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忘却メズマリズム~清楚なお嬢様に催眠をかけたはずが、ヤンキー人格が出てきて尻に敷かれた件~  作者: 春代 羽羽


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第24話:それは歪んだふれあい

 石井は只、氷織を見ていた。彼女の端正な顔を。苦しそうなまま気を失っている彼女を。ああ、苦悶と言うのはなんて美しいのだろう。端正さがまるでなくなる様こそがむしろ整っていると感じられるのは。


 彼女はどんなトラウマを見たのだろう。女子1は確か父親のDV、女子2は陸部での疲労骨折。どちらもただの痛みじゃなくてその際の心的ストレスも再現されて、きっと何も抵抗できず従うのだ。


 ああ、二人とも顔のゆがみが足りなかったな。脂汗と蒼い顔だけのちんけな過去だったのか。でもそれに比べ、八咫野はとっても歪んだ顔だ。美しい。生死にかかわるような事件だろうか。それはちゃんと彼女の身から出た錆だろうか。ああ、空想だけで嬉しい。楽しい。快楽(きも)ちいい。


 それにしても、あの生天目とかいうやつ、あいつは惨めでむしろ面白いかもしれないな。さっきの顔を思い出しただけでもにやける。対してあのアバズレは……。


 ……あそこに、いたか?


「しまっ――!?」


「てりゃー!」


 背後につかみかかってくるクソギャル。しかし見た目相応に動きは良くない。


「……そういうことかよクソアマぁ!」

「いっていいことと悪いことがあるっすよ! それに氷織様を全く理解してないのはおまえっス。その知識だって、YHFの情報をチラ見しただけでしょう。好物の欄は何もなかった。ってことは自分で補完したとか。きっしょいなマジで!」


 ギャルの後ろには泣きじゃくって顔を晴らした女子1。しかし覚悟の決まった目から察するに、恐怖を克服したというのだろうか。俺は歯ぎしりをしてクソギャルをにらみつけた。



 **すこし遡る**


 目のまえで催眠に抗う氷織に手をこまねくしかない賢治は頭上の女子にいうのだった。


「やー。ところで緑川さん、だっけ。降りてもらうことはできない?」

「いや、いや!! あいつに逆らったら、また……! あんたにはわからないでしょう!」

「はは。まあそうだけど」


 涙を目いっぱいに浮かばせて、俺が元凶と言わんばかりににらまれる。恐怖心に支配されている人間というのは、ラノベではよく見るけど、そういう人間は何もかもを都合よく解釈し暴れる、厄介なものだ。アプリというものの邪悪さをこれでもかと発揮する石井。やはり理性のタガが外れていそうだ。


「……お前らは、親友の八咫野があんな目に会ってるのに、あいつに加担すんのか! それで友達なのか!」


「ひお、氷織だって、私たちの気持ちなんか……! そうよ、あの子はうまくいって、私のことを裏で笑ってる!」

「お父さんも痛いのよ! サンドバッグみたいにされることを知らないんだわ!」


「……こりゃ重症っすね」

「ああ」


 乙音と顔を見合わせる。まさしく無我夢中、それを催眠の恐怖で、氷織への感情も痛みもことごとくを捻じ曲げられているのだ。そして彼女らはそう言ってから、えづくように泣き出す。彼女を、完璧だと。彼女らは信じ込んでいる。彼女が繕いつつ過ごしていることにずっと気付いていない。



