【N】 妖精帰宅
「ステラー! ただいまー!」
遺跡でメイを回収して翌日。見慣れた――とまでは未だいかないけど、記憶に新しい看板が掲げられた建物のドアを潜ると、誰よりも先に突撃していったのは言わずもがなちっちゃい緑色だった。
太陽の位置は、ちょうど真南。開店にも早すぎる時間の最中に、外から隔てられたように明かりを抑えた店内、カウンター席で優雅に読書と更け込んでいた店主は、その声にゆっくりと振り向いて、満面の笑みを浮かべる。
「メイ…! お帰りなさい。ジェイドに意地悪されなかった? ご飯はちゃんと食べた? ノアに口説かれたりしなかった?」
「うん、メイ大丈夫だよ! ジェイド優しくてご飯も作ってくれたし、パンのお粥おいしかったし、ノアはジェイドとラブラブだから心配ないし!」
ぱたんと本を閉じ椅子から立ち上がるとステラと、メイとの距離は正しく目と鼻の先といった所か。
黙っていれば気だるげな空気がミステリアスな美人、という見た目の印象をことごとく粉砕して、矢継ぎ早に喋る喋る。
おい、とジェイドでなくともツッコミを入れたくなったが、絶妙なコンビネーションでメイも一個も漏らさず答えるものだから手に負えない。しかも更にツッコミどころが多すぎる。
ジェイドでなくとも頭を抱えたくなった。
「……用件は済んだな。帰る」
きゃっきゃと土産話(?)に花を咲かせる二人へ水を差すのもお構いなしに、ジェイドのよく通る声が響く。
俺が隣から、ちらりと表情を盗み見れば――しかめ面ではあったものの、不快さの類は感じられない。付き合いきれない、といったところか。多分、慣れたくはない日常茶飯事なのだろう。
「あら、ゆっくりして行けば良いのに。丁度昼時だし、ヒューゴが配達に来るわよ?」
「そういうわけにもいかないだろ。結局丸一日、留守にしちまったんだ。しかも何の準備も無しにな」
会話を遮られたところで然して不都合もなかったらしく、あっさりとこちらへ意識を移してきたステラに対し、ジェイドは何気に棘のある言葉を返していた。
自分がいじられるのは痛くもかゆくもないが、騎士団の活動に支障が出るのは痛手だという事かもしれない。……ほんとに真面目だなあ、なんて感心していると、
「相っ変わらずの仕事人間ねー。可愛くないのっ!」
と、(いい歳のくせに)少女のように口を尖らせるステラ。その姿も(いい歳のくせに)何故か違和感なく絵になってしまいそうなのだから、全くこの人は侮れない。
ステラの引き止めもむなしくジェイドが出て行ってしまうと、残ったのは店主ステラと店員俺、それにマスコット(?)のメイ。
なんかこの他にもメンバーが居るとか居ないとか、思わせぶりな事を前にステラが言っていたような気がするけど、真実を確かめる術は残念ながら今の所ない。
ともかく、ここに居るのがジュエル・フィッシュのメンバーで俺が知っている全て。
この国に辿り着いてから毎日のように、新しい何かが起こっていたけど――そろそろ日常になって落ち着く頃合いだろうか。ステラがまた何か妙なことを言い出さなければ。
ちょっとした警戒心込みで彼女へ視線を送ってしまったのを、悟られただろうか。だとしたら自分も詰めが甘い。
計ったように視線を合わせてきて、うっすらと微笑むステラ。
「貴方もお疲れ様だったわね。……お帰りなさい、ノア」
その言葉に、俺はすぐに返事をすることが出来なかった。
お帰り、に対する言葉なんて決まり切っているのに。
「…………」
彼女の笑みが綺麗で、魅惑的で――見惚れてしまったんだって。
そんな歯の浮くような言い訳ならいくらでも思いつくのに。
「お帰りなさい! ご飯にする? お風呂にする? それともメ――」
「メイちゃん。もうジェイド帰っちゃったから。誰も突っ込む人いないよ?」
そのくせ、メイからのしょーもないボケについてはあっさりと両断。
こいつがアホな茶々を入れて来てくれて、ある意味助かった。
そろそろ時間的に昼食だろうと思い、カウンターの裏に回ろうと足を踏み出す。
と、そんな俺の背後で、扉が開いたことを伝える鈴の音が鳴った。
「こんにちはー! ベーカリー『シモンズ』です!」
鈴の音に続いても遜色ないような爽やかさの、高めの男性の声が店内に響く。
あ、そういえば、さっきステラさんが配達とか言ってなかったっけ。
これの事か、と思い出しながら振り向く俺の横を、メイが飛んで行く。
「ふふ、いらっしゃい。いつもご苦労様」
「ステラさん、こんにちは。……あ! メイも帰って来たんだね。元気そうだ」
