帝国に
帝都にようやく戻ってきた僕は、休む暇すら与えられずに宮殿に呼び出されていた。
庭園は薔薇の香りが満ち、陽向で小鳥が地面を啄んでいる。
招かれたのは、薔薇園の四阿だ。椅子に向かい合って座り、一通りの経緯を説明する。報告書は提出してあるから、とっくに知っているだろうに、わざわざ口頭で説明させようとするんだから。
「というわけで、オフェリアを誘拐して危害を加えようとしたから、あいつには退位してもらう事にしたんだ。今後はイヴァンが即位して、成人までは先帝が摂政として政務を代行する事になっている。というのが、顛末だ。後の事は王国に残っているゲーラー卿に任せてきたよ」
僕は簡単に要点だけを話すと、乾いた喉を潤すためにカップを口に運んだ。
腕を組んでさも大事な報告を聞くように神妙な顔を作っていたカールは、「そうか、そうか」と頷いた後で、我慢できなくなったように笑い転げる。
「俺にいつも無茶をするなとか、やり過ぎるなとか口うるさく言うくせに、自分は随分と好き勝手にやらかしているじゃないか! おい、イグナーツ。お前はオフェリア姫と、結婚の報告に行くって出かけていったんだよな? マルク王国の政権交代まで成し遂げてくるなんて聞いてないぞ。帝国の兵をゾロゾロ率いて戦争してきた俺がバカみたいじゃないか!」
カールはテーブルを叩きながら、しつこく笑い続けている。
「成りゆきでそうなったんだ。そもそも一国を落とすのと、国王をすげ替えるのじゃ、大変さが段違いだろ? 別に君の偉業に水を差そうなんて思ってやしないさ」
うまく行ったのは、ルカーシュが見込み通りの小者で元々能力も人望もなかったからだ。自滅のようなもので、僕はほんの少し後押ししただけに過ぎない。手柄と呼べるほどのものでもないだろう。
それに、ルカーシュは即位して間がなく、王国内の貴族の支持をまとめ切れていなかった。彼を支持する貴族もそう多くはなく、今だに退位した先王の方が影響力を持っていた。先王の後押しがなければ、イヴァンを新たに国王にするのは難しかったし、より時間がかかっていただろう。
状況が僕らに有利に働いた。それだけの事だ。
ただ、あのままルカーシュが国王として君臨し続けていたら、いずれはイヴァンもルーラ様もあの国にいられなくなっていただろう。ルカーシュが邪魔なイヴァンを生かしておくはずがない。オフェリアに手をかけようとしたくらいだ。それが成功すれば次はイヴァンを狙っていた。帝国との繋がりを断つために。
その先は周辺国と手を結んで、帝国に反旗を翻す。
それがいかに愚かな判断だったとしても、止める者もいなければ、破滅への道を意気揚々と進んでいっただろう。ルカーシュが勝手に失敗して滅ぶのは勝手だけれど、そのために帝国とマルク王国の兵士と国民の命が無駄に失われるのは感化できない。オフェリアだって悲しむに決まっているんだから。
政治的判断と私情、どちらからしてみても、ルカーシュを王位に据えておくという判断はできなかった。
「だから言っただろう? お前は自分が思っているほど平和主義じゃない。俺よりも好戦的で、容赦がないんだ。お前と比べたら、俺なんて大人しい方だ」
頬杖をついたカールはニマニマ笑いながらマドレーヌを頬張る。
学生の頃から、彼によく言われてきた事だ。
「戦神の化身と言われて怖れられている君と、僕なんかが比べられるわけがないだろう? それに、今回だって平和的に解決したじゃないか。少なくとも、死人は出ていないよ」
「ああ、そうだな。一兵も失わず、帝国の敵となる者を排除する。そんな芸当が誰にでもできると思うか? なぁ、イグナーツ。やっぱり、宰相にならない?」
「絶対にお断りだ!!」
僕は顔をしかめて、即座に拒否する。今回の件はたまたまうまくいった。それだけだ。過大に評価されても困る。それに、宰相になんてなれば、今より仕事が増えてほとんど邸に戻れなくなり、オフェリアと過ごす幸せな時間が減るじゃないか。
僕らの平穏な時間だけは、絶対に死守してみせるぞ。
「何が不満なんだ? 誰もがほしがる地位だぞ?」
「宰相なんて言えば聞こえはいいけれど、君の使いっ走りと尻拭い役じゃないか」
カールはチッと舌打ちする。やっぱりそのつもりだったのか。
「それなら、俺の娘をつけてやろう! お前のところに息子が生まれたら、結婚させると約束する!」
「君の娘なんて、まだ生まれてもいないだろ」
「ふふふ……そうやって、タコみたいに逃げ回っていられるのも今のうちだけだぞ。イグナーツよ」
「えっ……まさか……?」
驚いて彼の顔を見ると、腕を組んだカールは自信たっぷりな笑みをニヤッと浮かべる。
これは、本当にローザに懐妊の兆候とか?
えっ、僕らがマルク王国に行っている間に!?
瞬きする僕を、カールがグイッと引き寄せる。
「生まれるのが息子だったら、そっちの姫をもらうからな。約束だ!」
「はぁ!? 勝手に決めないでくれる!? 前にも言ったじゃないか。皇族にするなんてご免だって」
「うるさい。これは皇帝命令だ! お前に拒否権はない。すぐに明文化して、公爵家に送りつけてやる。だから、さっさと励め」
「何をだよ!」
近いカールの顔をグイッと押し退ける。
人の事情も気も知らないで!
