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忘却メズマリズム~清楚なお嬢様に催眠をかけたのに、ヤンキー人格が出てきて尻に敷かれたんだが~  作者: 春代 羽羽


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第38話:歩く

 何か、夢を見ていた気がする。誰にとっても輝かしいはずの頃のことを。


 ただ、自分自身を呪った時のことを。『僕』が、『俺』になった時のことを。


『――――――――そう』


 あの、冷たい言葉を。


 **


 目が覚めると、体が幾分か楽なことに気づく。

「……ここ、は?」


 見慣れた天井だった。布団を被って、俺は自室で寝ていたのだ。


 すぐ側に書置きがある。


『生天目さんへ。よく眠れましたか? ここまでは乙音さんと一緒に猫車を使って運びました。体を大事にしてくださいね』


 猫車かぁ。シュールな絵面が浮かぶな。しかもなぜに乙音……というのは、何気なく開いたLIENで察する。俺のスマホで氷織が送信していた。


 時刻は……明け方4時。だいたい10時間は寝てたことになる。


 ……氷織には迷惑をかけただろうか。そして、なんで俺は倒れたのだろうか。確か、氷織が近寄ってきて、それに伴って身体が……震えて。冷や汗と平衡感覚の喪失とで、なぜか。


 ――分からない。


 朝ではあるが、とりあえずLIENで謝罪の文を売って、それから水でも飲もう。


 俺は棚からグラスを出して水を注ぎ、手のひらで冷ややかなコップを凝視する。


「…………氷織は、あいつと違うのに」


 そう呟いても、胸に残留したしこりが取れなかった。


 きっと疲れているんだ。海の後、オープンキャンパスまであったんだ。きっとそうだ。きっと……。


 その時、少し思いついた。

「……外、歩くか」


 日の出もまだだ。外はまだ暗い。体の動きは楽になったとはいえ別の重さもある。外の空気を吸おう。



 そしてマンションを出、公園へ、学校へ、近場のコンビニ前へ。それで宛もなくお菓子コーナーをさらって、飲み物コーナーの謎に甘そうなコーラを見て、何を買うでもなくコンビニを出る。


 そして家路を外れた公園を通り、でも何をするでもなく家まで結局直帰して。それでもまだ5時になっただけ。もう一周しようかとも思ったが、それもなんだかやる気がしない。


 朝ごはん……は、そういえば買っていなかった。海に行く前に食い尽くして、冷食もない。ああ、またコンビニに行かねばならないのか。面倒くさい。


 ……さっきまで気が楽だったのに、歩いたことでより鬱ぐ感覚がある。


 誰かの声が聴きたいと、ふと思う。こんなことを考えるのも自分らしくないのに。

 しかしこんな早朝に誰かと出くわすことなどない。ラジオ体操も1時間後だろうし。


 このまま消えてしまいたいという思いも湧いてくる。こんな感覚も久しぶりだ。


 ……氷織にLIENでもしようか。気づかなければ気づかないでよし。俺はただ得られないだろう温もりに自分勝手に行動する。


 文面は、そうだ。運んでくれたお礼だけでいいや。多くは求めまい。


 しかし期待していなかったのに、そのメッセージには数秒で既読が着いた。


『いえいえ。困ったらお互い様ですよ』

『それにしても、よく起きていましたね

 こんな時間に』


 俺も驚きつつ返信する。

『昨日あんな時間に寝ちまったから、なんとなく目が覚めて』

『氷織もよく起きてたな』


『まあ、そうですね』

『休日はやはりやることがなくて、早く寝た分早く起きてしまいますので』


 ……計画性の欠けらも無い俺には耳が痛い言葉だ。そして氷織が続けた。


『もし生天目さんもやることがなければ、家にお邪魔してもいいですか?』


「……い、今から?」


 俺は思わず周囲を見渡してしまう。いや、スマホで起きたことなのに見回すのはおかしいのだけど。俺は思いっきり狼狽して、


『別にいいけど』


 とキモくスカした文面を送っていた。


 **


「すみません。お邪魔しますね」

「あ、お、おう」


 俺がノックに反応して戸を開けるより先に、氷織がドアを開けて入ってきた。外はもう日が登っていた頃だった。

 手首に下げたエコバッグにはぎゅうぎゅうと食品が詰め込まれていた。いや、食品じゃなくて食材だなこりゃ。葉野菜がはみ出てる。


「とりあえず1週間分は買っておきました。体調も心配なのでしばらくは作りに来ようかと……あ、朝ごはんはもう食べてしまいました?」


「あ……ああ。朝はまだだ」


「では……と言っても、さすがに今は早すぎますね。6時くらいまではせめて時間を潰したいものですが……」


 そう言って端正な顎に手を添える氷織。その姿に、やはり言わねばと、焦燥と使命感とで口がつかれる。


「……ありがとう」

「生天目さんは困ったらすぐお礼を言いますね。いいことですけど」

「しょうがないだろ。俺は、なんも出来ないんだ。昨日だって、ただお前ん家行って、そのまま倒れただけで……」


 口を開けば止まらない。自己嫌悪に似た後悔とが。あれ。俺こんなに言うやつだっけ。でも……。


 その時目の前が暗くなった。倒れたからではない。目の前に生暖かい感触がある。柔らかで、それでいて薫香が鼻腔を突く感覚。「安心」が覆いかぶさって来た。


「生天目さん」


 俺1人をすっぽり包み込むような優しい声をかけられる。

「たしかに生天目さんはできることが少ないですし受動的ですしおバカですしアプリとか使ってきますし」

「待て待て待て待て! 慰める流れじゃねえのかこれ!」

「だって、その通りのことしか言わないんですもん。訂正はいらないでしょう」


 それでも、氷織は変わらない力で俺の頭部を抱きしめる。


「でも、あなたがいたからこそ、叶ったことだってあるんですよ。私は、あなたがいたから灯里と向き合えて、あなたがいたから夢を再認識して、あなたがいたから海に行って、打ち砕かれて、そして逃げていたことに目を向けられて。あなたがいたから、今もこうして立てるんですよ」


 ……お前なら、1人でも立てるだろ。お前なら、1人で見つけて、確認して、勝手に叶えて勝手に羽ばたくようなやつだろうに。きっと打ち砕かれることもなくそのまま行けただろうに。


「昨日も言いましたが。私は、あなたにいて欲しいんですよ」


 こんなに氷織に密着されたことなんて()()()だというのに。それにそんなこと……あれ?


「それにあなたには1度命を救われた身なのですから」


 命を? ()()()()()()()()


 だけど、氷織の胸に抱かれる感覚が心地よくて、ただ状況に身を任せた。

 胸の中から、確かに抜け落ちようとしたナニカが激しくのたうち回るような感覚がする。けれどそれを無視していた。

 それは30分ほど続いた後、俺の腹の音で中断されたのだった。

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