第37話:夢に向かうということ
先日の海でのこと、それから氷織はしばらく俺たちと会うことはなかった。
グループLIENでは乙音の世間話には応じるが、遊びの誘いは断る始末。
「……今日も素っ気なかったッスね、氷織様」
「まあ、そっとしとくしかねえよ。相手が相手で、八咫野もあんな性格だ。引きずるだろうよ」
俺たちは電車で一緒に帰っていた。俺達はオープンキャンパス帰りだ。ちょっと遠くの国公立大学でオープンキャンパスに行ったものの、しっくりくるものは無かった。
「乙音はどうだったんだ、今日のやつ」
「うーん。まあ一般に見て面白いものが揃ってるなーとは思いましたけど。コレだっ! ってものは、なかったっすね」
「俺たち、夢のないコンビだな……」
「嫌な呼び方ッスね!?」
まあ高校の先生は口を揃えて「高校生のうちに夢が決まっている方が珍しい」とは言っていたけれども。
既に受ける大学を決めている夏向も、あの浜で打ち砕かれた氷織も、夢を持っていた。そして2人とも時折遠くを見るような、こちらを見透かすような目をすることがあって。
そいつらの抱えるものこそが芯だと思っていたのに。あいつらに、追いつきたいと、思っていた。
『君には、芯が無いんだ。見た感じ君たちは高校生かな。今すぐにでも進路希望を書き換えた方がいい』
あのライフセーバーの言った言葉が脳裏で蘇る。認めたくないけれど、あのライフセーバーの方が数段は深きを知る目をしていた。
……俺にも、なにか、あいつにかけられる言葉があれば良かった。
「……パイ。先輩?」
「ん、ああ。すまん。考え事してた」
「あーもう妄想たくましいんですから。もうすぐ降りますよ」
その時アナウンスで俺たちの最寄り駅が告げられる。
「ああ。もうそんなか」
「ハイハイ。そんで、これも」
そう言って手を出す乙音。反射で俺も出した手に紙切れが握られる。
「……307号室ッス」
「な、何が?」
「氷織様の部屋。本当はボクが慰めに行きたいっすけど、多分ボクじゃ無理っすね」
そう言って、遠くを見るようで目の前を見透かすような目で。……こいつもこんな目をするんだ。
「先輩。氷織様を頼むっす」
「……おう」
俺は駅のホームで乙音と別れ、紙の住所をスマホで調べながら、ついにそのマンションまで来る。オートロックの場所らしい。307と入力しインターホン。
『…………なんですか』
「俺だ。来た」
『来た……って。……上がってください』
ガチャンとドアが鳴った。
そして階段を登ってゆき、氷織の部屋まで着く。
「よう」
「本当に、どうしてあなたはいつも……それより、なぜここを?」
「あー……」
そういえば、乙音がここを知っているのはHUFだからか。言わん方がいいか。
「まあ、お前有名人だからな。噂には聞いてたんだ」
胡散臭い顔をするが諦めたように「どうぞ、上がってください」と招き入れた。
部屋に入って1歩。俺は格の差を思い知った。俺の部屋よりも少し広い程度であるはずが、豪邸に住んだように広々と感じる。目に見える範囲にゴミはない。それどころか家具もきっちりした場所にあって、限りある空間を邪魔しない。
心做しかかいい匂いもする……。
「どうかしましたか」
「いや。綺麗だなぁって」
「生天目さんと一緒にしないでください」
相変わらず毒がすごいぜ。
氷織はペットボトルのお茶をグラスに注いで持ってきた。ありがたく口をつけつつ氷織を見る。やはり顔色が悪い。
互いに言葉はない。俺に会話を切り出せる思慮はないし、彼女も俺に求める言葉はない。
しかし居心地が悪いんだ。俺はあえて空気を読まず言う。
「あー。そういえば今日、オープンキャンパスに行ってきたぞ」
「そうですか」
「乙音とな。まあでも、どの学部もしっくり来なくてさ。夢を探すとは言うけどやっぱり難しいよ」
俺は続く言葉を探す。
「……俺さ。やっぱ夢を持てないんだ。その強度がどうあれ、持っている氷織は、すげえよ」
「ですが、面と向かって消えました」