 だから、これは氷織への貸しであり借りとして、口を開く。

「八咫野氷織の本当の大好物は、イカ飯だ」


「「……は?」」


「そして、それをめっちゃ気恥ずかしく思って、スーパーでこそこそしつつ買うくらいには大好物だ」


 ただ女子二人は涙を止ませる。乙音も乗り気になって声高に。そうしても、どうせ石井はこちらの様子を見ようとしないのだ。


「さらに実は1か月前から水虫で、靴下を結構がっちり履いてます」


「え、ちょ、は?」


 俺も言ってやらぁと、乗り気になる。

「さらに言えば、器量よしみたいな面しといて、自分で正しいと思ったことはてこでも曲げないな。こだわりも変に強かったりするし」

「そして学校内でおならをしてしまって、慌てて隠そうとわたわたしだす氷織様もかわいらしいっす~」

「そして意外にネガティブ」「優しいけど打算的」「トイレ長い」「少女漫画大好き」


「あ、あんたたち何言って……」


 三上と緑川が俺らのペースに呑まれる。よし、いまだ。


「でも細けえところにも気づく八咫野が、友人へなんのアフターケアもしてないなんてことあるのかねえ、乙音さんや」

「ですです。氷織様、結構慰めは不器用ってHUF内の常識っすよ」


 俺らの小芝居に当てられて二人は記憶を巡らせる。そして何か思い当たるように顔を見合わせた。彼女らの顔面はもう蒼白ではなかった。それはそうだ。彼女たちは催眠をかけられているわけではない。罰として使われていただけ。そしてその観念は今、ぬぐわれた。

 

「私たち、とんでもないことを……」


「自分の身可愛さに……」


 そうやって自己嫌悪に苛まれる二人をなだめつつ、俺は作戦会議をしたのだった。


 

 ****


 三上は拳を握った。彼女にとって、石井は父親と重なって見えるだろうか。きっとその目の奥には恐怖が残っている。

 

「おい三上。所詮、越えられる程度の苦しみだったんだな。これで本当に氷織に顔向けできるのか?」


「……! ちがう! 私は、あなたを殴って、贖う!」


 ハッと笑い飛ばす石井。俺は上に乗っている緑川から逃れようとする。しかし動かない。


「緑川!? おまえ、自分が何やってるかわかってんのか!?」

「それでも、怖いものは怖いの!」


 そういってより一層力を込める。だが、左右に振ってなんとか抜け出し、乙音の横に着く。


 石井は緑川を見下げつつ俺らに顔を戻す。


「さて、3対1だぞクソ野郎」


「……へー。なら、こっちは2で行くよ。……おい緑川ぁ! てめえの陸部連中の声、また聞かせてやろうか?」


 緑川はその恫喝の様な声にビクッと震え、身を縮めながら石井と俺らの間に立ちはだかる。


「……緑川。本気なのか」

「私はっ! こうしなきゃいけないの!」


 石井はまた不敵に笑う。きっと緑川を盾にするだろうから。


 緑川は、ただ、恐怖に支配された顔で……。否。一瞬口角を上げて。

「だって、これが私の役目だもん」


 陸上部の瞬発力で石井の脇をかすめて走り、止まった時には左手にスマホが握られていた。石井のスマホが。


「……い!?」


 石井はパーカーのポケットをまさぐり、スマホがないことを悟る。


「と、言うわけだ。俺たちの勝利。まだやるか? 石井」


「クソ……がっ!」


 石井はたじろぐ。しかし彼の力の源は既に緑川の手の中。無我夢中にとびかかるも、緑川は彼の頭上に弧を描いて俺に手渡す。


 スマホをかざして、俺は完全勝利を宣言した。


 スマホ画面は運よく催眠アプリの画面だ。俺は「催眠対象者:八咫野氷織」とある、右上のバツ印をタップする。アプリは確かに所有者の意志でないと催眠ができないとは書かれているが、解除までは指定されていない。よって俺でも解除ボタンを押すことはできるのだ。


 そして、氷織が一段と大きな息を吸う。


「さて。あとは氷織様と帰るだけっす~!」


 と乙音が足取り軽く教室を出ようとした。





 ――しかし違和感を感じて足を降ろす。

 俺も、石井も、三上も緑川も。皆氷織を見ていた。



 彼女は大きくえづくように息を吸い、それを満足に吸いきらないまま不規則にまた吸う。一向に収まる気配はない。


 石井が気づいて大声で言う。


「これは……死戦期呼吸! まだ心臓が正常に作動してない! 早くAEDを、それまで心臓マッサージ……を……」


 そう言ってから、その状況を自分で咀嚼できたのか、またへなりと座り込んで。


「八咫野が……死……? 嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ……。おれ、僕は、ただ、僕を肯定してほしくて......。いやだ……」

