第29話:『友達』
私は悩みました。100点のテストは早々に仕舞い、ただただ考えをまとめていました。
……生天目さんの秘密を。これは伝聞ですが。それに思い当たる節などありませんが。それでも違和感はありません。一体どうしてこんなことを、木下さんが。
木下さんは詳細までは教えてくれなかった。ただ生天目さんの断片的な情報を提供し、そのうえで要求を通そうとしてきた。
もちろんそれを受けることに、納得はできなかった。
だけどそれが必要なことならば、と私の中の冷静な部分は言う。けれど無意識がその考えを消そうと努める。
私は途方に暮れてベッドになだれ込む。これも彼が私にアプリを使ったせいであるのに。なんでこんな目に会わなきゃ……。
「……あれ」
私と生天目さんの関係って、なんなのでしょう。
最初は協力関係だったのに、気づけば灯里も彼を気に入って。榎本さんも入って、この日々を当たり前と位置づけるようになって。
いつの間に絆されていたのか。
彼は、木下さんは言いました。「友達じゃない」と。ならば私は……。
その時スマホが鳴りました。LIENの着信。名前は生天目さん。
一抹の後ろめたさを感じつつ通知をタップする。
そこには一言。
『助けてくれ』
そして鍋を真っ黒に焦がした写真が送られてきた。
――――
乙音と通話しつつ俺は頭を搔く。
「……本当にこれでよかったのか」
『発案者が不安になってどうすんですか』
俺はただただ眉間に指を突いて、LIENのメッセージ取り消しボタンを眺める。
乙音に「一体何回見放されるんすか」と言われつつも知恵を出してくれて、そのなかで出た俺の思い付きを実行したところだが。
いや、この鍋だってちゃんと料理するつもりでやったんだぞ? ちゃんと卵系料理を作るつもりで、慣れない調理をしようとして若干手も切った。包丁と言う存在の恐ろしさが身に染みる。これでイカを流れるように裁く氷織何者だよオイ。
絆創膏を用意していないためにティッシュでくるんで押さえつけている。まだちょっとジンジンする。
『まあまあ、癪ですが、氷織様は生天目先輩に甘いんですから』
「……あま、い?」
脳裏に冷徹な視線の数々が、そしてその顔で暴力を浴びせてくる灯里もついでに浮かんでくる。甘いって嘘やん。なんで。
『……ダメだこの人』
呆れ声がすっごい。
「な、なにが?」
『もういいっす。ほら、早く準備するっすよ。氷織様、遠いマンションじゃないんすから』
すぐにブツッと切れる。……とりあえず粗茶でも入れるかと、お湯を沸かし始めた。
――――
乙音は通話を切って大きなため息を吐いた。
「……あのセンパイ、たまーに無自覚っすよね。一か月たったとはいえ、例の人工呼吸で二人ともドギマギし始めて、なのにしばらくしたらケロッとして」
ふと、生天目についての記録を思い出す。
「でも、あんなに変わったなら、もしかしたら……」
――――
俺は蒸らしすぎた茶葉にあせりつつコップに茶を注ぐ。その途中でチャイムが鳴った。慌ててドアへ向かうと、目の前にいたのはやっぱり氷織だった。
「……お邪魔します」
「おう」
俺は茶を差し出した。それを見て察した氷織は頭を抱え込みつつキッチンへと向かった。
「まず第一、なにを作ろうとしたんですか」
「味噌汁と卵系の何か」
「こちらの粗茶はどういう意図で」
「氷織なら来てくれると思ってな。とりま淹れた」
「あなたと言う人は……」
乙音とよく似た、いやそれよりも大きなクソデカ溜め息。なのに手は冷蔵庫から食材を取り出して下準備に取り掛かってくれる。
「晩御飯は何でもいいんですよね?」
「ああ。氷織が作ってくれるものなら何でも」
「あなたと言う人はっ!」
二回も言われるとは思わなかった。というか乙音にも同じようなこと言われた気がするぞ。俺の性質に問題があるのだろうか。というとどれのコトだろうか。欠点が多すぎて修正不可能の俺だ。
