第15話:仲良し大作戦ってやつ
翌日、昼休みのチャイムが鳴る。今日は木曜日のため、今日と明日で八咫野の誤解を……いやあんまり否定できないから、とりあえず話をするぞ!
チャイムが終わるや否や俺は八咫野の元へ行こうと席を立つ。
「あ、八咫……」
と話しかけるよりも早く彼女は席を立ち、後方の俺に意識を向けないように友達の所へ行く。そして少し話した後お弁当を持って、数名を連れて出ていってしまった。
……あ。これ、完全に終わったヤツだ。こいつ、俺が女子と話せないのをわかってて壁作ってきたな。
「……めし、食うか」
ポリプロピレンの袋に入った焼きそばパンを貪り始める。いつも通り紅しょうがの匂いが鼻を抜ける。味は思いのほか雑。コンビニのパンなどそんなものだが。
食べ進めるうちにはみ出た焼きそばを先に食いながら、昨日のことを思い出す。
昨日は榎本の詮索を受け、灯里の存在を隠し通そうとして催眠アプリを使った。薄い本ならこのアプリを別の目的で使うのだろうが。
だが、氷織にも釘を刺され、灯里と氷織との関わりを作ることが出来たこのアプリを、下劣な目的で使うのは違う。本当はこれ以上使わずに学校生活を送りたかった。俺が薄い本の主人公なら、もっと思い切って欲に正直になれたのか……って、現実でやったら犯罪だろうが。
しかし、催眠アプリを榎本乙音に使ってしまった。いくら口封じに使ったとはいえ、他人に使うという禁忌を犯した。その状況でリラックスした乙音が脱ぎ始めたことで、最悪のタイミングで現れた氷織はその状況を勘違いし、俺を軽蔑した。
……うーん。あれ。だいたい榎本のせいじゃね? 正当化のつもりは全くないが。あの場面で彼女が盗み聞きしていなければ、教室で詮索されなければ、催眠中リラックスして脱がなければ……。
「でも、使っちまった時点で、俺はもう終わってるか」
こんなアプリを、使ってしまった時点で人でなし。
こんなに、偶然に頼って初めて出来た、暖かな陽だまりの場所。それを諦めなきゃならない。
人間関係というものを半ば諦めていた俺が、誰か――あいつの為にと飛び出すくらいに、自分の中でたしかに一部分となっていたのに。
焼きそばパンを食べ終わり、次にシナモンロールをとりだす。そいつを口元に持っていけば、もったりとした砂糖と強いシナモンの香りが口内でデザートを演出する……。
少し賑やかしい教室……だったはずが。しかし俺は、その感覚に気を取られて廊下をガンダッシュする音に気付かなかった。
「せんぱーい! 可愛い後輩が来たっすよ〜!」
「ゴッフォ!?」
突然来訪した榎本の衝撃でシナモンロールが喉に詰まった。甘ったるいシナモンロールが喉奥の水分を奪う。地獄みたいな感覚。
……ってかなんでこいつがここに!?
しかしこいつは全く悪びれることも無くあっけらかんと続ける。
「あれ。なんで先輩そんなに苦しそうなんです? ボクの美貌が呼吸器を乱したっすか?」
「……!!(モゴモゴ)」
胸を叩きながら喉に詰まったことを主張する。しかし。
「は? なんすかゴリラっすか。シンプルきも」
「…………(怒)」
さっきの俺の内省を返せ。やっぱお前が元凶じゃねえかてめえも甘ったるいのを喉に詰まらせて理想を抱いて溺死しろ!
