手合わせ
帝都に戻ってからは、休んだ分は働けとばかりに仕事を押しつけられて、帰るのも遅くなる毎日が続いていた。僕の仕事はカールの補佐だけど、カールがサボっている分も僕に回ってくるためいくらやっても終わらない。朝から日暮れまで机に向かって書類に目を通す作業に辟易して、少しばかり早めに帰る事にした。宮殿で働く役人たちは泣いて縋らんばかりに止めようとしたけれど、断固とした意思で突っぱねておいた。
カールも、毎日騎士の訓練場に入り浸って剣を振り回していないで、たまには大人しく机に座って苦行に耐えるといいのだ。まったく、いつまでも皇太子の頃のような気楽な気分でいられては困る。彼には立派な皇帝となってもらわなければならないんだから。
そんなわけで、日が傾く前に邸に戻った僕は、家令にオフェリアの様子を尋ねた。
「姫様ならば、マーガレット様から帝国の作法としきたりを学ばれているかと」
「お祖母様から?」
あの気の強いお祖母様に任せておいても大丈夫だろうか。僕が頼んだ事とはいえ、二人の様子を見ていないので心配になる。
「はい、マーガレット様も姫様は覚えがよく素直な性格で大変教えがいがあると、張り切っておられましたよ。今のところ、良好な関係を築かれているかと」
聞く限りは、うまくいっているようだ。居間を覗いてみようかと迷ったけれど、真剣に勉強している最中なら邪魔をしたくはない。オフェリアの侍女であるレーネが付き添っているはずだから、後でこっそり様子を聞いてみる事にした。
お祖母様がオフェリアを困らせているようなら、レーネが教えてくれるだろう。とはいえ、お祖母様は気の強い性格ではあるけれど、傍若無人ではない。祖父の代には、公爵夫人として公爵家を支えてきた人だ。社交界の事は裏も表も知り尽くしているし、驚くほど顔が広い。隠居した身とはいえ、いまだに社交界に大きな影響力を持っている。お祖母様がオフェリアの後ろ盾になってくれれば、彼女を蔑ろにしようとする人なんていないだろう。
ローザも皇妃ではあるけれどまだ若く、結婚してまだそれほど経っていないため、盤石の地位とは言いがたい。それに、皇室は表向き中立の立場だ。実家とはいえ、公爵家の事に関わり過ぎると他の貴族たちの反発と離反を招きかねない。それに、オフェリアが嫁いできた事情や経緯を考えると、できるだけ政治的な事に巻き込みたくはなかった。
「そうだ。オフェリアの騎士のバロー卿は、今日から騎士団の訓練に参加する事になっていたよね?」
歩きながら尋ねると、侍従が「はい、訓練場にいらっしゃいます」と答える。
「そうか。せっかくだし……少し様子を見に行くかな」
僕は呟いて、騎士団の訓練場に足を向けた。
◇◇◇
広い敷地内に騎士団が常駐する館と訓練場がある。模擬戦なども行える広い訓練場では、騎士たちが稽古に励んでいる。僕が姿を見せると、気付いた騎士や騎士見習いの少年たちが慌てて一礼する。
「試合中かい?」
入り口近くにいた騎士見習いの少年に声をかけると、「はいっ、バロー卿とオーブリー卿が試合をなさっておいでです」と緊張したように教えてくれた。ジャック=オーブリーは公爵家の騎士の中でも、若手でかなり腕が立つ騎士だ。
「……ふむ、それは興味深いな」
僕は呟いて、観覧席に移動する。まさに、フェリックスとジャックが、訓練場の真ん中で剣を交えているところだった。それを、他の騎士たちが野次を飛ばしながら見物している。随分、盛り上がっている様子で、こっそり賭け事でもしているなと、僕は観覧席で声援を送っている騎士たちを見る。
口うるさい主人だと言われたくないから、度が過ぎなければ多少のことは目を瞑るさ。彼らにも楽しみがなくてはやる気が出ないだろう。僕は剣の音で試合中の二人に視線を戻す。二人とも汗だくだが、まだ勝負はついていない。
ジャックの方が果敢に剣を打ち込んでいるけれど、フェリックスは表情を変えずにそれを流している。落ち着いていて、最小限の動きで剣を防いでいるところを見ると、まだ体力的にも余裕がありそうだ。
一方で、ジャックはムキになっているけれど汗がひどく、息づかいも荒い。これは、あと何合かで勝負が付きそうだなと見ていると、やっぱりジャックの振り下ろした剣をかわして、フェリックスが懐に飛び込む。首にピタリと刃を当てられたジャックは、負けを認めたように両手を上げた。
ワッと歓声が上がって拍手が起こり、その中でジャックとフェリックスが握手を交わす。
