第30話:醤油5ml分の
俺はぐでる。暑い。クソ暑い。昨日まで夏初めの温度だった。夏日だった。今日は一気に真夏日越え。やめてくれよ。
今日は学校もさすがに冷房をONにする。しかし地球温暖化云々がうるさいためにまるで意味を成さない虚弱な冷風である。
もうじき学校も終わるため、学校ではさらに陽気が。むさ苦しいのなんの。
だが今は帰りの会。詰まるところ帰宅タイム近し。
そして母野が教室で声を張り上げる。
「あ、そうそう。お前らオープンキャンパスに行く計画は立ててるか?」
オープンキャンパス……。あれ普通に面倒くさいんだよな。だって日常決まってるし。めんどいし。とうきょうまで行くとか。
「あ、最低でも旧帝大ちょい下レベルか、東京の早慶、MARCHレベルのには行っておけよ。オープンキャンパスレポートにはその大学を書くこと。ちゃんと本人が映る写真も貼っつけろよ。AI生成は断固殺す。pixivで極めた観察眼で見逃さないからな」
と目の奥で炎を燻らせる。昨日みた動画が絵がAIだったタイプかな。
……にしても困ったぞ。ここは半田舎。近くの大学の偏差値などたかがしれている。MARCHレベルとは言い難い。
うーむと悩んでいると隣の夏向が話しかけてくる。
「お前はどこにするか決めてんのか?」
「いんや。もうお前について行こうかとも」
「それは無理だな」
「……えなんで」
夏向はオープンキャンパスレポートのプリントの下部を刺す。そこには小さく、『面談等でただしもう進路を決めている生徒はやらなくてOK!』と。
おい母野! 贔屓がすぎるぞ!
「うせやろ」
「だからすまんな。この夏で、一足先に背伸びしておきたいんだよ」
彼は顔の前で手を合わせた。
「てかお前、進路決まってたっけ」
「……ああ。結構前から」
その時の夏向は遠くを見ながら言うので、詮索する気も起きず、俺は机に突っ伏した。
――――
その日の昼休み、私はノートを仕舞い、お昼ご飯の準備をしていたところに、木下さんが来た。
「八咫野さん、今ちょっといいかな」
彼は好青年らしく近寄って来た。ですが次に開かれる口で言うことは決まっていると分かっている。
「どうされましたか?」
「……いや、本当に、賢治と続けるつもりなのか?」
半ば呆れ顔で言われた。
「どうしてそれを?」
「いや、なんか……今日のあいつが目に見えて健康そうな顔してたから。無自覚だろうけど、多分どうせ……ハァ。あいつってのは本当に……」
大きなため息を吐くので私も毒気を抜かれる。首を激しく振りたい。
「あいつにとって、八咫野さんがでかい存在になっちゃってるってことなんだろうな。……俺の方が長く居るのに」
私は彼のようにため息をつきかえす。その時体が浮くような心地がしたことを無視して。
私は彼に元より悪感情はなかった。彼だって、考えて言っている。生天目さんの存外に分かりやすく奔放なところを、いつの間にか振り回されていることで忘れやすくなるが。
「ですが、悪くない、ですよね」
「……本当にな」
互いの顔を直視して両者笑いが漏れる。
「それで、本当にそれでいいのか? このまま言ったら、あいつはどっかで壊れる。あんたも、巻き込まれるぞ」
「まあ、少しくらいなら。必要に応じて彼を殴ってあげなくもないです」
木下さんは目を見開いて言う。
「そんな冗談を言う人だとは思わなかったな」
「ええ。前まではそうだったのですが」
そう返すと木下さんは「なるほど」と言い、それから「頼んだ」と言って帰っていきました。私は机に向き直り弁当を広げました。
弁当には卵焼きにホウレンソウ。そして試作品の肉じゃが。
手を合わせて頬張ると会心の出来。私は、これを食べるであろう彼の反応を思い浮かべて思わず笑っていた。自分でも気づかぬほどに。
「……本当になんであんな人を。なんて言っても遅いですかね」