こっちはまだ、初夜すら終えていないんだぞ。ああ、なんでこんな事になっちゃってるのかな!
もっと早く、オフェリアと親密な関係になれていたはずなのに。
僕が深く溜息を吐いていると、「ここにいたのね。お兄様!! カール!!」と声がする。
ローザがスカートの裾を上げて走ってくるのが見えた。
侍女たちが、後から血相を変えて追い掛けてくる。
「皇妃様、走ってはなりません。お体に!!」
そんな悲鳴が聞こえてきた。ということは、やっぱり懐妊の話は公になってはいないけれど、すでに確定なのだろう。
「ローザよ、侍女の言う通りだ。大人しく宮殿にいろと言ったではないか!」
「私は病人じゃありませんのよ! ベッドや椅子に一日中座っていると、余計に腰が痛くなりますわ。それよりも、お兄様がお帰りになっているなら、早く知らせてくださいませ!!」
ローザに睨まれた帝国の皇帝陛下は、タジタジになっている。
「ああ、それじゃあ……僕は失礼して……ローザ。ええっと、おめでとう。先に言っておくよ。お祝いは後で改めて贈るからさ。ほしいものがあるなら、伝えておいてくれ」
さりげなく立ち去ろうとしたけれど、その前にローザが立ち塞がった。
「カールにはまだ黙っているように言ったのに、もう耳に入ってしまったのね! お気遣いありがとう、お兄様。そんな事よりも、ご自分の心配をなさってはいかが? 結婚式三日前に戻ってくる人がありますか。私がどれほど気を揉んでいたか、分かっていらっしゃいますの!? いくら催促しても、お戻りにならないんですから。何かあったのではないかと心配したじゃありませんか!」
早口でまくし立てられて、僕は逃げ腰になって笑みを作った。
「そんなに興奮するとよくないんじゃないかな? 落ち着いて……」
皇帝に世継ぎが生まれる事以上に、大事な事なんてない気がするんだけど。
僕らの結婚式の準備をローザとお祖母様に任せていたから、大変だっただろう。
まさか、ローザが懐妊しているなんて知らなかったんだ。
知っていたら、負担にならないようにお祖母様に頼んでおいた。ただそれで、大人しくしているようなローザでもない。口を挟まずにはいられないのだから。
「お兄様がのんびりしすぎなのですわ!! 自分の結婚式を放ったからして!」
「放ったらかしにしていたわけじゃない。お祖母様や君に任せておけば、間違いないはないと思ったんだ。苦労をかけたのは本当に悪かったよ。後の事は心配しないで、君はカールの言うように宮殿でゆっくりしている方がいいんじゃないかな。大丈夫。結婚式は予定通り、行うから!」
「当たり前です!! 公爵家当主の結婚式が延期になるなんて前代未聞ですわ。お兄様が放棄しているから、私が代わりに日々お祖母様と闘いながら、準備を進めておきました。私に感謝してくださいませ。お祖母様に全部任せておいたら、百年前の古めかしい結婚式になっていたんですからね」
「分かっているとも! 君には頭が上がらないよ。さすがローザ。帝国の皇妃様だ。ローザがいてくれて本当に助かった。オフェリアも心から喜んでいると思うよ?」
後ろに下がりすぎて、四阿の支柱に背中が当たる。これ以上、逃げ場がない。
カールときたら、「わははは、ローザには誰も勝てないな」と暢気に笑っている。
こいつめ……他人事だからと面白がって。
「そうでしょう? ドレスもベールもティアラも全て、帝室御用達の一流の職人に作られたんですもの。これも、全てオフェリアお姉様のためですわ。ああ、そうだわ。私の懐妊のお祝いを下さるんでしたわね。でしたら、今回のお礼もかねて、私、いただきたいものがありますの!」
「もちろん、僕で用意できるものなら、なんでも贈るよ。いくらでも言ってくれ!」
といっても、帝国の皇妃なんだから、ローザに手に入らないものなんてほとんどないんだけど。
改めて僕に頼んでくるということは、公爵家所有の鉱山から出るダイヤとか? それも、ローザにとっては珍しいものではないはずだ。公爵家が所有する別荘とかかな? 領地かもしれない。
別に一部、ローザに割譲したところで大した事はないんだけど。でも、領地なら僕よりカールに頼む方が早い。ローザのためならどこかの国くらい奪い取ってきそうだ。
ローザは笑みを深めると、パチンと手を合わせた。
「でしたら、お兄様とオフェリアお姉様に子供が生まれたら、私とカールの子と結婚させるという、証文を下さいな。オフェリアお姉様の子なら、男の子でも女の子でもきっと美人になりますでしょう?」
愛らしくお願いしてくる異母妹に、僕は「君もか!」と頭を抱える。
この夫婦ときたら、絶対に示し合わせているに違いない。
その上で、僕の逃げ道を塞ぐつもりなのだ。
「ああ、うん。考えておくよ……」
十五年後くらいに。
ごめん、オフェリア。まだ作ってもいない子供の将来が奪われそうだ。




