第16話:ゆーあーちきん
『本当にどうするんすか!!!』
「俺が聞きたいわ!!!」
午後6時を回った頃、自分の部屋で繋いだ電話にて、互いに叫ぶ。
『いや、普通そこまで嫌われますぅ!? 天女のような氷織様にそこまで嫌われるって相当っすよ!?』
「ああもう知るか知るか! 嫌われるのはパッシブスキルなんだよ常時発動なんだよ!!」
『開き直ってんじゃねえよこの陰キャ先輩!』
ツッコミのテンションを保ってはいるものの、乙音は強く言う。乙音の口調がもはや敬意のないものになってきてるんだが。
『でも、氷織様がこんなに嫌悪を長続きさせることなんて……』
電話口の向こうで口をすぼめるように籠る声。
『氷織様が、あの状況を勘違いしたままでいるはずないっす。ちゃんと見れば、ボクに催眠をかけて、服を脱がせて……』
電話口の向こうで乙音が考え込む。乙音が挙げた羅列から導かれる結論は……あれ。
『性犯罪者じゃないっすかきっも!』
「いやまず脱ぐなよ」
あの状況を性犯罪たらしめる……いや全然誤解だが、それは催眠状態でリラックスした乙音がなんか脱ぎ始めたことだ。乙音のせいじゃねえかと思うのは簡単だが、しかし無意識下の行動を咎めるというのもお門違い……。やっぱり俺が催眠をかけたことに帰着すんだなぁ。
『まあともかく。あんなに嫌うってことは、裏切られたって思ってるってことっすよ。多分』
急に真剣味を孕んだ声色。テンション感が掴めないながらも、急に耳に染み込む。
――裏切られたって思ってる。
つまりその前までには信頼されていたということで……。
「なんで信頼ってなるんだよ。おかしいだろ」
『知らねーっすよ。でもそうなるでしょ。そうでもないとこんな嫌われ方しないっす。この世の一番の罪は裏切りっすよ』
そう言われて、ようやく胸の奥に言葉がのしかかる。
「……そっか。俺、そうなってたのか」
今まで経験がなくて、すぐには腹に落ちなかった。しかし、次第に頭が澄んでくる。
「ありがとな。乙音」
『……おお』
「なぜそんな引きそうな声色なんだよ」
『ひねくれ野郎が素直だと気持ち悪いって本当なんすね』
人の感謝を……こいつは……。
『そんな、「題:闇の中で」みたいなポエム書いてそうな先輩でもストレートな言葉吐けるんすね』
「やめろ!! それは黒歴史だ!!!」
『まあ、それに気付ければあとは大丈夫だと思うんで。ボクは予習やるんで。男の精神介護は乙女ゲーだけで充分すよ』
あくびをかみ殺さんとする乙音の声に、また小さく感謝をつぶやく。しかし、頭に一つ疑問が浮かぶ。
「そういや、あんとき……なんで八咫野が胸を揉みしだいてたんだよ。意味不なんだが。」
『ああー……。あれはっすね? 電話を切って振り返った時、その、揺れるボクの胸を見て、なんかまじまじと見られて、そのままの流れで……』
「女子怖」
思わず後退りしてしまう女子社会。と思ったけど、修学旅行で男子だけの部屋だと局部を見せ合うらしいし、女子も意外とそういうもんなんだろうか。……俺はトイレ徹夜で乗り切ったから知らないけど。
『そんじゃ、また仲直り作戦決行っすよ!』
「おー」
張り切って明日に臨んだはずだった。
**
そんなこんなで、翌日放課後。
「俺、めっちゃ努力、した。以上。」
『……』
帰宅し、また乙音と通話を繋げていた。乙音からは呆れた声しか聞こえてこない。
「いや、声かけようとしたんだぞ。でもいつ何時も誰かがあいつのそばにいて、放課後になったらどこにもいなかったんだよ」
『昨日あんなこと言っといてなんですけど、またGame Over味が濃厚豚骨豚無敵っす』
「マジかぁ」
