第34話:海って水の掛け合いが存在するってマ?
来たる海作戦決行日。俺たちは水着……ではなく制服でただひたすら接客していた。
「7番席に塩焼きそば! お願いします!」
「はい! 海鮮焼きそば上がりました」
「賢治、4番を頼む!」
「ボク1番行って来るっす!」
人生でこんなにも慌ただしい瞬間があっただろうか。いや、ない。
俺たちは紛れもなく海に来ているはずなのに、波音はまるで耳に入らない。聞こえるのは客の話し声、慌ただしく焼かれる料理の音、そして行列の「まだなのか?」「別のところ行こうぜ」という声のみ。
いや繁盛しすぎだろうが。八咫野も夏向も乙音も俺も、きりきり舞いだった。
そして三時を過ぎたころようやく客の入りが収まった。
その時俺たちのもとに長髪をポニテでまとめた女性が現れる。
「お疲れさん。あとはもう私たちでできるから、今日は休んでていいよ。明日もあるからよろしくね」
そういったのはこの海の家のオーナー、汐見 木乃香さん。夏向の親戚である。
「よーしあそぶぞー!」
夏向が海に向けて歩もうとしたとき。
「待ちな。かなちゃんはまだ残ってもらうよ」
「ちょ、木乃香さん!? その呼び方やめてっての!」
汐見さんに首根っこをつかまれる夏向。南無。
「では私たちは遊びに行きましょうか」
「そ、そうっすね」
「ま、待ってくれお前ら!」
夏向の声は無視され、俺たちはヘロヘロながらも海へと繰りだした。
彼女らは水着に着替える。八咫野は薄緑のフリルのついた水着。乙音は……。
果たしてそこにいたのはデッカイ。ナニがとは言わずもがな。しかしなかなかどうして腰はくびれがあるのだ。この胸で? 痩せて?
「……っはー」
壮観を前に感想の代わりに、さながら登頂時のような声を漏らした。まさに人体の神秘。
「ナニを見ているんです」
背後に音もなく這いよる八咫野。ひたすら平易な文面にそぐわない呪殺せんとする目。
「い、いや。アートを見ていただけだ」
「は?」
「ごめんなさいごめんなさい」
そりゃそうだよな。八咫野は控えめな胸だもんな。
「具にしますよ」
「腹切ります」
「んあ? どしたんすか。もしかして、ボクの肉体美にくぎ付けになったとか?」
図星過ぎて何も言えん。
「ええ。この人はやはり性欲に正直なようなので」
「すみませんでした掃除一か月やります許して許して許して」
八咫野の目線が絶対零度を醸す。殺される。死。
「……てかお前も、初対面のときこいつの胸揉んでたろうが」
「私のは純然たる興味、あなたのは不潔な性欲。穢らわしいのはそちらです」
「理不尽だッ!」
俺がどんな反応をしようと変わることない八咫野の目。俺は一瞬でもここにいたくなくて逃げ出す。
「あっ。待ちなさい!」
八咫野がおぞましい表情で追いかけてくる。俺は海のほうへ逃げ込んでいく。
「へっ! 俺は時間切れ逃げ切りをねらうぜ」
俺は振り返って八咫野をあおる。しかしその時、彼女の足の先に黒いとげが見えた。あれはたしか、足を貫通するほど危険な奴のはず。
「危ないっ!」
俺の声にとっさによけようとする八咫野はむしろ躓き前のめりになる。このままいけば腹に刺さる……!
その時、八咫野の手と体を、誰かが遮った。
「おっと。危ないわよ、お嬢さん」
「あっ……えっ?」
その女性は健康的な小麦色の肌にサングラスと黄色の衣服。ポニテで後ろをまとめ颯爽と洗われたその人。
その人は俺の方を向く。
「君も。海は偉大な自然の1部なんだから。足元に気をつけないと終わってたかも」
「ああ……すみません」
分かればよろしい、と言って取っていた氷織の手を離し、その黒刺の生物を引き抜き回収して去っていった。
「すまねえ。危ないところだった――八咫野?」
彼女に謝ろうとしたものの、氷織はライフセーバーさんの背をぼうっと見つめていた。
「……あの人、まだ居たんだ」
うっとりとしたように氷織は口から零した。
「お、おい。八咫野、八咫野〜?」
「……」
目の前で手を振ってみても無反応。え。もしかしてこいつあのライフセーバーさんが好きなの? え? 一目惚れ?
