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第七話:遠くからの足音



窓を叩く雨音が、夜の静寂を容赦なく引き裂いていた。

ホテルの部屋の中は、息が詰まるほどの沈黙に包まれている。


修司はデスクの上のLXから目を離さないまま、思考を激しく回転させていた。


ファインダー越しに見えた、黒田の首筋に絡みつく無数の黒い指。

あの影は確実に黒田を蝕み始めている。

そして、昼間に海へ引きずり込まれかけた、まどかも同様だ。


「……修司、急に黙り込んでどうしたんだよ?」


黒田が不安を押し殺した声で尋ねる。

自分の首元を落ち着かなさそうに手で擦っているが、その手足は微かに震えていた。


「黒田。お前……首や肩に違和感はないか?」

「え……? いや、まあ……さっきから妙に肩が重いっていうか、凝ってる感じはするけど……ただの疲れだろ?」


修司は答えなかった。


事実をそのまま伝えれば、恐怖によって黒田の精神的な「隙」がさらに広がり、怪異の侵食を加速させてしまう恐れがあった。

修司は冷たい声で命じた。


「今夜はもう休め。明日は朝一番で、由良ゆらの要塞跡へ向かう」

「由良の要塞跡……? ユーチューバーが消えたっていう、あの山奥の廃墟か?」

「ああ。15年前の事件でも、あの周辺で人が消えている。手がかりはあそこにしかない」


黒田は生唾を飲み込み、「分かった……」と短く答えると、自分の部屋へと戻っていった。



部屋に残された修司とまどか。

まどかは修司のすぐ後ろに立ち、不安そうに袖口を握りしめていた。


「修司先輩……私……東京には帰りません」


静かだが、強い意志を秘めた声だった。

修司が振り返ると、まどかはまっすぐな瞳で修司を見つめ返してきた。


「さっきは取り乱してすみませんでした。でも……私、分かったんです。

 先輩は私を遠ざけようとしているけれど、それは私を守るためだって」


「四宮……」


「私を心配して怒ってくださる先輩の優しさが、私……たまらなく嬉しいんです。

だからお願いです、私を側にいさせてください。どんな恐怖でも、先輩と一緒なら耐えられます」


まどかは一歩歩み寄り、修司の胸にそっとおでこを押し当てた。

その身体は微かに震えていたが、修司への異常なまでの執着が、彼女の恐怖を打ち消しているようだった。

心霊や呪いといった非科学的な存在よりも、修司から拒絶され、見捨てられることの方が、彼女にとっては遥かに恐ろしいのかもしれない。


修司は深く息を吐き出した。


「……身の安全は保障できないぞ」

「はい! 先輩の側で死ねるなら……本望です……っ」


うっとりと頬を染めるまどかに、修司は苦笑を漏らすしかなかった。

その時、修司のスマートフォンが震えた。

画面に表示されたのは、前職の編集部の同期からの着信だった。

修司はまどかから少し距離を置き、通話ボタンを押した。


「……僕だ」

『修司か! よかった、連絡がついて。お前、今淡路島にいるんだって?』


「ああ。それがどうかしたか?」

電話の向こうの同期は、声をひそめて言った。


『お前が辞めた後、例の自殺した実業家の遺品を整理していた遺族から

 編集部に連絡があったんだよ。……お前に渡してほしい手紙があるって』


修司の指先がピクリと固まった。

自分が誤った記事を書き、死に追いやったかもしれない男。その遺族からの手紙。


『その手紙にな、気になることが書いてあったんだ。

 あの実業家、亡くなる直前に何度も

 「神ノ島の呪いが、俺を追ってくる」ってうなされていたらしい』


「なに……?」

『お前が追っていた告発記事のネタ元……あれ、元々は淡路島出身の人物からのタレコミだったんだろ? そのタレコミ屋も、一ヶ月前から連絡が取れなくなってるらしい』


修司の脳内で、バラバラだったピースが急速に繋がり始めた。

自分が会社を辞める原因となったあの事件すらも、この淡路島と根底で繋がっていたのか。


「……手紙の内容を、後でメールで送ってくれ」

『分かった。だが修司、気をつけてくれよ。なんだか嫌な予感がするんだ……』



通話を終えた修司は、暗い窓の外を見つめた。

雨の音に混じって、ホテルの廊下の奥から――。


ぺた。

ぺた。


水を含んだ不快な足音が、ゆっくりと近づいてくるような気がした。

修司は素早く首から下げたLXを構え、部屋のドアの覗き穴へとレンズを向けた。


ファインダーを覗き込む。


真っ暗な廊下。

街灯の光が途切れたその暗闇の奥に――。


頭髪を垂らした真っ黒な影が、ドアのすぐ目の前に立っていた。

影は、覗き穴の向こうから、修司のファインダーをじっと見つめ返していた。


(……足音が、近づいてきている)


怪異はもう、目と鼻の先まで迫っていた。

明日の由良要塞跡。そこで何かが起きる――そう…修司は予感していた。



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