山へ
「オフェリア、ヴァーナ族はどうして鷹を崇めているの?」
山道を進みながら、僕は暇がてら尋ねてみた。まだ、道はそれほど険しくない。それに、天気も穏やかで風も涼しい。広々とした空を、番いの鷹が旋回していた。その鳴き声が遠くまで響いている。
「英雄となった者の魂は、鷹となって太陽の神の元に戻る……そんな話だったと思います。ですから、鷹は太陽の神の眷属であり神聖な鳥だから、無闇に傷つけてはいけないとか。私も母から少し聞いただけなので詳しくないんですけど」
「英雄か。どういう人たちが英雄と呼ばれたんだろう?」
「ヴァーナ族の始祖様や、マルク王国と戦った戦士や族長がそう呼ばれていたみたいです。それに、大きな地震が起こった時に、それを予知して多くの人を救ったとか……母の曾祖父がそうだったと聞いています」
「へぇ、勇敢で偉大な人だったんだな」
「はい。とても尊敬されていたみたいです」
オフェリアは誇らしそうに笑う。
登っていくにつれて、山道も険しくなる。途中、小川が流れている場所を見つけて、岩場に腰を下ろし、休憩することにした。麓の村の人達がくれたパンとチーズ、それに燻製肉で昼食を取る。
それを食べ終えてから、僕は「さて」と立ち上がった。
座っているオフェリアの前に移動して、膝をつく。
手を伸ばすと、オフェリアがびっくりした様子で足を引っ込めようとする。
「イグナーツ様! 大丈夫ですから」
「大丈夫じゃないだろう? 我慢しているじゃないか」
靴をそっと脱がすと、踵がこすれたのかギュッと目を瞑っていた。
赤くなっている皮膚を見て、荷物の中から包帯を取り出す。
「自分でできますから! イグナーツ様に、こんな事はさせられません」
「いいから。座ってて」
僕がそう言うと、彼女は恥ずかしそうに小さくなっていた。
小さくて綺麗な足に、包帯を丁寧に巻いていく。
「もう少し、早く言ってくれればよかったのに」
「これくらい、平気だと思ったのです……ごめんなさい。ご迷惑をおかけして」
包帯を巻いて靴を履かせ、しょげている彼女を見た。
「迷惑なんかじゃないし、謝らなくてもいい。それより、我慢される方がずっと困るんだ。僕はそれほど、気が利く方じゃないんだから……言ってもらった方が助かるんだよ」
「はい、ありがとうございます。おかげで痛くありませんから、まだまだ歩けますね!」
オフェリアは立ち上がり、大丈夫だと証明するように軽く跳んでみせた。
僕はつい、笑ってしまう。張り切るのはいいけれど、無理はさせられない。
「ダメだよ。この先、道が険しくなりそうだし、まだまだ歩く事になりそうなんだ。君はロバに乗ってくれ」
「いいえ、私は重いですし……ロバさんがかわいそうです!」
オフェリアは首を左右に振って遠慮する。
その〝ロバさん〟は、ムシャムシャ草を食んで、水を飲んでいた。
「じゃあ、ロバに乗るか、僕に背負われるか、どっちかだな。どっちがいい?」
「そんな……イグナーツ様に背負っていただくなんて、もっとダメです!」
「君を歩かせるわけにはいかないよ? 傷が悪化したらどうするんだ。さあ、ロバか、僕が、どっちでも好きな方を選んで」
「それなら……ロバに……」
オフェリアはロバをチラッと見て、渋々のように答える。
「僕を選んでくれてもよかったのに」
「ダメです!」
「それは残念だ」
僕は笑って立ち上がった。
荷物の袋は僕が持ち、かわりにオフェリアに乗ってもらう。
ロバは重さなど気にした様子もなく、ノロノロと歩き出した。
「このロバを信じてついていっているけど……本当に大丈夫なんだろうか」
もしかして、適当に歩いているだけなんじゃないだろうか。
僕は綱を引きながら、怪しむようにロバを見る。
「大丈夫です。この子はすごく賢い子ですから」
オフェリアに頭を撫でられたロバは、得意そうに歯をむき出しにして鳴く。鼻をムズムズさせている姿には、微塵も知性を感じられないんだが……。
「まあ……今はこいつが頼りなんだ。頑張ってもらおう」
「はい!」
オフェリアはロバの背に横乗りして、笑顔で頷く。
◇◇◇
山の中腹に差し掛かる頃には、天気が怪しくなってきた。
日が陰り、風が強くなる。雨でも降り出さなければいいけれど。
そう思いながら、霧が出始めた山道を進む。岩の壁に挟まれた狭い道だ。落石でも起きないかと心配になる。
かなり進んだのに、山小屋の一つも見えてこない。本当にこの先に、集落などあるのだろうか。霧で道を間違えたり、見失った可能性もある。野宿も覚悟しておかなければならないかもしれない。
