結婚式
「結婚式の招待状だと!? ふざけた真似を!!」
王宮の執務室で、マルク王国の国王であるルカーシュは引き裂いた招待状を握り潰す。
送られてきたその招待状には、異母妹であるオフェリアと、帝国のクラッセン公爵の名が綴られていた。
「王都に立ち寄りもせず、挨拶にも訪れなかったやつが、我が物顔で居座りやりたい放題だ。皇帝の代理だか何だか知らないが、たかが公爵の分際で、国王であるこの俺を侮辱するにもほどがある! この国を自分の国だとでも思っているのか!?」
ルカーシュは唸るように憤りを吐き出した。腹の虫が治まらず、テーブルの上のティーカプを手で払う。床に落ちたカップが砕け、その音に侍従がビクッとしていた。
「即位したばかりの若い国王だと侮っているのでしょうな。皇帝の威を借りた小者に過ぎませぬ。帝国の駐在員と駐留軍が、王都からカッセリアン城に移ったのも、かの公爵の指示という噂ですぞ。用があれば城まで来いというまさに、帝国人らいし傲慢なやり方ですな」
側近の男が髭を撫でつけながら皮肉を込めて言う。
「ちょうどいいではないか。目障りな帝国の連中が王都から消えてくれたのだ」
頬杖をつきながら、ルカーシュは鼻を鳴らした。
「ですが……そのせいで、不穏な噂が広がっているのです」
「噂? なんだそれは」
「陛下はあの城に、オフェリア姫の母君であるルーラ様と、イヴァン殿下を送ったではありませんか」
「父上も母上も、離宮に移られたのだ。俺が国王になってまで、あの女と息子を王宮に住まわせる義理などない。住む場所を用意してやっただけ親切というものだろう」
「それが、帝国がカッセリアン城を拠点として、イヴァン殿下を国王に擁立しようと画策しているのではないかと……」
側近の男に耳打ちされて、「なに!?」とルカーシュは怒気を強める。
「それは……本当なのか?」
「そうでなければ、帝国の駐在員や軍をあの城に移す理由がありません。今回、使節団を派遣したのも、結婚の報告以外に何か裏があるとしか思えませんな。しかも、大量の食料や物資を運び込んでいるという噂も……」
「……ちょうどいい。せっかく招待されているのだ。祝いの品くらいは贈ってやろうではないか。あれでも、半分は血の繋がった妹だ。俺の代わりに使者を送れ。ついでに、城の動向を探らせろ。今回の結婚式でも何か企んでいるかもしれん」
「帝国がイヴァン殿下の後ろ盾になるのではと、すり寄る貴族もいるようですからな」
「はっ! あの王族の恥であるガキを王にしたいやつがいるとは。接触しようとする者の名前を調べ上げろ。ちょうどいい。裏切り者は全員、粛正してやる」
ルカーシュは歪んだ笑みを浮かべる。側近の男は「全て、陛下の仰せのままに」と、態度ばかりは恭しく頭を下げた。
◇◇◇
結婚式の当日、僕はひっきりなしに訪れる客人をエントランスホールで出迎える。
「たまたま近くを通りかかりましてな。閣下とオフェリア姫の結婚式が行われているとは知りませんでした。いや、実におめでたい! せっかくですから、我々も祝いの席に加わらせていただきたく存じます。今後、帝国との繋がりはより重要になるでしょうからな」
僕の手を取りながら、上機嫌に挨拶をするのは王国の何とか伯爵だ。隣にいる奥様は、扇で口元を隠しながら「おほほ」と上品に笑っている。
二人とも、旅の途中とは思えないような着飾った服装で、贈り物までしっかり持参している。偶然、立ち寄るには不自然だけれど、同じように挨拶をする貴族が後を絶たない。全員の名前を覚えきれなかった。
「ありがとうございます。ささやかなパーティーですが楽しんでいってください」
僕は笑みを固定して答える。伯爵とその夫人が立ち去ると、別の客人が挨拶にやってくる。今度は堂々とした体躯の初老の男性だ。侯爵らしい。
「実は旅の途中で馬車の車輪が壊れてしまいましてな。この城に立ち寄らせていただきました。公爵と姫様の結婚式が行われているとは、まったく知らず……めでたき日に行き会わせたのも何かの縁。私もお祝いに参加させていただきたい。先の戦争では、帝国に接する我が領地は多大な被害を受けましたが、両国の和平が実現した今後は交易の中継地として発展を遂げるでしょう。末永くよい関係を築いていきたいものですな」