どーしよ。なんかずっとこれ言ってる気がすんな。
『ってか、部活の方は行ったんすか?』
「……なんか居なかった」
そこまで、俺の必要を排斥したいのか。会いたいのに。今までもらったもんを還せてないのに。申し訳なさってやつが、まだ自分にも残っていたのか。もうすぐ7時。それに気づいたせいか、腹がなってしまう。
そういえば冷食の買いだめがちょうど少なくなってきたところだった。
……烏滸がましくも、脳裏にあの日食べた繊細な和食が浮かんでしまう。もう舌が出汁を欲している。
――その時、チャイムがなる。何も頼んでないのに。
「わりい。ちょっと見てくる」
と、スマホを持ちながらドアの覗き口を覗く。
そこには、八咫野の姿があった。
「……は?」
『先輩? どうしたんすか』
「わりい。切る」
『え? へ!?』
トゥルンと軽快な音ともに乙音の声は消える。そして俺はもう一度ドアの覗き穴を覗く。やはり八咫野の姿。しかし、所在なさげに居る様子はどことなく気が強そうで。そして、髪をうしろでまとめている。
直感的に理解する。
「……灯里?」
なぜ、という問いが頭をめぐるより早く、脳裏に後ろめたさが起こる。俺はドアノブに手を掛けることもできず、目の前の光景に動けないでいる。
行動を決めかねていると扉の向こうからこもった声がかすかに聞こえる。
「……あれ。おかしいな。いると思ったんだけどな。しょーがないか」
しょうがない……って、もしかして。と気づいたときにはもう遅く、鍵穴に鍵が刺さる音。くぐもったはずの音が妙に鮮明に聞こえて、次の瞬間にはドアを開く灯里と目が合っていた。
「おいこら賢治。いたんなら早く出なさいよ。レディー待たせんな」
あきれ顔でねめつけてくる。しかしとげとげしさは感じられず、いたっていつも通りの様子の灯里。俺は何か言葉を発するよりも、彼女が近くにいることに安心を覚えてしまう。
「なによじっと見つめて。きもいんだけど」
「……なんで来たんだよ」
自分でも無理やりだとは思うが、話をそらす。それを聞くや否や、急に顔を近づけた彼女が詰り始める。
「決まってるでしょ! なんか入れ替わりしないなーって思ったら、なんでアンタらそんなに喧嘩してんのよ! あの子があんなに怒ってるとこ初めて見たわ!」
「……悪かった」
「あんたねえ! って……。」
灯里は俺の顔をしっかり見る。眉間に寄った彼女のしわはおもむろに緩み、そして眉を下げる。
「とりあえず何か食べましょ。どうせあんた、何も食べてないでしょ」
いつにも増して、声色は凪いでいた。
**
やがてリビングの机には、丼一杯のうどん。ただの市販のつゆではなく、白出汁が加えられている。そして規定時間ゆでられた麺と、その間に作られた細切れの鶏肉とネギ。氷織が買ってくれたものの自分では手が付けられなくて賞味期限の心配まで湧いてきた材料たち。自分の分の冷食だけを並べたこの数日間からは考えられない。
なぜか自分に血が通ったような、そんな感覚になる。それは湯気を立ち上らせるうどんの所為だろうか。
「ほら、手合わせないと。食べさせないわよ」
「あ、ああ。いただきます」
よろしい、と言いつつ、灯里も短くいただきますを言う。そしてうどんを四本ほど箸で取り、一気にすする。俺は鶏肉を箸でつまんで口に運ぶ。味付けは薄い。しかしつゆに効いた塩気と、久しぶりの手料理という事実が、味覚を鋭敏にする。
優しい、味だった。続いてうどんをすする。やっぱり同じく塩味と出汁の利いたつゆ同じつゆの味。
優しくて、優しくて。短時間なのに絶対に雑じゃないうどん。目の前で、何も聞かずにうどんをすする灯里の姿勢そのものの、静かなうどん。