空をふと見上げた時、ロバが落ち着きのない鳴き声を上げて動かなくなる。
目の前を掠めたのは矢だ。
岩壁に突き刺さったその矢を見て、「オフェリア!」と咄嗟に声を上げた。
「私は大丈夫です! それより、イグナーツ様。お怪我は!?」
「いや、僕も大丈夫……それにしても、手荒な挨拶だな」
僕は矢を引き抜いて、狙われた方向に向かって投げ返す。
「いったい、どういうつもりで攻撃なんてしてくるんだ!?」
僕が大きな声を上げると、霧の中から男たちが現れた。
全員が弓と矢で武装している。
岩場の上にも数人の男がいて、弓でこちらを狙っていた。
二十人はいるだろう。霧が濃くて視界が悪い状況では、こちらが圧倒的に分が悪い。
「招かれざる客人を歓迎してやる道理があるか?」
不機嫌な声が聞こえて、馬に乗った男が霧の中から姿を見せる。
立派な体躯の男だった。
オフェリアと同じ、黒髪に黒い瞳……。
「ヴァーナ族の方ですか? それなら、私達は敵ではありません。族長様にご挨拶したく、やって参りました。弓を下ろして、話を聞いてくださいませ!」
ロバから降りたオフェリアが、僕を庇うように前に出て声を張り上げる。
僕はその毅然とした態度に驚いた。危ないから下がってと言おうとしたけれど、彼女は僕の袖をギュッとつかんでいる。この場は任せてほしいという合図だろう。
だから、僕は唇を閉じて、腰に佩いた短剣の柄を強く握った。
「ヴァーナ族に縁の者のようだな。そちらは違うようだが。族長に何の用だ?」
「私はお祖父様に会いに参りました。母は族長フベルトの娘、ルーラ。私はその娘のオフェリアです」
オフェリアが名乗ると、周囲の男たちがざわつく。
「フベルト様の孫だと!? それは本当か!?」
「ルーラ様は生きておられたのか……」
そんな声が耳に届く。「静かにしろ!」と、馬上の男が一喝した。
「それが事実だと証明できるものはあるのか?」
「あります。母から、手紙を預かっています。それに、母の耳飾りも」
「弓を下ろせ。その男の武器を取り上げろ」
男は軽く手を挙げて周りの男たちに命じる。
ひとまず、彼らがヴァーナ族の人達である事は間違いないだろう。
オフェリアの祖父や母の名前も知っているようだ。
下手に抵抗せず言いなりになっておく方がいい。
僕は短剣の柄から手を離して、両手を上げた。
近付いてきた男が、短剣を取り上げ、荷物や服を確認する。
馬上の男は「ついてこい」と偉そうな態度で命じて、馬の向きを変えた。
◇◇◇
ようやく、苦労してヴァーナ族の集落に辿り着いたというのに――。
オフェリアと引き離された僕は、洞窟の中に作られた牢屋に放り込まれるという、まったくありがたくない歓迎を受けていた。
頑丈な木の柵で囲まれた牢屋には、藁を編んだ敷物が敷いてあるだけだ。洞窟の壁にうがたれた窪みに、蝋燭が立てられていて火が灯っている。その灯りだけでは、牢屋全体を照らすには到底足りない。薄暗く湿っていて、コウモリが飛び交っていた。
「罪人でもないのに牢に放り込むなんて、ひどいじゃないか。これが、ヴァーナ族流の客人のもてなし方なのか!?」
僕は木の柵をつかんで猿のように揺らしながら、大声を張り上げる。
洞窟内は声がよく響くけれど、返事はないので虚しさが増す。
牢屋の入り口にいる兵士は、どうやら僕を無視するつもりでいるらしい。
僕は深く溜息を吐いて、木の柵にもたれながら座り込んだ。
いくら喚いたところで、無駄に喉が渇くだけか。
オフェリアは大丈夫かな。
僕のように牢屋に放り込まれているなんて事はないはずだけど。
彼女は祖父と会わせてもらえているはずだ。血縁だと分かれば、危害を加えられることはないだろう。
「いきなり、これは想定していなかった」
歓迎されないとしても、追い返されるくらいだと甘く考えていた。まさか、有無を言わさず捕らえられるとは。ヴァーナ族が排他的だとは聞いていたけれど、これは想像以上だ。せめて、オフェリアが僕のような目に遭わされる事がないように祈るしかない。
僕ときたら荷物も短剣も取り上げられて丸腰だ。ここから抜け出す方法もない。
どうにかして、オフェリアの無事を確認しないと。入り口に兵士はいたけれど、洞窟の中にいるのは僕一人。話し合い手になってくれる者は誰もいない。
まあ、そのうち誰か来るだろう…………。
まさか、このまま飢え死にするまで放置されるってことはないよな?
