第47話:助っ人
金曜日、俺たちは稽古に励んだ。放課後練習とかいうブラック部活のような形で。
「ハイホー、ハイホー。うちーにかーえーろー……ッグ!」
「はいほー、はいほー……グホア!」
俺と夏向はさっそく音を上げていた。なんだこの素っ頓狂な言葉は! しかも脚本のやつに訊けば、これは原作通りだというではないか。原作者め、何を思ってこんなセリフを書いたんですか。
そして悶える俺たちを咎める女子がいた。
「ほらそこ二人、ここは息を合わせるところなんだから。最悪セリフはアフレコになるかもだから、まず動きだけでも合わせて」
「「ああ、は、はい……」」
緑川だった。こいつも小人役。たしか、おこりんぼ、だったか。なるほどぴったりだな。そして奥からもう一人女子がやってくる。
「ま、まあまあ、初めてはこんなものだから。それに、もうすぐ私の教室の先生も来てくれるし。形にはなるよ、きっと」
三上が緑川をなだめた。演技の先生とか、そんなにガチになるのはどうかとも思うが、担任の母野が「今年こそ大賞をとるッ!」燃えていた。なんでも教師人生10年の中で一回も出し物で3位以内をとったことがないとか。
「……でも賢治の大根ぶりったら無いぞ。これ指導どうこうの問題なのか?」
「俺は、こういうのにいい思い出がねえんだよ。ほっとけ」
やれやれと肩をすくめる夏向を睨み、脚本をバットの用にして肩を叩く緑川に呆れる。
「てか放課後の練習って八咫野とかもいるのか?」
「いんや。氷織は部活」
「え?」
「放課後はそれ以外の連中でやるわ」
「え、俺も水泳部なんだけど」
と夏向が言うも、
「小人役は合わせないと」
とぴしゃりと言われてげんなりする。
「本当にちゃんとやってくれないと。ほら、最初のハイホーから行くよ!」
「うぉ~い……」「へぇーい……」
また内容のよくわからない歌を歌いながら白雪姫の家に行くシーン。俺達は踊り狂いながら小人の家に向かい、そこにいる白雪姫を見つけるシーンをする。
小人その1が、
「おいおい、近頃流行りのデカ女が俺のベッドを占領してやがるぞ」
とアメリカンに。
小人その2が、
「ワイのパンを食べたやつがいるんやが、なんの刑が打倒やろか」
と某掲示板風に。
そして次は夏向が、
「あらやだ、わたしのお料理までつまみ食いされてるじゃない」
……オネエの雰囲気で。
そして来る俺の番は、
「ヤ、ヤッター。僕のナイフがかわいい子に使われたー」
これ以上の棒読みを、この世界は知らない。
「はーいカァーットゥ!」
そこで緑川がストップをかける。
「ちょっと生天目! やる気あんの!」
「うるせえ知るかぁ! 第一演技なんて日常生活におおよそ必要なもんじゃねえだろ!」
「でもやるのがプロよ」
「プロじゃねえよ」
「プロになるのよ」
謎の気迫ですごむ緑川。しかし演技経験者なのは三上で緑川じゃな……睨まないで。
「ともかく。小人は白雪姫の世界観を象る重要なピースなんだから。あんたがそんなんじゃ演劇もパーよ!」
「アメリカンとイ〇チがいる時点で世界観崩壊してるが!?」
俺が叫びながら反論するも結局熱量に負けてもう1回。しかしやはり上手くできない。
「無理だ……」
俺が途方にくれていると遠くで見ていた石井が俺に近づいて来て、カロピスを俺の横に置いた。俺は顔を顰める。
「ほら。まず頭と表情筋を解さないと」
「……ああそうかい」
敵対心をむき出しにしながらカロピスを受け取って飲む。もちろん美味い。
「なんの用だ」
「いや別に。なんか行き詰まってたから」
「けっ、嫌味か?」
「なら上手くやれ。お前が下手すぎて、何を言っても嫌味になってしまう」
こいつは窓の外に目をやって仏頂面で言う。やっぱりこいつは嫌いだ。
「……氷織に手、出すつもりじゃねえだろうな」
そう言った俺に、ため息をつく石井。そして質問には答えず逆に石井が口を開く。
「お前、いつまで、そうしているつもりだ」
「あ? 質問に応えろや」
「あらかたは木下から聞いている。お前も難儀なことがあったって」
そうして、地面に膝を付いている俺を見下すように言った。
「なんだ。お前、夏前と変わってないだろ」
「……どういう意味だ」
「それだったら、俺の方がふさわしいかもな」
石井は吐き捨てて教室から出ていった。緑川に「あいつ帰っていいのかよ」という視線を送ったら「出番は先だし、まだ序盤導入部分の脚本が仕上がってないから」と言われた。そもそもこんなふざけた脚本にしつつも1日で序盤の部分は仕上がってるのだから、脚本担当も技術はあるんだろうが。
あー。恨みがすげー。周りみんなハイスペしかいない。
俺はもう一度脚本を読みながら、どう読むべきかを探るが……やはり検討もつかない。なぜ喜んでいるんだこの小人は。こんな変わってるやつを演じるなんて――。
『お前、夏前と変わってないだろ』
「……」
脳裏に石井の言葉が思い出される。あいつは何のつもりでそういったんだろうか。俺だって、ここ2ヶ月でいっぱい変化を感じたはずなのに。片付けはするようになったし、料理も少しならわかるようになったし。宿題だって今までに無いほど進んだ。それに……。
『あなたに、居て欲しいんです』
脳内に氷織の声。なのに、このセリフに覚えがない。
俺は、何かをぽっかりと落としている、いや、何かを、知らないことにしようとしているような。
何を忘れようとしている?
