思惑
王宮内に用意されている控えの部屋に戻ると、レーネが奥の部屋から出てくる。てっきり、オフェリアも一緒だと思っていたのか、入ってきたのが僕だけと分かると驚いていた。
「旦那様、姫様に何かあったのですか?」
「いいや、オフェリアは大広間にいるよ。ちょっと、レイネに急ぎで頼みたい事があってね。僕だけ抜けてきた。すぐに戻るよ」
僕はそう伝えると、書き物机に向かう。立ったまま、紙にペンを走らせた。サインを入れてから、折りたたんで封筒に入れる。
「邸に戻って、これをカッセリアン城のゲーラー卿に至急届けてもらってほしい。重要な案件だと言えば、伝わるはずだ。頼めるかな?」
封筒を渡すと、レイネはハッとしたような顔をして頷いた。王都に借りている邸には、連れてきた帝国の事務官が二人ほど滞在している。後は事務官がうまく手紙をカッセリアン城まで届けてくれるはずだ。
「承知いたしました。手紙を届けて、すぐに戻って参ります」
「ああ、頼むよ。フェリックスを護衛として連れて行くかい?」
「いいえ、私だけの方が目立ちません。それに、バロー卿には閣下と姫様の護衛という役目がございますから、王宮から離れない方がよいでしょう」
「無理は禁物だよ。王宮を出る時に追跡されるかもしれない。危なくなければ、絶対に逃げてくれ。手紙を渡せと言われたら抵抗せずに渡せばいいから。いいね。レイネに何かあっては、オフェリアが悲しむ」
それに、手紙に書いたのは、ルカーシュ国王とブノア王国のフォスティーヌ姫の結婚に関する事だけだ。帝国側の機密情報というわけでもない。だから、最悪取り上げられていいように、最低限の情報しか書かなかった。それだけで、ゲーラー卿ならすぐに理解するだろう。
「承知しております。捕まるような間抜けな失敗はいたしません」
レイネはキリッとした表情でそう言い切る。彼女は侍女であって、訓練された諜報員ではない。それでも、レイネならこの大事な役割もそつなくこなしてくれるのだろう。フェリックスといい、レイネといい、優秀で使い勝手が良すぎて困る。つい、僕まで頼りたくなるんだから。
「君たちの献身に報いる方法が、給料倍増しくらいしか思い付かないよ」
「それで十分でございます。私が戻るまで、姫様の事を頼みます」
レイネは珍しくニコッと微笑むと、一礼して部屋を出て行った。
さて、オフェリアをあまり一人で待たせるわけにはいかないな。
僕は控えの間を出て、広い廊下を歩きながら大広間へと引き返す。
「クラッセン公爵様、ちょうどよかった。大広間にお姿が見えないので、捜しておりましたのよ?」
広げた扇をパチンと閉じて、にこやかに声をかけてきたのは、驚いた事にフォスティーヌ姫だった。
一瞬周りに視線をやったけれど、ルカーシュ国王の姿はない。そんな僕の警戒の表情を見て取ったからか、彼女は微笑みを浮かべたまま側にやってくる。
「ご心配なく。私も体調が悪いと抜け出してきましたの」
扇を赤い唇に添えるようにして、彼女は囁くように言う。その手が僕の袖をそっとなぞるように触れていた。
「フォスティーヌ姫、申し訳ないのですが……オフェリアを待たせているのです。用件があるなら、この場で聞きますが、できるだけ手短に願えますか?」
僕は取りあえず愛想良く笑みを返しておく。
「あら、閣下も私に色々とお尋ねになりたい事があるのではないかしら? そう思ったから、わざわざこうして機会を作って差し上げたのに。随分とつれない言い方をなさいますわね。それと、心配には及びませんわ。あの方なら、大広間で楽しそうに他の方と踊っていらっしゃいましたもの」
随分と、見透かしたような物言いをするものだ。
けれど、確かにブノア王国の思惑が知れるなら、この機会を逃すのは惜しい。
それに、彼女がわざわざルカーシュ国王のいないところで声をかけてきた理由が気になる。
どういうつもりだろうな。僕と視線が合うと、彼女はニコッと笑みを作る。
「ほんの少し、お時間をいただければ、お互いに有意義な会話ができると思うのですけれど?」
「なるほど……貴女のおっしゃる有意義な会話の内容には、正直言えば興味はありますね。ただ、ルカーシュ陛下はこの事をご存じなのですか?」
「まさか! 私が閣下とお話したいなんて言えば、あの方はきっとお許しになりませんわ。ですから、これは、私と閣下だけの秘密のお話。もちろん、あの方の耳に私達の話が伝わる事はありません。ですけれど、ここでグズグズと立ち話をしていると、目立ってしまいますから、噂になってしまうかもしれませんわね」
僕は小さく溜息を吐く。確かに、ここで立ち話をしているのを見られるのはマズい。
「分かりました。うかがいましょう」
「やっぱり、閣下は理解ある方のようですわね。部屋にお茶を用意させておりますの」
彼女はそう言うと、すぐ近くの部屋の扉を開く。用意周到とはこのことだろう。
それに、こちらとしても、ブノア王国側の目論見を探るいい機会ではある。
◇◇◇
部屋に入ると、侍女が二人待機していた。この場にいるという事は、フォスティーヌ姫が連れてきた信頼できる侍女たちなのだろう。勧められるままにソファーに腰を下ろすと、侍女がすぐにお茶をいれてくれる。焼き菓子やケーキまで用意されていた。
