二十六章 同志、亡国の兆しを考える
「同志よ、先の話について考えを聞きたい。」
姫の言う先の話とは、亡国の兆しに、どのようなものがあるか、というものである。
同志は答える。
上下の別が曖昧になること。
自然に反する行いが増え、君子が民から軽んじられること。
あるいは、敵味方の別が入り乱れるようになれば、その国の先は短いと、同志は言う。
「同志よ、よく書を読んでいることが分かる。
では、上下の別を説いた者が、何ゆえそう考えるようになったか。
書には何と書いてあるか。」
「姫よ、かの人は大金持ちになる見込みがなかったため、好きな学問を修め、上下の別を説いた。」
「同志よ、よきかな。
先ほどよりも、人が見える答えである。
他にはどう書いてあったか。」
同志は答える。
かの人は、親が亡くなり、その生きてきた道に思いを馳せるとき、真の心が現れると書いていること。
きっと、かの人自身が親を亡くしたとき、涙したであろうこと。
そして、悲しみから晴れたとき、この気持ちを万人が持てば、世はよく治まると考えたであろうと、同志は言う。
「同志よ、親は健在か。」
同志は答える。
かの人の気持ちがよく分かったこと。
自分は親に対し、未だに恩返しできていないことを恥じて、親がいつか亡くなることを考えないようにしていたこと。
しかし、これは我欲にとらわれた考えであること。
父は日々、田畑に向き合い、天に感謝し、生きていること。
母は、そのような父を手伝い、隣近所に住む人々の世話もしていること。
よって、父と母を悪く言う人は知らないこと。
自分は自分から離れて、父と母を想ったこと。
今の気持ちは言葉にできないと、同志は言う。
「同志よ、よきかなよきかな。」
姫は続ける。
自分は、同志の真の心に出会えて何よりであること。
自分も亡国の兆しについて、答えること。
同志の言葉を借りるなら、真の心が見失われることをもって、亡国の兆しとすること。
思っていることを言わず、言っていることをやらず、やっていることを見ず、見ていることに何も思わない、これこそが亡国の四つの兆しであること。
自分はその逆である、思っていることを言い、言っていることをやり、やっていることを見て、見ていることに何か感じることのできる関係を、仲間と築きたいと、姫は言う。
「同志よ、真の心が出会う場を、ともに作ってはくれぬか。」
「姫よ、私は地獄の底まで、そなたについていく所存である。」
ふと、長が微笑んでいるような柔らかい風を、姫は感じるのであった。