握手を求められて、僕は皺のある武人らしいゴツゴツとした手を握り返す。
「ええ、もちろんです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
偶然に城に立ち寄った貴族は、これで何人目だろうか。
僕は客人の接待を一時中断して人を捜す。お目当てのゲーラー卿は歓談している貴族たちの輪に加わっていた。僕が手を振ると、その輪を抜けてやってくる。
「いったいどうなっているの? こんなに王国の貴族を招待した覚えはないんだけど」
身内と城内にいる人達だけで慎ましく挙げる予定だった。嫌がらせに、国王のルカーシュには招待状を送ったけれど、当然来ない事は分かっている。
「ええ、招待はしておりませんな。皆様、たまたま近くを通りかかられて城に立ち寄っただけでしょう」
ゲーラー卿はにこやかに頷いた。
「いやいや、この城はたまたま通りかかるような場所にないだろう? こんな辺鄙な所にあるのに……」
「心配はいりませんよ。客人が増えても対応できるように準備はしておりますから」
道理で、用意する料理と酒の量が多すぎると思ったんだよ……。
どうやら、ゲーラー卿は最初からこうなることを予想していたのだろう。
「オフェリア姫との結婚を、王国中に大々的に知らせることが目的なのでしょう?」
「そうなんだけど……こんなに客人が来るなんて予想していなかったよ!」
「帝国との繋がりを必要としている貴族は多いという事ですよ。利に聡い者は、どちらにつくのが優位か分かっているでしょう」
「国王の使者も来ているんだ。結婚式に参加したなんて事が耳に入れば、立場が悪くなるかもしれないのに?」
国王の使者はホールの隅に集まり、堂々とやってくる貴族たちを睨み付けるように監視している。
「結婚式のために訪問したわけではありません。たまたま、通りかかっただけです。国王も文句は言えますまい」
「そんな詭弁が通用するとは思えないけどね」
僕は額を押さえて「ハァ……」と、溜息を吐く。
「それだけ、今の国王に人望がないということですよ」
ゲーラー卿が声を落とす。
「なるほど……僕はそろそろオフェリアのところに行かないといけないから、後の接待は任せたよ」
「承知いたしました。こちらのことはお気になさらず」
「ああ、そうさせてもらう」
僕は手を振って、急ぎ足でエントランスホールを離れた。護衛のフェリックスも、今日は公爵家の騎士の礼服を着ている。その姿が見惚れるほど似合っていて、僕の方が霞んでしまいそうだ。
◇◇◇
控え室に向かうと、入り口に護衛の騎士が立っていて僕を見るとすぐに挨拶をしてきた。「ご苦労様」と労いの言葉をかけて、扉をノックする。
中からオフェリアの返事があったので、扉を開いて中に入る。
メイドたちが、オフェリアの衣装を整えているところだ。レーネ様とイヴァンも一緒にいる。
「イグナーツ様……!」
オフェリアが嬉しそうな笑顔で振り返る。
純白のドレスを着た彼女から、僕は目が離せなくなった。
オフェリアとルーラ様が縫い上げたドレスは、シンプルなデザインだ。胸元と袖、それに裾に刺繍が入っていて、襟と袖にはレース飾りがついていた。腰の部分に大きなリボンがついている。
「あの……どうでしょうか? おかしくないですか?」
僕がぼう然として突っ立っているものだから、彼女は不安げな表情で訊いてきた。
「おかしいはずがないよ!! どこも…………」
声が詰まってしまって、うまく言葉が出てこない。
「お姉様、言った通りでしょう? すごく綺麗だって!」
僕のかわりに、イヴァンが言いたかったことを伝えてくれる。ルーネ様は「ええ、そうね」と、ニコニコしながら頷いていた。
「もう少し見栄えのするドレスに仕上げられたらよかったのですが……間に合わなくて。胸元の刺繍や飾りも、簡単なものになってしまいました」
オフェリアは恥ずかしそうに目を伏せる。
僕は緊張して歩み寄り、彼女のほっそりした首元に手を伸ばした。
