第31話:とりあえず水着を着よう。話はそれからだ。
シャッと試着室のカーテンが開く。
「ねえ、こっちはどうかしら」
灯里が薄緑のフリルの付いた水着を見せてくる。俺は震えながら答える。
「……………………イインジャナイカ」
「せめてこっちを見てから言いなさいよ」
「そんなん言ったって、ここ女性向け水着売り場じゃねえかっ! 無理無理無理死ねる! おれは余裕で恥辱のあまり死ねるな!」
俺は静かに声を荒らげる。俺は何故か灯里と水着選びに来ていた。
「別にあたしの連れなんだから何も問題ないってのに。童帝はなんでどいつもこいつも……」
氷織は童帝なんて言葉を使わないはずなのだが。こいつは本当に酷い。
「それで、やっぱり氷織はこっちが似合うのかしら」
「そういうのは本人に訊け」
「いやよ。あんたみたいなのをあの子の水着選びに連れてくもんですか。殴る前提で動き作ってんのよこっちは」
彼女は振り上げた拳の所在を探して一発俺の後頭部を殴る。
「なんで殴った」
「何となく」
そういいつつ彼女は自分の身に着いたフリルを眺め、度々ターンする。
ひらりと舞うフリルは、なるほど、こいつなら映えるだろう。健康的に割れた腹筋、控えめな胸部、そして後ろにまとまった髪。ハズレなし。氷織のようなおっとりしたような仕草をとる灯里。
しかし、少し違和感を覚える。
「てか、氷織の買い物って、お前の話じゃねえのか。そもそもなんで水着の話を」
「あんたが言い出したんでしょ。あの子と海に行くって」
「…………あー」
数学の定期テストんとき、勢いで言ったっけ。
「それで、お前が?」
「あの子競泳水着以外持ってないのよ。でも海なら競泳水着はエロとみなされナンパされるんだもの。護身のためにも競泳水着で海は避けるべきかなって」
相変わらず謎方向の努力だが、氷織を守るという点はブレが無いようだ。
「しかし……でもやっぱりな」
「なによ」
「このままだと氷織には合うけど、灯里に合うかと言われれば……うーん」
「あたしの体は氷織と同じでしょ。意味わからない」
怪訝な眼差しを向けられた。
「ほら早く次の組み合わせよ。こっちとこっちどっちが氷織に合いそう?」
「えーめんど」
示されたのは、同じようなフリルのやつとオフショルダーとかいうタイプのやつ。いや、どれも氷織なら似合うんだろうが。俺はオフショルダーの方を指さした。
「え、こっち?」
「まあ、氷織ならなんでもいい感あるけど、灯里はなんとなくこっちかなと」
眠気全開でそういう。
「な、なんであたしが」
「んあ? 意味なんかないが」
「……ちょっと着てみる。待ってて」
「帰りたい(わかった)」
心の声が逆になった。
しばらくしてまたカーテンが開けられる。
「ど、どう」
「いいんじゃね」
「殺す」
「待て待て待て待て待て待て」
適当な発言は良くないらしい。
「なんでこっちを指したのよ」
「いや、だってお前も来りゃいいだろ海くらい。なんか自分は来ない前提とか、ファッションぼっちはみてられん」
「あ、あんたねェ!」
「るせえ。自分からぼっちになりたがるだけのやつは真のぼっちを知らねえんだよ。俺を見ろ」
そしてまじまじ見られる。
「……納得」
「おい」
それはそうと。
「まああれだ。氷織は何着ても合うが、お前がフリルでキャピキャピすんのはキモイ」
「死ね」
「死にましぇん」
射殺さんばかりに睨まれるもあくびで相殺。俺は「早く決めてくれ。ここに居たくない」と言っておいた。
――――
あたしは結局両方の水着を買った。こいつは男性用コーナーで試着せずにそのまま買ったのが解せない。
「なんであんたは試着しなかったの」
「逆になんで試着が要るんだよ。柄なしなら恥ずい思いはしないものだろ」
「……男ってば気楽でいいわね」
口をついた言葉は、普段は思わないことなのに。こいつを見ると自然に出てしまう。自然にイラついてしまう。
本当に。シンプルにイラついているんだあたしは。
じゃないと、さっきの試着室で胸が跳ねたのだって。
隣を歩いて帰る彼を睨みつける。
「(あたしの事なんて見てないくせに。本当にこいつは……)」
我ながらちょろいなんて。
あたしは自分を消したくて、せめて今日だけでも楽しさが欲しくて、こいつを誘ったのに。氷織用の水着を選んで手を引こうとしたのに。「お前なんて何を着ても同じ」という言葉を期待したのに。
彼はズルい。あたしをあたしとして扱ってくる。あの日のベッドの上だって、体育館倉庫だって。今日もたかが水着で。
ああもう、なんでこんなやつにこんなこと考えさせられるんだっつーの!!!
