第50話:嘘の付き方
日曜日も明け、月曜の練習に入った。最初はアドバイザーが入る前提だったため、少し焦り気味で練習が進んでいる。
「ヤッター。僕のナイフがかわいい子に使われたー」
「CUUUUUUUUUT!!!! 生天目!どこがやったーなのよ!もっと心の底から喜びなさい! 氷織に使われるのよ! 狂喜乱舞、欣喜雀躍、快刀乱麻なさい!」
……緑川や。お前感覚で難しい言葉つかってるだけだな?
にしてもなんだか、上手くいかない。俺的には喜ぶ演技をしているはずなのに。どうも周りからはそうは見えないらしいんだ。
「なあ夏向。どうやったらできると思う」
「うーん。お前悪しくも悪くも単純だからな。本当に感じないと演技できないんだろ」
「悪いって2回言うな」
「それか、周辺の役の方が、役に入りづらいのもあるかもな。試しに、王子様役のセリフだけでも読んでみたら」
たしかに。キャラ付けされているとはいえ、情報もない小人、好きになるやつはあまり多くないだろう。しらんけど。
えーと。ふむ。あ、これオーディションのセリフか。試しにやってみよう。
「あ、ああ、白雪姫。僕のせいで、君はこんなに眠りについてしまったなんて。悔やんでも悔やみきれない」
自分のせいで、誰かを、氷織を傷つけることになってしまったら。その機会は、俺が知らないうちに何度も起こっているのかもしれない。日常の中にふんだんにあったのかもしれない。それが爆発する日を、耐えられるだろうか。
「せめて、わたしがあなたを思う気持ちだけは、本物だということを、証明したいんだ」
想う人、想ってくれる人。そんな人が、俺にいつか現れるだろうか。証明が出来るような意志を、俺は持つのだろうか。そんな世界に閉じこもれれば、どんなに楽だろうか。
「だからどうか」
だからどうか、
「目覚めておくれ」
目覚めたくない。
「白雪姫」
そう考えた時、背中に軽い衝撃。それはガサツな、ぶっきらぼうな、でも本気じゃない。蹴りのような衝撃。体勢が崩れる。
……前屈み。それは本来、白雪姫にキスをする時の姿勢。
そして、そこにいないはずの氷織の声がする。
「王子様、来て、くださったのですね」
寝覚めの無防備な笑み。思わず俺も笑いたくなる。彼女が受ける光の賞賛を、共有したくなる。
「白雪姫……ああ、私の白雪姫。目覚めてくれて、本当に良かった」
知っている感覚だ。この肩の無気力感。氷織が、死戦期呼吸になった時の。氷織は俺のものではない。けれど、きっと、彼女が幸せならば、それ以上は望まないかもしれない。
俺は――。
あ、そうだ。続き続き。
「今、今こそ、言わせてくれ」
抱きつくくらい感情を。
「私は、あなたを、…………ッ!」
『――きよ』『愛しているわ』
『――――――。そう』
「!? オエッ!」
唐突に、腹に違和感。身体中が警鐘を鳴らし排出せんとする。しかし嘔吐く声程度。実際に吐瀉してはない。
「賢治、大丈夫か!?」
「だ、大丈夫。さすがに、この前みたいにはならない。……けど」
ああ。さっき俺の脳内に駆け巡ったのは……紛れもない母親の言葉だった。幼少期からかけられていた言葉。
……そうか。あんたのせいだったのか。
「具合はどうだ。劇練習は、ここまでだな」
「いや、多分、王子様のセリフを読まなきゃ大丈夫だ」
俺は王子役のセリフに没入していた。そして、同じ感情を抱こうとしていた。それが、多分……。見覚えがあったからだ。
「夏向。俺、演劇向いてないんだな」
「そりゃあまあ、大半の人間は向いてないだろ」
「……血ってのは、信頼できないもんなんだな」
「お前……はあ」
夏向が深いため息をついた。そして立ち上がる。
「なあ緑川さん、俺たち早退するわ」
「ちょ、え? あんたらが練習しないでどうするのよ!」
「すまね。高校生の本分は遊ぶこと、なんつって。行こうぜ、賢治」
腕を掴まれ、引っ張られるがままに廊下を駆ける。そして靴をとるのかと思いきや、さらに向こうまで進んでいく。
「お、おい。どこに行ってるんだ」
「まあまあ」
そして、やがて塩素の香りが漂ってきた。彼がアルミ材のような扉を開けた途端、向こうには水泳部の練習風景が広がっていた。
「ここって……」
「んじゃ、俺は行くわー。お先、賢治」
「はぁ!? ちょ、なんで」
言葉で止める間もなく行ってしまう。どうしろっつーんだよここにいて。最悪捕まるぞ。
今からでも教室に戻ろうか。そう思った時、遠くに八咫野が見えた。あれは、多分灯里だ。見事な勢いでレーンを進んでいく。あんなスピードで移動できるものなのか。
……あいつ、そういえば最初から、ずっと嘘苦手そうな感じだったな。ハグを求めてきたのは、よく分からないけど。演技で、俺のことを試そうとした。自分の体をもって、何かを隠すように。下手だったな、隠すの。
それでも、最近は、隠し事っぽい感じもしている。何をというのに、確信は無い。けれど漠然と、何かを隠そうとするような。多分、夏休みくらい……から?
