40.偽りの幸せ
ロウナ王国の城下町にある、ごく普通の民家。
そのリビングで、魔王は湯気の立つコーヒーを静かに口へ運んでいた。
足音が近づく。 魔王はそちらへ顔を向ける。
魔王「おはよう、ナギ」
ナギ「おはよう。アイカ君」
ナギは柔らかく微笑んだ。
魔王(……今日もかわいい)
ナギの記憶は書き換えられている。
少女の中で“アイカ”の姿は、完全に魔王へと置き換わっていた。
ナギ「最近、早起きしてるんだ。えらいよ」
魔王「……前のおれは早起きしないのか?」
ナギ「うん。一日中布団から出ない日もあったよ」
魔王「そ、そうか……」
ナギはテーブルの上のサンドイッチとコーンスープを見つめた。
ナギ「朝食、作ってくれたんだね。ありがとう」
ナギは少し首を傾げる。
魔王「……どうした?」
ナギ「アイカ君って、料理できたんだ」
魔王「……ああ。練習したんだ」
ナギ「えらい」
ナギは魔王の向かいに腰を下ろし、サンドイッチを一口かじった。
ナギ「おいしい」
魔王は嬉しそうに目を細める。
ナギはスープをすくいながら、ふと顔を上げた。
ナギ「ねぇ、今日は何するの?」
魔王「そうだな……町の復興を手伝おうと思ってる」
ナギ「……え?」
魔王「どうした?」
ナギ「びっくりしちゃった。アイカ君が肉体労働するなんて」
魔王「どういうことだ?」
ナギ「だってアイカ君、“働きたくない”ってよく言ってたじゃん」
魔王「……」
魔王は一瞬だけ固まり、すぐに話題を変えるように口を開いた。
魔王「ナギは?」
ナギ「食料が少なくなってきたから、買い物に行こうかな。 ……でも、お金あんまりないし」
魔王はポケットに手を入れ、札束を無造作に取り出して机に置いた。
魔王「これ、使えばいい。好きなだけ」
ナギの手が止まる。
ナギが震え始める。
その視線が、魔王の顔をまっすぐ射抜いた。
魔王「……どうした?」
ナギ「アイカ君。悪いことしてないよね」
魔王「え?」
ナギ「だって……アイカ君がお金持ってるなんて、違和感しかなくて」
魔王「……」
ナギ「アイカ君って、あとさき考えずに全部使っちゃうタイプじゃん。 だから、びっくりしただけ。……成長したんだね」
魔王「ああ……成長したんだよ」
魔王は笑いながらも、こめかみに冷や汗を伝わせた。
二人は幸せそうに朝食を終え、それぞれの用事へ向かう準備を始めた。
玄関で靴を履きながら、ナギが振り返る。
ナギ「行ってきます!」
魔王「気をつけてな」
二人はまるで本物の恋人のように、自然に笑い合った。
ナギは軽い足取りで家を出ていく。
扉が閉まった瞬間、魔王の胸にじんわりと温かいものが広がった。
魔王(私は今、しあわせだ)
魔王(なんて、しあわせなんだ)
魔王(これが……私が何十年も求め続けたものなのか)
魔王の心は満たされていた。
支配でも恐怖でもなく、愛されるという錯覚が、彼を酔わせていた。
魔王「それにしても……勇者アイカに成り代わって数日だが」
魔王は苦笑する。
魔王「あいつ、ずいぶんダメ人間だったんだな」
怠惰、無計画、金遣いの荒さ。
ナギの言葉から知る“アイカ像”は、魔王の想像よりはるかにダメダメ人間だった。
魔王「ナギは、アイカのどこがいいんだか?」
魔王「おい、メイメイ」
壁から霊体がひょいと通り抜けた、メイメイが姿を現す。
メイメイ「……はい」
魔王「エルフの国に行くぞ」
メイメイ「なぜですか」
魔王「今日は、エルフの族長の記憶を操作して魔族と友好的に変える」
メイメイは一瞬だけ目を伏せ、すぐに従うように頷いた。
メイメイ「……はい」
魔王は指を鳴らす。
パンッ。
瞬間移動の力が発動し、魔王とメイメイの姿はその場から掻き消えた。
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