思い当たることが何もないのに、何故か途方もない焦燥感が脳を支配する。……いや、辞めよう。無いものを思い出そうとすることほど無駄なことはない。……無いよな?
てかそれよりも! あいつ懲りずに氷織に手を出すつもりか! あいつなんかまた物静かになってるくせに! ……いやでも、しかし顔はいい方だ。成績も優秀。独りを選んでいるだけで、日常においては邪険な様を見たことがない。あの事件のことはさておきだが。
あれ。思った以上にハイスペックだなあいつ。いやでもあいつの前科は許されることじゃない。そうだ。あいつに負けちゃいけない。……負けるってなんだ? 俺って何がしたい?
そう思案だけが頭を巡る。それを夏向に遮られた。
「おい賢治。もうすぐ外部指導の先生来るってよ」
「……んあ。もうか」
俺は思考を片付け、居住まいを正す。まあ、どうせだるい演劇をやらされるんだ。
ああ面倒くさい。あくびでもしてしまおう。そう思って口を開いた。
だが次の瞬間。俺は全てを奪われた。眠気だけではない。感覚、体温、安心。
ドアから覗いた女性は首からカードを下げている。そして次に見えるは黒と白でまとまった余裕のある風貌。軌道を残す嫋やかな長い黒髪。
ああ。何度会いたくないと願ったことか。自信に満ちたその表情はどこまでが真実か。だからお前はここにいるのか。
腹の底が煮える感覚。胸が暴れる。
その女性は口を開いた。
「ここにいたのね、賢治」
「……ッ!?」
どこまでも慈愛に満ちた声は彼女の腕前の成長を表す。どこまで嘘をつくのだろうと。
そして、口内が酸っぱくなって、肋のあたりが熱くなり。ついには逆流する胃酸に抗えない。
「な、生天目くん?」
彼女を連れてきた三上が狼狽える。緑川は1歩後退る。夏向は俺の背中に手を当て、彼女を、不破舞亜を睨んだ。
――――
吐く賢治に、するりと、慌てた表情に切り替えた舞亜が歩みよってくる。
「どうしたの賢治。なにかお昼に当たったの?」
しかし伸ばした手は夏向に払われる。
「……どの面下げて触りに来た」
「私は、母親として、我が子の体調を気遣っただけよ? どうしてそんなひどいことを言うの」
「お前に母親を名乗る資格はない。帰れ」
夏向がただならぬ剣幕で睨んだ。それに観念したように不破は後退った。舞亜は悲しそうな顔で夏向を見た。
「そう。あなたは、あの人の子供なのにとても狂暴に育ってしまったのね。かわいそうに」
「可哀そうに? どの口が言ってんだ。お前が! 賢治と俺の人生をぶち壊したんだろうが!」
夏向の怒号が、放課後の静かな教室に響いた。場の空気は既に凍えついている。舞亜が休符を裂いて言う。
「……夏向くん、私はそんなつもりで言ったんじゃないの。だけどもし気を悪くさせてしまったなら、ごめんなさい」
心の底から言うようだった。夏向は一瞬戸惑いながらも舞亜を突き放す。
「俺の名前を、お前が呼ぶな」
そういった夏向に舞亜は調子を変えずに言った。
「じゃあ、不破くん?」
「……!」
舞亜と同じ性に、夏向が反応する。夏向が唾を飲む音だけが響いた。傍らで吐く賢治は、残った力で舞亜を見上げる。ただ力なくにらむ。夏向は、続く言葉を選べず口を開いては閉じるのみ。なんの悪気もなく言ったであろう舞亜の言葉は、ただ純粋に夏向を、賢治を穿っていた。
その、そんな空気を裂くように、一筋の起伏のない声が廊下から響く。
「わー不法侵入者だー」
そして続くように騒がしく怒った声。
「何を言ってんだこのドブカス! お前何を今更……」
その起伏のない声はだんだん近づき、そしてドアからのぞいた。
「おっと。不法侵入者発見」
そういって、石井が現れた。それに続いて、
「石井! 氷織様を害することは……って、あれ? 木下先輩? それと……」
乙音が現れた。そして賢治を見、
「生天目先輩!?」
急いで彼のもとに駆け寄り、近くの雑巾で吐しゃ物をためらわず拭った。
「先輩!? どうしたんすか、何があったんすか!」
焦る乙音は、夏向の視線の先を見て、察する。心当たりまで。しかし乙音はそれを一度にらんだ後、再び賢治の滴る吐しゃ物の残りを吹いた。
「……あなたはあの時の。そう。あなたもなかなか上手いのね」
乙音は無視して賢治を拭い続け、背中をさすって尽くしていた。無視された舞亜はため息代わりに「――そう」と吐き捨てた。
「ごめんなさい、三上さん。私、ここにはいられないようだわ」
「え、不破先生?」
「さようなら。もし本当に私が必要になったら、動画を見せてくれればいいわ」
そういって、流れるように、舞台袖に戻るために染み付いた動きで、去っていった。
賢治はなんとか落ち着き、夏向はこわばったように動かず、乙音は賢治を案じ。部外者たちはだれも、賢治に続けるべき言葉をかけることができない。
どこか酸っぱく、胸を絞めつける香りだけが、全員の心に居着いていた。




