第14話:禁じ手
「『あかり』って、なんすか?」
ギャルはそう口にする。
「……………………あ?」
俺はただ間抜けな声を漏らすのみ。
見られていた。八咫野、いや灯里を石井から助けようとしたあのときの場面を。しかもこいつはさっき、八咫野のファンクラブに属していると言っていた。
あのYHF構成員の女子にはバレていなかっただろうが、俺と八咫野の関係性はこのアプリに起因している。そこを突かれてしまえば言い逃れはできない。
このまま、八咫野との関係性を捨てる訳にはいかない。……あれ。俺は今、なんだ? あいつとの関係性に執着した? それは一体――。
「なんでっすか」
「……は?」
「いやだから、なんでずっと黙ってんですかって。さっきからずっと訊いてんのに」
「あ……」
思考に意識が持っていかれていたか。
「すまん。聞いてなかった」
「もー。コミュニケーションは取らないとダメっすよ。それこそが陰キャを陰キャたらしめる要因なんすから」
このギャル、全方向の陰キャに対して殺意高いな。
「先輩は石井の一件、むしろあそこに飛び出していました。先輩はボクが見てたこと気づいてなかったでしょうけど」
「……っ」
ギャルは取り調べのように、感情の読めない声色で続ける。
「そして、まあ変態先輩にしては勇気ある行動で、石井に迫られる氷織様を助けた。でも問題はこの後っす」
睨まれる。
「先輩が石井と取っ組み合いして、力負けしてました。ですが先輩はそこで、『灯里、やっちまえ』と。そして氷織様が石井の股間を蹴り上げ……あれめっちゃカッコ可愛かったっすわー。もっかい見たいなー」
「おい話そらすな」
空手家のような灯里のシーンを思い出しているのだろうか。ギャルは恍惚の表情になる。
……しかし、そこまで知っているということは、本当に見られたらしい。誤魔化しは効かない。
「その後睦言みたいなん繰り広げちゃって。先輩っすよね? あの音声を広めたの。あのとき盗み見で使ったスマホのデータ、それを編集して。ご丁寧に氷織様のバチイケメンシーンは破裂音に差し替えて」
饒舌。それに対して俺は冷や汗が止まらない。
「わざわざ隠すってことは、『あかり』っていうのがそんなに大事なんすか」
全てが裏目に出て、悉くこいつに拾われる。
「……わかったよ。何が望みだ」
「お、先輩が素直になった」
「強請るってことはなんか要求があるんだろ。言えよ」
俺は両手を上げて降参のポーズをとる。ギャルは
「なら、話は早いっすね」
この狂信者集団の要求してくることといえば、どうせ八咫野への接触禁止だろう。だがそれは絶対に嫌だ。なんでかと聞かれても分からないけど、でも、せめて関係を維持しつつの落とし所を……。
「先輩、HUFに入りません?」
…………。
「は?」
俺は呆気に取られてま抜けた声を出す。本日何度目だろうか。
ギャルは続ける。
「あのとき氷織様を助けた先輩なら、色々ある魔の手からちゃんと守ってくれそうですし。何より氷織様が好きなら! 崇拝できるなら! 危害を加えなければ誰であろうと歓迎っすから」
「……嫌だ」
「なんでぇ!」
「何が悲しくて匂いフェチの集まる頭おかしいカルトに入らなきゃいけねえんだよ! 俺はそこまで落ちぶれてねえ!」
そう言うと、彼女の表情の色が変わる。
「……待ってください。匂いフェチってもしかして、YHFっすか」
「あ? ああ。ちょっと前に脅された。協力しろって。めんどいからはぐらかしたけどな」
「あの! うちらはYHFみたいな、推しに迷惑かけるような最悪民度の集団じゃないっすよ!? なんなら崇拝してるんすから! それは平和っすよ!」
「カルトじゃねえか!」
どっちもおかしいじゃねえか。
「ちぇっ。氷織様に接触しまくってる先輩から色々情報を搾り取ろうと思ってたのにな」
残念とばかりにギャルはため息混じりで言う。
「まあ、いいや。先輩、あかりについて、洗いざらい吐いてもらうっすよ」
もう逃げられない。今流れを全てギャルに持っていかれている状況で誤魔化しは通用しないだろう。逃げても高校にいる以上追い回される。灯里にチェンジするところを目の当たりにされないとも限らない。
――しょうがない。禁じ手を、使うしかない。
「もしかしてあかりって、氷織様のべ――」
彼女の目の前にスマホの催眠アプリをかざす。
ギャルは焦点の合わない目で無防備な表情を晒す。
……さすがに、なりふり構ってられない。灯里という存在を守る為にも、催眠を使ってでもこいつの記憶を消さねば。
「えーと。名前なんだっけ」
「榎本……乙音」
「なら、榎本。俺と八咫野についての出来事を全て忘れろ」
「………………はい」
やったか?
