第43話:あなたのめがさめるまで
その日、私は乙音さんのLIENで生天目さんが入院したことを知り、日に茜が差すころに病室の外へ着いた。しかし乙音さんは待合室にいた。
「乙音さん、生天目さんは」
「……一度は目覚めたらしいんすけど、その時にもまた過呼吸、そして発狂までして、鎮静剤を打ってあるらしいです」
「そう、ですか」
……おそらく、発狂するほどの精神的ストレス。
「ねぇ八咫野先輩。なんで、なんで先輩はこうなったんですか!」
「落ち着いてください乙音さん。いまこの中に知っている人はいません。……そこの、木下さんさえ知らなければ」
そういって私は、乙音さんを抱き受け止めながら彼を見る。乙音さんが、海の家の時に作ったが結局使わなかったグループLIENを通してこの事態を知らせたからだ。
「……いつかは、遅かれ早かれなるとは思ってたけどな。八咫野さんは一回言っただろ? あいつの、精神疾患」
「女性に対し強いトラウマがある、その周辺しか聞いていませんが、そうですね」
私を見た木下さんは口を開く。乙音さんも何故か少し知っていそうだ。
「それが今回なった訳だが。つっても、どっから説明したもんかなー。うーん。あくまで、これは事実と素人目の推測が混じっているってことを考慮しておいてくれよ」
彼は言葉を紡いだ。
「こいつの母親な、不倫したんだ」
「……ッ!」
「!?」
私は乙音さん程は驚かなかった。最初から、予想はしていた。初めてお家にお邪魔した時、家族仲が良好ではなく、離婚をしていたことは聞いていたのだ。
だが……まさか、不倫とは夢にも思わなかった。
「ま、待ってくださいっす。それっていつの話っすか」
「ちょうど、高校入学前くらいだったな。一人暮らしの準備が整った矢先の出来事だったらしい」
乙音さんは俯いて口をつぐんだ。
「あいつの母親は元役者。5年間も嘘の愛情を受け止めていた過去は、あいつにとっても、誰にとっても十分だろうよ」
私は自分でも愛されて育ってきたように思う。自己肯定も充足していた。小五だなんて、その時に愛情を欠いた生活なんて、想像もつかない。
「こいつにとっては、自分に向けられる愛情はすべて偽物だ。それに、少しでも、大きな真実が入った瞬間。こいつが、自分自身が渇望しないようにと諦めた現実が崩壊して、こんな風に、壊れるんだ。回避型愛着障害……とも微妙に違うが、ともかく正常に感情を受け取れないんだ。好きとかに関しては特にな」
「まってください。回避型愛着障害というのは、確か……」
「自分に愛情を向けられることを自ら拒絶したり、感情吐露が不得手だったりする精神疾患だな」
「そちらは、健全な付き合いを重ねれば次第に治ると、きいたことが」
すかさず私は言った。ネット知識ではあるが、これはありふれた疾患のはずだ。
「こいつは、強烈な自己暗示を持っててな。榎本さんだっけ。こいつ倒れる直前、何か言ってなかった?」
「……『俺がそんなことをしていいわけがないのになのに』、『やめて』って、うわ言みたいに」
次第に、乙音さんの表情が虚ろに、青くなっていく。
「あの、わ、私……それまで、行動してなかった先輩に、氷織先輩を意識させようと思って、『センパイのこと好きでしょう』って発破かけて……あ、あれ?私の、私の、せい……?」
乙音さんが自身の髪をつかむ。涙を浮かべている。自責が強くなっている。
「違います。悪いのは見ないふりをしていた私です」
「でも、だって……私のせいで!」
乙音さんの頭をなでて落ち着かせる。
「……そんな風に。こいつは自分のことを、呪っているって言えるくらいに暗示をかけている。いつだったか、あいつは言ったよ。『好きな人に好かれることほど、おぞましいものはない。自分が誰かを好くことほど、迷惑なものもない』って。あいつにとって、自分の恋愛は破滅の第一歩、歩く公害だと思ってんだよ。こいつは。健全な付き合いってのを拒むんだ。だから、お手上げ。空集合だ」