**
そしてその後、泊まる予定の宿でもずっとそうだった。
「おーいおーい八咫野せんぱーい」
乙音も話しかけるも無反応。
「ああああああ氷織様が恋に落ちてしまうっ! 氷織様の純潔がっ! 私の目が黒いうちはァ!」
男子部屋に氷織を連れてきた乙音を含めた4人。いつも以上に荒ぶる乙音を眺めつつ、たしかに困惑する。あの氷織が恋愛!? しかもあの人女性だぞ。氷織は女性派だったのか? 花園を見守れということか? それはそれで……いやでもっ!
胸の内側で熱く蠢く陰に違和感を覚えながらこの光景を解決できない。
「あれじゃねえの。賢治がまた何かしたんじゃねえの」
「しとらんわっ」
「生天目先輩にこれだけの力ないっすよ」
乙音の発言も気に食わないが、それはまあともかく。
「これが明日も続く場合、キッチン主戦力の氷織をどうするよ」と俺。
「ボクも一応それなりにいけるはずっす」と乙音。
「辛くなったら俺が変わるよ」と夏向。
氷織には正気が戻り次第接客をということになっている。あと2日は手伝いがあるのに、この有様では乗り切れない。
俺たちは拳を突き上げ、明日を超えると誓った。
**
「5番に生2本エスカルゴ!」
「2番テーブルサムギョプサル……サムギョプサル!?」
「今ソース焼きそばあがる!」
俺たちはより多忙を極めた。氷織はぼーっとしつつも30パーセントくらいの余力で接客をこなしていく。
「おっ。そこのねーちゃん、結構いい身体してんね。バイト終わりいつ? 一緒に遊ばね?」
そこに金髪チャラ男が乙音をロックオンする。ラブコメあるあるがここで現れるとは。
しかし乙音はむしろ。
「っせーなゴミ! 今の戦場っぷり見てわかんねえのか!!」
その喝にたじろぐチャラ男をよそにまた注文を取りに行ってしまった。
乙音、恐ろしい子……。これで接客業を名乗っていいのかと思ったが、キッチンで木乃香さんがビシッとサムズアップしていた。それでいいのか木乃香さぁん……。
「……くっ。なんだあの女。気が強すぎんだろ」
2名のチャラ男は歯を食いしばっていた。
「おい。あっちの子、ぼーっとしてるぜ。仕事もそんな無いだろ」
ふたりが立ち上がって氷織の方へ向かう。
「お嬢さんの方は暇でしょ? この後飯行かね?」
お前ら今食ってたろ! 大食いか!
「…………」
氷織は上の空のまま次の注文へ。
「……おい。無視すんなって。なあ、おい」
チャラ男が氷織の肩に手を置いて強引に振り返らすも、虚ろに「ご注文はお決まりですか」と氷織は言った。
俺がチャラ男を制そうと割り込もうとしたが、チャラ男がむしろ心配顔で。
「あ、あの。この子大丈夫?」
「……ちょ、ちょっと今はそっとしておいて下さい」
「……はい」
一周まわって撃退に成功する氷織。いよいよもってどうしたのか分からないな。本当に恋情なのか?
「……」
氷織はずっと虚ろに注文を取り、爆速で伝票を書きまた注文を取りに行き。
なんやかんや、結局その日も昼が終わり、ホテルに戻ってきた。
**
今日も今日とてホテルに集まる4名。しかし氷織は上の空のまま。
「……今日も治らんかったな」
「本当になんでなんスか」
「俺にも何が何だかさっぱり」
本当にライフセーバーさんに一目惚れ? いやしかし、「まだ居たんだ」と言っていた。初恋の人とかか。そんな昔の話から……。
「あああーっ!」
「どした賢治」
「奇声は控えめにするっす」
そうだ。氷織は……あの人に。
そのとき、氷織がポツリと呟いた。
「……すみません。昨日に引き続き今日も」
夏向と乙音が氷織に食いつく。
「正気が戻ったか」「せめて花園するなら私と!」
ふたりを無視して、俺に目配せをするのでうなづいておく。
「……昼間、私の、幼少の頃の命の恩人と再会したんです」
そう言ってから続けた。灯里のことは無論伏せて、昔溺れかけたこと。それを助けたライフセーバーさんが、あの海で手を取ったその人だったこと。
「そして、私がライフセーバーを志したきっかけでもあります」
「……」「……」「……」
一瞬、一斉に沈黙。
「えっ!?」「ライフセーバー!?」「夢ぇ!?!?」
俺が1番驚いた気がする。
さっきまで俺しか知らないことを開示する流れだったのに! なんで新情報が……っ!?
俺たちは外れた顎を戻すのにしばらくいそしんだのだった。




