帰路
マルク王国での滞在を早急に終えて帰る事にしたのは、僕らの結婚式に間に合わなくなるからだ。
開催日は決まっているし、招待状も送ってあるのに、肝心の花婿と花嫁が不在だなんて事になったら、準備してくれている邸の使用人や、わざわざ参加してくれる客人たちに顔向けできない。
かなり予定よりものんびりしてしまったから、邸に戻れば急いで整えなければならないだろう。
式当日にはカールとローザも出席する。それを考えると頭が痛いけれど、僕だってオフェリアとの結婚式を手を抜くつもりはないのだ。今度こそ、名実ともに正式な夫婦になるために!
僕はもう、ずっとお預けになっていて、忘れ去られている初夜に思いを馳せた。
カッセリアン城とも、今日でお別れかと思うと名残惜しさを感じる。
この幽霊城、いずれ買い取ろうかな。今はルーラ様とイヴァンが滞在しているけれど、イヴァンの即位が決まったから、二人とも王都の王宮に戻る事になっている。そうなれば、この城はまた用済みになるだろう。イヴァンはこれから、成人になるまで先王陛下の元で教育を受ける事になっている。
本当は、イヴァンの即位式まで見届けたかったけれど、そういうわけにはいかない。
マルク王国には、僕の代わりにゲーラー卿が残る事になっている。帝国に戻るのが遅くなると不満を漏らしていたけれど、彼以上に実務に長けた人間はいない。
それにゲーラー卿なら、イヴァンのよき相談役になってくれるだろう。
今回協力してくれた暗殺者の皆さんは、新しく創設する情報ギルドに所属してもらう事になった。ギルド長はドミニクだ。彼は人望も能力もある。このまま、暗殺者として日影者の暮らしをさせておくには惜しい。その情報ギルドは、いずれ国王直属の裏組織となる予定で、そのための下準備を進めているところだ。
イヴァンが成人になる頃には、きっと役に立つだろう。綺麗事ではすまないのが権力の世界だから。
ルーラ様たちに挨拶を終えて、ホールを出ようとすると、今日は一度も顔を見せてくれなかったイヴァンが走ってくる。
「お兄様!!」
「イヴァン! よかった、顔を見ずに帰る事になるところだったよ」
振り向いて両手を広げると、イヴァンはギュッと抱きついてくる。
目の周りが赤く腫れていて、オフェリアによく似た瞳が濡れている。頬にも涙の跡がついていた。
きっと部屋で泣いていたのだろう。
「お兄様、ごめんなさい……ちゃんとお見送りしなくちゃいけないのに。お別れするのが嫌だったんだ。だって、今度はいつ会えるか分からないのに。本当はずっと一緒にいてほしいんです。僕、この先どうしたらいいのか分からなくて……僕は本当にこの国の国王にならなくちゃいけないんですか? とっても自信がないんです。それはルカーシュ兄上の役目だと思っていたから」
イヴァンはポロポロこぼれる涙を袖で一生懸命拭い、声を詰まらせる。
それはそうだろう。いきなり、国王になれと言われても困るに決まっている。
まして、イヴァンはまだ子供で、心構えなんて少しもしていないだろう。
大きな荷物を背負わせたのは僕だ。
けれど、それがこの国にとって、帝国にとって、最善だと判断した。
他に任せられる人間はいない。あのルカーシュでは、いずれまた戦争の火種をばら撒くだろう。
大勢の人が無駄に死ぬ事になる。それは可能な限り避けるべき未来だ。
だが、イヴァンにそうした政治的な思惑を全て飲み込んで理解してくれというのは、大人の身勝手だ。
イヴァン自身に選択の権利など与えず、茨の道を進めと言うに等しい。
国を治める為政者の道は、血塗られた道でもある。
帝国の皇帝であるカールをずっと側で見てきたから知っている。どれほどの苦難が伴うものである事も。誰もが歩めるような容易い道ではない。
