エピローグ 三度目の結婚式
結婚式当日、僕は帝都の大聖堂内にある控えの間にいた。
落ち着かない。間抜けな失敗をしたらどうしようと、気が気ではなく、無駄に室内をうろつき回る。
「おい、少しはジッとしていろよ。気が散るだろ!」
ラデクは、帝都の学校への入学試験を控えている。こんな日でも本を開いて熱心に勉強していたが、僕がブツブツ言いながら目の前を往復するものだから、我慢ならなくなったように顔を上げた。
「ラデク、どこもおかしくないかな? 左右別々の靴下をはいていたり、髪の後ろが鳥みたいに跳ねてない!?」
僕が尋ねると、彼は顔をしかめてうんざり気味に溜息を吐く。
「気になるんなら、好きなだけ鏡で確かめてみればいいだろ! だいたい、お前……三度目の結婚式じゃないか。二回もオフェリアと結婚式しといて、なんでまだ緊張してんだよ!」
控え室のソファーに堂々と寝そべっていたカールが、「なんだと!?」と飛び起きた。
というか、なんで皇帝陛下が控え室でゴロゴロしてるんだよ。皇族用の貴賓室があるだろう。
「三度も結婚式をしただと!? それは聞いていないぞ」
詳しく話せとばかりに、目が爛々と輝いている。面白そうな事を発見した時の表情だ。
「いやだから、それは色々あったんだ。今は説明している時間なんてないじゃないか! もうすぐ、式が始まるんだから。オフェリアの方は大丈夫かな……なぁ、ラデク。ちょっと行って確かめてきてくれない?」
「はぁ!? 嫌に決まってんだろ。あっちは女の控え室だ」
「子供は問題ないさ。だから、頼んでいるんだ! オフェリアが困っているかもしれないじゃないか」
「例えば、どんな事で?」
「それは、ええっと……ベールが破れちゃったとか……」
「侍女やメイドがあんなに待機してんだから、なんとかするだろ?」
「何か忘れ物をしちゃってたり、靴が合わなかったり、思いがけない事が起きるものだろう?」
気を揉む僕を一瞥し、ラデクは付き合っていられないとばかりに首を振る。
そして、勉強に戻ってしまった。
「ラデクよ、分からない事があったら俺が教えてやろう。在学中はなかなか優秀な成績だったんだ。カンニングの天才だったからな! 一度もバレた事はないぞ。コツを教えてやる」
カールは暇潰しの相手を、ラデクに変えたらしい。
わざわざ横に移動して、ラデクが読んでいる本を横から覗き込んでいた。
「カンニングって……それでも、帝国の皇帝かよ。ちゃんと勉強しろよ」
「わはははっ、分かっていないな。学校で教わる事なんて、帝国の統治にはまったく必要ない事ばかりだ。大事なのは人脈作りだからな。適当に遊んで、悪巧みする友をたくさん作れという事だ。俺にイグナーツがいたようにだ。お前も一族の長なのだろう? だったら、よく心得ておけよ」
「帝国って……ダメ人間ばっかいるのか? それで大丈夫なのか!?」
ラデクは心配そうな顔をして呟き、「ああ、もう何でもいいから話しかけるな!」と頭をかきむしる。
試験は来週だから、かなり焦っているのだろう。
「おい、カール。ラデクの邪魔をするなよ。真剣にやってるんだから!」
「一番邪魔をしているのは、お前だと思うぞ」
冷静に指摘されて、僕はグッと言葉に詰まる。
まあ、そうだけど。だけど、仕方ないじゃないか。
誰かと話していないと、緊張で吐きそうなんだ。
「帝国一の公爵閣下も形無しだな」
カールまで呆れて肩を竦めている。
うるさい、放っておいてくれ。
お前やローザほど、図太くないんだ。
「閣下、式の準備が整いましたので、大聖堂の方にお越し下さい」
扉が開いて、神官が呼びに来る。
き、来たっ!
「ほら、麗しの花嫁が待っているぞ。イグナーツよ、さっさと行くぞ!」
飛び起きたカールが、僕の背中を強く叩く。
その衝撃で、心臓が飛び出しそうだった。ゲホゲホとむせた僕は、背筋を正してシャキッとする。
みっともないところをオフェリアに見せられない。
行くぞと、意気込んで拳を握った。
◇◇◇
大聖堂に移動すると、参列者たちが席に座っている。皇帝のカールと皇妃のローザが皇族用の特別席に着席すると、人声が止んで厳かな静けさが広がった。僕は祭壇の前で、何度も深呼吸しながら襟を直す。
扉が開いて、純白のドレスをまとったオフェリアが姿を見せる。
顔は長いベールに覆われていて見えない。神官の小さな咳払いでハッとした僕は、急いで絨毯の敷かれた通路を進む。ギクシャクした足の動きになってしまっていた。
オフェリアの父君は今回参列していないため、僕が祭壇までエスコートしなければならない。
迎えに行って隣に並ぶと、彼女がそっと腕に手を添える。
彼女に合わせて、できるだけゆっくり進んだ。
ああ、なんでかな。ものすごく泣きたい。
あんまり大きな幸せを感じると、人は涙が出るものらしい。
けれど、式が始まったばかりだというのに、いきなり僕が泣き出したら、オフェリアがびっくりするだろう。それどころか、いったい何事だと参列者が騒ぐに違いない。
そんな格好悪いところは見せられないと、僕は唇を引き結んで、正面の祭壇を凝視する。
今日の結婚式を迎えるまで、随分長かったような気がする。
彼女と出会ってまだ数ヶ月しか経っていないのだ。
半年前までは、彼女の事も知らず、自分がこんな形で結婚するなんて想像もしていなかった。
いずれは、結婚しなければならないとしても、それはまだ先の事で、どんな女性を迎えるのかすらも思い描けてはいなかった。
幸せな結婚なんて、どこか絵空事のように感じていた。
それは義務で、公爵家当主としての役割で、必要だから行う事で、そこに自分の感情や愛など介在しないものだと。
祭壇の前に立つと、神官が長い祈りの言葉を浪々と口にする。
結婚の宣誓書にサインを入れて、彼女の手を取り指輪をはめる時に、分かりやすいほど手が震えてしまう。危うく指輪を落とすところだった。
僕よりも、オフェリアの方がずっと落ち着いているように思える。
君は、幸せだろうか。
僕との結婚を後悔してはいないだろうか。
ベールを上げると、オフェリアが真っ直ぐ僕を見ていた。
頬がバラ色に染まっている。
恥ずかしそうに微笑む彼女を見て、僕は息を飲み込んだ。
黒い瞳が星空のようにきらめいている。
そこに不安や後悔の色は少しもなくて、僕は安堵すると同時に、堰を切ったように涙が出てきてしまった。
うっ、こんなところで泣くなんて!
