旅立ち
翌朝、一階の廊下に下りてみれば、酔っ払った客人たちが隅に転がされていた。夜遅くまで浮かれ騒いでいたようで、気持ちよさそうに熟睡していびきをかいている。
…………この人達って、貴族だったよね?
空になったお酒のグラスや瓶を大事そうに抱えている姿は、貴族も街の酔っ払いもそう変わりない。まあ、目が覚めたらお帰りいただけるだろう。それまでは放っておけばいい。使用人たちも昨日のパーティーの片付けがまだ残っているのだから、余計な仕事を頼むのは気が進まない。
僕は転がっている人達を気にしないようにしながら廊下を歩く。オフェリアも、今朝はまだ起きてきていないようだった。僕はというと、朝日が眩しくて目が覚めてしまったのだ。元気が有り余っている。
「公爵、おはようございます。少々、よろしいでしょうか?」
僕を呼び止めたのは、ゲーラー卿だ。
「ああ、おはよう。ゲーラー卿、よい朝だね。君も昨晩は楽しめたかな?」
「ええ、存分に。さっそくなのですが、ネズミ捕りにネズミが引っかかったようで」
ゲーラー卿は僕と並んで歩きながら報告する。
僕は「またか」と、額に手をやって呻いた。
「こう、次から次に凝りもせずにやってくると、嫌がらせのためにわざとやっているんじゃないかと思えてくるね」
僕らは廊下を曲がって、地下へと通じる階段へと向かう。
後ろには、護衛のフェリックスが従っていた。今日も少しも乱れもなく騎士団の制服を着ていて、爽やかな朝に相応しいキリッとした表情だ。
上着のボタンも留めず、タイもしていないだらしない格好の僕とは大違いだ。
城の地下には牢屋として使われていた部屋がある。狭い階段を下りていくと通路があり、錆びた鉄格子が見えてきた。その前では兵士と、ジャックが見張りをしている。
「新婚の朝だというのに、ご足労いただいて申し訳ありません。昨晩は大漁でして、こいつらをどうしたものかと」
ジャックは頭を掻きながら苦笑いをする。
「いいや、気にしないでくれ。予想していた通りだよ」
城で結婚式を行う事は大々的に広めておいたから、騒ぎで警備が手薄になると見込んで、忍び込んでくる輩はいるだろうと踏んでいた。
「とはいえ……これは、想像していた以上に大漁だな」
起き上がる気力もない賊が、縛られた状態で転がされている。十人以上はいるだろう。全員、顔がパンパンに腫れていて、頭や顔には血がこびりついていた。
重傷者はいないようだけれど、打撲と骨折くらいはしているようだ。痛そうに呻いている姿を見れば、いっそ気の毒に思える。
「例の城の抜け穴について噂を広めておいたおかげで、間抜けどもが続々と引っかかりますな」
ゲーラー卿が愉快そうに感想を述べる。
「まったくだな」
悲劇の王妃の伝説を聞いてから、城の抜け道を全て調べたのだ。見つけたのは、使われていない井戸に通じる地下道だ。僕はゲーラー卿に頼んで、その噂をさりげなく王宮で広めてもらった。
わざわざ、案内の地図まで作っておいたから、送り込まれてくる暗殺者たちはその地下道を使って城内に忍び込んでこようとする。その出口である井戸の周りで待ち構えていれば、一網打尽というわけだ。面白いくらいに引っかかる。
この城は堅牢で高い塀に囲まれているため、塀をよじ登っての侵入はできない。外部から忍び込めるルートは限られている。
これで、いったい何人目の刺客か分からないくらいだ。最初はプロの暗殺者たちだったようだが、最近ではごろつきのような連中まで混じっている。送り込んでくる方も人手不足が深刻らしい。
「で、依頼主の名前は吐いたのか?」
「なかなか根性があるようで、まだ口を割りませんね。歯を全部引っこ抜いてやってもよいのですが」
ジャックがなかなか怖いことを言いながら肩を竦める。
仲介役に頼まれて仕事を受けたようだから、本当の依頼主については名前を知らないのだろう。その仲介役については、すでにゲーラー卿が手を回して調べを進めている。とはいえ、この手の犯罪組織は、何人も仲介役がいて、なかなか依頼主に辿り着けないようになっているものだ。
それに、もし判明したとしても、捕まえる事なんてできない。なにせ、依頼主は国王のルカーシュでほぼ間違いない。そうでなかったとしても、ルカーシュの意向を汲んだ側近か貴族だ。
帝国がイヴァンの後ろ盾になるのが、よほど気に入らないらしい。
暗殺者たちも、これ以上の情報は持っていないだろうな。
「いつも通りに処理しておきましょうか」