「イグナーツ様、おいでになっていたのですか」
同じく見物していた騎士団長が声をかけてきた。
「ああ、ちょっと様子を見に来たんだ。どう? バロー卿は」
長年、公爵家の騎士団を指揮し、指導してきた団長の見立てを聞きたかった。
「実にいいですな」
顎をさすりながら、四十代後半の騎士団長が答える。それは最上級の褒め言葉と言ってもいいだろう。
「そう?」
「ええ、冷静で判断力がある。無茶な攻め方をしないのがよいですな。ああいう男は信頼できます」
「僕もそう思うよ。うちに馴染めそうかい?」
「ご覧の通りです。問題ありますまい」
汗を拭い一息吐いているフェリックスの周りを、うちの騎士団の騎士たちが囲んでいた。和気藹々とした雰囲気で、負けたジャックもわだかまりなく笑っている。なるほど、人柄もいいというわけだ。まさに完璧で文句のつけようがない。
「イグナーツ様! お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
ジャックが僕に気付いて、頭を掻きながらやってきた。
「いい試合だったね。最初から見られなかったのが残念だ」
「勇んで挑んだのですが、私の完敗ですよ」
首を横に振る様子は、残念そうではあるが悔しそうではない。ジャックはこういう所があっさりしていて、気持ちのいい男だ。
「いやいや、惜しかったよ。もう少しだったね」
僕は彼の肩を叩いて慰めたが、隣で腕を組んでいる騎士団長は顔をしかめていた。
「動きが雑だ。最後の方は剣が大振りになっていて隙だらけだったぞ。ジャック。その癖は早めに改めろ」
「はっ! 申し訳ありません。精進いたします!!」
姿勢を正したジャックが、真面目な顔をして返事を返す。
騎士たちに囲まれていたフェリックスが、こちらを見てペコッと頭を下げた。
僕は少し考えてから、上着を脱いで後ろにいる侍従に渡す。袖をまくりながらフェリックスに歩み寄ると、周りにいた騎士たちが面白がるような目をして僕を見ていた。
「フェリックス、疲れていなければ……少し僕とやってみない?」
「いえ、ですが……」
僕が見るからに細腕で、剣なんて振れそうにないから躊躇っているようだ。
まあ、実際そうなんだけど。
「大丈夫。ちょっと手応えを確かめてみたいだけなんだ」
僕は軽く笑って、側にいた騎士見習いの少年に木剣を持ってきてくれるように頼む。真剣でなんてやったら、大ケガをするのは僕の方に決まっている。だから、ここは安全な木剣で勝負をしよう。これなら、たんこぶをいくつか作るくらいですむはず。
「それでしたら」
木剣での勝負と分かったからか、フェリックスも承諾するように頷いた。
「イグナーツ様が勝負されるって!」
「えっ、大丈夫なのか?」
そんな会話がギャラリーの間から聞こえてくる。みんな僕らから離れて成り行きを見守っていた。面白い見世物が始まると期待しているような眼差しだ。まあ、そう思われても仕方ない。僕が騎士団の訓練場に顔を出す事はほとんどないし、彼らの前で剣を振り回す事も滅多にないんだから。
僕は騎士見習いの少年が運んできた木剣を受け取って、軽く振ってみる。木剣なのに重いな。けれど、これでも剣よりはずっと軽いのだろう。まったく、こんなものを一日中振り回して飽きない人達の気が知れない。
僕は親友にして敬愛する皇帝陛下の顔を思い出す。あの人は朝から晩までどころか、一月だろうと、二月だろうと戦場を駆けながら喜々として剣を振って敵を屠っているだろう。カールがここにいたら、子供みたいに目を輝かせてフェリックスに勝負をふっかけるに決まっている。
フェリックスと距離を置いて向き合い、木剣を構えた。もちろん、こんなのは僕のがらではない。がらではないけれど、フェリックスの主人になるのだから、その力量は自分の目で確かめておきたいではないか。それには剣を交えてみるのが手っ取り早い。
とはいえ、同じく剣を構えるフェリックスはまったく隙が見当たらず、どこに打ち込んでも対応されそうだ。生憎と僕はスピードもないし、力でも負けるだろう。無様に負ける自分の姿しか浮かんでこないけれど、それでも恥にはならない。なぜなら、僕は騎士じゃないから。本職に勝とうなんて最初から思っちゃいないんだ。