フォンティーヌ姫は向かいに座ると、つけていた仮面を外す。
「この場では隠す意味がないでしょう? それに、仮面ってあまり好きじゃありませんの。閣下も仮面を外されては?」
「その必要がありますか?」
紅茶のカップを取り、口に運ぶ。一瞬、毒や眠り薬が入っている可能性も考えたけれど、彼女にはわざわざ僕を殺したり、誘拐したりする動機はない。
「心配なさらずとも、何もいれてはおりませんわ」
僕が躊躇っているのを見て、フォンティーヌ姫は自分のカップを取って飲んでみせる。同じポットから注いだお茶だ。わざわざ毒味までされては、飲まないというのも失礼に当たるだろう。仕方ないと、僕も紅茶を口にする。さすがにいい茶葉を使っているおいしい紅茶だ。
「閣下は随分と警戒心のお強い方なのですね。聞いていた印象とは違いますわ」
「そうですか? 貴女の耳に私の評判がどのように伝わっているのか、気になりますね」
「大胆で行動力のある策略家……王都に駐在していた帝国の駐在員や兵を、全てカッセリアン城に移動させたそうですわね。ルカーシュ国王が苦虫を潰したような顔をしていましたわ。いったいどういうつもりなのかと……あの方には、閣下の思惑が分からなかったようですわね」
「特に思惑などありませんよ。私が今回、マルク王国を訪れたのは、オフェリアとの結婚の報告と挨拶のためです。ですから、オフェリアの母君と弟君が滞在していらっしゃるカッセリアン城に滞在させてもらっているだけで、他に意図などありませんよ」
「それなら、帝国の兵や駐在員まで移動させる必要はなかったでしょう?」
会話を愉しむように、彼女は唇の端を上げる。仮面を外したフォスティーヌ姫は、どこか妖艶さの漂う美人だった。これなら、確かにルカーシュ国王が結婚を決めるのも無理はない。
露出の多いドレスも、彼女が着ると下品には見えず着こなしている。自分の魅力を十分に理解していて、それを武器にできる人なのだろう。ルカーシュ国王程度の器の男には手に余る女性のように思える。簡単に手玉に取られて終わりだろう。むしろ、フォスティーヌ姫は、自分の結婚相手があの国王で満足しているのだろうか。政略結婚だから、不満があろうとも従っているのか。
例え、国王の命令だとしても、意に沿わぬ相手の元に大人しく嫁ぐような人か?
とても、そうは見えないけどな。僕はお茶を飲みながら、さりげなく彼女を観察する。彼女の方も観察されている事など承知の上だろう。
ふうっと息を吐いてから、僕はカップを手に持ったソーサーに戻す。
それをテーブルに戻してから、改めて彼女を見た。
「遠回しな話をしている時間はお互いにないでしょう。率直に尋ねます。本気でルカーシュ国王と結婚するおつもりが?」
帝国を牽制するための形だけの婚約という可能性が高いように思える。
あるいは、帝国を牽制するための軍事協定を餌に、ブノア王国側がマルク王国に何かの利益供与を約束させようとしているか。
「いや……違うかな。むしろ、ブノア王国の狙いは、マルク王国を餌として帝国を釣ることか」
僕は顎に手をやりポツリと呟いた。
フォスティーヌ姫は一瞬僕を見てから、急に笑い出した。
「やはり、閣下は侮れませんわね。なぜ、そうお思いになったのか、聞かせていただいても?」
「貴女が、こうして私をお茶に誘ったからですよ」
彼女はわざわざ、僕を待ち伏せしていて、ルカーシュ国王の目のないところでの話し合いを要求した。
帝国側の意向を僕から聞き出したいからではない。
「そう……そこまで読まれているのなら、私もあえて遠回しな会話はいたしませんわ。閣下の読み通りだと申し上げておきましょう」
フォスティーヌ姫は立ち上がると、僕の隣にわざわざ移動して座り直す。つい端に逃げそうになった。「あの……フォスティーヌ姫。あまり近付かれるのは不適切では?」
「私と閣下しかおりませんのに?」
「いや、他にもいるでしょう?」
「侍女なら、私の信頼できる者たちです。ご不安なら、あの者たちは後で処分しておきますわ」
ニコッと笑いながら、なかなか怖ろしい事を言う。侍女たちは目を伏せて人形のように立っていて、微動だにしない。本当に僕らの会話など聞こえていないようだ。
「いいえ、やめてください。寝覚めが悪くなりますから。それで、貴女の要求はなんです?」
早く話し合いを終わらせたくて、僕は早口で尋ねた。ソファーの端に移動したから、もう逃げ場がない。これ以上、近付かれるのは遠慮したいんだけどな。香水の匂いがつきそうだ。それすら、この人からすると計算の上なのだろう。
「閣下は帝国の皇帝陛下とは、無二の親友でいらっしゃるのでしょう?」
「私は皇帝陛下の忠実なる臣下の一人に過ぎませんよ」
寄ってくる彼女からできるだけ距離を置く努力をしながら、笑みを作って答える。
「まあ、ご謙遜を。陛下が閣下の事をどれほど信頼しているかは、噂でも聞こえてきますもの」
「ええまあ、信頼していただけるように常日頃から献身的に職務に励んでいるのは確かですね」
フォスティーヌ姫の指が僕の頬をなぞる。
肉食獣に食べられそう……助けて、フェリックス!
