第十五話:それは、誓いにも似た…
沼島の断崖に打ち寄せる波音が、静かに響いていた。
洞窟の天井が崩落し、落ちてきた日光が、重く立ち込めていた黒い霧を散らしていく。
15年もの間、この島を塞ぎ止めていた底知れぬ怨念と怪異は、完全に消滅していた。
「……相良」
ガラガラと瓦礫を押しのけ、傷だらけの中垣内が姿を現した。
その傍らには、息を荒くしながらも、自力で体を起こした黒田の姿があった。
全身の不気味な呪印はきれいに消え去り、元の健康的な肌色が戻っている。
「修司……! 無事だったか……!」
黒田が駆け寄り、修司の肩を強く掴んだ。
修司は冷たい岩肌の上に座り込んだまま、胸元のLXを愛おしそうに抱きしめていた。
「黒田……無事で、よかった……」
「俺は助かった……だが……四宮ちゃんは……」
黒田が周りを見渡す。そこには、飛び散った岩くずと、静かに差し込む太陽の光があるだけだった。四宮まどかの姿は、どこにもない。
「……まどかは、僕を守ってくれたんだ」
修司は静かに立ち上がった。その瞳には、かつてのような迷いや過去への囚われはなく、深く、澄んだ光が宿っていた。
「僕の代わりに……生贄になって……このカメラの中に宿ってくれた」
中垣内は胸ポケットから煙草を取り出し、ゆっくりと火をつけた。
紫煙を細く吐き出しながら、天空を見上げる。
「……15年だ。長かった事件が、ようやく終わったんだな」
中垣内は修司に向き直り、深々と頭を下げた。
「相良……すまなかった。お前を疑い、責め立てた。
……だが、お前があの怪異を終わらせてくれた。相棒の無念も、これでやっと浮かばれる」
「いいえ、中垣内さん。あなたが諦めずに追っていてくれたから、僕も真実と向き合うことができた」
修司は胸元のLXにそっと触れた。
使い込まれた黒塗りのボディは、今も微かに人肌のような温もりを帯びている様に感じていた。
◇
数日後。
淡路島を去る日がやってきた。
岩屋港のフェリー乗り場。潮風が心地よく、青く澄み渡った明石海峡大橋が頭上にそびえ立っている。
「じゃあな、修司。俺はもう少し島に残るよ。
姿を消していた失踪者たちの遺族に、できる限りの説明をしてやりたい」
黒田が爽やかな笑顔を浮かべて言った。死の淵から生還した彼は、どこか吹っ切れたような男らしさを漂わせている。
「ああ。無理はするなよ、黒田」
「おう! 東京に戻ったら、神田の何時もの店で…また酒でも飲もうぜ。四宮ちゃんのぶんもな」
甲板に上がり、遠ざかっていく淡路島の島影を眺める。
青い海、緑豊かな山々。かつて惨劇の舞台となった島は、本来の美しさを取り戻していた。
修司は首から下げたLXを持ち上げ、ファインダーを覗き込んだ。
レンズの向こうに広がる、輝く海と空。
そして――ファインダーの隅に、幻影のように微笑む美しい女性の姿が見えた。
白いワンピースの裾を揺らし、愛おしそうにこちらを見つめる……四宮まどか。
『修司先輩……どこへでも、一緒に行きますね』
耳元で、風の音に混じって愛しい声が聞こえた気がした。
修司は静かにレンズの絞りを合わせ、シャッターを切った。
カシャッ――。
硬質で心地よいシャッター音が、秋の澄んだ空にどこまでも響き渡る。
言葉で人を傷つけ、過去に縛られていた男はもういない。
相良修司は、「何かの力」と、まどかの遺してくれた愛を胸に
ファインダー越しに新たな真実を暴き切り取るため…
僕…いや、俺は新しい街へと歩み出していくと決めた。
神ノ島を巡る…修司の初事件は、ここに酷く苦く静かな幕を下ろしたのだった。
ーー 終 ーー