ゲーラー卿が僕の方を向いて尋ねる。
「ああ、そうしてくれ」
僕は軽く手を振って、通路を引き返した。
後ろを歩くフェリックスが、チラッと哀れな賊どもに視線を向ける。
「よろしいのですか? 解き放てば、また襲ってくる可能性もあるでしょう」
「そうかもしれないな。けれど、そう簡単に城には入り込めない。任務が困難だと分かれば諦めるよ。彼らはただの末端だ。忠誠心があって行っているわけではない。誰だってよりよい依頼主が現れたら、そっちに寝返るだろう?」
城にやってきた暗殺者の皆様は、任務に失敗して報酬ももらえず、失意のうちに王都に戻る事になるだろう。それはあまりに気の毒なので、代わりに別の依頼をお願いする事にしている。
その依頼とは、彼らに暗殺を依頼した者に、報復してもらうことだ。ただの仲介役だろうがかまわない。送り出した暗殺者が失敗した途端に戻ってきて、今度は自分たちが狙われる側になるのだ。おちおち安心して眠れもしないだろう。
末端から潰していけば、そのうち噂が広まって、依頼を受ける者はいなくなる。まして、貴族たちは暗殺者に命を狙われる事の恐怖を嫌というほど知っている。あの国王のために、自分が狙われる覚悟で忠義を示そうという者はいないだろう。いたとしても、人を見る目のなさと、判断力のなさ、情勢を見る目のなさで滅ぶのだから自業自得だ。
貴族社会というのも、しょせんは弱肉強食。お上品ぶってみても、やっている事は野生の動物と変わらない。食うか食われるかの世界なのである。そうやって歴史の中で淘汰され続け、判断を間違わなかった者たちだけが存続してきた結果、名門というものが生まれるのだ。
優秀な者でなければ、支配者である資格はない。愚かな者は、自分たちの一族だけではなく、領民の命すら危険に晒す。彼らに対して、我々は責任がある。優秀者な統治者であり続けるという責任が。
僕らはいつだって、その重みを背負う覚悟を求められているのだ。
無能は貴族を名乗る資格すらない。
カールと一緒に受けた帝王学の授業を思い出して、フッと笑った。カールはまさに、その理想を体現するような君主であることは間違いない。少なくとも、この国の若き国王とは比べること自体烏滸がましいと思うくらいには優秀だ。まあ、色々と問題はあるけれど――。
「城の警備は強化しておきます。他に抜け道がないかも調べておきましょう」
「うちの護衛騎士は優秀すぎて、僕が指示する事がないな」
僕はフェリックスと一緒に戻りながら笑った。
◇◇◇
オフェリアが図書室にいると聞いて、僕も向かう。
朝食の時も顔を見なかったから、部屋でとったのだろう。
図書室に入ると、レーネが待機していた。挨拶を交わしてから、オフェリアの姿を捜して二階に上がる。
薄暗い図書室は意外と広く蔵書も多い。前の持ち主は、本にはお金を惜しまないタイプだったのだろう。
オフェリアは奥の書棚の前で、本を探しているところだった。
「オフェリア、おはよう」
声をかけると、本を抱えた彼女がパッと振り返る。
「イグナーツ様。おはようございます。もうお昼近くになってしまいましたね」
「ゆっくり眠れたならいいよ。それより、何の本を探しているの?」
僕は隣に並んで、彼女が抱えている古い本に目をやる。
タイトルからして歴史学の本のようだ。
「イヴァンの勉強のための本を探していたんです。歴史が苦手みたいで……分かりやすい本がないかと思ったんだけど、ここにあるのは専門書ばかりです」
確かに並んでいる本は子供が読むには難しそうだ。手頃な入門書がないのだろう。オフェリアは「私がまとめた方がよさそうです」と、溜息を吐いている。
「王都から取り寄せようか?」
「いいえっ、本は高価ですから!」
オフェリアは慌てて首を振る。
「それくらい、役に立ちたいんだよ。それに、イヴァンにはしっかり勉強してほしいからね」
あの愚王みたいにならないように、と思ったことは心に秘めておく。
オフェリアは僕をジッと見てから、吐息を漏らして下を向いた。
「私はイグナーツ様に頼りっぱなしですね……」
「それが僕にとって至上の喜びなんだよ。それより、お茶にしない? レーネがお菓子を用意してくれているよ」
「はい」
オフェリアは顔を上げて、嬉しそうに微笑んだ。この笑顔のためなら、本の百冊や二百冊、購入することだって厭わないというのに。
一階に下りて、二人掛け用のソファーに並んで腰を掛ける。レーネがお茶をいれてくれて、お菓子のお皿をテーブルに並べる。一口サイズのチーズタルトだ。
