【N】 店内騒然
折角の和やかなティータイムに終止符を打ったのは、泣く子も黙る騎士団長様――なんて言うと大いに語弊がありそうだけど、彼が騒動の種(文字のとおり)を持ち込んだのは事実だった。忌々しげに吐かれた“誰か”の存在を示唆する呟きに、故意とは思わなくとも――何もこんな時に、こんな場所でなくたって。
どう見ても無害とは思えない、本来あるべき姿とは明らかに異なる植物の蔓。
ジェイドが不意を突かれたことも中々に衝撃的だったが、その次にすぐさまステラの顔が浮かんだのは彼女の人徳、という事にしておいてほしい。店に被害を与えるのもそうだし、不運にもこの場に居合わせてしまった知り合いの子供達に万一があったら、ただでは済まないだろう。きっと、相手がステラではなくとも。だからこそジェイドの切羽詰まった一声は鋭く響いた。
子供達はさすがに浮足立っているものの、ジェイドを案じながら飛び込むという無鉄砲には到らない。聡明そうな子達だ、きちんと自らの力量を弁えているのだろう。あるいは信頼か。
「裏口から逃げるよ」
カウンターから前に出て、植物の本体と二人の間に立って。危険物から目を逸らさないまま、腕と指の動きで後ろを示す。
「でも、ジェイドが……!」
「ディレナ! 大丈夫だよ、ジェイドはこの国で一番強いんだ。あんなのにやられるわけない!」
今にも泣き出しそうなディレナを励ますように、リオンがその手をしっかりと握りしめている。――ああ本当に、仲の良い兄妹だ、なんて緊迫した場にはそぐわない感想を抱きながら、「先に行って」と促す。こくんと気丈に頷く男の子の顔が横目に映る。
カウンターの中まで戻れば、包丁なりナイフなり武器になりそうなものはあるけれど――もしくは。靴の底を、ぐっと踏みしめた。木の床がやけに固く感じられる。
後ろへ下がる二人に合わせて植物との距離を取りながら、しかし見込みの甘さを思い知らされるのも程無くして。
「いや……っ!」
「ディレナ、僕の後ろに!」
息を詰めた少女の悲鳴と、重なる少年の声。ついでに、俺が内心で舌打ちしたのもこのタイミング。
振り返らずとも状況は概ね把握した。ジェイドに巻き付いていたのとは別の蔓が、壁を這うように伸びていた。人が走るよりもずっと早い、気味が悪いくらいのスピードで。知能でも備わっているのかというほど的確に、裏口へと先回りして出口の扉を覆ってしまう。こうなっては、そこからの脱出は不可能だろう。
二人の元へと駆け寄るけれど、退路が塞がれたのは悪条件以外の何物でもない。
碌に武器も調達できず、じりじりと後退させられる先は厨房の中だった。追い込まれているのが嫌でも分かる。
火で焼けば何とかなるかもしれないけど――そんな事したら、この場は無事で済んでも後でステラに殺されかねないな。自らの保身と双子を守れるギリギリの瀬戸際を見極めようと、この窮地に思考をフル回転させている。
自ずと、口角が上がっていた。それは何に対してか。恐怖か自棄か虚勢、あるいは鼓舞の一種?
「そこ、窓があるでしょ。俺が引きつけとくから、そこから逃げな。……まだ駄目だよ? 気付かれたらまた塞がれちゃうから」
妹を守ろうと気を張る少年、その後ろに庇われたか弱い少女。
好き勝手に暴れる蔦が食器や調味料の瓶を薙ぎ倒して、其処彼処で物の壊れる音が鳴っている。
こんな状況で柔らかく、とはいかないけれど強がって笑うのには慣れていた。
「大丈夫だよ。俺、こう見えても強いから。……さすがに団長には敵いそうにないけどね?」
はったりだけなら得意中の得意。不安を隠しきれていない二人へと一瞬、余裕とは言えないまでもその表情を向け、その後に侵略者へと再び視線をくれる。追い込まれたのが厨房だったのは幸いなのか。足元のシンク下に収納されていたキッチンナイフを取り出して手にすれば、子供達を背にして大きめに一歩を取った。守れとまでは言われていないが、逃がせというのはそういう事だろう。
狙いどおり、手近になった俺を次の標的と捉えたか、しゅるしゅると音を立てて緑の触手が伸びる。瞬き出来るような隙はない。目を見開いたまま、思い切って距離を詰める――手を伸ばしている間は、懐の方が留守になるものだ。躊躇わずざくりと斬り付ければ、日頃から品質に拘るステラのお陰だろう、思ったより手応えも切れ味も良く、損傷した蔦はまるで痛覚によって悶えているようにも見えた。無軌道に暴れて、周辺に響く破壊音が悲鳴のようだ。
敵を退けるために必要な事とはいえ……あまり壊されるわけにもいかないんだけど。何しろ俺は、この不気味なモンスター植物よりも、黙っていれば美人な雇い主の方が何百倍も怖い。
そんな事を思いながら、子供達は大丈夫だろうかと視線を動かす最中、俺は見てしまった。戸棚の最上段に君臨するように飾られていたステラとっておきの高級酒のボトルが、ガラス戸を突き破った触手に薙ぎ払われ、敢無く床へ落下していくのを。高い場所から叩き付けられ、ぱりんと儚い音を立てて琥珀色の液体が飛び散った。
他にも、その棚にはステラのお気に入りコレクションが多数収められているわけで。
嗚呼――――もう、一巻の終わりだ。
次々と落下していく酒瓶を気が遠くなる心地で眺めつつ、戦況としては一矢を報いたのかもしれないが、俺は何か取り返しのつかない過ちを犯してしまったような絶望感を味わっていた。