僕はまずは軽めに打ち込んでみようと、足を踏み出す。飛び込んだけれど、さっと距離を取られて木剣で防がれる。それは想定通り。足を払おうとしたけれど、これも避けられた。後ろに一歩下がると、フェリックスの方が今度は打ち込んでくる。咄嗟にはね除けたけれど早い。木剣の剣先が目の前を掠める。
その木剣の先を、自分の木剣で抑え込み、手を翻して跳ね返そうとした。さすがにこれも弾かれて、後ろにトントンと軽く弾むように後ろに下がって体勢を立て直す。
フェリックスの目がわずかに真剣みを帯びていた。少しはやる気になってくれたかな? 簡単に手を抜ける相手と思われるのはちょっとばかり心外でもある。なぜなら、剣術ばかりやっていた親友の稽古にずっと付き合わされてきたんだから。
周りの騎士たちの声援も大きくなっていた。背中に汗をかき始めていて、僕はフッと息を吐く。振り下ろされた木剣を打ち返し、突きに変える。その切っ先が、フェリックスの肩を掠めた。反射的に強めな攻撃が返ってくる。重い一撃を木剣で受け止めたけれど、手がわずかに震えた。さすがなと、僕はニッと笑った。急に僕が力を抜いて一歩飛び退くように下がったものだから、フェリックスの体がわずかに傾く。
彼が立て直す前に踏み込んで、彼の剣を叩き落とすと、カンッと音が響いて決着が付いた。
「参りました……」
フェリックスが目を伏せるようにして頭を垂れる。その口から深い息が漏れていた。
周りで見ていた騎士たちも興奮して騒いでいる。君たち。僕が完全に負けると思っていただろう。僕自身もそう思っていたよ。
「いやぁ……やっぱり、君は強いね。さすがにオフェリアの騎士だ」
落ちている木剣に手を伸ばすと、汗がポタッと床に落ちる。実を言うと心臓がバクバクしている。最後のは幸運が味方してくれただけだ。彼が最初から油断していなければ、一本取れなかっただろう。
「次は負けません」
きっぱりと言う彼に、僕はヘラッと笑った。
「次があったら、勝負にならないよ。君の圧勝だ」
次は彼も手加減なんてしてくれないだろうから。
「そうは思えませんが……」
「いいや、間違いなく僕の負けだ。同じ手は二度は通じない」
そもそも、騎士なんて朝から晩まで剣を振っていて、寝る時ですら抱き締めて寝るような人達だ。頭の中では四六時中相手を打ち負かす方法を考えている。そんな人達を相手に、僕みたいなちょっと小手先で覚えた程度の人間が勝とうなんて烏滸がましい。それくらい、十分に弁えている。
「それに、君の実力が十分だと言う事は確かめられたからね」
僕は彼に木剣を返す。それを受け取ったフェリックスは、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「勉強になりました。自分がまだまだと痛感いたしましたから」
「僕より強い騎士はうちにはいくらでもいる。思う存分、鍛えるといいさ」
フェリックスの肩をポンと叩いて離れようとした時、拍手している音が耳に入る。観覧席を見れば、いつの間にかオフェリアがレーネを伴って来ていた。
「いつから来ていたんだ?」
「少し前から……イグナーツ様は剣もお強いのですね。知りませんでした」
「まさか。バロー卿が胸を貸してくれたんだよ。彼が最初から本気だったら、とっくに勝負はついていた」
僕は肩を竦めて答える。
「君の騎士はやっぱりすごいね」
「ええ。とても頼りになるのです」
オフェリアはレーネから受け取ったタオルで、僕の額から流れる汗を拭ってくれる。
「うん、そのようだ。安心して君の護衛を任せられる。それに、公爵家の騎士団にもうまく馴染めているようだよ」
フェリックスはこちらに向かって頭を下げると、木剣を片付けて稽古に加わっていた。二人一組になっての打ち合いだ。フェリックスはジャックと組んで行っている。
これ以上見ていると、稽古の邪魔になりそうだ。
僕はオフェリアを連れて訓練場を出て、邸に戻る。
後を追ってきた従僕が僕に上着を差し出したので、それを受け取って羽織ったけれど、少しだけ汗臭いかもしれない。僕はさりげなくオフェリアと距離を取りつつ、パタパタと汗ばんでいる顔を手で扇いだ。庭を歩くと風が心地いい。
「お祖母様から色々教わっていると聞いたけれど、困っている事はない?」
「はい、マーガレット様には大変よくしていただいております。今日も作法について教えていただきました」
「そう? あまり無理しなくていいからね。お祖母様が厳しすぎないか心配だよ」
「いいえ、むしろ親切にゆっくり教えていただけますから助かっています。ワルツのステップも、マルク王国とは少し違っているのです。ですから、それも練習しないと……」
