第19話:頭痛の種がひーふーみー……
「というわけで、改めまして、榎本乙音っす! ひお……八咫野先輩、よろしくお願いするっすよ!」
「こちらこそ。手綱の担い手が増えて嬉しいです」
乙音と氷織が笑顔で、それはもう笑顔で礼をし合う。手綱って、俺は犬か何かか。
「あ、そうだ。八咫野先輩、この問題がわからないんですけど」
「ああ、それは確かに入試レベルですね。ですが、ここの見方を変えるだけで……」
「うーん……あ。ただの確率問題じゃないっすか」
「ええ。ですので……って、もうひとりでできそうですね」
目の前で、勉強できる奴らトーク、略してベンデキトークが広げられている。
ここ、俺の部屋なんだけどなー! なんか、こう、俺という存在のパーソナルスペースが軽んじられてるいる気がするのだが。そして俺の前で俺が理解できない勉強を展開するな。居心地悪いだろ。数ⅠAがいちばん難しいってそれ言われてるから。
「あのー、御二方。その、なぜ俺の部屋で集まってるので?」
「はい? フリースペースですよね?」
「ですです。男子禁制の聖域っす」
「ならてめーらの家でやれ!」
理不尽だ。
乙音と氷織、息がぴったり合って、なんか笑いあっている。守りたいこの空気。ということはいよいよもって男子禁制の雰囲気。氷織が笑い混じりで言う。
「正直なところ、生天目さんが巻き込んだ方ですし、まあ動きやすくするためにも、こちらに取り込んでしまうのが一番かと。生天目さんとも相性よさそうですし、一緒に彼の手綱を持ってくれる人が居るなら万々歳です」
氷織、俺のことをやっぱり犬か何かだと思ってるな。こいつ、本当に気が強い。
「いやー。氷織さm……八咫野先輩の頼みとあらばっすよ! それにボクにとってもいいおもちゃですし!」
「わかっていますね」
ああまた意気投合してるよ。
「あ、もうお夕飯の時間ですね。榎本さんも食べていきますか?」
「マ、マジっすかぁ! 是非是非是非!!」
乙音の熱量に苦笑しつつもキッチンに向かう氷織。いやだから俺ん家なんだって。買ってくれたのは氷織なのだけども。
もうすっかり、こいつがここに居るのが当たり前みたいな感じになっている。これじゃあ昨今のラノベに居がちな通い妻系ヒロイン......って何考えてんだ俺は!
カンペキ美少女に、しかももらってばかりの存在がそんな邪な考えを持っていい訳がないだろうが! 俺は自分の頬を叩く。
「……どうしたんです生天目先輩。いきなり自分をビンタして。ドMっすか?」
「只の喝だ」
「……生天目さん。そのような趣味は、せめて隠していただかないと」
「違うっての」
氷織は正直ノリが微妙にワンテンポ遅れるタイプだと思っていたのに。LIENの返信度合いでそんなもんだと思っていたのに。乙音と組み合わせた瞬間息をするように便乗してくるようになった。俺の尊厳はこいつらとの出会いで廃棄されたようだ。
乙音がこっそり近づいて来て耳打ちしてくる。
「やっぱり、キッチンに立つ氷織様って、イイっすよね」
「何を言い出すんだお前は」
「いや。だって。氷織様という神聖な存在がキッチンという庶民的な場所にてだけど女子力とも言える料理の腕を遺憾無く発揮しつつさらにはそこに家庭的な包容力が生まれてそれで見えるうなじと集中した顔それらが相乗効果を……」
「待て待て早口やめろ」
乙音、3秒間にわたる小声の早口。怖い。
「いやーきっと氷織様の料理は、そりゃもう天に昇るような味わいが……」
「料理に夢見すぎだっての」
「じゃあなんすか。どう形容しろって言うんですか!」
「そんなん、毎日食いたくなる程度の……あ。」
遠くで氷織がこちらを一瞬見て、何事も無かったかのように作業に戻る。
言わせた乙音は口角が天井に突き刺さりそうなほどニヤついている。
「センパイ……面白いってよく言われません?」
「……黙れ」
――食えないやつ、と言うべきか、おもちゃにされてる、というべきか。こいつ嫌いかも。
「にしても、知らなかったっす。ふたりがこんな関係だったなんて。一体どんなラブコメ展開を踏んだんすか。てか前世でどんだけ徳を積んだんすか!?」
ラブコメ展開なわけないだろ! 催眠アプリだぞ!?
