第44話:台風一過
二日後。こいつは、何事も無かったかのように退院した。そこに待ち伏せていたあたしたちにこいつは言った。
「あ、えーと。ただいま」
だからあたしは……。
殴った。顔面を。
「なんぜ灯里ィ!?」
「うるさい。殴られてろ」
「灯里先輩殴りすぎ……いやでも灯里って同級生じゃないから敬意って無くてもいいのかなあーでも年齢は氷織様だから……うーん」
「お、乙音オゴッ、助ブッすけて……死ぬ……」
「迷惑料くらい払えっての。バカ賢治」
あたしはため息を吐いてから殴るのを止め、彼の瞳を見る。
「心配させてんじゃないわよ」
「……」
「そーっすよ先輩! 勝手に倒れるんじゃないっすよ。本当にあの時、心配に、なって……そのまま、きえるんじゃないかって……」
乙音はそう言いながら目元に涙をにじませる。……氷織から伝え聞いた話だけど、この子もこの子で責任をたくさん感じたらしいし。
「あー賢治、女泣かせた。ゴミだ」
「……悪かったな、乙音」
「ま、まあ何事もなく退院できたならいいんですけど!」
そう言って調子を戻す乙音。あたしは賢治の横腹を肘で小突く。
「……おかえり」
「おう」
彼の抱える心のうちなど、きっとあたしが理解しきることなど出来ないんだろう。だから、せめて彼のいる場所に居たいんだ。よりによって賢治を好きになってしまったんだ。あたしも、責任を取る。
あんたを、一人にはしないからね。
――――
俺はかえって早々上半身の痛みをかんじつつカレンダーを眺める。そういえば、今日でもう夏休みが、いやもうすぐ昼だから、あと半日で夏休みが終ってしまうのか。この夏休みにもいろいろあった気がする。その前にもテスト勉強があって、灯里の下着選んだり海で氷織が憧れの人に会ってしまったり。そういえば夏祭りにも行ったな。そんで、人生初の宿題をこなし、ギリギリのスケジュールを……。
「……あれ。今日って、なつやすみの、おわり?」
「そりゃそうでしょう。明日の学校の準備もあるわよ。あたしたちも三時くらいには帰るし」
「どうしたんすか今更」
「……あ、あの。しゅ、しゅく、だい、?」
俺がそう言った瞬間、乙音の顔が若干引きつり、灯里の顔は呆れにかわる。
「まあ、しょうがないわよね。数日前まで寝てたし。ま、こんなぎりぎりのスケジュールにする方が悪いんだけど」
「きょ、きょうは、てつやこーす?」
「ダメ。病み上がりは十時に寝なさい」
「……りゅ、りゅうねんの、かのうせい?」
ダメだ。俺のような弱心臓は留年したクラスに耐えられない。
「お、乙音ェ? た、助けてくれね?」
「そ、そんなこと……ん……〜〜〜〜!!」
乙音は顔を赤くして本気で逡巡する。これは、もしや今回の件に責任を感じて断るに断れなくなってる?
「乙音? 無理はするな?」
「いやでも留年した先輩が生きられなかったら……」
すると灯里が乙音の頭を軽くチョップする。
「あんた。今は病人を寝かせる方が先でしょ? それに、来年はあんたがこいつを1人にしないようにすりゃいいんだから」
「そ、そうっすね。ハイ。それはそうと崇高な氷織様のお身体で暴力は見損なうっす」
「あ゛」
「やめろやめろ収集がつかねえ!」
ただでさえ俺がコレなんだから!! こいつらがツッコミをになってるんだから! こいつらでおっぱじめたら誰が突っ込むんだ。
「ま、まあ。今までと違って70パーセント終わってるし、留年はないか」
「そうッスね。まあ高校ですし。大学だと即アウトですけど」
「……ま、まあ今回は健闘できたということで」
「無事で何よりってことにしときましょう」
俺はせっかくの達成の機会を逃して若干悔しい。だが、まあ確かに入院したてほやほやの俺が夜更かしをするもんでもないか。
その時ふっと思い出す。
「そういや、氷織が言ってたご褒美ってなんだったんだろ」
「は? ご褒美?」
灯里が何故かすっごい反応する。
「いや、宿題がちゃんと終わったらご褒美ですって、氷織に言われてたんだよな。なんだったんだろあれ。美味い飯かな」
俺がつぶやくと灯里がムスッとした顔になる。
「まー。鼻の下伸ばしちゃってまー」
「あ? ご褒美って言われたら男は皆ワクワクするが」
「はっ。どーせろくでもないこと考えてんでしょ。それに乗じて胸とか揉むんでしょ。うわ変態」
「まじでそんなん考えてないし……胸ったってお前……」
「あ゛あ゛? 喧嘩売ってる?」
お前の始めた物語だろ。
「ハッ。どうせあんたらにとっての胸はAカップとDカップとFカップとかしか眼中に無いんでしょ。目ぇ腐ってんじゃないの」
「世の中に喧嘩売りすぎだっての」
灯里がひとりでだんだん熱くなっていく。いつの間にキレ始めてる。
「もういいから揉みなさい。これをご褒美にしてやるから。というか揉め、貧乳に目覚めろ」
灯里が自分の胸を突き出して迫ってくる。意味の分からないことになってきた。俺は後退るがすぐに壁に追い詰められる。
「え? は? 灯里サン??」
いきなりの急な展開に俺も心臓がはねた。灯里が俺の手を掴もうとしてくる。
どういうことだ??