髪をアップにしているから、首から肩にかけてのラインが際立っている。
飾りっけがないドレスになったことを気にしているようだけれど、むしろそれが彼女自身を引き立たせているように見えた。
「…………完璧なドレスだと思う」
首筋に触れて掠れた声で言うと、オフェリアが目を見開いて僕を見る。
黒い瞳の輝きがより強くなった気がした。化粧を施した頬に赤みが差している。今、何か言おうとしても、ありきたりの言葉しか出てこない気がした。
どんなに言葉を尽くしたとしても、彼女の美しさを言い表せない。心臓がバクバクしていて、触れる指先まで小さく震えていた。この場に他の人たちがいなかったら、引き寄せて口づけをしていただろう。そうしたい衝動をグッとお腹に力を込めて堪える。
「そう言っていただけて、ホッとしました……」
彼女は恥ずかしそうに視線を下げて微笑む。彼女の首につけられているのは、小さなルビーのついた銀の首飾りだ。真っ白なドレスと彼女の透き通る肌に、その濃い赤色がよく映える。
「この首飾りは?」
「お母様のものをお借りしたのです」
オフェリアは顔を上げ、ルビーに手をやる。耳飾りもお揃いのデザインになっていて、赤い滴のような石が揺れていた。
「それは、もうあなたにあげたと言ったでしょう?」
ルーラ様がやってきて、娘の腕に手を添える。
「でも、これは……お母様が結婚式の時に身につけていらっしゃった大事な宝石でしょう?」
「だから、あげたいの。私はあなたのために、何もしてあげられなかったんですから」
「お母様……!」
オフェリアはルーラ様を見つめて涙ぐむ。
「ほら、泣いては閣下を困らせてしまいます」
ルーラ様はハンカチを取り出してオフェリアの目頭をそっと押さえていた。
会場の準備が整って客人が待っていることを、家政婦が知らせにやってくる。僕はオフェリアに腕に差し出した。
「それじゃあ……行こうか」
「はい!」
オフェリアは微笑んで、僕の腕に遠慮がちに手を添えた。
大広間に向かうと、拍手と歓声で迎えられる。綺麗に掃除されたシャンデリアには蝋燭が何本も灯って照らしている。大広間の中央には真新しい絨毯が敷かれ、正面や壁際には大輪の百合の花が飾ってある。その香りで、大広間中が満たされていた。
近くの街から招いた老司祭が、祭壇に上がった僕らに祝福と祈りの言葉をくれた。それが終わると、僕はオフェリアに一歩近寄って、少しだけ身をかがめる。
恥じらうように目を伏せる彼女の頬に手を添え、一瞬迷ってから、唇の端にキスをする。
ワッと盛り上がる人々を見て、僕らは照れ隠しに笑い合った。
その後は料理や酒が用意され、ダンスパーティーが開催される。僕もオフェリアと踊ったけれど、この国のワルツをまだ覚え切れていなくて、ステップをたびたび間違えてしまった。
そんな僕に、オフェリアがゆっくり教えてくれる。
曲が終わってふと周りに視線をやれば、みんなが微笑ましそうな表情で見守っていた。
オフェリアは次のダンスを、弟のイヴァンと一緒に踊っていた。イヴァンの方が上手だから、ちょっと恥ずかしくなる。
僕はルーラ様に誘われて、踊る事になった。
「公爵様……いえ、イグナーツ様。本当にありがとうございます」
「母君と弟君が結婚式に来られない事を、オフェリアが気にしていましたから。実現できて僕としても嬉しいです。オフェリアのドレスも、ルーラ様がお手伝いくださったと聞いています」
「娘のためですもの。久し振りにちょっと頑張ってしまいました。私の生まれ育った集落では、結婚する娘は母親と一緒に婚礼の衣装を仕立てるのが慣例なのです。ですから、あの子のドレスを一緒に縫いたかったのです。その願いを叶えることができました。これで、本当に安心してあの子をお嫁に行かせられますわ」
ルーラ様は優雅にステップを踏みながら微笑む。
「とても素敵なドレスです。準備期間もそれほどなかったというのに……ご無理をされたのではありませんか?」
この一週間ほど、オフェリアもルーラ様も部屋にこもってドレス製作に没頭していた。夜も遅くまで居間から灯りが漏れていたのを見ている。
「私よりあの子を褒めてあげてください。イグナーツ様に見ていただきたいからと頑張っていたのですから」