むしろ、このまま、このカッセリアン城で幽閉同然の生活をしていた方が楽だったかもしれない。
イヴァンがいつか、国王になった事を悔いて、僕を恨む事になるかもしれない。
それでも――。
僕は片膝をついて、イヴァンとしっかり目を合わせる。
「イヴァン、君なら大丈夫。どんなに大変でも、きっと成し遂げられるよ」
「そうでしょうか……みんながっかりするんじゃ。僕はそれが怖いんです」
「僕が君にがっかりした事があると思うかい?」
僕が笑顔で尋ねると、イヴァンは不安げな眼差しで首を振る。
「お兄様は、僕を信じてたくさんの事をさせてくれました。剣術の稽古も勉強も……今まで、教えてくれる人なんていなかったのに」
「うん、そうだ。僕は君ができる事を知っているし、実際に君は剣の稽古も勉強も真面目に取り組んできた。一生懸命やっている事は、この城にいたみんなが知っている。君の母上も、オフェリアも、僕も、それから君の友人である騎士見習いの子たちもだ。彼らだって、もうすっかり君の事が好きじゃないか」
「それは……」
実際、イヴァンには人望がある。あの人見知りのラデクとも、すぐに打ち解けていた。
人の心をつかむのがうまいのだ。それは天性の才だと言ってもいい。
イヴァン自身が持つ素直さに起因するものだろう。
「国王になるのは大変な事だと思う。それでも、君には守りたいものがすでにあるだろう? 君の母上も、この国の人たちも、みんなまとめて君がその手で守るんだ。いや、守れる大人になるんだ。国王になるといっても、成人になるまでは君の父上が政務を代行してくれる。だから、君はそれまで今と変わらずに勉強や剣術や、友達作りや、たくさんの事を身につければいい」
「でも、お兄様! 僕はずっと父上に嫌われていました……ほとんど会いに来てくださらなかったのです。僕は父上とうまくやれる自信がありません」
「君の父上は君を嫌いだったわけじゃないさ。僕は先王陛下に会ってきたよ」
先王陛下がイヴァンやルーラ様を離れに追いやったのは、何も嫌っていたからではない。嫌っていたなら、そもそもルーラ様を側室に迎えたりはしなかっただろう。愛人として囲っておくだけに留めていたはずだ。先王陛下がルーラ様を側室としなかったら、イヴァンには王位継承権など与えられなかった。オフェリアも王族とは見なされなかっただろう。
「父上は、僕を疎ましく思っていたのではないのですか?」
「違うよ。直接お会いしてみれば、君にも分かるさ。先王陛下は君に期待しているし、君が立派な国王になれるように、これからはしっかり協力してくださるはずだよ。君が国王になる事で、君の母上も守る事ができる。以前のように離れに幽閉されるような事はない」
「お母様を守る事ができるなら……僕は、一生懸命やります。なんだってやります!」
涙をぐっと堪えて、イヴァンは気丈にも小さな拳を握る。
僕は笑って、その拳を包むように握り締めた。
「そうだ。イヴァンはもう立派に一人前じゃないか。だから、これから君が君の守りたいものを守るんだ。もし、困った事があれば、僕に手紙をくれればいい。相談に乗るし、助けがほしい時には、帝国からすぐにやってくるよ」
「本当ですか? 本当にすぐに来てくれますか? 僕、もっとたくさん相談したい事があるんです。聞きたい事もあるし、教えてほしい事も……だって、僕の理想はお兄様だもの。お兄様みたいになりたいんです!」
純粋な憧れの目で見つめられると、僕の汚れきった心がズキズキと痛む気がした。
うっ、かわいすぎる!
僕よりも、別の人に憧れて目標にした方が、ずっと立派な人になれると思うよ?