ふと、プールを上がろうとする灯里と目が合う。水が滴る肢体、まさに曲線美。
早歩きでこちらまで歩いてくる。プールサイドは走らない、か……。偉いなこいつ。
「ちょっと。なんであんたがここにいるの。通報するわよ」
「いや、俺は夏向に連れてこられただけで……」
「あんた、水着覗くために友達売るの」
「誤解だっての! あーえっと……そうだ。灯里は何時に部活終わるんだっけ」
「え……あ、18時だけど」
「じゃ、じゃあ、それまで待つから」
「え、あ……う、うん」
なんとも変な空気が2人の間に流れる。ちょっと? 紡ぐ言葉に困るんですけど? 殴ってくれないと話が進まないんだが??
「じゃ、じゃあ、ご、ごめん。待っててね」
「あ、ああ」
灯里が少し顔を赤らめて奥へ走っていく。あ、走ったりしたら……。
その時。するりと、灯里の重心の軸が傾く。足裏が地面に触れず、横への移動が大きくて。
つまるところ、滑った。
「灯里!?」
**
「な、なんか、すぐ帰れたな」
「早退なんて、一生の恥だわ」
側頭部と腕を交互にさすりながら灯里が歩く。荷物はもちろん俺持ちだ。
「これも全部、あんたが来てたせいだから」
「それ、ずっと言うのか……」
並び歩きつつも、負傷者に歩幅を合わせる。
「……そっちは、どうなのよ。劇の方」
「なんか、俺はどうやら演技が根本的に向いてないらしい。具体的には吐きそうなくらい」
吐きそうなくらい、という単語に気まずそうにする灯里。
「あ、別に吐いてはないぞ。催した程度」
「あっそ」
「なんか、多分、嘘つきな母親を思い出すからだろうかなー」
「あんたの母親は、相当な極悪人ね」
「悪とも、俺は言えないかもだがな」
もしかしたら事情があるかもしれない。俺だって父親が嫌いだ。あんなやつを嫌うやつだっているかもしれない。そいつの子である俺にも、あるいは。……なんて、理由を探しても、思い出される顔で、ひとつ腹が悪くなる気がする。
「多分、嘘が、無理なんだ。普通の嘘はいい。けれど、気持ちが。無理なんだ。気持ちに、嘘がつけない。嘘の気持ちは、まるであの人だから」
「……あんた、その身分でよく言えるわね」
「あ、そうそう。だからさ。灯里にも聞きたいんだよ。嘘のつき方」
「はぁぁぁ?? あんたバカ?」
3秒くらい持続するため息を頂きました。長いなオイ。
「お前だって、なんかしら隠して生きてるだろ。具体的には夏終わりには、なんか嘘っぽい気配がしたけど」
「……ッ」
灯里は息をのむ。本当に分かりやすいなこいつ。
「お前だって悩みのひとつくらいは持ってて隠してるだろ。それがどんなのとか、聞けたら、もしかしたら嘘の付き方の参考になるんじゃねえかなって」
「……」
「まあ、内容は教えてもらわなくていい。どうやってついているのかだけ……」
灯里の表情を見る。唇を強くつぐんでいた。
「嘘は、どうしようもない、そうしたくもない、そんな終わってる時につくのよ。叶わないものを一瞬でも手に入れたと錯覚するため」
多分何度か見ているだろう、彼女の真剣な顔。俺は直視できなくなって道の先を見る。
「ねえ賢治」
「どうした」
「氷織、ついに始めたわね」
「水泳の練習か? たしかに、1日でめっちゃ上手く――」
「そのせいであたしが消えるって言ったら、どうする?」
声帯を震わすより先に、彼女の顔を見る。灯里は俺を見ていた。
深い孤独を湛える笑みだった。