「そうなの? そんなに違うかな?」
「大きく違っているわけではありませんが……帝国のワルツの方が難しい気がします」
「慣れないからかもね。少し練習してみる?」
僕が足を止めると、彼女も立ち止まる。
「ここで……ですか?」
邸と騎士団の訓練場の中間にある庭園だ。僕が連れている侍従と、彼女の侍女のレーネ意外に見ている人はいない。十分な広さもある。手を差し出そうとしたけれど、そういえば自分の手が汗に濡れている事に気付いて、慌てて引っ込めた。
「……やっぱり、今度にしよう。今日はちょっと疲れてるし」
「……そうですね。今度……よろしくお願いします…………」
ちょっと焦って言うと、彼女もぎこちなく微笑んで頷く。僕らはさっきよりも少し早いペースで庭を歩く。妙に意識してしまうのは、この前の宿の一件があったからかな。
オフェリアもあれから少し、僕と距離を置いているように感じる。露骨な態度ではないけれど、視線を逸らされる事が多い。今も僕らの間には一人分の距離ができている。
そのことをあえて気にしないように、前を向いて歩く。僕も今は汗臭いから、あまり近くにいない方がいいだろう。邸に戻ったら風呂に入って着替えたいものだ。
「結婚式の準備の方はどう?」
「はい、料理のメニューなど、マーガレット様に助言をいただきながら料理長と打ち合わせしています。そういえば……イグナーツ様はお嫌いな食べ物とか、お好きな食べ物とか、ありますか?」
「僕? 僕は……そうだなぁ。キノコがちょっと苦手だけど、他は特に好き嫌いはないよ」
「キノコ……ですか?」
「うん、あの香りとか、食感とか、あまり得意じゃなくてね。好きなのは、チーズかな」
「なるほど……キノコはダメ……チーズはお好き……では、メニューも少し変更しなくては」
オフェリアは顎に手を添えて、小声で呟いている。
「いや、食べられないわけじゃないから、変更するほどじゃないよ?」
「ですが、やはりイグナーツ様のお好きなものをたくさん出したいので!」
オフェリアはギュッと拳を握っていた。本当に真面目だなぁと、僕は苦笑する。
「僕よりも、オフェリアの好きなものをたくさん入れるといいよ。何が好き?」
「私は……海のお魚や貝を食べてみたいです……実はあまり食べた事がないので」
「ああ、そういえば……マルク王国は海に面していないからね。鮮度のいい海産物を仕入れるのは難しいだろう。それじゃあ、海産物をたくさん使ったコースにするといい。仕入れは料理長に任せておけばいいから。すぐに漁港から届けてもらえるはずだよ」
「はい、相談してみます」
「鮑のソテーなんかもよさそうだね」
「それは、マーガレット様もおっしゃっていました。ですから、コ―スに入れる予定です」
「そうか。楽しみだな。招待状の手配は僕の方でやっておいたよ。席順も決めてあるし……教会の方の段取りも終わっているから心配ない。ドレスは間に合いそう?」
「デザインも決まって採寸も終わったのですが、仮縫いまで一月ほどかかるようです」
結婚式は三ヶ月後の秋の初めだ。それまでには、できあがるだろう。
「結婚式までまだ時間があるから……その間に一度、マルク王国に行こうか」
「結婚式前にですか?」
「うん、君の母上や弟君に挨拶をしないと。まあ、外交的な仕事もあるんだけどね。嫌かな?」
「いいえ、そんな事はありません。嬉しいです……」
そう言いながらも、彼女はちょっと顔を曇らせる。母や弟には会いたいが、異母兄である新国王と顔を合わせるのはあまり気が進まないのだろう。
「無理に国王陛下に謁見する必要はないよ。僕が挨拶をしておけばそれで体裁は整うからね」
長旅で疲れが出たとか、体調が思わしくないとか言っておけば、無理に連れてこいとは言われないだろう。皇帝の書状を渡したらそれで終わりなんだから。
「そういうわけにはいきません! 私も顔を出さなくては……」
「あまり、気負う事はないよ。僕がついているんだから」
「それなら安心できます。母も弟もきっと喜ぶと思います」
オフェリアはホッとした様子で表情を和らげた。
マルク王国に向かうための準備も進めておかないと。連れて行くのはやはり、レーネとフェリックスだろうか。それにうちの騎士団からも数名護衛を連れて行く予定だ。フェリックスと気が合いそうだったから、ジャックを連れていこうかな。




