第32話:誰よりも早く、あの子よりも遅く
ふと玄関のドアが開く。それを引いたのはもちろん賢治だった。
「……ただいま帰ったがその有様はなんだ」
「ああ、堅あげポテチって美味しいわよね」
「俺の楽しみがァっ!」
彼が崩れ落ちるのを肴にポテチを頬張り漫画を漁る。あたしが彼を置いていったから1本遅れのバスで帰ってきた賢治だ。まあこのチリパウダー味が食べられたから良しとしよう。
「まああがりなさいよ。麦茶でも出す?」
「……ここ俺の家だが」
「ああ確かに。じゃあ麦茶よろしく」
「そういう意味じゃねえ!」
彼はそう叫びながらも渋々注いでくれる。そういう所が便利だと思う。
「にしてもさ。あんた、本当に海行くつもりなの」
「おう。もう計画は決まってるしな」
……うん?
「今なんて言った?」
「海の家手伝うからみんなで数日泊まり込みするぞ」
「……それみんな知ってんの」
「氷織と乙音にはLIENした。OKだってよ。まあ氷織のスマホ見てないなら知らんのも無理ないか」
海計画は知らない間に進んでいたらしく、木下とか言うやつの知り合いの海の家を手伝う名目で県東の海へ行くらしい。メンバーは木下と榎本とこいつとあたし……じゃなくて氷織。最寄りのホテルを予約しているらしく、女子と男子で2部屋。
「思ったより計画進んでた……」
「これでもガサツっちゃガサツだぜ?」
彼はなんとなく、計画性とは無縁の人間だと思っていたのに。いつも間にかしっかりしたように見える気もする。
そういえばそうだ。あたしがあまり表に出ない間に色々あって、氷織も賢治への対応も変わった気もするし……。そして最初のナヨっとしたボケカス陰キャらしさより幾分見え方も違う。
「……あんた、変わったわね」
「変わったとか言えるほど接してないだろ。言っても2ヶ月だぜ?」
「それでもよ」
素直に認めるのもなにか癪だ。あたしはなにかの仕返しみたいに漫画に戻る。
「……なんなんだ」
賢治が嘆きとも呆れとも取れる疲れた声で言った。あたしは無視を決め込む。
少し時間が経った時、賢治が台所に行った。
「え、ちょ、あんたが作るつもり?」
「まあ、いい時間だし。手こずってもこんだけ余裕を持てば8時までには終わる。文明の利器をフル活用すりゃ食えなくは無くなるはずだろ」
そう言って冷蔵庫を確認するも、すぐに顔はげっそりする。
「……やっぱ冷食でいいっすか」
「言わんこっちゃないわ。あたしがやっとくから、あんたは座っときなさい」
面目ねえと彼は言った。あたしが代わりに冷蔵庫を見ると、たしかに肉は少なく、代わりに卵が残っていた。たしかに調理にはてこずりそうだ。
彼はぶつぶつと「おかしい。世の男はどうやってこの時間を過ごすんだ……」と言っている。こいつがイケメンになる日は程遠いだろう。
あたしは玉ねぎとたまご、ニンジンを取り出す。それとめんつゆと顆粒だしとみそ汁用の豆腐……。うん。ちょっと質素ではあるが行けるだろう。
「よーし。あんたは……」
彼にも仕事を振り分けようかと思ったが、玉ねぎを切るのは手を切りそうだしニンジンはピーラーで指を切りそうだし、卵は溶いてる途中で床に散らばりそうだし。あれ。こいつにできる作業って何があるんだろう。こいつが何かを成し遂げる未来が見えない。
「と、とりあえず……卵を溶いてみて」
掃除はこいつにやらせよう。うん。なら大丈夫か。
賢治はようやく俺の番かと言って大仰にやってくる。もうすでに不安だらけだった。
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そしてなんやかんやあって、玉ねぎとニンジンのなんちゃってチャンプルーが完成した。埋め合わせとばかりに白米とみそ汁の量は大目だ。
互いに手を合わせてから、あたしはみそ汁に口をつけ、賢治はチャンプルーへ箸を伸ばす。
「うめえな」