それを頬張りながら、お茶を飲む。
護衛のフェリックスは、扉のそばに立って見張りをしてくれていた。休憩をすすめたけれど、姿勢を崩さないところは本当に真面目だ。レーネも給仕が終わると、部屋の隅に下がる。僕らに気を遣ってくれているのだろう。
僕はオフェリアが選んだ本を手に取ってめくってみる。王国史を時代別に分けて解説した本だ。貴族の名前や地名が多く出てくるから、サッと目を通しただけでも気が滅入る。
「僕が歴史の勉強が苦手だった理由を思い出したよ」
子供の頃、王宮の勉強部屋でカールと一緒に机を並べて授業を受けさせられた記憶が蘇る。歴代の皇帝の名前すら覚えるのに苦労した。なにせ、戦争で荒れていた時代は数年で皇帝の名前が変わるのだ。
王国の歴史も似たようなものだろう。
「私は歴史の勉強はそう嫌いではなかったのです。教えてくれる先生がいなかったので、王宮の図書室で借りた本を読んで勉強しただけですけど……戦記や騎士物語を読んでいるようで、ワクワクしました。他に楽しみもなかったので」
「そう? オフェリアは騎士に憧れがあったりするの?」
「それは……そうですね。大きなドラゴンを退治する物語や、敵に捕らわれた姫を救いにきてくれるような物語をたくさん読んでいましたから」
「それなら、僕は残念なことに、救いにきてくれるかっこいい騎士様じゃなくて、姫君を捕らえた強欲で意地の悪い敵の男の方だな。どこかの騎士様が君を助けに来てさらっていないか心配で、きっと夜も眠れないぞ」
僕は頬杖をついて溜息を吐いた。
頬張ったフィナンシェはバターがたっぷり使ってあって美味しい。
瞬きして僕の顔を見たオフェリアは、小刻みに肩を揺らして笑い出す。
「イグナーツ様はかっこいいでです。私にとっては、素敵な騎士様です」
オフェリアは僕の頬を両手で挟み、目をキラキラさせながら微笑む。
口に入れたフィナンシェが喉に詰まりそうになり、僕は慌てて紅茶のカップに手を伸ばしてゴクッと飲み込んだ。
「じゃあ……君の期待に添えるように、もっと礼儀正しく振る舞わないとな」
お宝を目の前にした野蛮な山賊のように、欲望のままに襲いかからないように気をつけよう。
ゴホンと咳払いして、カップをテーブルに戻した。
「あの、イグナーツ様。昨晩は本当に申し訳ありませんでした」
「昨晩? 何のこと?」
「私、途中から覚えていなくて……気付いたら、寝てしまっていたです。レーネから、イグナーツ様がお部屋に運んでくださったと聞きました。醜態をさらしてしまって、恥ずかしいです」
オフェリアは赤くなった自分の頬を押さえて、俯いている。
「ああ、その事か。ドレスを仕上げるために無理をしていたんだから、眠くなるのも当然だよ。気にする必要はない」
醜態どころか、酔ってうたた寝している姿はずっと眺めていたくなるくらいに愛らしかった。けれど、あんな無防備な姿は他では見せないように気をつけておかないとな。危険すぎる。
「初夜に夫をベッドで迎えるのは妻の役目だというのに、私はそれも果たせず。その上にお昼近くまで寝坊してしまって……イグナーツ様に呆れられても仕方ありません。心づもりはしていたのに、ご挨拶にこられるお客様たちに勧められて断れず、お酒をたくさん飲んでしまいました。酔い潰れてしまうなんて、花嫁失格です!」
「いや、待って! オフェリア。役目だとか、思う必要はないんだよ。疲れている君に無理強いはしたくないし……僕も酔っ払っていて、昨日の事はよく覚えていないしね。こういうことは、ゆっくりと進めて行けばいいと思うんだ。焦る必要はない」
僕はあたふたして慰める。
オフェリアの血色のよい肌から、つい視線をそらした。
控えているレーネとフェリックスは、自分たちはいませんとばかりに、存在感を消して立っている。
「イグナーツ様」
オフェリアが僕の方にズイッと膝を寄せた。その目は真剣そのものだ。
「今晩こそは、きちんとお役目を果たせるように、早めに寝室に待機しておきますから!」
決意を込めるように宣言する彼女に、せっかく保とうとしていた理性が粉々に崩れてしまう。僕は熱を帯びてきた額を手で押さえた。
彼女は妻の役目というやつについて、よく分かっていない可能性もある。なにせ、王宮から出たこともなかった生粋のお姫様なのだ。
