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出発

 ルーラ様の故郷、ヴァーナ族の村へは、僕とオフェリアの二人で向かう事にした。フェリックスやレーネは心配して同行を申し出てくれたけれど、僕らが城を出た事はあまり人に知られたくない。


 理由の一つは、僕らが旅に出た事が分かれば、道中でつけ狙われる可能性がある。もう一つは、監視の目を誤魔化すためだ。国王からの呼び出し状が届けられたとしても、僕らが遠く離れた場所にいれば応じる事なんてできないし、書状も受け取れない。


 不在の間の城の事は、全てゲーラー卿とルーラ様に任せてきた。うまく対応してくれるだろう。それに、城には騎士も兵士も残してきているから、イヴァンの安全も確保されている。


 せっかく、結婚式を行ったんだ。新婚生活を邪魔されたくない。

 そんなわけで、僕らは城にやってきた商人の一団に紛れて抜け出したというわけだ。商人はゲーラー卿が紹介してくれた信頼できる人物だ。護衛の傭兵も多く雇っている。街道沿いに進む旅は順調で、九日目には壁のように聳える嶮しい山の頂が街道の先に見えてきた。


 この調子なら麓の村まで問題なく辿り着けるだろう。のんびりと長閑な風景を楽しんでいたのだけど、日暮れになるにつれて雨が降り始めた。

 泥濘んだ地面に轍の跡を残しながら馬車が進む。

 僕とオフェリアは幌のついた馬車の中で、吹き込む雨を避けながら荷物と一緒に座っていた。

「オフェリア、寒くない?」

「はい、大丈夫です。今日中に次の街に到着できるでしょうか……」

「どうかな。本当なら日が落ちる前に林を抜けられる予定だったけどね」

 僕は毛布を引っ張り出して、オフェリアの隣に移動する。道の状態が悪く大きく揺れるものだから、ふらついて強く尻餅をついてしまった。


 オフェリアにピッタリくっついて、一緒に毛布にくるまる。

「旦那、申し訳ありません。林を抜けたら街まではそう遠くないはずなんで、辛抱してください」

 御者の男が振り返って声をかけてくれた。雨具を着ているけれどずぶ濡れだ。馬車を馬で先導する護衛の傭兵たちも同じだ。それに比べたら、幌のある馬車の中で雨をしのげるだけ、僕らはマシだろう。


「気にしないでくれ。僕らのことはただの荷物だと思ってくれてかまわないから」

 実際、ここまで荷物と一緒に乗ってきた。硬い板の上に座りっぱなしだから、最初のうちはお尻がかなり痛かったけれど、それにもだいぶ慣れた。

 お姫様であるオフェリアに不便を強いるのは申し訳なかったけれど、彼女は不満を口にせず、この旅を楽しんでくれている。母の故郷に行けるのが嬉しいのだろう。


 僕らがヴァーナ族の村まで行くことを伝えると、ルーラ様は村にいる親族への手紙を託してくれた。ターコイズの石がついた耳飾りも預かっている。村を出る時に身につけていた耳飾りだそうだ。それを見せれば、オフェリアがルーラ様の娘だという証明になる。


「私は村を出て以来、一度も戻る事ができなかったのです。ですから、父がまだ元気でいるかどうか……もしかすると、兄が族長になっているかもしれません。私は元気だとお伝え願えますか?」


 ルーラ様にそう頼まれたのを思い出す。閉鎖的な村だから、簡単によそ者を入れないとも聞いた。王国内でヴァーナ族の者は嫌わているが、ヴァーナ族の方も王国民に対してよい感情は抱いていない。


 僕はマルク王国の国民ではない。帝国とヴァーナ族の間に因縁はないものの、警戒されるのは想定していた方が良さそうだ。ヴァーナ族の血を引くオフェリアまで冷遇される事はないだろう。族長の孫に当たるのだから。ただ、世代が変わっていれば分からない。ルーラ様の兄が後を継いでいるかもしれないが、顔も見た事のない姪に親族の情を寄せてくれるかどうか。


 歓迎されなければさっさと引き上げて、旅を楽しむとしよう。

 そんな事を考えていると、急に馬の嘶きが聞こえて馬車が止まった。「キャッ!」と、オフェリアが声を漏らす。揺れた衝撃で倒れそうになった彼女を、咄嗟に自分の方に引き寄せた。僕の胸にもたれかかったオフェリアが、不安そうな瞳で見回す。