彼の言葉に、何度も異議を唱えたかった。しかし、生天目さんの言いそうなことだと、心のどこかでわかってしまっていた。生天目さんは、たまに倒れた。私が、彼に少し甘えようとしたり、夏休みの頃にはとくに。彼も、私を好いてくれているんだと。暗にこの会話で察したけれど。うれしさは、ない。罪悪感だけ。
「……正直、俺もこの後どうなるかはわからん。あいつは、八咫野さんをずっと避け続けるかもしれない。あるいは何もなかったかのようにまた現れるかもしれない。けど、どっちにしても、あいつの呪いは、消えない。この先、八咫野さんがあいつに近づく限り」
生天目さん。
あなたは一体どこまで無責任なんですか。私のことを、あんなに助けておいて。
私にあんなに近づいておいて。
私を好きにさせておいて。
こんなにご飯を作らせておいて。
まだまだ、あなたに返してほしい負債は山ほどあるのに。返したいものも、まだ足りてないのに。
あなたがいたから、私は、夢に立ち向かおうと思えたのに。あなたがいるならと、思えたのに。
ここで消えるなんて……許さない。
「それでも、私は彼のもとに居たいです。完全なる、わたしのエゴとして」
「あれ。もしかして賢治に惚れてる?」
「はい。支えると、誓いましたので」
木下さんはびっくりして仰け反った。
「マジか」
「ええ。マジです。……ですから。教えてください」
「何を?」
「生天目さんのことを。余すことなく。そして、彼を救う手立てを、考えるのです」
「……さっきも言ったが、こいつを変えられるのは恋愛レベルの影響力を持った人。そしてこいつはその人を拒む。変えられることを拒む。八咫野さんなら前者は当てはまっても、後者で拒まれて終わりだ」
「それでもです。彼を、救います」
その時、ナースさんがやってきた。生天目さんが安静になって病室に入っても良くなったと伝えてきた。
私たちは、無言で彼の部屋を目指した。
そして少し離れの病室に、彼がいた。彼は安らかに眠っていた。目元には涙の後。遊び疲れた子供のような有様。それを確認してから、木下さんと乙音さんは帰っていった。私はそれを眺めて残った。
私だって、それなりのモノを背負ってきたつもりだった。死を覚悟して、それを救ってもらってから。
でも彼にも、思いものがあった。私はお母さんのこともお父さんのことも好きだ。幼いころから、中学生の半ばまで依存していただろうか。でもそれもできず、あまつさえ裏切られて、すべてを疑うようになって。
今に至るまで、どれだけを疑ったのだろう。
私との接触が、どれだけの自己矛盾を招いただろう。
好きでいてごめんなさいという言葉が脳裏によぎった。しかしそれは、今の私自身も否定する気がして。
通路の明かりだけが照らす暗がりの部屋。夜遅い外はすでに星がきらめいている。
私は、彼を、彼の奥底の別の生天目さんに言うように言った。
「あなたは、馬鹿です。あなたの都合で、可哀想になんてしてあげるものですか。いつも卑屈に、私を惑わしておいて」
このままいったら、彼は、可哀想になる。どこまで行っても被害者になる。
ダメだ。そんなのは、私が許さない。
あなたが私につけた傷を。
あなたを好いてはいけないなんて無責任に言っておいて、そのままだなんて許さない。
カバンの中の、二枚のチケット。ご褒美にと、用意したテーマパークのチケット。
「……私は、あなたの思い通りになるとは、思わないでくださいね。思いあがるのも大概にして、また私を助けてください」
それだけ言って、私は病院を離れた。
――――
そうして、しばらくして消灯の時間がやってくる。
病院の通路の灯りも消える。
その時、賢治は、寝返りをうった。




