第54話:そして君は眠り〈破〉
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薄暗い王城のセットに、一筋の紫がかったスポットライトが当たる。姿はないが、鏡の前で咳払いをする声が、説明もなしに王女を連想させた。
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「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰だい?」
〈それはもちろん王女、貴方様でございます〉
鼻息を立てる王女。しかし直後、鏡は唐突に続ける。
〈しかし、その次に美しい方がいます〉
「それは誰だと言うんだ」
〈白雪姫でございます。彼女はまだ幼いですが、少し待てば貴方様を超える美となります〉
「……ほぉ?」
王女は唸るように、否、鏡の壊し方を検討するように言った。
「あの白雪姫がねぇ? ……わかったわ。狩人に殺させましょう」
城内に2回のクラップ音が響く。
「お呼びでしょうか王女様」
奥から野蛮な服装の男がやってきて王女の前に跪く。
「貴様、白雪姫を殺して、その血を持ってきなさい」
「それは、少女を殺せということですか」
「そうだと言っただろう。二度言わすな」
「は、ははぁ」
狩人は硬い動作で駆けるように出ていった。
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ステージは一度暗転する。
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「して狩人よ、血は」
「こちらのハンカチに染み込ませてあります」
さっきと同じく跪いた狩人が、赤黒い布を差し出した。王女はそれに近づいて嗅ぐように見えた。
「……こうも、生臭いものなのだな」
「それは、まあ、血ですから」
王女は少し考えてから鏡へ向かう。
「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰だい?」
〈白雪姫でございます〉
無機的な声に、狩人がたじろいだ。
「……死んだ者を含めるというのか?」
〈いいえ。そのようなことは、いたしません〉
王女はひとつ、狩人に向けて歩んだ。怯える狩人に向けて。もうひとつ歩く頃には狩人はふたつ飛び退く。
もうひとつ歩むとき、狩人は背中を見せて逃げ出して。
「あぐっ!?」
そばに潜んで居た衛兵の槍が、彼を突いていた。
王女は鏡の前に戻る。
「白雪姫……」
その言葉だけが、城内に残った。
『昔々、あるところに、森をさまよう少女がおりました。無知な様子であるのに育ちは決して悪くない様子で、湿気た地面から飛び出る虫に度々驚いていました』
「ひっく……私、逃げてきちゃったのね。大したものも持ってきていないし、私が大泣きするのを見て、狩人さんはどう思ったかしら」
『1歩の歩みは小さく、1ヶ月経とうが森を抜けてられそうにもありませんでした』
「私、このまま死んでしまうのかしら」
『そんなふうに呟きながら、でも宛もなく森を進んでいきました』
「あら、鹿さんだわ。この森には沢山の動物がいるのね。とってものびのびとしているわ」
『白雪姫は、鹿を見て少し勇気をもらいました。すれ違う鹿や鳥を撫でて、優しくしながら森の中を進んでいきました』
「あら。あっちに穴があるわ。りすのお家かしら」
『白雪姫がその穴に入ると、小さなベッドが7個並んでいました。ナイフにパンに食べかけの食事に、7人分の小さなものが置いてあったので、白雪姫は食べてしまいました』
「誰かが住んでいたのかしら。……にしても、私、なんだか、疲れ……て……」
その頃、森のより奥から、陽気な声が聞こえた。
「ハイホー、ハイホー、うちに帰ろー」
7人は隊列を組んで歌って歩く。
「ハイホー、ハイホー、うちに帰ろー」
やがてドアを開けると、そこには7人のものが使われたあとが。
小人の一人が、
「おいおい、近頃流行りのデカ女が俺のベッドを占領してやがるぞ」
とアメリカンに。
小人の一人が、
「ワイのパンを食べたやつがいるんやが、なんの刑が打倒やろか」
と某掲示板風に。
そして一人が、
「あらやだ、わたしのお料理までつまみ食いされてるじゃない」
とオネエの雰囲気で。
そして一人が、
「やったー、僕のナイフがかわいい子に使われたー」
と調子外れに。
さらに一人が、
「拙者のフォークが使われておるぞ」
と古風に。
さらにもう一人が、
「おいどんの椅子にかけたやつがいるでごわす」
と方言で。
一斉にベッドの方へ向かい、ベッドを横断して横たわる彼女を見つめ、全員で一目惚れした。
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ステージの袖、俺の出番が終わり、心臓バクバク、内心冷や汗だらけなまま、俺はただ縮こまった。大丈夫だろうか。上手くできただろうか。俺ごときでこの劇に貢献できたのだろうか。というかこの先にこそ持って俺の出番があるというのに、全うできるのだろうか。
今は暗転中。そしてこの暗転が終わった時に俺の出番。王女が変身した魔女からリンゴをもらうところ。これはとっても大事な場面でもある。……棒だけは避ける。
しばらく経って、後ろを夏向に押し出される。その勢いに従って、明るくなるステージに転がり込んだ。手に舞台道具のバスケットを携えて、所々に落ちている木の実を拾う仕草をする。
「うーん、これ、白雪姫は好きなのかなぁ」
アホっぽい声を発することすら、難しいということに気づいたのは1週間前。でも、ちゃんとものにできたはず。
あとはこいつの心情だけ。
ごきげんは、どんな気持ちで……。
その時、ステージがいっそう暗くなった。ステージ反対側に紫のスポットライト。
「ひっひっひ。お前さん、この辺りで可愛らしい女の子を見なかったかい?」
