第十話:狂気の咲く島
ガラス窓にへばりつく無数の顔。
その中に浮かぶ黒田の顔は、苦悶と歓喜が混ざり合ったように歪み、カタカタと窓枠を揺らしていた。
「黒田……!?」
修司が思わず窓へ駆け寄ろうとすると、中垣内がその服の首根っこを掴んで力任せに引き戻した。
「見るなッ! 惑わされるな!」
中垣内は懐から古い御札を取り出し、窓ガラスに叩きつけるように貼り付けた。
瞬間、バチバチと線香が爆ぜるような音が響き、窓の外の顔影は怨嗟の声とともに闇の奥へと退いていく。
「……ハァ……ハァ……」
荒い息を吐く修司の隣で、まどかが修司の腕に必死にしがみついていた。
「修司先輩……黒田さん、生きているんですか……? さっき……動いていました……!」
「生きて……いる……?」
修司は自分の耳を疑った。
これまでの被害者は全員、姿を消した後は帰ってこなかった。だが、窓の外に現れた黒田の影には、怪異の「死に顔」とは違う、微かな生の執着――抗うような意思が混ざり合っていた。
中垣内が渋い顔で煙草の煙を吐き出す。
「……引きずり込まれた直後だ。完全に『向こう側』の存在として呑み込まれる前なら、まだ肉体がこの世のどこかに留まっている可能性はあるだろ?」
「どこにいるんだ……! 黒田はどこに!?」
「根源だ」
中垣内は壁に貼られた淡路島の全図……その南端に浮かぶ小さな島を指差した。
「沼島だ。15年前、最初に怪異の儀式が行われ、最後の被害者・有馬蓮が消えた場所。そして、この島のすべての失踪者が最終的に集められる『生贄の祭壇』がある場所だ」
◇
翌朝。おさまりを見せない雨の中、三人は淡路島南端の土生港から沼島行きの小さな連絡船に乗り込んだ。荒れ狂う播磨灘の波が船体を激しく揺らす。
船内には客の姿はなく、重苦しい沈黙だけが漂っていた。
修司は船の甲板に立ち、カメラを固く握りしめていた。
(黒田……待っていろ。必ず引きずり戻す)
15年前、友人の有馬蓮を見捨てて逃げ出した過去。
半年前に記事で人を追い詰め、死なせてしまった後悔。
もう二度と、大切な存在を諦めたくはなかった。
「修司先輩……風が強いです。中に入りましょう?」
まどかが濡れた髪を耳にかけながら、後ろから修司の腰に手を回してきた。
その身体は冷え切っていたが、修司に密着しているせいか、頬だけは赤く上気している。
「四宮……すまない。君をこんな恐ろしい事件に巻き込んでしまって…」
修司が振り向いて肩を抱くと、まどかは夢見るような瞳で修司を見上げた。
「……ううん。違います、先輩」 まどかはうっとりと首を振った。
「私……今、すごく幸せなんです。先輩が私のことを心配してくれて
こうして側にいさせてくれる……。
先輩を守るためなら、私、どんな恐ろしい目に遭ったって構いません」
まどかの言葉には、狂気が孕んでいた。
修司への一途な愛情と、彼のために傷つき身を捧げることへの異常なまでの欲望。
その歪んだ純粋さが、彼女をこの地獄へと繋ぎ止めている。
修司はそんな彼女の危うさに胸を痛めながらも、深く抱きしめ返した。
「四宮……僕が絶対に君を守る。何があってもだ」
「はい……! 修司先輩……っ」
◇
連絡船は、霧に包まれた沼島へと接岸した。
古くから「国生み神話」の舞台として知られるこの島は、勾玉のような独特の形をし、切り立った断崖絶壁に囲まれている。港には人影がなく、静まり返っていた。
「ここから先は足場が悪い。行くぞ!」
中垣内が拳銃を懐に忍ばせ、先頭に立って山道を進む。
鬱蒼とした竹林を抜け、島の南端――太平洋の荒波が打ち寄せる断崖絶壁へと向かう。
その途中の草むらに、何かが落ちていた。
修司が駆け寄り、拾い上げる。
それは――黒田が愛用していた、ゴツい革のブレスレットだった。
「黒田の……!」
ブレスレットはまだ湿っており、微かに温もりすら残っていた。
「生きている……! 黒田はまだ、生きてここにいる!」
修司はLXを構え、ファインダーを覗き込んだ。
深い霧の立ち込める竹林の奥。
ファインダー越しに、地面に残された「引きずられたような一筋の痕跡」と
その先へと続く濡れた足跡が見えた。
「あっちだ!」
修司たちは足跡を追い、沼島の最奥――黒い異界の扉が開く場所へと駆け出した。




