末っ子という生き物 −7
デイズニーランドで大層楽しい思い出を作ったあたりから『大学に行きたい』と言い出した三男。一緒に行ったお友達の面々は中々優秀らしく概ね進学校に進むとか。みんな一緒ではないにしてもバラバラは嫌だなあ、とか思ったんだろうな。しかし、彼らが進む高校は三男にはちょっと敷居が高いのでどの道バラバラ。とはいえ大学進学を目指すなら普通科ということで、レベル的にはど真ん中くらいの公立高校を目指す事になった。
中3になって最初の三者面談では最寄りの新潟中央高校(お兄ちゃん達の通っていた高校に行く、ちょっと手前にある高校。明治33年に高等女学校として開学、平成11(1999)年から実質共学)を志望すると担任の先生に告げた所、先生は実力的には問題無いですがと前置きして言った。
「女の子ばっかりだけど、大丈夫?」
どのくらい女の子ばっかりかというと、全校で1000人ちょっとの中に男子30人ちょい。一学年に10人いるかな〜くらいだ。しかしこれを聞いての三男の返答がコレ。
「全然ダイジョーブっす。女の子ばっかりでも仲の良い男子が何人かいれば問題無いです。」
清々しい程『何も考えていません』というニコニコ笑顔で答えるのを見るに、数字から全くイメージが湧いてないらしい。
「そうじゃない。クラスに一人二人いるかいないかの男子と仲良くできるかどうかどうかって話だよ。男子が自分以外に一人しか居ないのに、気が合わなかったら悲惨じゃない?もしくは二人いて、その二人は仲良いのに自分だけ合わないとか。」
三男のお気楽発言に被せ気味に言うと、先生も心配そうに言った。
「まあ、そんな感じですかねえ。やっぱりダメだってやめちゃう男子生徒の話聞いた事ありますけど、サン君平気そう?」
そんな事言われて平気な人いるう?と思ったら、いた。
「うーん。まあ、別に平気かな。多分。それで大丈夫です。」
多分、良く考えてないだけだと思うけど。大丈夫だというので、その三者面談では「じゃあ、そういうことで」となった。
さして受験生臭が漂う事もなくあっという間に月日が過ぎて、中3の1月。最後の三者面談の日が来た。その面談で志望校を決定して、「何ならハンコも持ってきてもらってその場で書類も作っちゃいましょう」という日。
「よろしくお願いします。」
教室に入り、先生の向かいに並んだ席に三男と共に腰を下ろす。ちょっと近況などの会話を交わすと、先生がファイルから書類を取り出しながら言った。
「じゃあ、サン君は新潟工業という事で間違い無いですか?」
「はい?」
「はい」
クエスチョン付きが私だ。だって中央高校って言ってたじゃん、初耳なんですけど。そう言うと
「え?そうだっけ?」
えー。しかしここで揉めてても仕方ない。
「ハンコは持って来たんですけど、初耳なので一旦持ち帰っても良いですか?」
「ああ、良いですよ。明日でも大丈夫ですので、良く話し合って下さいね。」
その夜は軽くお説教。
中央高校と決めてからも、「やっぱり海洋がいいんじゃない?」とか「その辺の大学出た所でAIに仕事取られて無いぞ。これからはブルーリッチ!肉体労働だ」とか「ボイラー技師カッコイイ」とか、周りの大人に言われ続けていた。私も言った。だって勉強しないし。
「言われて、色々考えたら工業がいいかなあって。」
と言う三男に「まあ、工業はいいと思うよ。」と夫。夫は工業高校の土木を出ているので割と工業推しだった。私的には海洋高校の方が面白そうでオススメだったのだが、寮生活はどうしても嫌だと言うし。
寮が嫌といえば、実は長男の高校受験の時に私は長岡高専(長岡工業高等専門学校。新潟県長岡市にある国立の工業高等専門学校。5年制)を推していた。受験日が公立高校より早くて予行演習にもなるし、オープンスクールにも次男三男と次男と同年の甥っ子も連れて行ってみて、とても面白かった。そして通えないので当然寮。
私は子供の頃早く実家から出たかったし、短大で親元を離れた時期は凄く楽しかったので自分の子どもも当然そうだと思って「寮最高ー。寮だから一人暮らし程じゃないけど、ルールだけ守れば自由じゃん。親のお金で自由、最高!」と猛プッシュしたが、「寮はちょっと」と長男は合格した高専に行かなかった。絶対楽しいのに。
まあ、工業がいいなら別にそれで良い。という事で纏まり、周りの大人には『という事は、大学進学は諦めて高校卒業したら就職するのね』という共通認識が形成された。