「いったい……」

 口を開こうとしたオフェリアの唇を、僕はパッと手で塞いだ。外から怒鳴り合う声が聞こえてくる。

 興奮して今すぐに走り出そうとする馬を、御者が手綱を引っ張って必死に宥めていた。その御者も襲いかかってくる賊に悲鳴を上げる。血飛沫が飛んだが、それは御者の者ではなく賊のものだ。

「先に行ってください!!」

 傭兵のリーダーが、山賊と対峙して大声を上げる。


 御者が悲鳴を上げ、手綱で馬の背を強く打った。急に走り出した馬車は、車輪が外れそうな音がしている。揺れるたびに積まれた荷物の箱や麻袋にぶつかるものだから、かなり痛い。

 

 僕にギュッとしがみついているオフェリアの肩を抱きながら、なんとかバランスを取る。飛んできた酒瓶を思わず片手で受け止めた。倒れた箱から瓶が落ち、ゴロゴロと転がってくる。後ろの商人たちが乗る馬車は、山賊の襲撃のただ中に取り残されているようだった。

 無事でいる事を祈るしかないが、雨音にまじり悲鳴と怒声が聞こえてくる。


 急に御者が「うわああっ!」と声を上げる。次の瞬間、強い衝撃が襲ってきて、僕はオフェリアの頭を庇うように抱えた。投げ出された僕の上に、積まれていた木箱が落ちてくる。


 ガラス瓶の砕ける音がして、酒のにおいが雨のにおいに混じる。流れ出した酒に浸ったせいで、上着もズボンも濡れてしまっていた。ようやく目を開くと、転がった僕の上にオフェリアが覆い被さるような体勢になっている。

 腕を回して背中をさすると、オフェリアが恐る恐る目を開いた。僕らは声を出さないように慎重に体を起こす。外から男たちの声が聞こえてくる。逃げ出した馬を連れて戻ってくる男の姿が見えた。


 僕らの姿は荷物の陰になっているから、まだ見えていないのだろう。僕はオフェリアを抱き寄せて木箱を盾にする。緊張のせいで、彼女の顔が強ばっていた。怖いに決まっている。僕だっていくら山賊といえども怖い。相手が何人いるのかも分からない。傭兵たちも後方で商人たちの馬車を護りながら、山賊たちと戦っているだろう。駆けつけてくれる事はあまり期待しない方が良さそうだ。

 

 オフェリアの唇が僕の名前を呼ぶように動く。その唇に自分の唇をグッと押しつけてから、少し離れる。ビックリしたように目を見開いている彼女に、僕は小さく笑ってみせた。

 大丈夫だからと口を動かして伝えてから、短剣を引き抜き膝立ちになる。僕の上着をつかんでいる彼女に、近くに転がっていた酒瓶を渡した。身を護るには何とも頼りないが、この状況では荷物を捜せない。下手に動いて音を立てれば、山賊に気付かれる。

 

 オフェリアはハッとした顔でそれを受け取り、瓶の口を両手でしっかり握り締めて頷いた。どうやら、言わんとしたことは伝わったみたいだ。

 馬車の外では、山賊が「おい、荷物を運び出せ!」と、声を上げている。足音が近い。木箱の隙間から様子をうかがうと、山賊が荷台を覗き込もうとしていた。

 

 僕は息を詰めて剣の柄を握る。けれど、動いたのは僕よりもオフェリアの方が先だった。素早く立ち上がったかと思うと、次の瞬間には山賊の男がバタッと倒れている。

 割れた酒瓶を握り締めて息を吐いたオフェリアが、パッと僕の方を振り返った。「やりました!」と、小さな声で嬉しそうに報告した彼女の目は、爛々と輝いている。

 オフェリアがこんなに、好戦的な性格だとは知らなかったよ…………。


 何と言って労おうか考えてる間に、オフェリアの背後に山賊の男が現れる。僕はオフェリアに手を伸ばして少々乱暴に引き寄せると同時に、短剣を投げつけた。その刃が喉に突き刺さり、男は絶命して倒れる。オフェリアの顔が青ざめていた。さすがにこれには驚いたようだ。震えている彼女の体を、後ろからギュッと抱き締める。

「気をつけて。まだ他にもいるかもしれない」

 僕が囁くと、オフェリアは表情を引き締めてコクッと頷いた。


 か弱いご令嬢なら、きっと今頃泣き叫んだり、気を失ったりしていただろう。けれど、オフェリアは気丈にも顔を上げて立ち上がる。僕は彼女に手を貸して横転している馬車の外に出た。