なんて、心の中で悲鳴を上げながらも、表面上は平静を装う。
「陛下に、私の事を紹介してくださらないかしら?」
いきなりの要求に、僕は思わず取り繕う事を忘れて「は?」と素で聞き返してしまった。
「私をあなたの陛下に引き合わせていただくだけで十分よ。そこから後は、自分でなんとかしますもの」
「待ってください。ええっと……それは、ブノア王国の意向と取っていいのですか?」
僕は額を指で押さえながら確認のために尋ねる。とんでもない事を言い出したぞ、このお姫様は。
頭が痛いなんてものじゃない。
「いいえ。父はルカーシュ国王との縁談に乗り気ですわ。でも、私は正直……あまり気が進みませんの。どうせ、釣るならもっと大きな獲物の方がいいでしょう?」
彼女の豊満な胸がギュッと寄ってきて、さすがに僕の顔にも動揺が滲む。多分視線が泳いでしまっていただろう。とはいえ、背中は椅子の肘掛けに当たっているからこれ以上逃げ場はない。いざとなったら、椅子から転げ落ちて部屋を飛び出すしかないだろう。
「一応、お伝えしておきますが……我が帝国の皇帝陛下は、すでに皇妃がおられますよ?」
しかも、その皇妃は僕の異母妹だ。
「もとより承知しておりますわ。なにも正妃にしてただこうなんて、厚かましい事は私も考えてはおりませんわ。私、帝国の陛下なら側妃でも全然、かまいませんのよ? それに、皇妃様にはまだお子様がいらっしゃらない。となれば……困りますわよね?」
つまり、この人は皇帝の側妃狙いで、僕に声をかけてきたってこと!?
僕は思わず顔をしかめ、彼女の肩をグイッと押した。
「マルク王国とブノア王国の間で決まっている結婚の約定を反故にして、帝国の側妃に収まりたいと? それを貴女の父上がお許しになると思いますか? 下手をすれば、三国巻き込んでの戦争の火種になりますよ?」
「その心配はいりませんわよ。お父様も、帝国の側妃の地位が手に入るなら反対などいたしませんわ。むしろ、よくやったと手を叩いて喜びますわ。マルク王国の王妃の座といっても、しょせんは帝国の属国。それに、今回の結婚はマルク王国側から打診してきた事ですけれど、ブノア王国にはあまり利益はありませんの。おわかりでしょう?」
「まあ……そうでしょうね。ですが、結婚を破棄すれば、マルク王国を敵に回すのは間違いない」
「大した事ではありませんわ。私が帝国の側妃に収まれば、マルク王国など手も足も出ない。ねぇ、閣下。賢明なるあなたなら、お分かりのはずですわ。帝国としても、マルク王国とブノア王国が手を結ぶのはあまり好ましくない事でしょう? それよりもブノア王国と帝国が結ぶ方がずっと利が大きい」
彼女の言葉に、僕は思わず黙る。確かにそれはそうだ。まさに、両国が敵に回れば、帝国は常に国境を警戒していなければならない。ブノア王国が帝国側につくなら、その負担を減らせるのだ。参ったな、本当においしい取引である。合理的に考えるなら、飲まない理由がないくらいに。
けれど――。
「無理だと思いますよ……我らが陛下は愛妻家です。側妃を娶るという考えはないでしょう」
僕は前髪をかき上げて、息を深く吐く。
こんな話を持ちかければ、きっと僕はぶっ飛ばされて絶縁を言い渡されるだろう。主にローザから。
もちろん、追加でカールからも二、三発は殴られるに決まっている。
「ええ、そうでしょうね。ですから、私も作戦を変えようと思います。陛下の側室が無理なら、公爵夫人の地位でもかまいませんのよ?」
ニコーッと微笑んだ彼女の言葉に、僕は思考停止に陥ってしまった。
「は…………はい!?」
「ですから、閣下の妻でもかまわないと申し上げているのですわ。私、一目で気に入ってしまいましたの。閣下の事が」
フォスティーヌ姫は僕の仮面に手を伸ばして、紐をスルッと解く。
硬直している僕を見て、彼女は笑みを深めた。
「とんでもない事を次から次に言い出す人だな……貴女は」
僕は自分の顔を押さえて、思わずそう吐き出す。