でもしかし、こいつはアプリのことを知っている。さて。こいつにはいずれ話す時が来そうなもんだが、どう言ったものか。
**
程なくしてテーブルに3人分の夜ご飯が並ぶ。今日はなんと肉野菜炒め。ニラと人参の発色が良く、彩りのなんと良いこと。
「うぉっほ〜〜!! ひお、ひおりさまの……手料理ぃ……ああ、光沢ひとつひとつに神聖な光が宿ってるっす〜」
乙音が箸を構えながらラリった目で。もはや変人を隠せていない。
そして3人で手を合わせてそれぞれの皿に盛られた肉野菜炒めをつつく。口に運ぶと、ほのかな肉の甘みと人参と甘み、だけでなく旨みと香り。順繰りに五感を震わせる野菜炒め。
やっぱり冷食になれると良くないな。こういう旨味を忘れてしまう。冷食の科学的な味より、氷織の作った料理の方が美味い。作ってくれた人の顔が近くにあるからだろうか。
……また、暖かなものが腹に溜まる。それが小っ恥ずかしくて、味噌汁を先にかき込む。
「乙音さん、味の具合はどうでしょうか」
「もうタッパーに入れて家宝にしたいくらいっす!」
「それは腐りますのでやめてくださいね」
苦笑する氷織に、またも腹、いや胸に疼きを感じる。……ちょっと俺、最近変だな。
「生天目さんはどうですか?」
「ん? ああ。まじでうまい」
「……毎日食べたいくらい、でしたっけ」
挑発的に言う氷織、追従してにやける乙音。無性に対抗心が湧いてきて、言い返したくなった。
「ああ。八咫野の料理がいちばん美味いしな」
……言った後でむず痒さが襲ってくる。熱は頭に、感覚は顔に。
「キショ」
「今のは少し鳥肌が」
「めっちゃ美味しいって言いたいだけなんだよ!!」
氷織だけでなく乙音もいるからか。この部屋に声が溢れる。居心地の良さと楽しさを、不覚にも感じている自分がいる。笑いを交わしながら、また肉野菜炒めをつつき。その度、肉汁と一緒に零れそうになる言葉を、ご飯でかき込んで飲み込んだ。
――――
まだ終わらない事件をよそに。
――――
あの少年は1週間学校に登校せず。月曜日だというのに昼過ぎにベッドから起き上がり、うつろな顔のまま1回のリビングへ。
机に置かれた置き手紙。酷く事務的でに簡潔に「美彩へ。留年はしないように。」と書かれている。その横の、ラップをかけられた朝食をレンジに入れてようやく、朝兼昼ごはんをかき込む。
石井 美彩という少年はただ、静寂の中で生を消費している。
振られたと言うにはこっぴどく、社会的に殺された人間。既にLIENはアプリを消し、学校のことなんてひとつも分からないまま。
何がいけなかったのか、何を否定されたのかも分からないまま。
――もし、なにか部品が歪んだ人がいるとして、
彼は食事を済ませると部屋に戻り、日課の勉強に取り掛かる。
無心で。時間を無視して。時計さえもゴミ箱でデタラメな時間を刻んで。
――その部品を治せない場合、間違った時間を刻むことは、その人の所為だろうか。
意味もなく医大の過去問に挑戦して惨敗して。
――それを産んだ者の所為だろうか。
棚を見回してまだ終わっていないワークを引っ張り出す。
彼は手癖でスマホを開く。勉強時間を記録するアプリで、次のワークの勉強時間を入力する。ホームボタンを押してスマホを閉じようとする。
だけのはずだった。
その刹那、異物を発見する。
彼のスマホに見慣れない文字列。見慣れないアイコン。
指先が吸い込まれる。
画面中央部にでかでかとハートのマーク。
大きく、画面上部に、
《催眠アプリ》と。