「すまん氷織」
「な、なにがです」
「いや、なんで避けられてるのかも何が怒らせたのかもわからないから」
「それはッ……」
と言いかけてから調理にもどる。味噌汁を沸騰前に止め、冷食の餃子がフライパンに並んでいく。
「やっぱ、夏向に何か言われたのか?」
「聞いて、いたんですか?」
俺は少しの後ろめたさで沈黙する。氷織は察したように俯く。
「生天目さんはどうされたいんですか」
「……え? 俺?」
「当たり前でしょう。これはあなたの問題なので」
なぜ俺? 夏向に何か言われてうんたらみたいな話じゃなかったのか。俺に決定権があるってどういうことだよ。
俺はひとしきり混乱した後。
「お、俺は、氷織がしたいようにすればいいと思うが」
正直俺は友達を持ったとしても返せるものはない。むしろ最初の取引では最小限の接触で済んでもいいはずだった。
それがどういう訳か事件に遭いまくって、間違って親密になれたと錯覚し始めていたのは俺の方だ。それが夏向の言葉で元に戻るだけ。
氷織……いや、八咫野がそうしたいならそれがいい。
「では私が、これからは最小限でと言ったならそうしたいのですか?」
「ああ」
するとまたもや八咫野がため息をする。なんで。
「それ、コミュニケーションにおいて0点ですよ」
「はい!? なんぜ!?」
「それ、相手に考えさせてるだけです。ぶっちゃけ論外です。次からはしないように」
「マジか。って、え? 次から?」
俺は瞬きする。
「ほら、料理ができますから。料理をしたいなら少しくらい手伝ってください」
八咫野が味噌汁を小皿によそい味見をし、頷いた。
俺にはまだ夏向の意図は分からない。氷織がなんでこうしてくれるのかも分からない。自分にできることも分からない。
……俺も、出来ることを探さねばいけない。
まず第1歩として、味噌汁をお椀によそうところから始めた。
――――
私はずっと考えていました。自分にとって生天目さんはなんなのだろうと。
正直こんな人と関わることに、アプリ以外のメリットなどないのに。でも彼の空間にいる頻度が高すぎて、この空間にもはや居心地の良さすら感じていること。乙音さんを含め、関係性が自分の一部にすらなっていること。
そして、彼のことを無意識のうちに受け入れている自分がいること。やっぱり人工呼吸はこの人にされるべきではなかった。だって、嫌じゃないと感じたから。感じてしまってから、全てが変わってしまった。
私はずっと考えていた。友達と呼ぶには少し親密過ぎると。その過程をすっ飛ばした関係であったこと。
最初は取引、次は恩返し、その次は命の恩人。そんな位置づけを自分に強制することで偽る自分を自覚して。
だから……。
「いまはまだ、友達からですね」
私はお皿をテーブルに運びつつそう呟いた。
『賢治と関わらないでほしいんだ』
木下さんの言葉を思い出す。それはこうも続いた。
『あいつを……賢治の爆弾を壊さないために』
その時私は思わず言った。
『……そのようなもの、生天目さんにあるでしょうか』
『まあ、あいつはかなり無自覚っていうか無知だからな。知らなくても無理はない。けど、きっともうすぐそれが牙を剥くんだ』
私が訝ると木下さんは続けた。
『とにかく、あいつのことを頼む。俺には、何も出来ないから』
私も精神病院に通っていた。生天目さんの1件で、灯里が解離性同一性障害ではないことを証明されてからは行っていないけれど。
石井さんの1件も含め、きっと彼の周りには壊れた人間が集まる。私も含め、そして彼自身も。
彼の爆弾とやらの得体は知れない。けれどそれが本当なら、彼はどれ程の苦を得た結果で居るのだろう。
分からない。分からないけれど。
でも、彼の為にも、傍で見続けることが、救いになると信じて。
私は、『友達』として彼を支え続けようと思いました。