そうやって念じているうちにシナモンロールをのみこむことができた。
「……お前マジで、からかってんな?」
「やだなぁ。当たり前じゃないですか」
言ってはいけないことを言いたくなるような感情。ウザかわではなくシンプルにウザイ。どうしてくれるんだ。
……そして、いつの間にかクラスからの視線が集中していたことに気づく。クラスメイトとの交流が少なすぎる俺が、昼休みにギャルっぽい後輩と騒いでいるとなればそうなるか。
あと夏向もこっちを不思議そうな目で見てくる。
「……とりあえず榎本。1回こっから出るか」
「乙音でいいっすよ先輩。てか出るって……もしかしてお持ち帰りっすか? 先輩見境ないっすねー」
「そういう勘違いを生むからだよ! とりま出るぞ!」
見た目の割に軽い彼女を引きずって教室を出ていく。最後までクラスメイトからの妙な視線は絶えなかった。
**
昼休みにはほぼ誰も寄り付かない空き教室。乙音は少し居心地悪そうに居る。
「……どうした。なんかソワソワしてんな」
「あ、いや……ここ、HUFの会議以外で来るの初めてだなぁって」
「ここでやってんのかよ」
「表は哲学研究同好会って名前で定例会を開いてるっす。まあ氷織様の美しさはたしかに哲学的っすけどねぇ」
「ここまで狂人ばっかだと清々しいな」
「まあまあ。そんなことよりも、氷織様との仲直り作戦を始めるっすよ!」
そう言って乙音が黒板前で、あたかも教鞭をとっているような上から目線で明朗に言う。
そのノリに乗ってやろうと俺も真ん中の席に着き、小学生のように挙手をしてみる
「はい、そこの陰キャ!」
「はy……まあいいや。俺人生で仲直りってのしたことないんだけどどうやるもんなんだ」
「…………」
乙音の表情から、ノリの良い笑みが消え、落胆・哀れみ・諦めなどが入り交じった表情をする。
「おい。このノリを始めたのはお前だろうが」
「……センパイ。それはボケなんすか」
「あ、いや、漫画で見たことはあるぞ。あの、あれだろ? 河川敷の陸橋の下で殴り合うんだろ?」
必死に弁明するも、乙音の表情はさらに曇る。なぜだ。
乙音はため息ひとつ着いてから、続ける。
「氷織様を殴るつもりっすか」
「……あいつの気が済むなら、俺はいくらでも受けるぞ」
「え、殴られ前提?」
少し怪訝な声色を見せつつも彼女は調子を戻そうと続ける。
「まあ無難にLIENで、まず謝る文と、その下に直で会おうって打てば、最低限の礼儀と誠実さが見えるんで。そうしたらもうあとは勝ち確っすよ。あそこで石井から助けたボーナスポイントもあるんすから」
「おお! なら早速………………あ」
そこで俺は大事なことに気付く。
「……俺、まだあいつとLIEN交換してねえ」
「………………Game Overっす」
「マジで!?」
**
六時間目。先生が数列の途中式を板書するも、残り時間では書ききれなそうな雰囲気だった。あと数分でチャイムが鳴るって言うのに、漸化式……ってやつを解いている最中。俺にはよくわからん単元。俺はと言えば、ない頭を振り絞って考えていた。乙音から得た助言をもとに。
――いいっすか。まず、ボクが氷織様をめっちゃ足止めするっす。そんで、クラスメイトが全員いなくなってから、隣のクラスで待機している先輩が教室に来て、そんで逃げ道のないところに真正面から話をするっすよ。
これが仲直りってやつか。テンション上がるなー。
そこで、チャイムが鳴る。号令をこなし、そこでクラスメイトはいっせいに気を緩める。先生の小言も終わり、一人また一人と部活やら帰宅やらに向かっていく。
八咫野も帰宅準備をしていたのだが、そこに快活な声がする。
「すみませーん。氷お……八咫野先輩は居ますかー」
くせ毛のギャル、乙音が出てきた。人のいい氷織は準備を辞めて彼女の元へ。俺はそれを横目にトイレへ向かい、個室で機を待つ。
その間、乙音と繋がったLIEN通話から様子を伺う
『……を教えて欲しくて、八咫野先輩はすっごい勉強できるって聞いて、1度教わってみたいなーって思っていて!』
乙音の声すっげえ弾んでる。さすがHUF(Hiori Unofficial Fanclub)らしい変た……趣向が出ている。
それに氷織は少し困った顔で、しかし柔らかに対応する。
