第17話:そして私たちは
私はとても、怒っていました。ええ、とても。
催眠アプリなんてものの助けがなくてはいけない日々となってしまったこと。その非人道的なものを手にしているにもかかわらず、何故か妙な関係として構築され、彼の気弱で頼りない部分ばかりを見せられたこと。
そして、あの時、怖いほどの過呼吸を起こすほどの何かと共に生きていること。そんな彼との日々に、ついポロッと、秘密を漏らしたこと。
それが、生天目さんのあの現場を見て、一気に憤りに転化されて、自分でもよくわからなかったこと。
きっとあのアプリのせい。あのアプリさえなければ、そもそも彼と関係を共にすることもなく……こんな、初めての、変な気持ちを得ることもなかったのだろうと。
彼の顔を見る度、脳で考えるよりも腹が沸き立って、少し血管が捻れるような詰まりを感じて……。
生天目さんのあのアプリがないと、私が今私でいられる、水泳ができなくなってしまう。それは分かっています。今のままではいけないと分かりながらも、私は……。
「……ぁ」
夢、だったのでしょうか。それとも……。睡眠によって、今まで考えていたことが全て、整理されたのでしょうか。寝る前はぐるぐるしていた頭が冴えています。
そして、ようやく焦点が天井に合い電球の種類が自室のものと違うことに気づきます。
……どこ? 昨日は外出した記憶が無い。ということは私が意識を失っている間に誰かが私を連れ出した……いや。
灯里?
「……んあ。起きたか」
ベッドの横から、今1番聞きたくない声が。驚いて壁際に仰け反ってしまう……。も、目に入ったのは――簀巻き状態の生天目さんでした。
「な、生天目……さん? 何がどういう状況ですか」
「昨日灯里がこうしてったんだよ。安心しろ。俺にはお前に危害を加えるつもりはない。スマホはキッチンにある」
真剣な眼差しでこちらを見据えるのに、なかなかどうして、簀巻き状態はシュールに、しかも似合っているのでしょう。
この状況に、頭は回る。なぜ? 灯里が? 簀巻き? ほんとに信用できる? というか簀巻き? そしてなんでそんなに似合っているんですか!
「あ、その、俺はお前と話がしたいだけなんだ。もしお前にもそのつもりがあるなら、この布団と紐を解いてくれないか」
少し申し訳なさそうに言うので、思わず笑ってしまうところでした。
もうすっかり、毒気を抜かれてしまったと、灯里と生天目さんには敵わないと、私は1本1本縄を解きました。
――――
俺はもう、身体中バッキバキだった。寝室から出るのも一苦労。ASIMOの歩行と大差ないくらい。ところでASIMOが製造終了して8年経つって嘘ですよね?
「生天目さん、その、本当に大丈夫ですか。動く度ギシギシ言ってますけど」
「……今日また寝る頃には、大丈夫になってるはず」
呆れため息をしてから、氷織はリビングまで俺を導き、そして座って直る。俺も数十秒かけて座り、正座する。
「それで、生天目さん」
「あっ、ハイ」
氷織の声色はとても冷たく感じられる。静かで、凛としているのが、すごく刃物のようで。一瞬ビクッとしてしまったが、そうだ。まずは俺のしでかしたことを謝らないといけない。
仲直りの第1歩は男が謝るところからって乙音も言ってたし。
「ほんとーにごめん!」
「誠に申し訳ございませんでした」
「……」
「……」
「「え?」」
「いやいや俺が一番最初に謝るべきだろ第1俺の行動が引き起こしたんだし! 禁忌破ってんのはこっちなんだから俺が謝るわ!!」
「いえ、その、この数日間の私の対応が不出来で、話を聞くこともせず突っ走ってしまったので!! 先ず謝らないと謝るタイミングが……!!」
互いに顔を見合せて、互いの意固地に笑ってしまう。
「灯里があなたを簀巻きにしてまで協力するんです。何か、事情があるんですよね?」
そう言って、いつも通り微笑む氷織。数日分しか経っていないはずが、久しぶりで落ち着くものになっていた。一瞬胸の辺りが騒ぐくらいに。……落ち着くのに騒ぐってなんだよと思いながら、俺はなるべく誤解を……そう、灯里のように誤解を与えないように。
「かくかくしかじかで、そしたら乙音が服を急に脱ぎ始めて」
「……(汚物を見る目)」
「だから誤解なんだって!!!」
**
「……一点だけ理解に苦しむところがありますが、概ね理解しました。私の早とちり、いえ、未遂なのでギリ執行猶予と言ったあたりでしょうか」
検察官より冷酷に解釈し、そこら辺の女王よりも口角を緩く上げ、能面の小面よりも笑わない眉で淡々と抑揚をつける氷織。
「だからマジで違うんだって」
「皆そう言うんですよ。乙音さんのせいにして擦り付けるなど」
「あのぉ! 違うんですぅ!」
もはや俺は泣く勢いで同じ言葉を繰り返すしかできなくなっていた。その顔を見て、氷織はクスッと笑い、表情を緩めた。
昨日は灯里のうどん。今日は氷織の朝食にそうめん。なんて、とてもじゃないが贅沢すぎる。貰うばかりではいけない。そうだ! 俺だって同じく人間! 料理ぐらい行けるのでは!? うん、できるだろ!
