誘拐
オフェリアの姿が消えた――。
ルカーシュ国王もいつの間にか退出していて、大広間に残っているのは仮面舞踏会を楽しむ客人たちだけだ。僕は煩わしい仮面を外して、廊下を足早に引き返す。ノックしたのは、フォスティーヌ姫の控えの部屋だ。侍女が扉を開くと同時に押し入ると、彼女はまるで僕が戻ってくるのが分かっていたかのように足を組んでワイングラスを傾けていた。
「あら、閣下。随分と顔色が悪いようですけれど、何かありまして?」
僕は遠慮なく彼女に歩み寄り、その前に立ってソファーの背に片腕を伸ばす。
艶然と微笑む彼女は表情を少しも変えない。
「私をオフェリアから引き離すために、時間稼ぎしましたね?」
「何の事だか……」
「時間を無駄にしたくない。私の妻はどこです?」
自分でも驚くほど冷たい声が出る。さすがにフォスティーヌ姫の顔からも笑みが消えていた。
僕の余裕のなさを感じたからだろう。
「知りませんわ……なんて言っても、あなたは信じないでしょうね」
「分かっているなら、答えてください。場合によっては、帝国があなたの国の敵になりますよ」
「あなたに帝国を動かすだけの権限があるのかしら? それは、さすがに自惚れが過ぎるという……」
フォスティーヌ姫は笑みを作ろうしたけれど、僕の顔を見て言葉を飲み込む。
たぶん、相当怖い顔になっていただろう。だが、今は取り繕っている場合でもない。
一刻を争うのだ。
「必要があれば、私はあらゆる手を尽くしてあなたの国を焼け野原に変えます。戻る国がなくなるのが嫌なら、私に素直に協力した方がいいという事です。脅しだと思いますか? マルク王国とブノア王国が手を結ぶ危険性を考慮すれば、さっさとあなたの国を消滅させておいた方が効率的だ。そう進言するだけで、我が陛下は喜んで帝国の軍を動かすでしょう。そして、クラッセン公爵家はそのための協力を少しも惜しまない」
赤い口紅をギュッと噛んで、彼女は僕を睨み付けてくる。スカートをつかむ手が小さく震えていた。
それを一瞥して、僕は敢えて笑みを作った。
「おや、随分と顔色が悪いようですね」
意趣返しにそう言ってやると、フォスティーヌ姫は苛ついたように息を吐いて僕から顔を背ける。
「あなたって、すごく性格が悪いわ」
「ええ、よく言われます。お人好しでやっていけるほど甘い世界には生きていない。違いますか?」
「……私は関わっていない。本当よ。あなたがそれを信じるかどうかは分からないけれど……あの国王が勝手に考えて実行した事だわ! だから、嫌だったのよ……バカに嫁いだところで、破滅しかないと言うのに!! 私は縁談をぶち壊せればそれでよかった」
うんざりしたように吐き捨てた彼女は、両手で顔を覆う。その手で豊かな赤髪をかき上げていた。
国王のルカーシュとフォスティーヌは連携してはいない。ただ、僕の足止めくらいは命令されていたのか。あるいは自主的に協力したのか。まあいい。それを追及をしている時間はない。
「その計画とは?」
「よくは知らないわよ。けれど、あなたとあのお姫様に〝思い知らせてやる〟と息巻いて、側近と何か結託していた。なぜ、仮面舞踏会にしたのか分かるでしょう?」
僕はソファーの背から手を離してわずかに前に倒していた体を戻す。
その視線を、真っ暗になっている窓の外に向けた。
仮面舞踏会では仮面をつけているから顔は見えない。とはいえ、この国で黒髪の女性は珍しい。それは、ヴァーナ族の特徴だからだ。顔を隠していても、オフェリアだとすぐに分かる。だから、国王も僕らをすぐに見つけて声をかけてきた。しかも、僕らには参加者の顔も素性も分からない。オフェリアが誰かに声をかけられて、大広間から連れ出されたとしても、その相手を特定するのは難しくなる。
