第25話:らぁぁぁぁぁい!?
それから先のことは覚えていない。ただ翌日聞いた。
救急隊員が来て、三上と緑川が連れ添って病院まで行ったこと。俺は乙音に連れられ放心状態で帰ったこと。冷食を乙音が口に突っ込んで夕食にしたこと。氷織が経過観察で入院したこと。
石井が、停学処分になったこと。
あの日から2日後。いつだって台風の後の空は無味無臭なように、今日もいつも通りの教室だった。
緑川と三上も学校に登校し、2人以外欠席は居ない。
三上も緑川も普通に授業を受けている。昨日のうちに学校側への説明はしていたらしい。
俺は教室で、ふたつの空いた席のうち片方をずっと見ていた。
そして賢治はひどく赤面した。
「(……!? 俺一昨日何した!?)」
ずっと身悶えていた。一昨日からずっと。こんなことは辞めねばならないのに。ヨシ、気持ちを切り替える。
そう思って黒板をしっかり見る。たまには授業をしっかり受けてやる!
「……はい、という訳で、これが男性と女性の肉体の違いだ。女性は成長期にかけて胸と肩が丸くなっていくんだ」
……こともあろうに今日の授業は朝一発目から保健体育だった。
普通の男子ならこの程度見慣れているはず。ある男子はニヤニヤとキモ笑いを浮かべ、ある男子はスカし。過剰な反応は男の恥だ。
しかし、一昨日の光景が脳裏にフラッシュバックし……。
「らぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」
特大奇声を発する。
「……おいおい生天目、そんな喜んでるようじゃぁ、将来が危ないぞ?」
それに反応して男子のみの笑いが起こる。女子は、通称ゴリ田と呼ばれる体育教師の本田に冷たい視線を向けるが。
**
「……賢治。まさか、そんなに溜まってるのか?」
「違う……本当に違うんだ……ッ」
授業終わりに夏向に憐れまれる。いや、実物を見たら誰だってそうなる。人命救助という免罪符で、無我夢中で、む、胸をさ、触っ……!?
「らぁああぃ俺がゴミカスぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
「うっせーな! お前今日どうした! 発情期?」
「な、なんでも……な……ゴニョゴニョ」
「……こりゃ重症だな」
夏向がやれやれというように肩をすくめる。居心地悪い俺は机につっ伏す。
次の授業は寝てやる。いや眠れないだろうけどフリで乗り切る。
息巻いてるところに2人の女子がやってくる。
「あ、生天目くん、ちょっといい?」
それは緑川と三上。この状況に、ふたりと俺を交互に見る夏向。失礼だぞ。
「あの、放課後に氷織のお見舞い、生天目くんもどうかなって」
「あ、ああ。うん。いや、大丈夫、あ、えと……」
しどろもどろになる俺、安堵と訝りと呆れの表情を目まぐるしく繰り返す夏向。その奇行に困惑する女子2名。
「あ、その。俺は俺のペースで行くわ。三人の仲を邪魔したくないし……その」
そして女子二人は「あなたも行ってあげてね」と言い残して去っていく。
「……賢治。お前一体何をしでかしたんだ」
「ナニモナイガァ!?(裏声)」
「キッモ。一周まわって何も分からないのがお前の怖いところだな」
スッと一歩たじろぐ夏向。
「よくわからんが、八咫野さんのところに行くのか」
「……あ……あ゛あ゛あ゛あ゛!」
「だーー! しつけえ! 話が進まねえだろ!」
閑話休題。
「い、いくに、きま↑ってらぁ!」
「まだ上ずるか……」
これ以上人間らしい思考回路をすれば死ぬ。自由の余地に感触と光景が侵入増殖染められて死ぬ。心頭滅却心頭滅却……。
すると、夏向がトーンを落として問うてくる。
「……にしても、お前なんか変わったよな」
「な、なんだよ急に」
「いや、さっきだって女子に話しかけられて。一年の女子とも仲良くて、数か月前からじゃ想像つかねえぞ。八咫野さんと関わるようになってから、か?」
「ゴフッ!?」
俺が噴き出すのを見て、いつもみたいに肩をくすめて。本当は関係を否定しないといけないのに、この反応で肯定してしまった。
「お前、八咫野さんのこと、大事か?」
彼はしっかり目を合わせて。逃げられないくらいに。心配するように、期待するように。だから俺も、同じだけ見つめ返す。俺はしっかり、嘘偽りなく。
「……ああ」
「好きなのか?」
「違う。でも、大事だ。ぶっちゃけ今すぐ病院行きたい」
夏向はなんだよそれ、と苦笑し、そしてそのあと、覚悟を決めた顔をした。
**
そして病院に来た。ちょうど三上たちとすれ違うくらいの、ちょうどいいタイミングでの来訪ができたぜ。そして離れの個室を訪ねる。が、その白いスライド式の扉に近づくほど、五〇悟のように足が重くなる。ヤバい。あいつが近くに居る。俺が一昨日……。ああああああああ!