特にフェリックスみたいな人がいいと思うんだ。
「嬉しい事を言ってくれるね。約束するよ、イヴァン。僕はいつだって君の味方だ。僕だけじゃなく、オフェリアだって、ルーラ様だって、みんなが君の味方だ。だから、怖れる必要はない。自信を持って、堂々と君が望むようにやってみるといい。大事な事は、味方をたくさん作る事だ。そうすれば、どんな事だって立ち向かえるし、何とかなるんだ」
「味方……ですか?」
「ああ、そうだ。これは僕の大親友の帝国の皇帝陛下の受け売りだから信じていい」
カールの場合は味方というより、自分がやりたくない面倒事を押しつけられる人間を大勢用意している方が正しいけれど。自分が思うままに好き勝手に振る舞うために。
だが、実際帝国はそれでなんとかなっている。
「帝国の皇帝陛下! それなら、きっと本当ですね。僕、やってみます!!」
イヴァンが真剣な顔をして頷いているから、僕は余計な事は言わないでおくことにした。
かわりに笑って頭をポンポンと叩いてから、膝を上げる。
「うん、そう気負う事はないさ。イヴァンは絶対にできるんだから」
「いつか……僕も帝国に行ってみたいです。皇帝陛下にも会ってみたい」
「そうだね。それはけっこう簡単に叶うかもしれないよ?」
「そうでしょうか?」
「ああ、いつでもおいで。大歓迎だ」
イヴァンは途端に笑顔になる。涙もようやく引っ込んだみたいだ。
「絶対ですよ! 絶対、絶対、行きますからね。お兄様も、またこの国に来てください。手紙もたくさん書きますから!」
「ああ、君の勉強の進捗状況なんかも、知らせてくれ。ちゃんと勉強しているか確かめないとね」
「それは……ええっと、できるだけ頑張ります」
◇◇◇
馬車に乗り、カッセリアン城を後にした僕らは、帝国へと戻る。
馬車に乗っているのは、僕とオフェリア、それにレーネと、ラデクだ。
ラデクはぼんやりと窓の外を眺めていた。カッセリアン城を離れるのは寂しいのだろう。
「よかったのかい? 僕らについてきて」
僕が尋ねると、ラデクが振り向いた。
「ああ、爺様や父様には知らせを送っておいたからな」
ラデクもヴァーナ族の族長だ。とはいえ、ラデクの父のフベルトさんも、祖父のジルカ様もご健在だ。
村の事は何にも心配ないのだろう。
「イヴァンと一緒に残りたいのかと思っていたよ」
イヴァンとは随分、打ち解けていたから。
けれど、僕らが帝国に戻ると聞くと、ラデクは僕らと一緒に行くことを決めた。
「もっと、色んな世界の事を知りたいんだ……今しか、きっと見れない」
村に戻れば、もうずっと村から離れられなくなる。
ラデクはラデクなりに、色々考えての事だろう。今のうちに得た知識や経験は、村に戻った時にきっと役立つ。閉鎖的だった村に、新しい風を吹き込む事になる。
「せっかくだ。帝国の学校に通ってみるかい? 君と同じくらいの子供たちが大勢通っているよ」
「学校!? いやでも……俺は……あんまり、よく思われないだろ」
ラデクは俯いて、拳をギュッと握る。マルク王国では、ヴァーナ族の人はどこへ行っても歓迎されない。だから、帝国でもそうだと思うのも当然か。
「帝国は君が想像しているよりずっと広いんだ。色んな人たちが暮らしている。海を渡った東の国の人たちだって大勢来ているんだ。ヴァーナ族と言っても、知らない人の方が大半だよ」
僕が笑って答えると、ラデクが「そうなのか?」と驚いたようにこっちを見る。
「君の出身を気にする人なんていないよ」
マルク王国は小さな国なのだ。大半の人たちは、ヴァーナ族と同様に国の中の事しか知らない。
けれど、世界は広く、様々な人達が暮らしている。帝国はそれらを統合して、全て飲み込んできた国だ。帝国が支配する地域に住む人は、全て帝国の庇護下にある帝国民であるという考えが根付いている。
僕らが学校に通っていた時も、色んな国から留学に来ていた。言葉も文化も違う国の生徒たちが大勢いたから、細かい事なんて気しない。ラデクも学校に通ってみれば分かるだろう。
「だけど、俺……勉強はあんまり得意じゃないんだけど」
「そこは、努力と頑張り次第だな。大丈夫、家庭教師もちゃんとつけるよ。困らないようにね」
「それなら……通ってみてもいいけど」
ラデクは小さな声でポツリと言う。
「じゃあ、戻ったらすぐに入学手続きをしよう」
「すぐにじゃなくてもいいだろ。帝国がどんなところなのかも知らないのに」
「早い方がいいじゃないか。生活していれば、慣れてくるんだから。大丈夫、公爵家が後ろ盾になっている君を蔑ろにするような生徒なんていやしないよ」
むしろ、そっちの方が注目されそうな気がする。
ラデクはこう見えて面倒見がいいし、気のいいやつだから、絶対にすぐにいい友達ができるだろう。
その点、心配はしていないのだ。
「あ、公爵邸に戻ったら料理長を紹介するからさ。君の料理を、しっかり伝授してやってくれ。公爵家の得意料理として客人にも振る舞う予定だから」
「本気かよ! あんなの、適当に作った嫌がらせ料理なのに……」
「君のあの激辛スープは絶品だったんだからね。きっと、僕みたいに虜になる人が続出するぞ」
僕が笑ってクシャクシャに髪を撫でると、ラデクはなんとも嫌そうな表情で顔をしかめていた。