思わず目頭を押さえようとした時、オフェリアが一歩前に出る。
唇に触れた優しくて柔らかい感触に、僕の方がびっくりしてしまった。
つま先立ちで僕にキスをしたオフェリアが、はにかむように笑う。
参列者たちが立ち上がって拍手をしていた。冷やかしの言葉まで投げてくる友人たちがいる。
それが妙に恥ずかしく、くすぐったくて、僕は涙を拭って笑う。
そして、オフェリアの腰に腕を回して引き寄せ、お返しのキスをした。
誓うよ。
僕は君を生涯、愛し続けると。
◇◇◇
王宮の離れの窓から、空を眺めていた。
青空を自由に飛ぶ鳥が、羨ましかった。
あの鳥たちは、どこへでも行けるから。
国王となった異母兄に帝国に嫁ぐように言われて、従うしかなかった。
帝国に行けば、一生幽閉か、殺されるかのどちらかだろう。
それも、仕方ない事だと諦めた。
マルク王国は帝国に負けたのだ。敗戦国の王族が、まともな扱いを受けられるはずがない。
実際、自分は帝国への献上品で、人質なのだろう。
人質の価値すらないというのに。
それでも、王族に生まれたからには、その責任と役目を果たさなければならない。
マルク王国のために、死ぬ事が自分に課せられた役目だ。
覚悟を決め、死地に赴くような気分で帝国に向かったあの日。
帝都の宮殿の扉の前で、出迎えてくれたのがイグナーツだった。
この人と結婚するのだと聞かされて、どう受け取ればいいのか分からなかった。
帝国の公爵で、とても顔立ちが整った優しそうな人。
オフェリアを見ても顔を顰めたり、嫌がる素振りなんて少しも見せない。
謁見の間に案内してくれる間も、気を遣うように話しかけてくれて、微笑みかけてくれた。
この人は、私などを結婚相手に押しつけられて、嫌ではないのだろうか。
不満はないのだろうか。
どうして、こんなに優しく、大切に扱ってくれるのだろう。
イグナーツといると、いつもそれが不思議だった。
彼の本心が分からなくて、不安だった。
その不安を感じなくなったのは、いつからだろうか。
彼の優しさが本物で、嘘偽りないものだと、分かったのはいつからなのか。
そばにいるだけで、安心を覚えるようになって、顔を見せてくれると嬉しくなり、心がソワソワして浮き足立つような気持ちになる。
彼が向けてくれる親切さと同じくらい、何でもしてあげたい。
こんな自分でも役に立てるのなら、どんな事でもしたい。
けれど、彼がくれるものはあまりにも大きくて、何一つ持たない自分には返しきれないような気がした。彼は自分だけではなく、母も弟も、祖国すらも救ってくれたのに。
薄灯りが灯る寝室のベッドの縁に腰を掛けて、寝間着を小さく握る。
結婚式の甘くて幸せな余韻がまだ体の中に残っている。
思い返すと、胸の奥が温かくなってくる。
今日この日のことを、たぶん一生忘れないだろう。
忘れたくない。
祭壇の前で自分を見つめて、不意に泣き出した彼の顔が浮かんでくる。
あの時、思わず自分の方からキスをした。
愛おしくて、大切で、その気持ちを伝えたかった。
イグナーツも同じ気持ちでいてくれればいいのにと、そう願うような気持ちで。
伝えたい言葉があるのだ。
以前は、ちゃんと言えなかった。
だから、今日こそは伝えたい。
溢れるほどの感謝の思いと一緒に。
扉が開いて、イグナーツが寝室に入ってくる。
「ごめん、オフェリア。カールのやつに絡まれて遅くなった……」
申し訳なさそうに言いながら、彼がベッドまでやってくる。
照れたように頭の後ろに手をやっていた。
立ち上がり、彼のそばまで移動する。
頬に手を伸ばすと、イグナーツが緊張するのが分かった。
「ええっと、あの……オフェリア……」
何か言おうと口を開いた彼に顔を寄せる。
唇を重ねると、イグナーツがびっくりしたように瞬きして、赤くなっていた。
「私、イグナーツ様が好きです。大好きです……」
視線を少しだけ下げて、小さな声で伝える。
イグナーツは唇を引き結んで、真剣な表情になっていた。
熱を持った手が、オフェリアの手を包む。
捧げられるものは、返せるのは、他にないから。
この心と誓いを、あなたへ贈ろう。
「心から、愛しています」
この先ずっと変わることのない愛を、あなたへ。




