第53話:そして緞帳は上がり〈序〉
そして迎えた文化祭当日。俺はただただ欠伸をこぼしていた。
「……そして、暑いし重い」
「そう言ってやるな。辛いのは俺も一緒だ」
夏向と二人並んで、緑の手づくり衣装を着、午後の講演のために父兄などに宣伝するのだ。
「劇やりまぁす……」
「午後に特別棟3階の突き当りでーす! よかったら来てくださいねー!」
そうやって騒がしく隙間のない人いきれは右へ右へと流れていく。そんな環境はあまり得意ではないことを思いだして、妙にそわそわしてしまう。
きょう
「行ってきたらどうだ」
「……え?」
「他のやつらが気になるんだろ。なんなら今からでも八咫野さんを誘っちゃえばいい」
「八咫野は最終調整だろ。誘う気にはならねえよ」
「まあでも、ここで立ってるだけってのも退屈だろ。せっかく去年より良い顔してんだ。もっと楽しまないと」
そういって俺の背中を強くたたかれる。そういえば、去年は夏向が一緒のクラスではあったものの、クラス全体のつながりが希薄な外れクラスだったため、文化祭準備期間中は腹が痛かったっけか。それに中学までを合算しても、今回を超えることなどまずできないだろう。
……いままではだれも知り合いと話そうとしなかった。しかし今は八咫野、それにそうだ、乙音のところに行くという手もある。本当に、最近は変わってばっかりだ。なんだか、自分が普通の高校生であるという錯覚すら、容易にできそうだ。
「ごめん。行くわ」
「おう。楽しんでこいよ」
夏向に見送られながら人の波に加わる。けれど、やはりたまに押しつぶされそうになって、一年のクラスへ行くのは至難の業だ。あと服が擦れて、肌に直に触れる部分がとても痒い。
もう既に帰りたくなりながらも、むしろその列を押し込めてやろうという意気で人いきれに参加する。なぜならあいつのクラスの出し物は、コスプレ喫茶だ。軍服、メイド、なんでもござれだという噂! 別にそういう心がある訳では無いけれどね? 男として一度は見たいじゃん?
という邪な心を持ちながらも、すぐに進めなくなる。どうやらその件のクラスに人が密集しているようだ。ちょっと休憩がしたくなって、近くの空き教室に入って息を整えた。
「あれ、先輩何してんすか」
「……乙音?」
俺は自分の期待に、轟速で振り返る。……しかし。果たしてそこに居たのは普通の姿の乙音だった。
「なにあからさまにゲンナリしてんすか」
「い、いやぁ? それよりなんでここにいるんだ。乙音おクラスはあっちだろ?」
「ああ。ここうちのクラスの仕入れ場所なんすよね。ボクはあんまり仕事がないし、人が多くてでられないしでここに」
そう言われてみると奥に学校支給の調理台が見える。
「なんで乙音は通常衣装なんだ」
「通常衣装って言わないでくださいよ、ソシャゲじゃないんすから」
ため息をつく乙音から目を逸らす。
「ボク、サイズが合わないヤツとか、周りから止められたヤツが多くて……。なんですることも少ないんすよねープラカードを持つのもいいんすけど、この人混みだとそうもいかないから」
「あー……」
スっと、俺の視線が斜め下へ落ちる。それはとても自然なことだった。
「どこ見てんすか。氷織様もそんな目で見てたら殺すんで」
「男のサガなんだって……」
否定のために目を見ようとするが、一度また意識してしまうと視線が下に落ちる。
「氷織様がそんな目で見られるくらいなら、ボクがバニー着た方がマシっす」
「「「「いいんですか!?」」」」
と、気づけば俺だけではなく、調理室の男子たちも体を乗り出していた。
「男子! テメーらへの見世物じゃないかんな!」
「「「「……はい」」」」
