第20話:催眠アプリってのはそういうものだからね、仕方ないね
火曜日。担任の教師が出席確認をする。中学校や小学校のように呼び掛けに応じる必要はないので、寝る時間と言い換えても良い。少なくとも俺はそうしてる。
「あれ。こん中で緑川と三上からなんか聞いてる奴いない?」
先生がそういうもクラスメイトは全員顔を見合せる。俺は顔と名前が一致していないため何も分からん。
「たしか2人とも八咫野とよく一緒に居るだろう。なにか聞いてないか、八咫野?」
「いえ、何も。LIENで訊いてみますね」
「おー。なんか言ってたら教えてくれよ〜」
担任はそのままドアを開け教室を出ていった。
眠気が不意に引っ込んで、俺は窓の外を見た。少し前よりも雲が厚く多く。夏が近づいていることを訴える。高校2年生になってはや4ヶ月。来年には受験勉強漬けの夏になってしまうという現実から目を背けられる最後の夏休み。
遊び呆けたいものだ。主にスパブラのオンライン対戦で。暴言マシマシで。
予鈴が鳴るも、周りは雑談タイム。俺はといえば、3週間は中身を変えていないカバンから適当に教科書とノートを出し、もう一度寝ようとしていた。寝ぼけたいのに眠りきれないもどかしさが気持ち悪い。
ちらっと前方の席を確認する。石井の席は未だ空席だった。あの一件からずっとだ。氷織もとい灯里に危害を加えようとした人間ではあれど、さすがにダメージがでかかったのだろうか。それとも……。
**
放課後。誰もいない空き教室。目の前で氷織がデコを突き出している。
「というわけで生天目さん、お願いします!」
この状況に少し背徳を感じてしまう自分が少し嫌になってしまうが。俺はいつものように氷織にデコピンする。
「あうっ!」
「ほら。早く部活行ってこい」
八咫野はおでこを抑える。が、しかし。
「……あ、あれ?」
いつまで経っても灯里の強気なオーラを纏うことはなく、声のトーンは変わらず。
「どうした、灯里」
「どうしましょう……生天目さん。灯里に、なれません!」
「……は?」
いつもはこれで良かったのに。とりあえず、催眠アプリで直接やるしかないか。俺はスマホのホーム画面から催眠アプリを探す。しかし、いくら探しても悪趣味な名前のアプリは見つからない。
「嘘だろ……!? アプリが無え」
「と、言うことは……」
氷織と目を見合わせる。
「「……どうしよう(しましょう)」」
**
氷織は狼狽えている。時間は刻一刻と過ぎ、彼女の部活だって変わらず進んでいるのだ。優等生かつエースの彼女が遅れるというのは、笑い事ではなく。一方俺は一種の興奮を覚えていた。
「ど、どうしてでしょう。今までそんなこと無かったのに……生天目さん、心当たりなどは」
「無いな」
「も、物事には必ず因果関係があります! きっと何か理由が!」
「催眠アプリはそういうもんだ」
「な、生天目さん! 催眠アプリはどのようにして入手したんですか」
「朝気づいたらスマホに入ってた」
「なんですかそれ! というか、なんでさっきから、そんなに落ち着いているんですか!」
「感動してる。まさか催眠アプリの気まぐれさを、身をもって体感しようとは。これぞ催眠アプリだ」
「さっきから何を言っているんですかぁ!!」
正直、催眠アプリを手にした時から、こういう展開を予期しなかった訳じゃない。
催眠系同人誌の導入にはいくつかタイプがある。勝手にスマホに入っているパターン、修行して催眠能力を手に入れるパターン、技術的にアプリを開発するパターンやそのような薬など。デバイスがリモコンであったりと多様化していく現代だが、俺がよく見るのはこれくらいなもんだ。
1つ目の方法だった時点で、こいつは神秘の類みたいな扱いをされていても、おかしくはない。
同人誌の最後、催眠をかけられたままのヒロインが堕ちるか、それか途中で催眠を切られ、所謂「快楽堕ち」の結末を辿るか、どちらにせよ、デバイスとしてのアプリのその後は明かされないことが多い。
「さっきから本当に何をブツブツ言ってるんですか」
「ん? ああ、ちょっと催眠アプリについてな。良かったら八咫野も聞くか?」
「結ッッッ構です」
ぷいと顔を背ける八咫野だが、非常にまずい。これがないと八咫野は部活に行けない。こいつ自身は泳げないのだから。
……俺が咄嗟で使ってしまったアプリ、そいつのせいでいつも八咫野に迷惑をかけ続けているんだ。
今回もまた、こいつに振り回されることになって、八咫野に申し訳なさが湧いてくる。
「と、とりあえず、今日はお腹が痛いことにします」
「すまないな」
「……確認しますが、間違ってアプリを消したということはないですか?」
「無いな。1ミリたりとも覚えがない」
「どうして、なくなってしまったのでしょう。……やはりこれは、生天目さんの日頃の行いが招いたバチなんですかね」
理不尽だ。
俺は万に一つの確率にかけて、アプリストアの履歴から催眠アプリの名前を探す。残っていれば再ダウンロードできるのだが。
やはりと言うべきか、残っていなかった。
「どーすっかな」
途方に暮れると言う表現がピッタリであった。
ふと、氷織のケータイのバイブレーション。それを確認して、氷織がこちらに向き直る。
「……わかりました」
意を決する面持ち。
「というわけで生天目さんとの関係は終わりですね。ありがとうございました」
そういって、彼女は空き教室を出ていった。
「……え?」
お手本のように俺は、呆けた面で動けなかった。
**
嘘やん。確かに、俺たちの関係はアプリありき。そのアプリがなくなったのだ。協力する理由はもうない。ないけれど、え? 普通こんなにあっさり切る? そんなことある?