 男の喉に突き刺さっている短剣を身をかがめて引き抜く。

 雨が地面に溜まる血を洗い流していた。


 僕らは周りを見回して、慎重に移動する。聞こえるのは雨音だけだ。

「イグナーツ様、あそこに!」

 彼女が指差した方を見れば、御者が倒れていた。駆け寄ると、僕より先にオフェリアがしゃがんで御者の息を確かめる。本当に気丈だな。それとも、気を張っているのか。

「息はあります!」

 オフェリアが顔を上げ、胸をなでおろすように言った。

「気を失っているみたいだな」

 僕はうつ伏せになっている男の体を仰向けにして、傷を確かめる。御者台から投げ出されたのだろう。

 気を失ったおかげで、山賊の標的にならなかったのだから、ある意味で運がいい。

 

 馬の蹄の音が聞こえて、僕はオフェリアを近くに岩陰に引っ張り込んだ。

 息を詰めて見ていると、やってくるのは傭兵の男たちだ。僕と彼女はホッとして姿を現す。

「ここだよ」

「ああ、よかった、無事でしたか!」

「お陰様でね。御者も無事だ。他のみんなは?」

「こっちも無事ですよ。負傷者が出てしまいましたがね。山賊は片付けました。二名ほど取り逃がしましたが……そいつらは、すでに片付けたようですね」

 傭兵のリーダーは、馬車のそばに転がっている死体と、酒塗れで倒れている男に目をやる。オフェリアが酒瓶で殴打した男の方は頭から血を流しているものの、気絶しているだけだ。後からやってきた傭兵が、男を縄で縛り上げる。

 

 遅れて、後方にいた馬車がやってきた。

 商人の男が降りてきて、「ご無事ですか!」と僕らに駆け寄る。

「ああ、こっちは平気だよ。それより、そっちは大丈夫?」

「負傷者が二名いるので、応急処置をして馬車で寝かせています。出血がひどいので、できる限り早く医者のいる街に辿り着きたいですね。荷は仕方ありません。このまま置いていきましょう。お二人はこちらの馬車に……」

「負傷者がいるんだ。そっちを優先してくれ。あっ、でも……できれば彼女……いや、妻と御者は馬車に乗せてもらえるかな? 僕は馬に乗るよ」

 僕はコホンと咳払いして言い直す。僕らの素性は、商人にも話していないのだ。彼らはゲーラー卿から頼まれた大事な客人だと思っている。

「イ……あ、あなたが、馬に乗るのであれば、私も馬に乗ります!!」

 オフェリアが僕の腕に自分の腕をきつく絡めて言い張る。


 あなた…………。

 あなた…………。

 あなた…………。


 僕は眉間を指で摘まんで、深く息を吸い込んだ。

 実にいい響きだ。オフェリアはよく熟れたベリーみたいに赤くなっていた。

 

「でも、ずぶ濡れになってしまうよ。風邪をひくかもしれないから、君は馬車に乗せてもらうべきだ」

「それなら、もうずぶ濡れになってしまっています。それに、あなたも同じではありませんか。それに、負傷者がいらっしゃるのに、元気でケガもしていない私が馬車に載せてもらうわけにはいきません」

 オフェリアは拳を握って、真剣な顔で訴えてくる。マントのフードを被っているけれど、すでに髪まで濡れているようで滴が垂れていた。お酒と泥が染みこんだスカートは、濡れて彼女のほっそりした脚に張り付いている。


 その服は、街や村の娘が着るような質素で地味なものだ。僕らは実家に帰る商人の夫婦という事になっている。ドレスと違って生地が薄っぺらだから、濡れれば体のラインが出てしまう。マントを羽織っていてよかった。


 僕は傭兵が連れてきた馬を見る。荷馬車を引いていた二頭のうち、一頭は逃げてしまったようで姿が見えない。つまり、僕らが乗れる馬は一頭だけだ。負傷者を医者に診せる必要があるため、いなくなった馬を探している時間はない。


「分かった……じゃあ、一緒に馬に乗るとしよう」

 僕は溜息を吐いて言い、「それでいいかな?」と傭兵の男に確認する。

「ええ、山賊はもう現れないでしょうが、残党が潜んでいる可能性もあります。離れないでください」

「ああ、承知しているよ」

 僕は連れてこられた馬の手綱を受け取った。



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