と思っていた油断したのも束の間。榎本がなぜだかカーディガンを脱ぎ始める。
「は!?!? なんでお前脱いでんだよ!?!?」
「リラックス、するとき……脱ぐ」
「なんで催眠状態でリラックスしてんだ馬鹿野郎!!」
彼女のカーディガン、そしてシャツを元に戻そうと四苦八苦するも、クソザコメンタル陰キャは女性の体に触ることすらままならない。
オドオドしながらこの状態を隠蔽しようとあくせくとしていると、途端に誰かの足音が聞こえる。
まずい。隠れなければ……!
しかし催眠状態で脱力している榎本を動かすのもできない。そして、足音はもう既にすぐ近くで……。何とかこいつを押し倒して、せめて机の影に隠れようとする。頼む。ドアよ開かないでくれ。
その祈りを嘲るように教室のドアが開く。
「生天目さん。今日は水泳部の練習が無くなったので、一緒に……」
俺はそのドアを注視してしまう。よりによって、八咫野が出てきてしまった。俺は、このギャルの衣服に手をかけている。傍らには、起動している催眠アプリ。
この構図を見て、勘違いしない人類はいるだろうか。いや、いない。
先程までいつも通りの微笑を浮かべていた氷織は、困惑の後、眉と口をきゅっと結んで、無言で歩いてくる。
氷織は俺の目の前で止まる。そして気づいた時には頬に痛みが走っていた。
「……最低です」
氷織は俺を睨む。泣きそうな目で。
「あ、いや、これにはわけが……」
何やってんだ俺。こんな状況にしておいて、後ろめたさ全開のテンプレめいた誤魔化し方をするとは。しかし催眠をかけているのは豊満な体の女子。服を乱しているおまけ付き。
氷織は絞るように言う。
「……言い訳は要りません」
そう言って颯爽と踵を返して、引き止めるまもなく行ってしまった。
「…………oh.」
氷織に、軽蔑されてしまったか。俺は傍らのスマホを手に取り、催眠アプリを見る。画面下部には「催眠:記憶消去:榎本乙音」と映されている。氷織の名は、ない。催眠アプリの条件に、【同時に二人以上の催眠はできない】とあったことを思い出す。彼女とのアクセスが切れたのだ。
とんだ愚行に走ったのだと、今思い知った。目の前ではまた榎本が服を脱ごうと手をかけている。俺はアプリの催眠を切った。
次第に榎本は手が止まり、状況を理解し始める。
「……。あれ。ボクなんで服脱いで……ああああああ! やっぱケダモノ変態先輩じゃないっすか!!」
「お前が一方的に脱いでるだけだ! 落ち着け!」
**
「……で、先輩は氷織様に嫌われたと」
「……はい」
彼女の動揺が収まり、俺は地面に正座していた。一応状況の説明が出来、催眠をかけたことに一切の下心がなかったということを理解して貰えたのだが……。
「てかお前、さっき催眠で記憶消したはずなんだが」
「知らねーっすよ。あ、でもこの前プレイしたエロゲだと、記憶消去は『状態』って扱われてました」
「状態……え。つまり催眠解いたら記憶戻るってこと?」
思いのほか使えないなこのアプリ!
「でもでも、先輩がそこまでして守りたい『あかり』、俄然気になってきたっすね〜」
「……すまん。でも本当に、これはなるべく守りたい秘密なんだよ」
「そんなに大事なんすか」
「ああ。なんでかは知らん。でも、ダメだ」
これを話したら、きっと辛うじて残ったモノさえ流れ消えるような気がした。
「……そんなにシリアスになるんなら別にいいっすけど。HUFはハッピーなカルトですし」
今こいつカルトって認めたぞ。
榎本はこちらをまっすぐ見て、ただ訪ねた。
「先輩が氷織様に嫌われたのも、まあ0.1%位はボクのせいですし。先輩はどうしたいんすか?」
「事情を話して、もっかい関係を戻す。お前も手伝ってくれ」
榎本はニヤッと笑う。
「了解っす! それじゃ、先輩の一生に一度も出会えないような国宝級美少女と仲直りするっすよ!」
「一言よけいだっつーの」
「……まあ、これを機に氷織様に近付けますし」
榎本がボソリと言ったが、内容が聞き取れない。
「なんか言ったか?」
「いいえ、なんでもないっすよ〜」
多分、俺はいかに氷織が自分にとって大きな存在であるのかを、知らなかったんだろう。そして、榎本乙音もまた、俺にとって重要な存在になることも、また。




