第22話:『裏』:催眠アプリの使い方
空き教室を出て、気付けば人目につかない理科室、そのドア前。乙音はカメラをのぞかせ、中の様子を見ようとする。報告の通り氷織と、フードを取った石井が対峙していた。
耳を立てると石井の、嘘みたいに爽やかな声がする。
「……それでさ。八咫野、もう一度こたえを聞いてもいいかな?」
「いや、です。私は、そんなひどい人を選びたくありません。」
いつも家で聴く声より弱弱しい氷織の声。そしてこんなに言われても調子の変わらぬ石井。
「まあ、そういうと思ったよ。でも、いいのかな。ひどいって意味だと、八咫野もいい勝負だよ」
「どういう、意味ですか」
「八咫野、お前は何も知らないんだ。俺のこの気持ちも。お前の友人のコトさえも」
「私の友達は関係ありません!」
「お前の友人、三上、だったか? あいつのことも満足に知らないだろう。あいつは父親からのDVを受け、腿に痣をいくつもつけた。それをお前は知っていたのか? 一瞬でも寄り添ったか?」
威圧を増してまくしたてる石井に気圧されている氷織。
「緑川は陸上の大会で足を壊し、エースから外されていた。なのにお前は水泳部で意気揚揚とエースの座に座り続けた。ベンチにすら座らず退部した友人を一瞬でも案じたか?」
「したに、きまっ「足りない!!」
氷織の言葉を石井がさえぎる。石井は一編穏やかに続ける。
「俺が、八咫野のことを想って、今までどれだけの代償を支払ってきたと思ってる? 誰とも仲良くしないでお前だけを見ていたんだ。お前のことならなんだってわかる。そうだよ。あの生天目とかいうカスなんかよりもよっぽどわかるんだ。誕生日は9月23日。好物はチョコプリン。血液型はA型。休日によるスーパーはユースベニマル。住所はキャラメリゼヒルズ6階608号室。学校でのテストは平均83点で学年順位は平均10位。得意科目は国語。使っているシャーペンはフルトガairのグレー。あとは……」
「あなたは、なんなんですか! あなたみたいな人に好かれたところで全然嬉しくありません!」
「あとは、そうだ。精神病院のIDも……」
「!?」
八咫野の表情が目に見えて薄くなっていく。
「なんでそんな顔をするんだい。俺らが出会った運命の場所だろう? ……八咫野だって、壊れている側の人間なんだから。だから、さ。君の友人が君を理解することなんて、できないんだから。でも、俺らは違う。壊れたもの同士、分かり合えるはずなんだ。なあ、八咫野。壊れた人間が、夢を見てはいけないんだよ」
そういいつつ距離が詰まっていく。
「な、なん、で……。それより、晴美と、花菜のこと、まで……」
「ああ、それはね、俺が彼女たちにお願いして訊いたんだよ」
石井は、ポケットからスマホを取り出す。
俺はただこの光景に動けない。あのときみたいに、自分との差を痛感させられてじゃない。石井がなんで情報を得られたのか、それに対する一つの答えに心当たりがある。きっと……。
と、背後から迫る気配に微塵も気付けず、刹那のうちに組み伏せられていた。しかし力は弱く、女子のものである。さらに言えば。
「……お前、緑川か!?」
顔を泣きはらし恐怖で震える緑川。乙音は三上に口をふさがれつつ敷かれていた。やっぱりそうだ。監視を襲ったのはこいつら、そしてそれを石井が、あのアプリで!
「ああ。やっぱりネズミがいたんだ。ありがとうね、二人とも」
石井がアプリ片手にドアを開け、二人の耳元で「贖罪出来てよかったね」とささやく。
俺はぶん殴ろうと身をよじるも動けない。緑川は涙を流しながら体全体を使ってがっちり無力化している。
「どういうことだ石井!」
「……うっさいな。カスは寝てろ」
「そのアプリは一人にしか使えないはずだろうが! なんで、二人同時に操作できる!」
「ああ、生天目、やっぱりこれ知ってたんだ。てことは俺の八咫野もこれで? 気持ち悪いったらないね。単純だよ。これで『命令』できるのは一人だけだけど、『調教』するんなら、鞭は二本もいらないだろう?」
石井はそういってから立ち上がり、八咫野の方にまた向かう。
調教? それって、と思ったとき、緑川が右足を落ち着きなく動かす。三上の方も自分の頬をさすったり腿をさすったり。
……調教、つまり、彼女らのトラウマであるDVや足を壊した経験を鞭に脅迫していたってコトか!?
そうだとしたら犯罪紛いの使い方だぞ? それに、八咫野が精神病院に通院しているやら、情報が多すぎる!
次にとるべき行動はなんだ。考えろ! 考えるんだ!
「さて八咫野、邪魔者も消えたし、賢い答えを聞かせてくれるだろう」
「彼女たちに何をしたんです!」
「……さっきからずっと俺の質問に答えてくれないじゃないか。つれないな」
もういちど石井はスマホを取り出しそして八咫野の目の前へ。
「何をって、こうしたんだよ。『八咫野、俺の女になれ』」
画面を見せながら石井は催眠の文言を言う。
「八咫野!」
「氷織様!!」
俺も乙音も脱出を試みるが、二人がとても堅くてなかなか出られない。
「わた、し、はっ!」
頭を押さえ交代する氷織。頭痛が駆け巡るようによろける。
「あ、なた、とは、違います……!」
「あ? ……なんで催眠がかからないんだ」
「私は、そのような下劣な方のいう言など聞きません。聞こえません。一昨日来てください!」
「チッ。なら、『八咫野、お前は俺に逆らうと、人生で一番苦しかった時のことを追体験する』」
すると氷織は突然むせだした。机に手を突き、水中のように呼吸もままならないで空気を吐く。しかし吸えず首が締まるような声しか漏れない。
「こっちならいけるんだ。フーン。」
俺はただ息を呑んでいた。アプリの制約を思い出す。催眠アプリの使用者が関与した命令文であること、そして、その命令文を本当にやりたいと思うこと。
「……これが、お前の望みか!」
「のぞみ? いや。別に俺は八咫野を調教したい訳じゃないぞ? でも八咫野がこんな態度なら、そうする他ないからするだけさ」
狂っている。人を操作することをなんとも思っていない。それは俺の趣味嗜好で言えたものでもないし、アプリを手にした当初の俺にだって言えたものではない。
しかし氷織の、彼女のトラウマをも利用してこんなことをしでかし、これでもまだ氷織を好きだと宣うのか?
……一体、これが恋愛だっていうのか?
石井は絶えず続ける。
「にしても……あの時と言い、彼女は変わってしまった。あ、でもあんなに反抗的だったのも珍しい。今の方が大人しいような……まあどっちにせよ、か」
石井はただ苦しむ氷織を見つめた。うっとりと嬲るように。
異常なまでに、この状況を楽しむ石井。
そしてえずき苦しむ氷織、泣きながら石井に協力する三上と緑川。取り押さえられる俺。
催眠アプリを石井が所持して主導権を持つ状況。
以前のように、気を引いた隙に付け入って倒すこともできない。
――――詰み、だろうか。
「生天目先輩! これどうにかなんないんすか!」
三上の羽交い締めを解けず、俺も同じく緑川を振りほどけない。
部屋には、氷織の苦しそうな音のみが響く。
「……氷織」
彼女を見つめることしかできなかった。