イヴァンと一緒に楽しそうに踊っていたオフェリアが、僕の視線に気付いてこっちを見る。嬉しそうに口元が綻んでいた。クルッとターンするたびに、純白のシルクの生地で作ったスカートがフワッと揺れる。
百合の花の妖精のようだと、僕はついうっとりと見とれてしまう。
ルーラ様が「フフッ」と笑った。
「閣下にお任せしておけば、何の心配もなさそうです。オフェリアの事、よろしく頼みますね」
「必ず幸せにします。オフェリアがこの結婚を後悔することのないように」
真面目な顔で誓う僕を、ルーラ様は少し眩しそうな目をして見ていた。
◇◇◇
花嫁を腕に抱えて寝室まで運ぶなんて、これ以上の幸せはないな。
これは花婿の役得だ。
僕はそう思いながら、静かな廊下を歩く。大広間ではまだパーティーは続いているから、微かに楽団の演奏が聞こえていた。
ワインを飲み過ぎたからか、昨晩も無理をして徹夜をしていたからか、オフェリアは僕の腕の中で目を伏せている。
ウトウトしていた彼女を見つけて大広間から連れ出したのだけど、僕を見ると安心したせいか寄りかかって寝てしまったのだ。
寝室に入ると、待っていたレーネがすぐにやってくる。
「姫様……」
「心配ないよ。疲れてしまっているだけだから。ドレスの着替えを頼める?」
僕はベッドに行き、起こさないように慎重にオフェリアを下ろした。その靴を脱がせて、耳飾りと首飾りを外しておく。寝返りを打った時に引っかかりそうだ。レーネがすぐに宝石を入れる箱を持ってきてくれた。
「はい。お目覚めになるのをお待ちになりますか?」
「寝かせておいてあげて。昨日も遅くまで起きていたようだからね」
「かしこまりました」
頭を下げるレーネに彼女の世話を頼み、僕は隣の部屋に戻る。
上着を脱いでソファーの背にかけ、ピンで留めているタイを外した。
ソファーに座り、用意されていたお酒をグラスに少しだけ注ぐ。それで喉を潤してから、フッと息を吐いた。
グラスを揺らしながら、燭台の灯りをぼんやりと見つめる。
参ったな――。
熱のやり場がない。
手で目頭を押さえていると、部屋の扉がノックされる。
入ってきたのは、フェリックスだ。
「もう少し、パーティーを楽しんできてよかったのに」
「いえ、私は閣下の護衛が任務です」
相変わらず真面目だな。
僕は少し笑って、立ち上がった。
「丁度良かった。少し付き合ってくれる?」
フェリックスに歩み寄り、その肩をポンと叩いて部屋を出る。
向かったのは、イヴァンたちがいつも稽古を行っている見習い騎士たちの稽古場だ。今は誰もいなくて暗い。
ランプを台に置き、稽古場の燭台の蝋燭に火を灯す。
「お戻りにならなくてもよいのですか?」
フェリックスが少し心配そうな顔をして尋ねた。
「オフェリアは寝てしまっているからね。邪魔をしたくない。僕はちょっと眠れそうになくて、ええっと……体力が有り余っているんだ」
僕が頬を掻いて苦笑いすると、フェリックスが「なるほど」と微笑む。
箱に片付けられていた木剣を一本取って投げると、彼は片手でパシッと受け取った。礼服の上着を脱いで準備している。
僕はもう一本、扱いやすそうな木剣を取って軽く振った。
僕らはお互いに木剣を構えて向き合う。
踏み込んで木剣を打ち込むと、フェリックスの木剣が防ぐ。カンッと木の当たる音が、静かな稽古場に響いた。跳ね返して後ろに下がると、今度はフェリックスが仕掛けてくる。彼の一撃を受け止めると、手が痺れて木剣を落としそうになる。相変わらず、少しも手加減なしだな。
脚に力を入れて踏ん張り跳ね返す。
何度か打ち合っている間に、汗が滲んできた。
額から垂れる汗を袖で拭ってから、深く息を吐いて木剣を構える。
彼の間合いに飛び込むと同時に、木剣の柄を顎に打ち込む。けれど、フェリックスの反応の早く、仰け反るようにして避けられてしまった。僕はすかさず、足払いに変える。これはうまくいったようだ。
フェリックスがわずかに体勢を崩す。だが、尻餅はつかず、すぐさまステップを踏むように二歩ほど後ろに下がっていた。その時にはもう、体勢を立て直している。
