道中
マルク王国へ向かう馬車には、僕とオフェリア、それに侍女のレーネの他に、外務卿のバルト=ゲーラー卿が同乗していた。馬に騎乗して護衛するのはフェリックスと、ジャック、それに数名の騎士と兵士だ。
「ゲーラー卿に同行していただけるとは心強いです。僕だけでは不安があったので」
「私は閣下の新婚旅行を邪魔してしまうようで、多少心苦しいですな」
ゲーラー卿にニコニコしながら言われて、僕とオフェリアは顔を見合わせる。
「いやいや、新婚旅行というわけではないのです。まだ、結婚式もすんでいないのですから。むしろ、オフェリアの母君にご挨拶をするのが目的です。それにまあ、実のところ……オフェリアの祖国を見てみたいという気持ちもあるのですが」
僕は頬を掻いてそう答える。
「おや、そうなのですか? 私もしばらくマルク王国には滞在しておりましたが、風光明媚な景色を多く見る事ができました。戦争などなければ、観光に訪れたいと思っていたところです」
「それはいい。卿も今回は旅を楽しまれてはどうです? 一月は滞在するのでしょう?」
「そういうわけには参りませんよ。会談の予定も多く入っておりますからな。今回もおそらくは、王宮から出る事は叶いますまい」
僕は国王に謁見して、皇帝の書状を渡すのが主な役目だ。使節団をもてなす晩餐会や舞踏会も開催されるけれど、そちらは多少顔を出せば済むだろう。
交渉事や事務的な事は、全てバルト=ゲーラー卿が主導して行ってくれる。カールが彼をつけてくれなければ、その役目は全て僕が担わなければならなかったところだ。まったくゲーラー卿様々である。それに、マルク王国には帝国の騎士団だけではなく、事務官も何名滞在している。優秀な彼らとゲーラー卿に任せておけば問題なく訪問の役目は終わるだろう。
それより、僕にとって重要なのはオフェリアの家族との顔合わせだ。異母兄の国王はともかく、彼女の母君と弟君に会うのは緊張する。いい印象を持たれるように努力しないとな。
「オフェリア、マルク王国の王都ってどんなところ?」
僕は向かいに座っているオフェリアに尋ねてみた。もうじき、帝国と王国の国境だ。平原の先に城壁が見えてくるだろう。その検問を通り抜ければその先は彼女の祖国である。
「王都、ですか……実は……あの……私もあまり、よく知らないのです」
オフェリアは恥ずかしそうに答える。かわりに答えたのは、侍女のレーネだ。
「姫様はあまり離宮からお出になりませんでしたから」
「そうなの? 一度も?」
「今思えば……恥ずかしい事だったと思います。自国の民の暮らしがどんなものなのか、王女でありながら知らなかったのですから」
「いや、大事なお姫様だからね。そう自由に歩き回れないのも当然だよ。じゃあ、お祭り見物も行った事がないんだね」
「はい。新年に花火が打ち上がるのを、離宮の窓から眺めていたくらいです」
「花火か。それはきっと綺麗だっただろうね」
「数少ない楽しみの一つでした。弟のイヴァンと一緒に……」
オフェリアは懐かしむように目を細める。
「弟君とは仲が良かったんだ」
「はい。そう思います……あの子が元気でいるといいけれど」
窓の外に視線をやって、彼女は不安げに顔を曇らせる。彼女がいなくなり、国王であった父も退位したのだ。後ろ盾がなくなった母と弟がどのような扱いをされているのか心配するのも当然だろう。
「母君のルーラ様と、イヴァン殿下は、離宮ではなく王都から西に進んだ場所にあるカッセリアン城に移られたと聞いております」
ゲーラー卿の話は初耳だったのか、「えっ、カッセリアン城にですか!?」とオフェリアは驚いてる。それは侍女のレーネも同じだったようだ。
「ええ、お元気であるとは聞いておりますが……離宮を明け渡すように、国王陛下が要求されたと」
「そんな……」
ショックだったのか、オフェリアは口元に手をやる。顔色が悪くなっていた。
「申し訳ございません。今、お話するような事ではなかったかもしれません」
頭を下げたゲーラー卿に、彼女は「いいえ」と首を横に振る。
「お教えいただき感謝いたします。ゲーラー卿。母と弟に関するどんな事でも教えていただきたいのです。私にはまったく分からないので……」
彼女は気丈にもすぐに顔を上げる。その手は膝の上で握り締められたままだ。レーネが心配するように彼女の手に自分の手を重ねていた。
「そのカッセリアン城というのは……どういうところ?」
「砦だった古い城です……ほとんど使われていなかったと聞いています」
なるほど、つまりオンボロの城というわけだ。そんなところに移り住む事になったのなら、これは思っている以上に冷遇されている可能性もある。前国王の指示ではなく、国王となった彼女の兄、ルカーシュ新国王の指示だろう。
代替わりしたのだから、前国王の側妃が離宮から他に移る事はあることかもしれないが、もう少しよい住まいを用意する事はできただろうに。嫌がらせの可能性が高い。それも、彼女の母がヴァーナ族の出身だからだろう。
「呆れたやつだ……」
思わず苛立ちが口から漏れる。それは周囲に聞こえてしまったらしい。
「あ、いや……今のは聞かなかったことにして」
僕は慌てて言い訳をして苦笑いを浮かべた。