「石井! お前、こんなときに……! おい、心臓マッサージはどうやるんだ。おい、おい!」


 俺は急いで氷織の方に駆け寄り、石井に大声で問う。しかし彼はまるで使い物にならない。

 

「ボク多分人工呼吸わかるっす! でも力が足りないから先輩にお願いします」

「わかった!」

「じゃあ私はAEDとってくる!」

「私は救急車を!」


 俺は氷織を仰向けに直し、続いて彼女の胸元に手を当てる。


「先輩、手はもう片方の手で甲を握るように。これっす。あともう少し下のあたりっす。……先輩から見てじゃなくって氷織様の下っす」

 

 彼女の言うがまま力を入れる。


「リズムはこれっス。強すぎず、沈み込むくらいの強さでするっす。そうっす。そして30回ごとに人工呼吸2回っす。これで23、24、25……」


 そして三十回目になって、氷織の鼻をつまみ、目一杯に吸い込んだ空気を彼女の口から余すことなく吹きこむ。


 もう一度。


 彼女の乾いた唇、しかし口角のあたりだけ涎で湿って。彼女が危篤であることがはっきりわかる。


 彼女の不規則な死戦期呼吸は未だ絶えない。もう一度手の形を作ってマッサージをはじめる。


 三回ほど繰り返してようやく緑川がAEDを持ってくる。俺はその俊足に感謝しつつ、ただ無我夢中に続けた。


 三上がAEDの蓋を開け、氷織の頭の近くに置く。するとAEDの電源がつき、音声案内が始まる。


『服を脱がし、AEDから四角い袋を取り出してください』


 音声案内に従って三上が袋を取り出し、二枚の電気ショック用の電極を取り出す。


「先輩、服を切るんで手をどけてください」


 乙音が付属だったハサミで氷織の服を裂く。


 そして三上と緑川と乙音が手際よく貼り付ける。次に電気ショック。氷織の身体が大きく浮く。


 ……しかしまだ駄目。呼吸に穏やかさはまだない。


「……畜生、がぁ!!」


 俺はまだまだ続ける。彼女に死なれてたまるか。地肌の胸に手を当て、もう一度マッサージ。回数も数えられないほどに。もう何回やった?


「電気ショックします! 離れて!」


 ガクン。浮いて、それでようやく彼女の呼吸に秩序が見え始める。ようやく見えた光明。もう一度マッサージに戻る。


「氷織! わたしだよ、目を覚まして!」

「氷織! ……私だって謝ることがあるんだから!」

「氷織先輩!」


「氷織、もう、大丈夫だからな。俺が、助ける」


 ダメ押しでもう一度人工呼吸をする。息を氷織の肺に送り届けるんだ!


 ――――



 ……わたし、  は     。


      いま、 なに     を?


   ん

 な    か、   こえ、  する 。


     れ なの?

 だ        



『……がい!』

『……り! ――ってきて!』


 さっき  も   そ んなの、  みた


   も

 で   、いや、じゃ、ない。


 あと あんしん、するこえ……。


「氷織、絶対に助けるからな!」


 ……みたことある。むかし、らいふせーばーさんに、いってもらった。


『大丈夫! 絶対に助けるからね!』


 あのときとおなじ……おぼれる私を、助けてくれた人。あなたを追って、私……。


 ――――


 !? いま氷織の瞼が動いた気がするぞ!


「大丈夫だぞ氷織! あと少し、もう少しだ!」


 押す。押す。押す。

 吹き込む。

 押す押す押す。……。


 電気ショック。


 押す押す押す押す押す……。


 氷織の口元に耳を当てる。かすかに規則的な風を感じる。


「意識……もどって……!」


 俺はそれでも怖くてマッサージを続ける。でも、多分俺の顔はいつのまに流した涙と汗でぐちゃぐちゃだっただろう。



 それから先のことは覚えていない。救急隊員が来て、三上と緑川が連れ添って病院まで行ったこと。俺は乙音に連れられ放心状態で帰ったこと。冷食を乙音が口に突っ込んで夕食にしたこと。氷織が経過観察で入院したこと。

 石井が出席停止になったこと。

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