そう思い立ってスクッと立つ。も、直後脳裏に、手馴れた様子でイカを捌く氷織の、一周まわって恐ろしい動作を思い出す。同じく人間なんて言い出したバカは誰ですか。俺ですわ。
「どうしたんですか生天目さん。待ちきれませんでしたか?」
「あ、いや、その……た、たまには俺が飯を作るってみるかなって」
「……寝言は寝て言ってください」
「辛辣ッ!」
しばらくして、目玉焼きと味噌汁が出される。まじで美味そう。目玉焼きとかいう、ただ卵を焼いただけのものをどうしてこうも、焼き目をつけて美味しそうにできるのだろうか。ふちが良い茶色で、裏面の焼き目具合が完璧なことがわかる。
「すみません。冷蔵庫の中にものが少なくて。冷食をここで使うと癪に触りそうだったので、とりあえずあったもので。パックご飯も切れていたので、後で買いに行ってきますね」
「……何から何まで申し訳ないな」
「そういうくらいなら、買い出しくらい自分でやってみては」
返答の度にぐうの音も出ない正論ばかりが展開されて、なーにも言えないZE。
つい先日、裏切られたと思わせてしまったが、今度は愛想をつかされるターンが来かねない。次から頑張ります……ます。
共に手を合わせ。 氷織と「いただきます」と言う。
もともとこうやって作ってもらうのは毎日ではなかったとはいえ、あんな心情でずっといたことの穴は大きかったらしい。食事なんて同じような商品の連続と思っていたのに、氷織の料理手順まで見ているせいか、しかも冷食と同じ料理名ですら全く別物に見えてくる。
ソースをかけてから、俺は箸で目玉焼きにかぶりつく。案の定裏面がパリッという音を立てる。しかも垂れたソースが裏面の凹凸でよく絡み、なかなか旨い。
「やっぱうめえわ。氷お……氷織?」
感謝を伝えようと彼女の方を見ただけなのに、氷織はぽかんと、それはもうポカァンとしていた。信じられない物を見るような、異文化を初めて見たような、理解しがたい事象に囚われるような。
「ど、どうした」
「いえ、その。目玉焼きにソースというのは、初めて見ましたので」
「……ソース以外ないだろ。そういう氷織は何かけたんだよ」
「塩とオリーブオイルを」
「Iッッッッtalian!?」
醤油や塩コショウなら想定していた。スパイス系も想定していた。焼き肉のたれとか、TKGの定番までならギリリアクション圏内。しかし、olive oil!? 初耳だが?!
「……さすがに理解の範疇を越えたな」
「……戦争、ですか」
「醤油と塩コショウはともかくオリーブオイルが壇上に上がった瞬間は一瞬たりともねえよ」
互いに一歩も引けないまなざしでたがいをにらみつけ、しかし律儀に味噌汁も目玉焼きと交互に食す。
なぜだ。なぜ仲直りした直後に派閥争いをはじめている。
「今度、オリーブオイルと塩のおいしさを思い知らせてやります」
「こっちだって、両面焼きにしてソースだくだくのやつ食わせてやるからな……」
なぜ。日曜日の朝食の席から、なぜか収まりのつかない変な喧嘩で一日を始めようとしているのだろうか。
と、俺のスマホがキッチンの隅で鳴る。敵意を無くしているという主張のために置いたままにしていたあのスマホ。確認すれば、乙音からの怒りのメッセージだった。それも、昨日灯里が来たあたりから数通のメッセが。
『何勝手に切ってんすか!』
『未読無視か!』
そして怒りのスタンプ。今朝のメッセージは……あ。卓プリのよく分からないスタンプ。……キャラが何やら「滅びよ」って言ってる。なにこれ。スポーツ漫画だよね?
「どうかしたんですか?」
「あーいや。乙音からのスタンプ。昨日通話してたんだよ。その、お前とどうやったら話できるかなって。考えて」
「……」
すると氷織はめっちゃこっちを見てくる。すごく。
「な、なんだよ」
「いえ。今回の一件、やはり行動が、なんだか生天目さんらしくないなと」
いつも通り酷いんだよね氷織サン。
そして、「そんな事より!」と氷織がこちらに詰め寄ってくる。
「榎本さんとは連絡先交換しているんですか?」
「ま、まあ。流れで」
「……いです」
「え? なんて?」
顔を伏せった氷織が、スマホを向けて来る。
「先に連絡先を交換するのはずるいです! 私ともしてください!」
「What?!」
**
交換した。
「では、早く榎本さんの連絡先をください」
「それが狙いかお前」