「いえ、閣下がご不快に思われるのも当然かと。私も聞いた時には呆れてしまいましたから」
ゲーラー卿も軽く手を上げ、首を左右に振る。
馬車に揺られながら、僕は腕を組んでしばらく考え込む。
「では、先にそのカッセリアン城に向かうというのはどうかな?」
僕が提案すると、オフェリアもゲーラー卿も驚いたようにこっちを見る。
「王都に向かわれるのではなく、ですか?」
「うん、ちょっと慌てさせてやろうかと思って」
僕は意地の悪い顔になって微笑む。ゲーラー卿は顎に手をやり、「なるほど」と頷いていた。
「確かに、閣下がカッセリアン城に先に向かわれるなど、国王と側近たちは考えていないでしょう。随分と慌てふためくでしょうな」
「現状を先に確認しておきたいしね。下手に誤魔化す時間を与えたくはない」
僕らが王都に向かえば、王宮に滞在している間にオフェリアの母と弟と呼び寄せるつもりだったのだろう。そうすれば、二人がカッセリアン城でどんな境遇にあるのか、僕らがわざわざ確かめに行かないと思ったのかもしれない。いくらなんでも、帝国の情報網を甘く見すぎだ。現にゲーラー卿はオフェリアの母君と弟君の境遇についてすでにつかんでいるというのに。
「あの、イグナーツ様……兄よりも先に母にお会いになるのですか?」
不安げな目をしたオフェリアが尋ねる。
「うん。いきなり会いに行くのは、ちょっとマナー違反だろうけどね。許してくれるかな?」
「それは、もちろん……ですが、それでは兄は自分が蔑ろにされたと不快に思うはずです。イグナーツ様や帝国の皆様が嫌な思いをする事になれば、私は申し訳ないのです」
彼女が心配しているのは、国王である彼女の兄が、恥を掻かされたと思い、使節団に嫌がらせをするかもしれないという事だろう。
「それは心配ないよ。皇帝の名代として来ている僕らに、手を出す度胸なんてあるもんか。不快になったところで、嫌みを言うくらいがせいぜいだよ」
僕は軽く笑って答えた。もし、僕らに少しでも攻撃を加えたり、恥を掻かせるような真似をすれば、帝国への敵対行為と見なされる。それは、僕より皇帝のカールが黙っていない。血気盛んで暴れるのが大好きな戦争の申し子は、意気揚々と不敗を誇る帝国軍を率いて再び王国に乗り込んでくるだろう。
その時には、新国王は前回の戦争で辛うじて彼の父親が護った国土と国王の地位を、今度こそ失う事になる。新国王がそこまで愚かで分別を弁えない振る舞いをしない事を祈るばかりだ。マルク王国の国民のためにも。
「まあ、オフェリアが気が進まないようなら、王都に向かう事もやぶさかではないけれど……君はどうしたい?」
「私……ですか?」
「母君と弟君に先に会いに行きたくはない?」
「会いたいです。どのような暮らしを強いられているのか、知りたいです……兄が母や弟を冷遇しているのであれば、私も黙っていられません!」
彼女は覚悟を決めるように強い瞳で真っ直ぐに僕を見る。
ああ、いいな……。
ただ、弱くて護られているだけの気弱なお姫様じゃない。自分の身を犠牲にしてでも、国のために帝国に嫁ぐ事を決めた勇敢な姫君だ。
僕はついニッコリして、彼女の艶のある黒髪に手を伸ばす。極上のシルクに触れているような、滑らかな触り心地だ。オフェリアは僕を戸惑うように見つめてくる。
「うん、そうだね。だから、まずは現状把握が優先だ。糾弾するのはしっかり証拠を固めてからでないと」
離宮を改修するから一時的に移ってもらっていただけだなんて、言い逃れはさせないように。
「君の母君と弟君なら、僕にとっても親族になるんだ。軽んじるような真似はさせないよ」
僕が頬に触れると、彼女はホッとしたように目を閉じて微笑む。
ゲーラー卿の咳払いで我に返り、慌てて手を引っ込めた。オフェリアもパッと赤くなって横を向く。
「ごめんなさい……慎ましくない振る舞いを」
「いいや、僕こそ失礼……」
狭い馬車の中でやる事じゃなかったな。ゲーラー卿が気まずい思いをする。
「私の事はどうぞ気になさらず。馬車の中に迷い込んだテントウムシとでも思っていただいて結構ですぞ。政略結婚とは思えぬ仲睦まじいお姿に、私としても安堵いたしました」
からかうように言われて、僕は赤面しながら苦笑いを浮かべる。
「勘弁してください……とにかく、僕とオフェリアはカッセリアン城に向かいますので、ゲーラー卿は先に王宮に向かっていただけますか?」
「承知いたしました。陛下の書状はいかがいたしましょう?」
「そうですね……ゲーラー卿が渡してくださるなら、それでもかまいませんよ。使節団の代表はゲーラー卿なのですから」
僕が同行するのは、オフェリアの里帰りのついでだ。
「さりげなく、私に面倒事を押しつけようとなさっておいでですな」
「まさか! ゲーラー卿を信頼しての事です。僕は外交的な仕事は慣れていませんから」
「そういう事にしておきましょう。私も陛下より、閣下と姫君の邪魔はくれぐれもしないようにと言付かっておりますから。陛下の命令は至上命令です」
ゲーラー卿はニコッと微笑む。さすがに海千山千の外務卿。僕など太刀打ちできない。
やはり、重要な役目は卿に任せておいた方が良さそうだ。