あたしが何か言う前に感想を言う彼。目を輝かせて食べる彼を見ていると胸からこみ上げる熱。自覚するたびにうれしくなってしまう。
「あんたって、どうしてそんなにがっつけるのよ」
「うるせえ。誰かの作った飯がこの世で一番うまいんだよ。人肌を感じるから」
「……あの子の料理、そんな好きなんだ」
いじわるな言葉が口を吐く。
「いや、ふつうにお前のも好きだぞ。氷織よりも豪快な味付け、最高だし。まああんときうどん出してきたのは予想外だったけど、でも別ベクトルでお前のが好きだ」
なんてことないように言う彼。
やっぱりこいつは変わっている。変人の意味でも。今もなお成長する意味でも。きっと劇的じゃないし一般人よりはるかに劣る性格と器用さと要領だけど。
でも、ぶっきらぼうだけど彼の中にはなぜか優しさがあった。彼自身も自覚しないほど深層で。彼すら持て余すそれは、今自分に向いている。
こいつなんてそんじゃそこらの男と変わらない以下。だけど料理を食べるのは、この優しさを向けられるのは、やっぱりこいつがいい。気持ち悪いやさしさも、いつの間にか気持ち悪くない。
認めたくない。認めたくないのに。
なんであんたなんだろ。なんで、こんなやつを好きって気づいちゃったんだろ。
なんでこいつをってずっと思う。なんでこいつがっていつも思う。だけど、こんなにもちいさなことから止められない感情になっているのも事実で。
今も彼は目の前でチャンプルーを夢中でほおばっている。
ああ、うれしい。
「どうした灯里。食わねえのか。くっそうめえぞ」
「食事中にクソとか言ってんじゃないわよ童貞」
「お前も大概じゃねえか」
彼はあたしが悪態をついてもちゃんと返してくれる。それがうれしい。
あたしは自分でチャンプルーに箸をつける。
しかし口に広がるのは粗雑な味付けだ。ニンジンと玉ねぎと豆腐と卵で無理やり食べ応えを出そうとしたもののやはり足りなさが残る即席の料理。これをおいしいって言ってくれるんだ。氷織の繊細で完璧な味付けだけじゃなくてあたしのをおいしいって言ってくれるんだ。
……そういうところだなぁ。
「賢治、あんた、氷織に対してそんなことしちゃダメよ」
「そんなってどれの話だ?」
呆ける彼は気づいていない。氷織は多分彼を……。あたしのほうが早かったのに、あたしのほうが遅く気づいてしまった。
彼は皿を空にし、ペース配分をミスしたのか、残った白米をかきこむ。
「ねえ賢治」
「なんだ」
「ちょっとお願いがあるんだけどさ」
だからあたしは……。
「これから食事の時は、あたしに切り替えてくれない? いつもじゃなくてもいいけど、なるべくで」
ちょっとだけなら、はみ出してもいいよね?
賢治は眉を顰める。
「それ、は……いろいろ困らないか?」
「それくらいいいでしょ」
少しくらい、この気持ちを独占したって。
胸の中の高揚は仄暗い汗に転化される。
そして賢治は少し考えたのち顔を上げて答えた。
「それは、氷織に悪いな」
そういったのだ。意識外から現れた氷織に頭が真っ白になる。
「なん、で」
「なんかさ。氷織がこの前言ってたんだよ。『近日中にいいものを出します。楽しみにしていてください』って。飯、てか多分肉じゃがなんだよな。一昨日くらいににやにやしながらタンブラーの中の肉じゃが見てたし。これで肉じゃがじゃなかったらクッソ恥ずかしいけど」
賢治はそう言ってから「……何の話だ?」と首を傾げた。
ぬかった。こいつは、あたしを見てくれていると同時に氷織のことも見ているんだ。
「そっ、……か」
あたしはうなだれた。
「どうした? まだ半分くらい残ってんじゃねえか」
「賢治、これ食べといて。あたしはこれでごちそうさま」
「お、おう?」
彼はいつもの呆けた声の後、またがっついた。
食器用洗剤で皿を洗えば汚れは一撫でで落ちる。なのに、指先まで伝わる懐かしい孤独感は拭えなかった。