もう一本とうどんをすする。しかし、今度はもっとしょっぱかった。それに気づいてから視界がぼやける。
「ちょ、なによ! 泣いてんの?!」
「うまい。うまいよ、灯里」
「いやそんな反応されても困るって……」
俺だって、なんでこんなに泣いてるのかわからない。だからせめてもの感謝しか言えない。それと、そうか。言わなければいけないんだ。俺の罪を。
「……氷織が、なんで俺を避けてるのか、だよな」
「すぐには言わなくていいけど」
「いや、言わせてくれ。……おれは数日前、榎本乙音って女子に催眠をかけているところを見られたんだ」
「……」
「あれ。灯里?」
うどんをすする彼女の顔はすでに眉を顰めた、怪訝な顔だった。
「心配して損したって、言っていい?」
「いや、違うんだ! ただその直後あいつが脱ぎだしただけで……あれ」
「帰るわ」
「待って」
**
「石井の後でそんな風になってたとはねぇ」
「マジで面目ない。全ての選択をミスった」
幾度と誤解を招き、そのたび訂正してを繰り返して、もう8時になっていた。洗い物はもちろん俺がやった。せめてもの償いだ。
「でも、ありがとね。わたしを守ろうとしてくれたんでしょ」
「……石井の時然り、墓穴だらけだけどな」
「言ったでしょ。守ろうとしてくれたことが嬉しいんだから。あたしの言葉、否定しないでよ」
灯里は、やはり穏やかで居る。出会ったときや石井と対峙した時のような荒々しさは薄く、それが姉御のような頼もしさで凛としている。
「まあでも、あの子がこんな聞かん坊なんてねえ。ちょっと面白いけど」
「笑い事じゃねえんだが。謝ることすらできねえんだよ」
「でも、あの子の身体はここにあるわよ。とじこめればいいじゃない。」
そういって、自分の胸元に手を当てる灯里。しかし。
「……事案か何かか?」
「事案ね。ダメか。もういっちょ催眠かけてみる?」
名案だと思いつつやってみるもうまくいかず、彼女の額が赤くなっただけだった。
「もしや催眠耐性ってやつ?」
「よりによって……たしかに効きづらそうな芯だけども」
「芯があるって面倒くさいわね」
万策尽きただろうか。うーんと唸る彼女。そのまま部屋中を練り歩くさまは我が物顔。しかしこの部屋になじんでいるといえばそうである。
そしてその動きをぴたりとやめ、仏頂面のまま彼女が口を開く。
「あんた、氷織のこと好き?」
「……好き、なのかは知らん。けど、このまま話せないのは、絶対にいやだ」
決意を、彼女に伝える。表に出ない彼女にも届いてほしくて。
「あ、いや、そうじゃなくて」
「は?」
は?
「あの子のお人好しなところを利用するけど、心痛まない?大丈夫?って言いたかっただけなんだけど」
「は?」
え?
「えーと。なんだ。つまり、案があるのか。あいつと話をするための案が」
「ええ。もちろん」
変わらぬ顔で言い放つ灯里。罪悪感を微塵も感じなさそうで俺を道具としてみるような。あれ。なんか背筋にすげえ怖気。うどんを食って体が温まったはずなのに。鳥肌が……。
うどんを作った灯里と同一人物だろうか。次はお前が鶏肉だと言わんばかりの目で俺を見、同時に恐ろしい笑み。
「お、おい。何をする気だ?」
「発想の逆転よ。あの子に何かするんじゃ話を聞かないでしょう? だから、ね?」
「ね? じゃねえよ! 怖い!」
「大丈夫大丈夫。死にはしないから。……失敗しなければ」
「は!? 大丈夫なんだよな! 大丈夫だよね?!」
もう彼女は何も答えず、じりじりと俺を追いつめていき、やがて隅に到達する。
終わった。俺は体をただ縮めて、彼女の笑みを見ることしかできなかった。




