第9話:YHFは地理のテストに出ますからね
親友の木下 夏向が昼休みに肩を叩いてくる。
「なあ賢治、YHFって知ってるか?」
「…………は? なんだそれ」
「八咫野非公式ファンクラブ。その名の通り、八咫野 氷織についてのファンクラブだ。本人は知らないらしいけどな。というか、俺も数日前まで知らなかった」
「それがいきなりどうしたってんだ」
「お前さ、近頃八咫野さんと仲いいだろ。この前だって、倒れたおまえを心配してたんだし」
「……」
この関係は間違ってもバレて良い問題じゃない。だって、説明が面倒くさすぎるし。時間の問題な気もするけど。
「俺としてはお前のせっかくの新しいお友達を尊重したいんだが……あのファンクラブ、かなり過激らしいんだよな」
「か、過激……?」
「まあ気をつけとけよ。俺は忠告したからなー」
そう言ってそのまま彼は教室を出てしまう。そうすればもう俺に話し相手などいない。なんだか急に不安が襲ってくるな。
八咫野の方を見れば、女友達と談笑している。本当に上品というかなんというか。確かにファンクラブが出来ても可笑しくない。
じっと見続けるのもはばかられて、周りの人も見てみる。空のペットボトルを積み上げてバカやる男子、スマホを横持ちしてソシャゲをする男子、スマホを縦持ちしてダラダラと画面をスワイプする女子。あそこでもケラケラ笑う女子が……。
ん!? なんか一瞬すっごい睨まれたような。しかし直後また談笑に戻る。あの女子の名前も知らないが……。もしやと思い、もう一度顔を八咫野の方に向け、横目でさっきの女子を見る。するとやはり鬼の形相で睨まれる。
……まさか、あの女子が夏向の言ってたYHFなのか? あいつ、無駄に人気高いな。
というか俺にそんな視線を向けられても、こっちは一応脅されてなわけで、好き好んででは無いといのに。
と、俺はポケットのリップクリームを思い出す。昨日八咫野が家にいたとき彼女が落としたものだ。こんな関係であるのにLIENの交換もしてない。つまりこれは直で本人に渡さないといけない。
……YHFが見ている中で!? しかもあいつら、机に近づくだけで射殺して来そうだぞ!? こっそり机の中に入れるとしても、どこで監視されているか……。いや、さすがにそこまで犯罪まがいなことはしないか。とりあえず放課後、誰もいなくなってから机に忍ばせるか。
**
やっとの放課後……。クラスには誰もおらず、八咫野を見張るYHFとやらも居ない。一応当たりを見渡しながら彼女の机に寄って行き、一息に彼女の筆箱の中に突っ込む。これで大体大丈夫か。なんだ、YHFもそんなに怖くないじゃないか。
さて。用も済んだし、八咫野の切り替えも先に済ませてるし。明日は1時間目から体育だから、朝に切り替える必要もないし。帰るぜー。
「動くな」
背後に急な気配。喉元に構えられる金属系の定規。冷ややかに繰り出される命令。瞬時に呼吸が硬化する。この声は、朝睨んできた女子のクラスメイトか。
「お前、今八咫野さんの机に何をした」
無機質に続けられる女声。俺は咄嗟に両手を上げるしかなかった。
「俺は、八咫野さんが落としたリップクリームを届けただけだ」
「にしては筆箱を漁っていたようだが」
一段と鬼気を持つ。
「無骨に置いても気づかなかったり、さらに落としたりでホコリが付くかもだろ? 筆箱なら収まりもいいし。何より俺みたいなのが届けたと知られたくないんだ」
よし。かなり丁寧に説明できただろ。早く解放してくれ……。
「その手には乗らないぞ」
やっぱり一筋縄じゃ行かな……。
「お前も、八咫野様の筆箱の布に染み付いた匂いをhshsしたのだろう!!!」
「……………………はすはす?」
「とぼけるな!!!今やYHF内で香りのある落し物の価値は数万円に昇る。毎月が戦争なんだぞ!」
「なんの話をしてんだ!?」
YHFは八咫野非公式ファンクラブ。過激……ただの変態の集まりじゃねえか!!!!