「消えたっていいだろ。俺の幼稚園の頃の夢、『サッカーボールになる』だからな?」
そういうと氷織は胡乱な表情で顔をあげる。
「……サッカー選手ではなく?」
「ああ。何故かボールの方だ。それでもサッカーの練習はしてたんだぜ? だから……あー」
俺はコップのお茶をぐっと飲み干して気持ちを整える。
「俺だけじゃなく乙音もだろうが、俺達はお前の夢を笑わない。芯なんて、いくらでも作れる。だから、折れるな」
氷織はしばらくの後苦笑した。
「やっぱりたまに、生天目さんは生天目さんらしくなくなりますね。受け売りですか」
「……サ、サー。ドーダロウ」
台無しですよと言ってお茶のおかわりを取りに行く。
「でも、そうですね。今日は誰とも話す気はありませんでしたが、あなたがいてくれて良かったです」
そして彼女は聞こえないように言う。
「……出会ったのが、あなたで良かった」
よく聞こえず氷織を眺めるも何も返ってこない。もう潮時か。彼女はもう俺がどうこうできる次元の話をしていないんだ。俺の言葉だって届いたか、彼女を揺らしたかも分からない。
「あー。俺、これ飲んだら帰るよ」
「いえ。ダメです。もうちょっと居てください」
「……いやでも。俺にこれ以上できることは何も……」
「何も言わなくていいんです。居てください」
無言の圧を感じ取り正座する俺。
氷織はただ怖さを帯びた笑顔で向かいに座る。ただ何も言わず座る。
「……あ、あのー氷織さん? ちょっと気まずいのですが」
「おや。ではさらに気まずくしましょうか」
そう言って氷織は立ち……俺の横にやってくる。机を挟んでいたのに今は隣……。隣ぃ!?
「あ、あのー氷織さん!?」
「どうされました?」
「いや、あの。近いんすけど」
「ええ。近づけているので」
もはやそちらに目を向かわせられない。
「そうですね。私は、芯がありません。今まで譲れないものは、おそらくなかったと思います。それだけ物腰を柔らかく……しすぎたのでしょうか。あれは正論です」
ポツポツと語り始める彼女に黙って耳を傾ける。
「私は、今まで逃げてきたことがあります。知っての通り泳ぐことです。灯里の助けで得たもので自己実現をしようとしていました。でも、それじゃダメだった。それは私に、夢を語る権利を失わせていたんです。……あの子も、私の役割で縛ってしまっていた」
「それは違うだろ」
「……」
「あいつは多分、本当にお前を助けることでお前を想ってるはずだ。一緒にいてもプンプンするわ。シスコンかっての」
「……シスコン?」
首を傾げる氷織。
「ああ。なんかあいつの慕い方、家族っぽいだろ」
「……考えたこともありませんでしたね。でも、そうなら尚更、私のことに縛りたくない。きっとあの子は、もっと自由な子ですから」
その時氷織は、俺の肩に頭を乗せてきた。……頭を乗せるぅ!?!?
「ア、アノー???」
「生天目さん。反応が気持ち悪いですよ」
「その声色で言うセリフじゃねえだろ。普通に傷つくんだが」
「それにちょっと臭いです」
「追い討ちヤメテ!?」
……それに、否応なしに氷織が灯里と重なる。あの晩に、出会いたての頃に灯里から感じたあの匂いも、言葉も、あの時と同じだ。
「やっぱり、いてくれたのがあなたで良かったです」
「……お、おう」
「あなたは、私の手を取ってくれますか?」
「……取れるものは取ってみる……けど」
心臓がはねる。はねる。もはや目の前の景色すらぼやけ震えてくるほど。彼女の言葉を聞き漏らしたくないのに、少し朧だ。
「…………夢を目指すということは、きっと大変ですよね」
心臓がうるさい。頭の血が抜けていくようだ。体温が……冷えるようだ。
「でも、私はまだ前に進めるはず。前があるんです。それに、ワガママに付き合ってくださいませんか」
重心が丹田に無い。右に左に。胸も苦しい。
『――――は――――が――』『――――は――ては――――――』
直後、俺は視界が暗転。
「…………さん? ……生天目さん!?」
また、俺は……。
氷織の目を、見たかったのに。




