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疑惑

 マルク王国から、かの国の姫君が帝国にやってきたのは、帝都の雪が溶け、春の温かさを感じる頃になってからだ。王国の姫の輿入れというにはあまりにも慎ましやかな、物寂しい一行だった。連れていたのはわずかな侍女と護衛の者だけ。荷物は最小限にしてあるのか、馬車一台に収まる程度。

 出迎えた僕の前に出てきたのは、長い黒髪の小柄な少女だった。十七歳になるオフェリア姫だ。愛らしい顔立ちをしているけれど、表情が少しも変わらないから人形のようで口数も少ない。初めましてと挨拶を交わして、宮殿内を案内する間も、彼女はほとんど口をきかなかった。


(敵国にいきなり連れてこられたんだ……しかも人質だって事は分かってるだろうし。警戒するのも当然か)

 表情が硬いのも当然だ。一緒にいる侍女も護衛の者も、同じくまるで死地にも赴くような暗い表情だ。


「陛下との謁見の前に、少し部屋で休まれますか? 長旅でお疲れの事でしょうし」

 廊下を歩きながら声をかけると、下を向いていた彼女がゆっくりと顔を上げる。大きな瞳は黒い宝石のように美しい。ただ、そこに浮かぶのは不安の色だ。

「いいえ、お気遣いは不要です。陛下をお待たせするわけにもいきません」

 ユルユルと首を振るので、「そう、ですか……」と僕はそのまま彼女を連れて謁見の間に向かう事にした。侍女と護衛の者は、扉の前までだ。そこからは、僕が案内する。

 

 開かれた扉の先は大きな広間になっていて、青い絨毯が敷かれている。その先に玉座があり、帝国の国旗が飾られていた。両脇に並ぶのは護衛の騎士たちだ。靴音が天井の高い広間によく響く。

「よく参られた、オフェリア姫。我が帝国と貴国は長く敵対関係にあった。だが、両国がいがみ合う時代は終わった。共に両国が手を携え繁栄を築いていく時。貴女とクラッセン公爵家との婚姻が、両国の和平の象徴とならん事を願っている」

 玉座に座るカールが鷹揚に言うと、膝を曲げて頭を下げていたオフェリア姫が静かに口を開く。

「帝国の皇帝陛下に拝謁の機会を賜りました事、心より感謝いたします。このたび、陛下の恩情により素晴らしき縁をいただき、帝国の一員となる事ができました。この身が少しでも平和の礎になれば、私も幸いでございます」

「うむ……後の事はそこにいるイグナーツに相談するがよい。余がこの帝国で誰よりも信頼する従兄弟だ。我が妻ローザの異母兄でもある。それに、何よりも気の良い男だ。安心して任せておけばよい」

「陛下の寛大なお言葉と、お心遣いに感謝いたします」

  

 挨拶が済むと、カールが退席する。ようやく頭を上げたオフェリアの顔色はあまりよくないように見えた。疲れているせいか、緊張のせいだろう。「行きましょう」と促すと、彼女はコクッと頷く。


◇◇◇


 後日、宮殿で晩餐会が開かれる事になっている。結婚式までは正式な夫婦ではないけれど、彼女とその一行は公爵邸に滞在する事になっていた。


 僕らは宮殿を出て公爵邸に向かう。邸の玄関ポーチで馬車を降りると、家令や家政婦長以下、使用人たちが整列して待っていた。

「お帰りなさいませ、旦那様。オフェリア様」

 白髪の家令、フランツが代表して挨拶をする。

「初めまして……オフェリアと申します。よろしくお願いします」

 オフェリア姫――いや、もうオフェリアでいいのかな。彼女は緊張でカチカチになっている。宮殿からこの公爵邸まではわずかな距離しかなかったけど、馬車の中でも彼女は無言だった。

「では、中に入ろうか」

 僕は彼女を促して中に入る。オフェリアは少し目を見張っている。マルク王国の王宮育ちの彼女でも、さすがに公爵邸にはびっくりしているようだ。元宮殿として使われていた建物だからね。庭園も合わせるとかなり広い。お姫様を迎えるにしても、恥ずかしくはない邸だろう。


「部屋に案内させよう。内装は君の好みに合わせて改修するつもりだから、手をつけていないんだ」 

 侍女に案内させようとすると、「あの!」とオフェリアが僕の袖を引っ張る。

「あの……クラッセン公爵様。私は…………!」

「え? なに? どうしたの?」

「い……いえ……あの、よろしければ、後で少しお話をする時間を取っていただきたいのです」

「あっ、そうだね。今後の事や公爵家での生活の事で聞きたい事もあるだろう。ごめん、気が回らなかったようだ。では、君が用意できた時に呼んでもらえる?」

「は、はい……わかりました……」

 オフェリアは僕の袖から手を離して、困惑の表情で下を向く。屋敷の侍女に案内されて彼女は廊下を歩いていくけれど、何度か不安げに足を止め、ホールに残る僕を振り返って見ていた。


 いきなり結婚しろなんて、カールも無茶な事を言う。けれど、他国の王族を迎え入れられる貴族は帝国内でもそう多くはない。これも、グズグズしていていつまでも結婚相手を決めなかった僕の自業自得でもある。カールのほくそ笑む顔が目に浮かぶようだった。でもまあ、決まってしまった事をとやくかく言っても仕方ない。腹を括って彼女に歩み寄るしかないだろう。


(話したい事ってなんだろうな……まさか、本当は別に心を通わせてる相手がいて、結婚したくないとか?)