そして灯里の手が俺の手首を掴む。
――その瞬間、激しく背中に悪寒が走る。触れられていることに、強烈な嫌悪感。
俺は反射的に手を振り払っていた。
前のめりでふらつきながらだったからか。灯里は床に転げた。
「…………え」
「……あっ、その、スマン」
変な空気が流れる。
「さ、さすがに変なことしすぎた。……ゴメン」
「いや、俺も振り払うつもりはなくて……」
立ち上がった灯里は思い出したように、
「あ、も、もうこんな時間。あたしがご飯作るから。ふたりは座ってて」
と言ってキッチンに向かってしまった。
その背を見てから、俺は自分の手を見る。
……なんで、振り払ったんだ俺。なんであんなに怖気が走ったんだ。
俺は、どうしてしまったんだろうか。
――――
ボクは生天目先輩を見た。
先輩は自分の手を見つめて、青い顔でいた。木下先輩の話が本当ならば、もし、誰かに触れられることすら嫌う状態なら。ボクは、耐えられるだろうか。
彼は、もしこの状態が続くなら、独りを選ぶだろうか。その時、彼はきっと、塞ぐだろう。ボクはわかる。
……ボクは、独りで項垂れる彼を、知っているから。
その時、ふと思い出す。そういえば、生天目先輩が退院したら教えてと、カフェで言われたんだった。
あの人は誰なんだろうか。見知らぬ人にかけるのは怖い。しかしあの人には通報や迅速な対応をしてもらった恩もある。それに、先輩を知っていそうだった。
20秒考えて、ボクは部屋の外で電話した。
名刺を手にし、その下部の電話番号を入力する。すると4コールで出た。
『もしもし、どちら様でしょうか』
胡乱げな声。なのに、声は電話越しによく通り、慈愛をも感じさせた。一瞬惚けたが、ボクは続ける。
「先日カフェで先輩を助けてくださったことのお礼を。受け取った名刺の番号からかけさせてもらいました。急なお電話ですみません」
『ああ。あのころのカップルね』
「カップルじゃありません」
ボクは務めて無機質に言った。
『それで、賢治はどうなの。もう退院した?』
ボクは唇を噛む。
「先輩は、もうすぐ退院する話が出てます。貧血だったらしいですよ」
『あら、そう。ちゃんと食べてなかったのね』
さも当たり前のようにこの人は会話を進める。慈愛は依然感じられる。が、それはどこか大仰に聞こえた。
「あの。あなたは、先輩とどんな関係なんですか。知っているようでしたけど」
『あら。賢治から聞いていないの?』
「ええ。何も」
責めるように言う。ボクは次の言葉を待って唾を飲み込む。……予想は、できている。できているけど。
『わたしは、あの子の母親よ。元ではあるけど』
息が詰まる。反射的に電話を切る。電源も切ってその場にへたりこんだ。
呼吸が荒くなっていた。
ということは、あの人は、先輩に傷を残した本人。先輩を捨てておいて尚、こんなに慈愛に満ちた声を、表情を作れる相手。思い返してみるほどに、アンマッチな調子。
ボクはスマホを見つめる。
でも、もしかしたら。彼女を先輩に会わせることが、先輩の傷を癒す手がかりになるかもしれない。でも逆に、今回以上の自体になるかもしれない。
どうするべきか、もう検討がつかなかった。
ドアの向こうから先輩の声がする。
「おーい乙音。飯できたぞー」
ボクはスマホをポケットにしまった。
手の震えと冷えは、灯里のチャーハンを食べても治まらなかった。