あり得そうで、気が滅入ってくる。
その時、人の声と足音が聞こえた。
振り返ると、灯りを持った十三、四歳くらいの少年がやってくる。
黒髪で、気の強そうな目をしている。腰には一人前に剣を佩いていた。
体格はそれほど大きくはない。
少年は木の柵の間から食事の器と水の入ったカップを差し入れ、「飯だ。食え」と無愛想に命令して立ち去ろうとする。
「ちょっと、待って! オフェリアは今、どこにいるんだ!? 無事なんだろうな!」
僕は木の柵につかまりながら、慌てて呼び止めた。
面倒そうに振り返った少年は、「お前に教える義理なんてない」と素っ気ない。
「僕はオフェリアの夫なんだ。知る権利くらいあるだろ。頼むよ、心配でたまらないんだ。ああ、そうだ。教えてくれたら、これをやるよ」
僕はポケットから取り出した銀貨を見せる。それを一瞥した少年は、僕をジロッと睨んできた。
「金で懐柔しようって言うのか? 王国のやつは考えまで卑しいな。誰がその手に乗るか」
「僕は王国生まれじゃなくて、帝国生まれだ。なぁ、少しでいいんだ。教えてくれたら、静かにしておくからさ。無事かどうかだけでも教えてくれ!」
僕が必死に頼むと、少年は僕がちらつかせる銀貨をひったくる。それをポケットにしまうと、空の手を差し出してきた。
ちゃっかりしているじゃないか。
僕はもう一枚銀貨を取り出し、少年の手に渡す。
「父上や爺様と一緒にいる。心配しなくても、あんたみたいな目に遭っちゃいないさ」
「父上や爺様? ということは、君は族長の孫? オフェリアの従兄弟?」
僕が尋ねると、少年はしゃべりすぎたとばかりに舌打ちする。
「どうだっていいだろ。お前には関係ない。どうせ、そのうちに簀巻きにされて谷に棄てられるんだ」
少年は軽く手を振って背を向けた。
「今、すごく不吉な予言が聞こえた気がするんだけど!?」
「知るかよ。お前の知りたいことは教えてやったんだ。そいつを食って、大人しくしていろ。それが、最後の晩餐になるかもしれないけどな」
意地悪く笑った少年は、さっさと洞窟を出て行ってしまう。
僕はガクッと膝をついて、差し入れられた食事に目をやった。なんだか味の薄そうなスープに、薄っぺらく伸ばしたパンが突っ込んである。これが、最後の晩餐だって? 冗談じゃない。簡単に死んでやるもんか。
絶対にオフェリアを助け出して、この村から脱出してやるぞ。
僕は決意して、器をつかむ。そのためには、空腹を満たしておく必要がある。谷に棄てる予定の人間の食事に、わざわざ毒を盛るなんてことはしないだろう。
スープをゴクッと飲むと、見た目に反して意外と塩味が効いていてうまい。
「あれ、いけるじゃないか……」
僕はパンも口に運んでみる。
スープに浸されたパンはふやけていて、味が染みこんでいた。
そのパンも、もちっとしていて、表面は香ばしく焼けている。温かいから、作り立てだろう。もっと、悲惨な食事が提供されると思っていたけど、これは悪くないな。
食事を残さず平らげた僕は、水を飲んで一息吐く。
とりあえず、オフェリアは無事なようだから一安心だ。
後は彼女がうまく交渉してくれるはず。
食事は悪くないから、僕はここで大人しく待っているとしよう。
木の柵にもたれて、欠伸を漏らしながら目を瞑る。
焦っても仕方ない。