「かく言う私も香り付きはまだ入手していないんだ。その、どんな匂いだった?」
「いや、俺嗅いでない……」
「嘘をつくな! 羨ましいぞ!!」
ええ……。もう、ここはいっその事ヘドロのような悪臭と吹聴しようか? いや、でも、うーん。ここは少し賭けに出るか。
「俺は匂いを嗅いじゃいない。だって俺は……KHFの一員だからだ!」
「な、KHFだとっ!」
「別のファンクラブのやつが八咫野さんに執着を見せるのは恥ずべき行為だ。お前もファンクラブにいるならわかるだろ?」
「……」
彼女は定規をしまう。あっぶねえ。何とかなった。
「失礼した。まさかお前が加賀美先輩非公式ファンクラブの一員だとは知らなかった。私達もそこに干渉はするまい」
「お、おう」
「お前のファン精神は尊いものだな。……あいつもこうなら良かったのに」
な、何とかなった。顔も思い出せないが、加賀美先輩、ごめんなさい。
彼女は距離を取ってから90度に礼をする。こういうところではかなり礼儀正しいらしい。いや、高校生による高校生のファンクラブがこんなに堅気の雰囲気じゃなくてたまるかってんだよ。怖いよ八咫野非公式ファンクラブ。
彼女は俺に向き直って言う。
「そうだ。お前、名はなんと言う」
「……生天目だ」
「そうか。では生天目。我々YHFの協力者になってくれないか」
きょうりょくしゃ……。
「え、嫌だ」
「何故だっ!」
彼女は尊大な口ぶりを遺憾無く崩す。顔がギャグ漫画のそれだった。
「YHFはいいぞ? 八咫野様の魅力だけでここ100年は生きられる!」
「いや、だって落し物オークションとか、窃盗罪では?」
「失敬な! 一定期間が経ったら彼女の元に戻るような極秘ルートを用いていてだな!」
「知らん! 気持ち悪い! 我々KHFはもっと健全なファンクラブを営んでいる。でないと本人に迷惑がかかるからな。」
そう口から出まかせを言えば、彼女は少したじろぐ。レスバ弱いなオイ。
彼女は「まあそれはとにかく」と咳払いで調子を整える。
「協力して欲しいのは他でもない。YHFの対抗勢力についてだ。彼らに属さない第三者として、お前には彼らを偵察兼妨害して欲しいんだ」
「……ますます嫌だ」
「何故だっ!」
YHF。こいつらだけでも収集のつかない変態集団に対抗勢力とかもう、関わりたくないにも程がある。そこ対抗勢力が警察であることを切に願う。それなら安心してあっちに与せるし。……いや、本当に警察かもしれないな。1回聞いてみるか。
「ちなみに、その対抗勢力ってのは?」
「それはHUF。氷織非公式ファンクラブ(Hiori Unofficial Fanclub)だ」
おー。なんだか頭がすっごく痛くなってきたぞ。
「HUFはファンクラブというよりも宗教に近い。我々のような熱狂派から独立した、言わばプロテスタントだ」
こんなものに当てはめられたキリストさんが泣きそうだよ。しかも、たかが1人の女子高生への態度が普通のそれじゃないって。
「……そのHUFは何がダメなんだ」
「決まっているだろう。我々の行う尊き蒐集を妨害し、写真も取らずに延々と八咫野様の魅力を語っているという、凶悪な犯罪集団だ」
「そっちの方が完全完璧健全じゃねえか」
盗撮しない、窃盗しない、金銭絡まない、過激派のYHFに苦言を呈する……なにも、おかしなところがないぞ。いや、八咫野1人対する勢力図は流石に異常だけど。
「だから生天目、協力してくれるか?」
「それはちょっと考……」
「協力しなければ、お前が八咫野様に最近寄り付いていることを集会で発表する」
「……は!?」
待て。俺が八咫野と接する回数が多いこと、バレていたのか。いや。クラスメイトなら当たり前なのか。それより、許されていることがむしろ救いなのか。
俺が少したじろぐと、彼女は軽く笑う。
「流石に冗談だ。八咫野様だって女子高生。私は別に、八咫野様に危害を加えなければなにも言うまい。ただ、協力の件は考えておいてくれ」
「お……おう。」
「ともかく頼んだぞ。私はこれよりYHFの定期集会へ行かねばならん」
「……………………おー。」
HUFに協力しようと決めた。
八咫野、お前って大変なんだな。
※hshs:ネットスラング「ハスハス」のこと。馥郁を吸引してその香りを味わう行動を指す。すごく気持ち悪い。