「ヒューゴー! ひさしぶりー! メイ元気だよ! 今帰って来たとこなの!」
「そっか、丁度良かった。この前来た時は居なかったもんな」
ベーカリーとの名乗りの通り、微かに鼻をつくパンの香り。
ステラやメイと親しげである様子から、よく出入りしている店なのだという事は一目瞭然。
けど、それ以上の何かを感じたのは――その名前に、聞き覚えがあったからだ。
「ヒューゴ? ……って確か」
「そうよぉ。元バーテンダーのヒューゴ君。お婿に行った先がね、パン屋さんなの。週に2回、お昼ご飯はここのパンになるから覚えといてね」
メイと彼があまりにも楽しげに談笑していたので、邪魔しないようにと目線でステラの方へ問い掛ける。
カウンターの近くから俺の方へと歩いて来ながら語られるステラの答えは、まさに予想していたもの。
やっぱりか、ともう一度ヒューゴを見れば、動いたステラの方へ視線をやったのだろう彼と目が合ってしまった。
「あれ? 貴方はもしかして……」
汚いものを映した事がないような、澄んだ瞳だと思った。
ステラの傍に長くいたんだろうに捻じ曲がっていないのか、と驚きを覚えながらも、そんな事は表に出さず笑う。
俺には一生かかってもこんな目は出来ないな、なんて自嘲しながら。
「初めまして。新人のノアですー」
「貴方の後に入った、新しい店員よ。ヒューゴは癒し系だったけど、このコはまた一味違う路線で売り出せそうなのよねぇ……将来が楽しみだわ、うふふふ」
「ステラさんそれ違うお店になってますから」
軽い自己紹介の後の、冗談とも思えないステラの囁きには正直ぞっとしない。
配達のパンを差し出すヒューゴも、「相変わらずですね」と苦笑気味で。
甘そうな菓子パンらしきものから調理パンまで、様々な種類のものが入った袋は、店主ではなく俺に手渡された。
「今、お代を持って来るから。少し待ってちょうだいね」
そう言って、ステラが俺達の傍を離れて行く。
メイは袋の中身に夢中で、顔を突っ込んではお目当てのパンを探しているのか「メロンパン! メロンパン!」とか一心不乱に唱えている。
俺とヒューゴの二人が残されたような気分で、何となく、初対面だからか世間話をするでもなくステラが戻って来るのを待っていると、
「ステラさんはさ……何か、不思議な人ですよね」
向こうから、話を切り出してきた。
しかも、どう返したら良いやら微妙な話題。
確かに色々と尋常でない事は明らかなのだが、だからといってそれが彼女であるのだから、どうにかしろというものでもないし。……というか、どうにかなったらそれはこの世の終わりのような気がする。
唐突に尋ねてきた相手の真意がどこにあるのかと、まだ返事は口にせずに彼を見る。
当然ながら、敵意も、悪意もない。けれど不思議だった。
そうしているとヒューゴは更に続ける。どうやら答え辛いことを訊いたと自覚はあったらしく、少しだけ申し訳なさそうな顔で笑って。
「すみません、変な事言っちゃって。――今でもこの店は、俺にとってとても大切で、特別な場所。だから、っていうと押し付けがましくなっちゃうけど……貴方にも、ここのこと好きになってもらえたら嬉しいんです」
いかにも、人を食った事なんてなさそうな草食系の儚い笑顔で、彼は地雷を踏んだ。
――というか、その笑顔自体が地雷だったというべきか。どこか頼りない、けれど確実に幸せ一杯の表情。
あぁ、そうだ新婚さんなんだっけ。と、滲み出る幸せオーラに、彼がここを辞めて行った理由を思い出し――かと言ってそれがどうという事はないのだけど、俺は曖昧に笑みを返す。
「あったー! メロンパンっ!!!」
と、突如、抱えていた紙袋の中から、少量のパンくずと共に何か緑色っぽい光と黄色い声が飛び出してきた。言わずもがな、メイである。
奴は、自分の体とほぼ同じ大きさ――ただし俺達から見たら一口サイズの――メロンパンを頭上に掲げ、よほど嬉しかったのか店内を縦横無尽に飛び回り始めた。
「ふふっ、メイったら……少しは落ち着きなさいな。落としたら大変よ?」
そこに、パンの代金を持って来たステラがタイミング良く戻って来て。
彼女の言葉に、ひとまずメイも落ち着きを取り戻し、俺が一人で感じていた微妙な空気も払拭され、全てが何事もなかったかのように動き出す。
最後までマイペースだったヒューゴが、やはりにこにこと陽だまりのような笑みを浮かべて帰って行った後、俺は約一日振りに、ゆったりとした時の中で食事を摂る事ができたのだった。
ジェイド、今頃は騎士団の仕事を鬼のように片付けたりしてるのかな――ふとそんな事を、何とは無しに思う。