王宮内のどこかに閉じ込められているのか、あるいは連れ出されたか。
「あなたに一つ、頼み事をしてもいいですか?」
「いいけれど、見返りは何かしら?」
「そうですね……あなたとルカーシュ国王の結婚を破談にしてさしあげます」
僕は彼女を感情を込めずに見下ろす。
「それが望みでしょう?」
◇◇◇
フォスティーヌ姫の部屋を出た後、僕は廊下を駆けるようにして控えの部屋に戻る。
王都の邸から、レーネが戻っていた。
「旦那様、手紙は無事に届け……」
マントを脱ぎながら報告してくるレーネの肩を、僕は思わず強くつかんだ。
レーネはすぐに何かあったのだと悟ったようで、顔を強ばらせる。
「閣下……」
「オフェリアの姿が消えた。僕が離れていた間に誰かに連れ出された。フェリックスにすぐに知らせてくれ。王宮から出入りした馬車がないか調べて報告を。僕は目撃者がいないか調べる」
「承知いたしました」
レーネは青い顔をして、脱いだマントをもう一度羽織り直す。
「すまない……目を離した僕のミスだ」
「閣下、反省は後です」
強い口調で言われて、項垂れそうになっていた僕は顔を上げる。レーネの言う通りだ。
「その通り。今はオフェリアの救助が最優先だ。そう時間は経っていないから、もし王宮から連れ出されたとしても王都からは出ていないはずだ」
だが、国王が指示しているのなら、夜間は閉ざされる城門も簡単に通過できるだろう。
その前には、オフェリアの身柄を保護したい。
ルカーシュ国王も、こんな強行な手段に及んだという事は、僕もオフェリアも王国から生かして帰すつもりがないということだ。
だとすれば、もう殺されている可能性も――。
つい、ハッと笑っていた。
「閣下……」
「大丈夫だ。愚物は愚物だと呆れただけだよ」
僕は心配そうな表情で見ているレーネにそう答える。
〝徹底的に叩き潰してやらないと分からないらしい〟
◇◇◇
ぼんやり目を覚ました時には、誰かに担がれて運ばれているところだった。
手も足も縄できつく縛られているから思うように動けない。口に噛ませた布のせいで思うように話せなかった。ようやく出たのは呻くような声だけだ。
「チッ、目を覚ましやがった。急ぐぞ!」
オフェリアを担いだ男がそう言って、オフェリアを馬車の中に放り込む。打った肩の痛みを堪え、目を瞑った。男が馬車の扉を閉めようとした時、俄に外が騒がしくなる。
(いったい、何が……)
頭がまだぼんやりしているせいで、直前の記憶が霞む。
ひどく眠いのは、何かの薬を嗅がされたせいだろうか。
男が乱暴につかんで連れてきたのは、マントを羽織った女性だ。その女性を突き飛ばすように馬車に押し込めると、「大人しくしていろ。死にたくなけりゃ妙な真似するんじゃねぇぞ!」と怒鳴って扉を閉める。
外から鍵をかけられる音がした。
馬車はすぐに走り出したようで振動が伝わってくる。
「姫様…………私です」
マントの女性の声で、オフェリアはハッとする。
(レーネ!)
オフェリアは肘を使い、何とか上体だけでも起こそうとした。オフェリアもレーネも馬車の床に転がらされた状態だ。レーネも手を縛られているけれど、足は動かせるようだ。それに彼女は布で口を塞がれていない。男達も急いでいたからだろう。レーネがこの場に現れるのは想定外の事だったようだ。
「閣下が探しておいでです……」
レーネは顔を寄せてきて、小声で囁く。
声が出せないかわりに、オフェリアは頷いた。
(イグナーツ様なら、絶対…………助けに来て下さるから…………)
今の自分たちにできる事は、生き延びる事だ。