もう自棄だと勝手に足が動き、赤面のままドアを開く。
「た、たのもう!」
「なんで道場破りなんですか!」
すかさず氷織のツッコミが飛んでくる。そして彼女を見て、不謹慎にも目を奪われる。
ひどく清潔な白い空間、その白いベッドに横たわるは、シンプルな病院着の氷織。これ自体が何かの絵画だ。
「あ、そ、その……調子はどうだ?」
「ええ。もう動けますよ。もともと大事をとっての入院という扱いだったので。晴美たちのノートですでに復習をはじめています」
「そ、そうなんだ。へ、へー。偉いんだな」
……偉いんだなってなんだよ! 俺何様!? 何やった!? 上から!?
俺は悶える。そして、彼女の動く唇にまた眼を奪われ、そしてまた顔が熱くなる。それを見て察したらしい氷織も、耳に朱がさす。
「その……二人から聞きました。死戦期呼吸になっていた私に、心臓マッサージを行ってくれたと。それと……」
「い、いやぁ! そう! 心臓マッサージ! あれ初めてやったからな! うん! 人工呼吸まではする余裕なかったな! うん!」
とっさに俺は防衛手段を取っていた。人工呼吸を俺がしたとなればこの後の学校生活、ひいては社会的な抹殺さえあり得る!
という反応まで見透かす氷織はため息交じりで続ける。
「……生天目さん。私は感謝しようとしたのですが。過度な謙遜は美徳ではありませんよ」
「え、ああ……すまん」
反射的に謝ってしまう。気づけば顔の熱もとれている。……いつもの雰囲気が、戻ってきたような。そして唐突に氷織は、上を、どこか遠くを見るように話し始めた。
「わたし、小さいころに溺れかけた話、しましたよね? あのときも、水を多く飲んでしまって、心臓マッサージが必要な状況だったそうです。それでライフセーバーさんに同じようにされて、私、あのライフセーバーさんに憧れるようになって。だから水泳を始めるようになったんです。……あのときの生天目さんが、そのライフセーバーさんに重なって見えて……。だから、」
彼女はまっすぐ俺の瞳孔をも包むように穏やかな顔を向ける。
「ありがとうございます、生天目さん。あなたのこと、少し見直しました」
その美しさにドキッと心臓が跳ねる。好きだとか、そんなわけはない。断じて。しかしこの顔でありがとうと言われてみろ。気のない男子であっても心臓を跳ねさせない男がいるわけない。
それと同時に、一つ靄も興る。
「なあ氷織、その、お前まさかファースト、は……」
「……何を心配してるか知りませんが、ライフセーバーの方は女性でしたよ?」
「そ、そうか」
なんで安心してんだ俺。なんでジトっとした目を向けてくるんだよ氷織。
「まあそれに、人工呼吸をキスに含める気はありませんので」
「えっ、あ、そうだよな」
俺はずっと挙動不審で、それをたしなめる氷織。この構図は、間違いなく安心するものだ。
「ああそれと、催眠アプリの方は、一体どうなったのですか?」
「ああ、それな」
結論から言えば、戻ってきた。石井のスマホから、アプリを本人の手で消させた次の日、アプリがいつぞやのようにまた戻ってきていた。アプリは一体なぜ移ろったのか。それを訊くことはただただ野暮な領域。それでも、俺にとってはそれだけで良かった。
俺はスマホを起動し、またいつものように、指をデコピンの形にする。
「だからまあ、これからも俺と関係を続けてもらうぜ?」
「そうですね。はい。よろしく願いします」
彼女は目を瞑って、額を差し出す。
俺は弱めに指をはじく。
そうやって、また変わらない続きを描くことになるんだろう。
俺は灯里のビンタを食らいながらそう思った。クッソ痛い。
というわけで明日投稿の第二十六話にて、忘却メズマリズム~清楚なお嬢様に催眠をかけたはずが、ヤンキー人格が出てきて尻に敷かれた件~は第一章完となります。それに伴って一度、一週間ほどストック充電期間に入ります
次の章に期待して、ぜひ☆やコメントで応援してくださると幸いです!