そう簡単にはいかないと、僕は溜息を吐いた。
「今のはいい攻撃でした」
「余裕でかわしたくせによく言うよ」
僕は膝に手をついて息を吐きながら笑う。その隙に、フェリックスが距離を詰める。早くて剣の動きを一瞬、見失ってしまう。ほとんど反射的に木剣を動かす。強い衝撃が腕に伝い、グッと歯を食いしばった。
「本気で打ち込んだのですが、防がれるとは」
眉根を寄せるフェリックスの言葉に、僕はハッと笑った。嘘つきめ。
木剣を強く押し返して、フェリックスが下がったところで深く息を吐いた。
床にポタポタと滴が垂れる。
汗で濡れている手をシャツで拭ってから、木剣を片手で持ち直した。
やけくそで打ち込んだ一撃は容易く防がれて、木剣が弾き飛ばされてしまう。
僕は降参だとばかりに肩を竦めた。
「やっぱり、君には敵わない」
「わざと試合放棄をしておいて、何をおっしゃるのです」
「腕がしびれて痛かったんだ。このまま続けていたら、手のひらに血豆ができていた」
ふうっと息を吐いて、ひんやりしている床にペタンと座る。
フェリックスが木剣を取ってきてくれた。
「もう、よろしいのですか?」
「ああ、満足したよ。付き合わせて悪かった」
「私としては、もう少し相手をお願いしたいところですね」
「君たち騎士の体力に合わせられると思うかい? ただでさえ、客人の相手をしてクタクタだ」
フェリックスが片手を差し出してきたので、その手を借りてヨロヨロと老人のように立ち上がった。
「お疲れ様です」
「ああ、君もね」
「素晴らしい結婚式でした。姫様のあのように嬉しそうな顔を見られるとは」
「僕もオフェリアの喜ぶ顔を見られてよかったよ。まあ、みんなの協力があったからできたことさ」
腰が痛くて、「いたた」と摩る。
そんな僕を見て、フェリックスはフッと笑っていた。
「部屋まで、お運びしましょうか?」
「遠慮しておくよ。誰かに見られたら、僕と君が結婚したように思われてしまう」
「それは、確かに私もご免です」
冗談めかして答える彼を、僕は少し驚いて見た。
王国に来たばかりの彼は、ニコリともしない無愛想な騎士だったから。
「どうかしましたか?」
「いいや、君も変わったなと思ってね」
「そうでしょうか?」
「ああ、そうだよ。前より何を考えているのか分かるようになった」
「慣れたからでしょう」
燭台の蝋燭の火を消し、ランプだけを持って稽古場を出る。木剣を片付けたフェリックスが廊下に出てくるのを待って、本館へと戻った。
大広間の灯りはまだついたままで、笑い声が聞こえている。
夜通し騒ぐつもりなのだろう。まあ、お酒は十分に用意してある。
フェリックスにも部屋に下がって休むように伝え、寝室に戻った。
レーネも部屋から退出していて、ベッドにはオフェリアが寝ていた。
ドレスを脱いで髪も解き、寝間着に着替えている。
ベッドの端に腰を掛けた僕は、彼女の安心しきった寝顔を見つめて手を伸ばした。眠りを妨げないように、そっと頬に手の甲を添える。
寝返りを打った彼女が、僕の腕を枕と勘違いしたのか、ギュッと抱きついてきた。出そうになった声を、慌てて飲み込む。
引っ張られるままに彼女にのし掛かりそうになって、咄嗟に枕に手をついた。
オフェリアの瞼がピクッと動く。
僕は内心焦ってすぐに退けようとした。こんな状況で起きられると気まずい。
オフェリアの眠そうな目が、僕の姿をぼんやりと捉える。
言い訳の言葉を探している間に、彼女が笑みを浮かべた。
「…………ドレス、間に合ってよかった……」
寝言のように呟いた彼女は、そのまままた目を閉じてしまった。寝息が聞こえてくる。手は僕のシャツの袖をつかんだままだ。
僕はホッとして微かに笑い、慎重に体を起こした。
サラサラの黒髪をすくうようにして取り、そっと口づけをする。
「ああ、とっても綺麗だった……どんなドレスよりも、似合ってたよ」
記憶に鮮明に焼き付いていて、きっと、この先僕は何度も思い出すのだろう。
帝国に戻ったら腕のいい絵師を呼んで、あの花嫁衣装姿のオフェリアの絵を描いてもらおうかな。
それを書斎に飾りたい。
僕だけがいつでも、見られるように。