私は続けて弁当用タンブラーのなかの肉じゃがを頬張る。彼ならどんな味でも美味い美味いと食べるだろうが、小さじ1くらい醤油の量を増やしておこうかと思った。
――――
俺はパンを食う。フランスパンだ。焼きそばパンどころか何もかものパンが購買から消えていたのだ。パン屋の不手際と今日の異常な人混みが災いした。
しかもこのフランスパン、釘が打てそうなくらいに堅い。さっきから食べた気よりも噛みちぎるためのエネルギーの方が多い気がする。ただただ損をした気分。だから売れ残るんだよ。
もっきゅもっきゅ食ってると、八咫野の席から戻ってくる夏向。
「夏向、お前何してたんだよ」
「いや、ちょっとだけ。何もしてないよ。誓ってな」
なにか清々しいものをかかえるように笑う。俺は訝るも、すぐにフランスパンに集中する。
すると真剣な声色で問われた。
「賢治」
「んふぁ」
「……お前はひとりじゃねえぞ」
「きめぇこと言ってんな」
俺はフランスパンで彼の頭を軽く叩く。
「……ッた! これ痛いぞ!? 食い物なのそれ!」
「フン」
俺はバリッと音をたてパンをちぎり、もっちゃもっちゃと食べ進める。10分たってやっと半分まで食べられた。そして疲れた。ちょっとしたダイエットフードだろこれ。
そして思い出したように夏向が口を開く。
「そういやオープンキャンパス決まったのか?」
「……え」
「最寄りかつ先生の言う条件に当てはまるのは……附田大学だったよな。あそこ予約必要だぞ。確か……昨日の夕方開始だったか」
「……………………………………………………え」
俺はフランスパンを落とす。ガタッという堅い音がした。
急いでスマホで附田大のオープンキャンパスのサイトを除く。しかし人気な大学だ。もう予約可能枠はない。
「……うそーん」
「ドンマイだな。まあでも、八咫野さんとかを誘えばいいじゃないか」
そうやって平然と言う彼。
……俺は少し彼のことがわかった気がする。こいつはテスト期間中に俺の交流を制限しようとしてきた。しかしテストが終わればこれだ。そして俺はテスト勉強はこいつに主に教わった。
考えられる結論はひとつ。こいつは……お礼のエナドリをめっちゃせびりたかったのか。こいつエナドリ好きだもんな。
「しゃーねえ。Manstar奢るか」
「え、急にどうしたお前」
「まあまあそういう演技はいいから。お前も案外単純なやつだなぁ」
イラッとする彼の顔を尻目に俺は落としたフランスパンを洗面所に洗いに行った。
そしてゴシゴシフランスパンをこする。水を吸ったらふやけるかと思ったがそうでもない。外皮が厚すぎるんだよ。
すると声をかけられる。声の主は八咫野だった。
「あんた、なんでパン洗ってんの」
「1回落としたんだよ……って、お前灯里か?」
呆れ顔にいつもの気品がない。確信は易かった。
「ってか飯食ってから今になるまでの間で入れ替わったのかよ」
「本当にこの仕様不便すぎるんだけど。授業中じゃないだけマシだけど……あの時はまじでゴミ」
「だよなぁ。あの助けを求める視線は新鮮で良かったぜ」
「間違った答えを教えたのはどこのどいつよ……!」
俺は「さあ」と言わんばかりに肩をくすめてみる。案の定心地がいいねこれ。
「そんなことはどうでもいいんだけど。それよりあんたさ、海行くとか言ってなかったっけ」
「ああ。あれ思いつきだから何も計画はないけど、メンバーを確定し次第計画しようかなぁって」
すると灯里がため息。
「……それが何を意味するかわかってる?」
「え、青春?」
「私の! 存在! あの榎本とかいう子にバレるでしょ!」
そう言われて思い出す。そういやあいつにはそこだけ伏せてた。
「えと。そういやなんでバレたらダメなんだっけ」
「そりゃあ、あれよ。その……」
ひとつ息を飲んでから彼女は続く。
「あの子は、私のせいで壊れたから」
変に比喩的な言葉に俺はその言葉に首を傾げた。
「何言ってんだお前。気持ち悪」
俺の顔面が消えたとさ。