「思い付きで言っているように聞こえまして?」
「そうでなければ、嫌がらせと受け取りますよ。私にはすでにオフェリアという妻がいるのに」
「ああ……あの黒髪のお姫様。ルカーシュ国王が押しつけたお荷物の人質じゃありませんの」
「そう言う言い方はやめていただきたい。非常に不愉快です。政治的な事情で結婚が決まったのは事実ですが、僕にとってはオフェリアは唯一無二の妻で、これ以上望みようのないほど素晴らしい女性です。他の女性との結婚など考えるはずもない。たとえ、相手が貴女であってもです」
はっきり嫌悪感を浮かべて突っぱねるように言うと、彼女が驚いた表情で瞬きをする。
「断れば、ブノア王国は帝国の敵に回るかもしれませんわよ? ルカーシュ国王は閣下が想定している以上に狡猾な方ですわ。帝国の属国である事にいつまでも、甘んじている気はないでしょう。その時、困る事になるのではありませんの?」
「その時は、その時で対処を考えますよ。少なくとも、僕もカールも妻を犠牲にして平和を得たいとは思いません。そもそも、あなたと結婚したからと言って、ブノア王国が帝国の友人になるかどうかは分からないでしょう?」
「私の言葉は信用できないと?」
「あなたとの約束には、担保となるものがないと言っているのです」
「私の身では、人質としても不足だと言いたいのね。あの女にはその価値があるのに……」
フォスティーヌ姫の声に、ザラッとした嫉妬が混じる。微笑みが消えて、眉間に皺が寄っていた。
「その価値があると、証明できますか?」
「そう……分かりました。残念だわ。あなたはもう少し、お話の分かる方だと思っていたけれど」
「個人的にはとても魅力的なお話だと思いましたよ。それは本当です」
「慰めなど結構! ですけれど、後悔なさらぬ事ですわね」
「とても有意義な時間でした。では、失礼」
ソファーから立ち上がり、彼女に背を向けて部屋を出て行く。
廊下に出たところで、胸に溜まる息をまとめて吐き出した。
まあ、けれど……彼女がルカーシュ国王との縁談に乗り気ではないのは分かった。
それは多分、本心なのだろう。
それに、縁談を持ちかけたのがマルク王国側で、ブノア王国側は、まだはっきりと決めたわけでない事は分かった。だから、ルカーシュ国王もまだ公表できないのだろう。ブノア王国側は返事を先延ばしにする事で、帝国側の反応を探っている。彼女が帝国側との縁談の話をもちかけていたのも、そのためだ。彼女だけの意見や思い付きではない。おそらく、それがブノア王国側の意向だ。
要するに、ブノア王国は帝国とマルク王国を秤に掛けて、帝国側がどんな誠意を見せるかによって、どちらに着くか決めるつもりなのだろう。なんとも狡猾なと言いたくなるけれど、それが国同士というものだ。どの国も自国の利益が最優先だ。ただ、そういう策を巡らせる相手を、友好国として信頼できるかと言われれば否だ。日和見な相手は、状況が不利になればいつでも裏切る可能性がある。
最低限の表面上の友好的な関係を維持するだけに留めておくか、あるいは裏切る気すらなくさせるほど、徹底的に叩き潰しておくかのどちらか。カールなら少しも躊躇う事なく後者を選ぶだろう。
そして、僕もその考えには賛成だ。ブノア王国は警戒すべき敵だ。
今、そうはっきりと認識した。あの国と友好は無理だ。
無意識に眉間に皺を寄せて歩いていた僕は、そういえば仮面を外したままだという事を思い出した。握り締めていた仮面をもう一度付け直して、大広間に入る。オフェリアを随分と待たせてしまった。
心配かけているかな。
広間を見回して姿を捜す。けれど、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
化粧室だろうか。そう思いながら、酒のグラスを配って歩いていた従僕を呼び止める。けれど、従僕は知らないのか首を振るばかりだ。
嫌な予感がして、足の向きを変えて大広間を飛び出した。