俺含め一同がゲンナリした。お前ら、乙音をそういう目で見てたんだな……いや気持ちはわかるけど。
「あ、そういえば先輩、劇の方はどうです? バッチリっすか?」
「おう。俺以外は仕上がってる」
「ちなみに先輩の方をお聞きしても?」
「未だに大根だ」
「……ま、まあ頑張ったと捉えて見に行きますね」
「とっておきのぶり大根を見せてやるぜ」
「そんなに情けないセリフ聞いたことないっすよ」
頭を抑える乙音。俺に期待を持つほうが失礼というものだ。
「ともかく。行くんで、ちゃんとこなしてくださいよ」
「まあできる限りで頑張るよ」
「あ、なんだったら景気づけにオムライス食べます? 冷凍の」
「最後の一言がなければ大歓喜だったが……」
「まあまあ、おまじないはやってあげるっすから。はい萌え萌えキュンはいどうぞ」
「そこに愛はあるんか」
差し出されたオムライスは、芯が温まらない心地だった。
そしてしばらく滞在したのちに、時間が近いことに気づいてこのクラスを後にする。すこし駆け足で壁際を這って進んでいく。そんななか、ふと背中に冷たい電流が流れた。脊髄から全身を冷やし、身の毛がよだつような。
反射で向けた視界に、艶のあるロングの髪が見える。まるでその流れる髪すら演出のような。彼女は乙音のクラスの中へと消えた。
遅れて鳥肌が腕を支配した。
**
昼をすぎ、俺は体育館裏へ向かう。
「賢治やい。緊張してるかー?」
「し、ししししてないやい」
「シャレにならん震え方じゃん」
夏向が引くほどに、俺の指先と声は震えていたのだった。心臓もずっと鳴り続けている。
「ま、学生の劇だもの。気楽にやんなきゃ」
「そうなんだが……」
俺は思い出していた。あの黒髪の軌跡を、真新しさを感じる艶を。
夏向はため息をついて、俺の元から離れた。俺は手を擦り合わせて何とか熱を作る。ハアハアと吐息を当てるがすぐに冷えていく。
その時後ろから声がかかった。
「大丈夫ですか、生天目さん?」
誰の声かなんて考えずとも、体が声の方を向いた。案の定氷織だった。のだけれど、衝撃もあった。
青に黄色と、絵本の中のような色があしらわれたドレスに身を包む彼女がいた。
「……」
「え、ええと。すっごく緊張していると木下さんから聞いていたのですが」
「あ、ああ。かなりやばい」
「へえ、生天目さんも緊張とかするんですね」
今まで俺をなんだと思ってたんだと言い返そうにも口がすぐに動かない。その間に、俺の手が氷織に取られる。
「ちょっ……」
「くすっ。本当に緊張しているじゃないですか」
さっきまで何をしても熱が伝わらなかった指先が、優しい温もりで包まれていた。指先よりも顔に熱が行くのがわかってしまった。
「大丈夫です。少なくとも、生天目さんがこの劇で1番成長した人ですから。自信もってください」
「あ……ああ」
「あ、では私はそろそろ反対側へ行きますね。私はあっち入場なので」
そう言って踵を返す氷織に手を振ることもできず、代わりに自分の手のひらを見つめていた。
さっきまでうるさかった心臓の音。それが何故か、熱く脳みそを蒸してやまないのだった。
ふとステージの照明が落ちる。もうすぐナレーションが入って本格的に劇が始まるのだ。いつの間に隣に現れた夏向が俺の肩を叩く。
「んで、八咫野さんにあっためて貰えたか?」
「お前の仕業かよ」
「まあまあ」
『まもなく劇、白雪姫を開始します』
「ほら、行くぞ夏向」
「お、おう。……本当に効果てきめんかよ」
俺は仕返しとばかりに夏向を肘で小突いてから1歩前に出た。
『誰もが知る白雪姫、それをある生徒によって再解釈し、構成し直した新たな白雪姫を、お楽しみください』
そして、ブザーの音と共に、緞帳は上がる。