と、彼が突然立ち止まった。
「ど、どうしたのよ」
「そうだ忘れてた。お前に訊くの忘れてた。あれなんだったんだよ結局」
「……あ、ええ。なんであたしを隠すか、でしょ」
言うしかない。彼は1番あたしたちに近いやつだし、何より秘密を守る以上、言うべきだった。
あたしは、ひとつずつ話し始める。
「幼稚園のころ、氷織が溺れたって話はあったでしょ。それから小学校にかけて、あの子はずっと、ライフセーバーさんに憧れ続けて、水泳教室に通って」
あのころのことは、まだあたしに輪郭がなかったから薄らとしか知らないけど。
彼はただあほ面のまま耳を傾けてくれている。
「それで、小学校に入って、両親が辞めることを提案しても聞かなくて、小学2年生の頃だったらしいけど、あたしが生まれたの。水へ恐怖心を克服する方法を、あたしに託すことで、見聞きした技術をあたしに移すことで。そして何より、ライフセーバーさんを実現する器として、あたしが形作られたの」
「まあ大方は氷織の方から聞いてるけど、それがどう、存在を明かすなに変わるんだ」
「今言うところだったんだけど!? ……その時、急に泳げるようになった氷織を不思議に思って父親が聞いたの。そして答えたら、それから精神病と疑われて。医者は明言はしないけど、心配性な父と特異な症状を見た医者が、経過通院を勧めたの」
それからだったか。彼女はあたしに名前を与えようとして、でもそうすれば人格となって、解離性同一性障害を裏付けるようなもの。だから、ずっと拒否してた。
「その後から氷織は、自分が障害者であると認識するようになっていった。そんな認識はなかっただろうけど、たしかに積もるものがあって。中学生のころ、それがバレかけた時に向けられた視線も……それから隠すようになった。壊れてることを知られたくなくて」
あたしは今、こいつがどんな顔をしてるか気になった。彼なら、きっと少しは寄り添ってくれるのだろうか。
「おん。へー(鼻ほじ)」
「……」
「オゴォ! 久しぶりの鳩尾ぃ!」
少しでも期待した自分が馬鹿だった! ってかなんで期待してんのよあたしは!
彼は腹を抱えたまま頓狂な声を漏らす。
「でもよお。そんならなんで催眠アプリでこんなんなってんだ。二重人格ってのはそんな脆いもんなのか」
「知らないわよ! わかったら精神医療の進歩ね」
ふーんと興味なさげな彼に心底イラッとした。やっぱりこいつはイラつく。どこまでウザさで、どこまで反抗心なのか。あたしにはもう分からない。
「……ありがと」
「何が」
「あの子を壊れてないって言ってくれるのは、あんただけだから」
「俺そんなん言ってないけど」
そういう意味じゃないっての!
「……もう知らない」
「ちょっ、はあ!?」
あたしは彼を無視して歩きを早める。買った水着やらの紙袋を落としそうになりながら追いかけてくる。だけどあたしの方が体育は上。突き放しながら帰る。
もう何から何まで……。
「全部あんたのせいよ」
「なんでぇ!?」
そういうところよ、と言ってあたしはバスに乗り込んだ。
……そのタイミングでバスの戸が閉まり、彼は1本遅れることになったのは少し申し訳なかった。