『ああ、そこは、そこに方べきの定理を用いてそこの比を求めて、そしてここの長さを求めます。あとはヘロンの公式を用いて……。はい。sを(a+b+c)/2と置き、ここの、教科書に書いてあるとおりに当てはめることで出ますよ』
あ、三角形ってそうやって出すんや。へー。……あれ。俺が1番学んでしまっている。いや、数学難しいんだもん。
『なるほどっす! あ、それと、予習した時にこの単元もよく分からなくて。確率だけなら行けるんすけど、条件付きとかループするやつだと無理なんすよねー』
『たしかに、それだと受験で狙われるレベルの話になりますね。……教室に人も少なくなって来ましたし、黒板を使ってしまいましょうか』
しばらくして、チョークが黒板をなぞる気味好い音が電話越しに伝わってくる。氷織の流れるような説明は、黒板を見ていない俺にも聞き入らせるほど。普通に受けたい授業。
『……とまあ、こんな感じで確率は求まります。1番工程の多いパターンでは余事象などで楽をするのが吉です』
『なるほどっす』
……ほへー。
『あちょっと電話が来ちゃったんで、出てもいいっすか?』
『はい。大丈夫ですよ』
と、乙音はそそくさと、教室を駆ける音。反響の仕方から廊下に出たのだろうか。そしてしばらくの後電話口からつんざくような声。
『なんで来ないんすか!!』
「ハッ。聴き入ってしまった」
『ボクがせっかく足止めしてんのに! 何のためにボクが氷織様にご教授していただいてると思ってるんすか幸せでしたよもう!』
嬉しそうで何よりだな。まあでも確かに。俺のためにしてくれているんだ。やらなくては。俺は十数分ぶりに立って、トイレを離れる。そうして、もう人の通りが少ない廊下に不安をあおられながら、自分のクラスの扉を、息を一つ吐いてから開ける。
「八咫野、ちょっと話……が……?」
と、開け放った先にいた八咫野は、乙音の胸をもんでいた。ふくよかで形のいい胸を。……は?
「……やはり榎本さんの身体はすごいですね。同じ高校生とはとても……。同性ながら驚嘆してしまいます」
「い、いやぁ。そ、それほどでも……あっ。ちょっとそこ……ッ、は……」
八咫野は状況にそぐわないほど真面目な表情で乙音の胸を揉みしだき、一方の乙音は放送禁止レベルにとろけた表情で無抵抗のまま胸を揉まれていた。それもそうだろう。崇拝する対象に体を褒められ触られるなど、おそらくこの世の何もかもを凌駕する多幸感。その空間はまさしく、百合。
俺はドアを閉めた。この空間に入ってはいけないと第六感が告げる。百合の間に挟まる男は死刑。コレ憲法。
……。
「いやなんでそうなった!」
やっぱりドアを開ける。今度ばかりは声を張ったからか二人とも俺に気付いた。
「あ、センパ……」
「……」
乙音は気まずそうな顔で、八咫野は真面目そうな顔を仏頂面へと変貌させて。それぞれ俺に視線を飛ばしてくる。
そして、乙音は何かに気付いたようにハッと口を押える。乙音は確かに、俺に対して反射的にセンパ……と言った。それを見てすべてを理解したらしき八咫野が、溜息ののちに口を開いた。
「……少し不自然だなとは思いましたが。なるほど、グルでしたか」
「あ、これは、その、事情があって」
「やっぱり、あの時生天目さんに手籠めにされようとしていた方ですか。大方、催眠でも使って、それで操作していたのでしょう? なら、議論の余地はありません」
温度を感じさせない、氷のごとき一つ一つの言葉が胸に刺さる。乙音も、催眠アプリの件を持ち出されて、否定も無意味と判断したのか。黙ってしまう。俺もその温度に凍てつかされて、足裏が床を離れない。蔑む視線だけを残して、彼女はまた去ってしまった。
確かにあの状況は最悪だった。あのとき催眠をかけたことは事実、そこに、被害者が胸のデカいギャル・服がはだけている・そして催眠アプリという非道徳的なものの代名詞。言い逃れをする方が難しい。そして催眠アプリというものを使用した時点で、それに関連している乙音はもはや信用できない。ともすれば性犯罪者にでもなってしまうような人物と思われている。
俺が一挙両得を試みて、失ったものは信頼。雨降って地固まるなんてものはまるで思い描けないこの事態で。2人して教室の真ん中で、彼女が俺に向けた感情を飲み込めなかった。
仲直りできるビジョンが、全く見えねえ。