「……み、見たけど、見てない! 動物たちが怖がってる。あ、あんた何者だ!」
紫の光が一歩後ろに下がって、また寄ってくる。
「おや。やはりここにいたのか。もしかして白雪姫と親しいのかい」
「そ、そんなんじゃないやい」
白雪姫……氷織。俺は、あいつのなんなんだろうか。あいつは俺をずっと気にかけてくれて。俺は返せることなんてなくて。迷惑をかけてばかりで。
今の僕だって、白雪姫に好意を寄せている設定だが、僕が選ばれるビジョンが浮かばない。そんな状態で、彼女にできることは、何なのだろう。
「そうかいそうかい。……実はね? 白雪姫は今、とても悪い魔女に狙われているんだ」
「そ、それは本当なのか?」
「ああ、信じ難いが本当だよ。だから、ほら、このリンゴを前もって食べさせるのじゃ。これを白雪姫が食べればもう、白雪姫は暗殺されることがない」
「で、でもそんなのなくても、僕たちが……僕が守ればいいでしょう?」
「いいや、王女はきっと、姑息な手段を使うじゃろう。だから、持っておきなさい。くれぐれも、全部ちゃあんと食べさせるのじゃぞ。誰にもバレずに。」
俺に、紫のスポットライトが重なる。バスケットを見ると、色の悪いりんごが入っている。それを見て、少し経ってから来た道を戻るのだ。
そして舞台は明るいまま。家のセットが押し出され、俺はステージを1周走って反対側から現れる。そして、小人たちの元に向かうのだ。
「おぅいごきげーん。遅かったなぁ」
「……」
ごきげんという名前なのに。今の僕というのはその元気さをまるっと欠いている。
「ご、ごめんねみんな。木の実の場所をど忘れしちゃって遅れちゃった」
この場面では、ちょうど白雪姫が狩人に逃がしてもらったということを皆が聞き、ごきげんというキャラクターにいよいよ葛藤が生まれるところ。ここから俺にスポットライトが当たっていく。見せ場の連続を、乗り切らねばならない。
俺は自分の頬を思いっきり叩いた。
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そして劇は進んでいく。目の前に眠っている白雪姫、彼女の前に立って、手中のリンゴを見る。これを食べさせる。これを食べやすいように切り分けて、アップルパイにしようと。その時、白雪姫が起き上がる。
「……あら、ごきげん? どうかしたの」
「い、いや。お腹がすいちゃって、夜食にアップルパイを焼いたんだ。かわい子ちゃんもどう? みんなに内緒で。僕焼くの上手いんだ」
「まあ、それは素敵。でも、なんで秘密なの」
「リ、リンゴがひとつしかなかったから。それに全員分に作るのは面倒くさいから。特別だよ」
舞台セットのアップルパイを差し出そうとしながらも、リンゴの微かなシワが後ろ髪を引っ張りつづける。
「どうしたの」
「……」
今はまだ、白雪姫が本当に危ないのかも分からない。だからごきげんは、頼るものを間違えないために。陽気な一方できっと、一番傲慢でもあった。
「や、やっぱり夜食にアップルパイは太ってしまう。代わりにベリーのパイを作るよ」
そう言ったごきげんは、アップルパイをゴミ箱に捨てた。
翌朝、ごきげんは森の動物にパイをあげた。……するとどうだろう。その鹿は眠ったまま動かなかった。
しかしその後。王子が独自のつてからこの住処を割り出し、そこにひとつのリンゴを送った。
文面は、ごきげんが王女に言われたことと同じ。そして白雪姫はそのリンゴにかぶりつく。
ごきげんはふと思い出して手を伸ばすが、その手は白雪姫が地面に落ちてから届くのだった。
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何故だろう。すごく、ごきげんという役が手に取るようにわかる。彼の行動が、わかる。まるで同じ人生を歩んできたような気がしてきた。
この無力感さえ、知っている匂いがした。
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場面は暗転。そして眠った白雪姫に白い光だけが当たる。その中に、一人だけ、ごきげんがその場所にいた。
僕は、彼は、俺は。そこでずっと待ち続けていた。何かの拍子で起きないだろうか。あの日渡せなかったアップルパイを、もう一度作ってやったら、またバターの香りで起きないだろうか。
……このシーンの必要性は知っている。真実のキスでないと目覚めないということを印象づけるためだ。
だから目覚めさせられないことを、知っている。
泣いたっていい。ごきげんという男は。あの場でただ一人だけ、あのリンゴを弾くことができたはずだった。できなかった。
自分だって白雪姫を想っているのに、目覚めさせられない。
ほかの小人が、王子へ助けを求めに行っている。彼は、俺は、何をしているのだろうか。
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今まさにこんなんに立ち向かう氷織に、俺はそばにいるだけか? 足を引っ張るような体たらくの俺が。
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何故か、涙が流れてきた。
これは脚本にはないものだったが、俺は暗転するまで続けた。
……そして、王子はやってくる。慈しむように白雪姫を見下ろす。
「ああ、白雪姫。僕のせいで、君はこんなに眠りについてしまったなんて。悔やんでも悔やみきれない」
彼の方が、真実の愛だなんて。
「……せめて、わたしはあなたを思う気持ちだけは本物だということを、証明したいんだ。だからどうか、目覚めておくれ、白雪姫」
王子が覆うように、マントで白雪姫を隠した。
そして、やがて、おもむろに白雪姫が目を覚ます。
……俺も居るのに。
「王子様、来てくださったのですね」
台本通りに、小人として声を出すこともできなかった。