しかも、何の異変もなかったみたいに変わらぬ調子、「あっそうだ」のノリで言うのだから頭がバグる。なぜアプリが消えたのかもわからないのに。どうしようもないではないか。
つい最近仲違いをしたばかりなのに。こんなにすぐ別れることある? しかもLIENで「また会って話しましょうね」って言ったばっかりじゃん。
まさに魂を抜かれた俺は教室に戻り、帰り支度をする。教室には誰もいない。
しかし廊下からダッシュの音と「八咫野せんぱ〜〜ぁい! あとついでに変態先輩(小声)」の声。もう既に理不尽だ。
ドアが丁寧に開き、顔を出したのは案の定乙音。しかし八咫野が居ないことに気づくと分かりやすく気が滅入ったような顔をする。
「なんで誰も居ないんすか」
「何言ってんだ俺がいるだろ」
「お呼びじゃねーっす」
乙音は先程の丁寧さはどこへやら、雑に近くの机に座り、足を組む。
「八咫野はなんか、帰った」
「え。氷織様が? 部活を? 休んだ? そんな生天目先輩じゃないんすから。……って、先輩は帰宅部でしたね!」
「よしはっ倒すわ」
というふざけは程々に。
「乙音、例えばなんだが……。もしこれがないと日常生活もままならないってものがあるとしよう。それが、突然なんの因果もなく消えたら、しかも探しても見つからないものだったら……どうする?」
「なんすかそれ」
「仮の話だよ」
乙音は顎に手を当て、直ぐに「悪銭身につかずってやつっすかね」と言う。
「考えるのもめんどいっす。てか原因もないなら対策もないんですから。それなら割り切るしかないっす」
……こいつ馬鹿風に見えてめっちゃ考えるやつだな。
「てかなんすか。その消えたものが催眠アプリだって言うんですか。それ使って何をしようっていうんですか殺しますよ」
「……相談する相手間違えた」
氷織は、大丈夫なのだろうか。そういえばあいつ、水泳部のエースだって言ってたし、部活にかける想いも人一倍のはずだろう。1回のアプリの使用が、こんなに彼女の生活に影響を与えてしまうとは思ってもみなかったな。
「というか乙音はなぜ来たんだ」
「え。そんなの、また生天目先輩の部屋で女子会の誘いを」
「せめてシャレオツなカフェでやってろ!」
「そーしたら氷織様の料理を食べられないでしょーが! 先輩だって氷織様の料理を食べたいでしょう!」
「そりゃそうだな(便乗)」
「ダメですあげません!」
「なんだお前!」
ノってやったのに……。俺は若干拗ねてこいつから視線をそらす。
にしても、さっきの氷織の態度、本当に少しだけ、引っかかるんだよな。たしかにロジックで言えば、あいつが俺と縁を切るのは当たり前だしそこに不審な点はない。それはそれで悲しいが。
だがそれが、スマホを見た時の顔が、それだけではないと物語るようで。
乙音は目の前で、髪を指でくるくるやっている。それ本当にやる人いるんだ。
……そういや、こいつHUFとか言うストーカーカルト集団のメンバーだったか。
「……なあ乙音。お前、このクラスの緑川と三上ってやつのこと知らないか?」
「知ってますけど」
「やっぱりそんな都合のいいこt……え知ってるの ?」
今ダメ元で聞いたんだが!?
「ボクHUFの情報部の実質的な部長なので」
「お前らそんな組織化されてんの? というかお前そんなに強い立場だったの? 待って、は?」
「失礼だなぁ先輩は。失礼ですよ」
普段通り飄々とする乙音。そのまま続ける。
「緑川 晴美。誕生日は12月11日。血液型A型、元陸上部エースで現在は退部」
「三上 花菜。誕生日は4月19日。血液型O型、美術部に所属している」
淀みなくその場でつらつら個人情報を話し出す乙音にもはや恐怖すら覚える。警察が容疑者の特徴を話す時のあれじゃん。相〇で見たぞ。
「どちらも氷織様と交流があり、学校で氷織様が話すご友人の中で接触時間がいちばん長いです」
「とりあえずいちいち気持ち悪いなお前ら」
「失敬な」
「……じゃあ、こいつらが今休んでるのは知ってるか?」
「ああたしか、今日は体調不良で休んでますね。今朝学校のサーバーで見ました」
触れない方がいい情報源だな。良し。学校のセキュリティが思いのほかガバいのはいつもの事だ。
「でもそれがどうかしたんすか?」
「……うーん。別にどうって訳じゃないんだが。ただちょっと引っかかって」
乙音はまた髪をくるくるといじる。つまんなそうに彼女は口を開く。
「ここに氷織様が居ないってんなら長居は無用っすね。ボクは日課をこなすんで帰るっす〜」
そういいつつスキップで帰る乙音。俺は違和感を持て余して、同じく帰り支度を始めた。