下世話な話など、耳に入れたこともないだろう。真面目だから、世間で言われるところの初夜の務めというものを果たさなければならないと思っているのだ。絶対、そうだ。この汚れなき純粋無垢な天使をどうしてくれよう。
言葉通りに意気揚々と寝室に乗り込んで事に及べば、「最低! 獣! 軽蔑したわ。あんなひどい事をするなんて!」と、僕への信頼は地に墜ちて、二度と寝室には入れてもらえないかもしれない。それどころか、嫌われて永久に近付くなと言われるかも。ビンタ一発ですめばまだいい方だ。
僕は眉間に皺を寄せ、深刻な表情で悩む。
けれど、彼女の言うように避けては通れない役目ではある。これでも、僕は一応公爵家当主で、跡継ぎは必要になるのだから
僕にできることと言えば、できるだけ彼女がショックを受けないように、受ける傷や痛みが最小限になるように、慎重に状況を整えることくらいだ。
「イグナーツ様がお嫌なら……無理にとは…………」
落ち込んだように声を小さくするオフェリアに、僕の心臓の鼓動の音が大きくなる。
嫌なものか! 少しも無理じゃない。むしろ、「今すぐに寝室に行こう!」と彼女の手をつかんで立ち上がりたいくらいなんだ。
けれど、昼間から寝室にこもるなんて外聞が悪い。いや、外聞なんて僕にはどうでもいいんだけど、彼女はそういうわけにはいかない。
城の中にはまだ余計な客人がゴロゴロ転がっている。そいつらを全員叩き出し……いや、丁重にお帰り頂いてからだ。あの酔っ払いどもを荷馬車に詰め込んで林に捨ててきてやりたいよ!
僕は頭をかきむしりたくなった。かわりに両手で顔をこすって息を吐く。
僕の中の礼儀正しい騎士道的精神を総動員して、オフェリアにニコッと笑いかけた。
「嫌なんかじゃない。ただ、今すぐじゃなくていいと思うんだ。焦らなくても……」
「はい。イグナーツ様がそうおっしゃられるのなら……私はいつでもいいので」
恥じらうように言うオフェリアに、僕の喉がグッと変な音を立てる。
理性よ、仕事しろ。今は耐える時だ。
「そうだ。この城にずっといるのも気詰まりだし……せっかく王国まで来たんだ。どこか、出かけない? オフェリアは行ってみたいところはない?」
僕はすでに空になっているカップを口に運ぶ。
喉が渇いているのに、落ちてきたのは一滴ほどだ。
レーネがスッとやってきて、おかわりのお茶を注いでくれる。実にできる侍女だ。僕は「ありがとう、レーネ」と、お礼を言って紅茶を飲む。
ようやくちょっとだけ落ち着いた。
「行ってみたいところ……ですか?」
オフェリアは少し考えてから、「あっ」と僕を見る。
「どこでもいいよ。好きなところに連れて行く。買い物でもいいし、観劇でもいい」
「私……いえ……やっぱり……何でもありません」
オフェリアは思い留まるように目を伏せて、小さく首を振った。
「遠慮はいらないよ。何でも言って」
「お母様の故郷の村に行ってみたかったのです。ごめんなさい。無理なことが分かっているのに。気になさらないでください」
「ルーラ様の故郷? それってヴァーナ族の村ってこと?」
「本当にいいんです。子供の頃からの夢で……いつかは、行ってみたいと思っていただけなんですから」
「レーネ、ヴァーナ族の村に行くには、どれくらいかかるの?」
僕はポットを持って立っているレーネに尋ねる。レーネもルーラ様と同じヴァーナ族の村の出身だと聞いた覚えがある。
「そうですね、馬車で街道を進んだ場合、順調にいけば十日ほどで着きます。そこから、さらに山道を進まなければなりませんが」
「十日か。それなら、行けない距離じゃないな」
一月もあれば余裕で行って帰ってこれる。
このまま城に留まっていれば、痺れを切らした国王が僕らを王都に呼び出すかもしれない。いや、たぶんそろそろ、王宮での舞踏会か晩餐会の招待状を送りつけてくるだろう。城での暗殺が失敗続きなのだ。僕らを城から引き離したいはずだ。となれば、城にこもり続けているのも得策とはいえない。
「それはいい考えかもしれない。僕もその山岳民の村に行ってみたいしね」
「本当に行くのですか?」
オフェリアが驚いて訊いてくる。
「もちろんだよ。行ってみたいんだろう?」
「それは…………行けるなら、行きたいです」
「じゃあ、決まりだ。早い方がいいな。その前にルーラ様に相談しないとね」
ルーラ様の出身の村だ。僕らだけが行っても、村に入れてもらえないかもしれない。根回しはしておかないと。
「はい!」
オフェリアは少し涙ぐんで、嬉しそうに微笑んだ。




