家の中でも、母親の演技を」
足元に、運ばれていたであろう上履きに足を入れる。
欲しかった答えだ。
「あんたの演技は本物で、非難すべきじゃない」
だからただ一点。当たり前のことだけど。
「お前は、人を愛する覚悟なく母親になった。子供の俺を全く愛していなかった。そして全てを擲つ愛を、しては行けない人物に見出してしまった。それが、お前がずっと母親になれない理由だ」
「な、にを言っているの」
「お前、俺の後輩とよく接触しただろ。あいつずっと言ってたぜ。いつも大仰な人だって。いつも行動が、そこはかとなく大袈裟で演技っぽいって。……それはお前が、俺の母親として現れているから」
ああ、ようやく、俺が知りたかった言葉が。そんなものが存在しないとわかった。
「俺はお前を許さない。お前が母体だったから、産まれたくなかったって言いたくなったんだ。今は色んなことがマシだけど、もうお前の役は終わりだ」
俺はベッドの薄いシーツを彼女の上でひらつかせ、それで彼女を覆った。
「ま、お前がどう答えようが最初からあんたは詰んでた。……お前が、俺を育てられたと、母親を演じられたと思った時点で。虐められていた俺を知らない時点で」
もう、布越しにも彼女を見られなかった。
「さよならだ、母さん。あんたの子供ですまなかったな」
幕の降りた彼女を背に、俺は保健室を出た。続いて夏向が二歩後ろをついてくる。
「賢治、お前」
「…………あ、頭痛い」
「あっバカ。安静にしてないから」
「お前が遠慮なく前後に振りまくったせいもあるけどな」
「ゴメンて」
「……終わった、のかな」
「終わったんじゃねえのか」
「そう……か」
俺は天井に張り付く蛍光灯を見た。その光でぼやけたところに、湯気が見えた気がした。きっとあの部屋で立ち上る暖かいご飯のことだろう。
冷たい出来合いなんて、ここしばらく食べていないのだから。
「……今日は早く帰りたいな」
「賢治お前。後夜祭をバックれるつもりか」
「それもアリ」
「お前ってやつはなぁ……」
脳裏に浮かんだあいつの顔。今日のメニューに期待を膨らませると、頭痛が和らいだ。
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保健室で、女性にシーツが被さっている。
「不破先生、立てます」
「……ええ」
舞亜は立ち上がり、三上の顔を眺めた。その都度上方を向いて顔の形をこねくり回す。息子のクラスメイトとして接するべきか、教え子としてか、自分を嘲笑う誰かか、通りすがりか。どの役をするべきか文字通り悩むようだった。
「先生は、生天目くんがどんな人か知ってます?」
「……そうね。受動的で人見知りで、少し歪んだ人。あくまで年相応の性格ね」
「でも知ってますか。彼、好きな人に対してはヒーローになっちゃうんですよ。彼は、私たちが変えられなかった氷織ちゃんを、変えちゃったんですから」
「それ、は?」
「さっき言ってた、ご飯を作っちゃう子ですねぇ」
「そう、なの?」
三上はクスッと笑った。
「先生はいつも、その人の人生を送ったつもりで演じろって言いますよね」
舞亜が変えられぬ表情で頷く。
「先生は、先生の人生を生きてみてください」
「わたし、の? 考えたこともなかったわ」
「誰もが人生の主人公、なんて言いませんが、その道を走ることは誰だってできることだって思います」
舞亜はよろめいて、ベッドへ腰掛けた。
「三上さん、もう少し、教えて貰ってもいい?」
「私でよければ。と言っても、本当に若輩なので、期待しないでくださいね」
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こうして、文化祭の終了を告げる放送が辺りを包んだ。後夜祭には、賢治の姿が見えなかったそうだ。