 面倒な話でない事を祈るばかりだ。


◇◇◇


 彼女の侍女が呼びに来たのは、それから一時間ほど経ってからだ。部屋に入ると、もう荷物の片付けは終わっているようだった。それほど持ってきたものもないからだろう。オフェーリアが緊張気味にソファーから立ち上がる。


「お呼び立てして申し訳ありません。公爵様」

「イグナーツでいいよ。これから結婚する予定なんだからね。屋敷の中でその呼び方は堅苦しいだろう?」

 僕が苦笑いして言うと、「いえ、でも……」と彼女が視線を逸らす。

 ソファーに座ると、彼女の侍女がお茶を淹れてくれる。いい香りだ。

「で、僕に話があったんだろう? 何か困った事? それとも、結婚の前に言っておきたい事とか?」

「いいえ……その……私の立場について、改めて確認しておきたいのです」

「君の立場?」

 意外な事を言われて、僕はカップから口を離す。向かいのソファーに座ったオフェリアは、ギュッと膝の上で自分の手を握っている。まるで、これから断罪される罪人みたいな表情だ。


「ご存じの通り、祖国マルク王国は帝国に敗れて……属国となりました。私は国王となった兄より……人質として帝国に赴くように言われて参りました。その際、公爵様と結婚する事も聞いております」

「ああ、うん……まあ、概ねその認識で間違ってはいないかな」

 僕が頷くと、オフェリアが顔をパッと上げる。その顔色は白い。

「私は……その……囚われの身ではないのかと」

 聞いていた話と違うから困惑しているらしい。それは部屋の隅に控える侍女と護衛の者も同じようだ。僕とオフェリアの方をジッと心配そうに見ている。


「囚われる必要はないだろう? 君の結婚には確かに人質としての側面がないわけではないけれど……別に死ぬまで幽閉して逃げられなくしようとかそういうわけではないし」

「そうなのですか!?」 

 彼女が急にグイッと寄ってくるものだから、少し驚いてしまった。いったい、どういう話を聞かされてきたのかな。

「必要性が特にないからね……君は逃げたりしないだろう? まあ、逃げたいならそれも君の自由意志だと思うけど……」

「いえ……逃げたいとは……逃げる場所もありませんし……もはや、国に戻れるとは思っていません」

 プルプルと首を振ったオフェリアは、また暗い顔になって下を向く。たぶん、決死の覚悟で嫁いで来たんだろうなぁ。彼女の祖国にとっては、数ヶ月前に責めてきた敵国だ。待遇面で不安があったのだろう。


「カール……いや、皇帝陛下がおっしゃっていただろう? 君と僕の結婚は両国の和平のためだって。だったら、君を冷遇するような事はしやしないよ。僕だって、自分の妻になる人をひどい目に遭わせたいとか思わないし、そんな趣味もない。まあ、君にとっては僕は初対面のどこの馬の骨か分からない男だしね。不安になるのも分かるけど……一応、僕も公爵家当主だから生活面での心配は不要だよ?」

 僕はできるだけ警戒心を抱かせないように微笑んだ。よけい胡散臭く思われそうだけど。


「いえ……イグナーツ様を信用できないお方だと思っているわけではありません……ただ……いきなりこのような結婚を持ちかけられてご迷惑になっているのではないかと。イグナーツ様のご都合もありましょうし」

「それを言うなら、君だって同じだろう? 君だって、望みもしないのに急に僕の所に嫁ぐ事になった。君こそ嫌だと思うなら……言ってくれてもいいんだよ? まあ、国同士の決め事だから、多少は面倒な手続きが必要になるかもだけど、結婚を解消する方法がないかというと、そういうわけでもないからね」


「いいえ! 私の意思など……イグナーツ様は……本当に、よろしいのですか?」

「君と結婚する事? いいよ。他に決まった相手もいなかったしね」

 皿に綺麗に並べられてるジャム入りのクッキーに手を伸ばす。サクッとしていておいしい。これも彼女の侍女が用意したのかな。いい侍女だ。

「イグナーツ様は、公爵家当主ではありませんか。それなら、婚約者とか……」

「いない、いない。いたら、とっくに結婚しているさ。正直言うと……面倒くさくてね。というか、どこかの誰かさんのせいで仕事が忙しすぎて……出会いの場に出かける暇もない有様だったんだ」

「どこかの……誰かさん……ですか?」

 オフェリアは目を丸くしている。僕は「そう」と、肩をすくめた。


「だから、君みたいな素敵な女性が結婚してくれると嬉しいんだ。君にとっては敵国の男なんてあんまり魅力的には思えないかもしれないけれどね」 

「いえ……マルク王国は帝国の属国となったのです。今さら、敵国だとは思いません……それに、先に帝国に侵攻したのは父上……前国王なのですから……無謀だと反対する意見も多かったのに。臣下の言葉に耳を貸さず軍を動かしたのです。最初から、こうなる事は分かりきっていたこと」

 彼女はギュッと眉間に皺を寄せる。

「オフェリア……その事について、少し聞いてもいいかな?」

 僕はカップを置いて尋ねた。

「はい……かまいません」

「どうして、君の父上は負け戦になると分かっていて進軍したのかな?」

 それが一番、不可解だったのだ。

 自滅としか言いようがない。諫める臣下もいただろう。


「それは……私も詳しくは知らないのですが……言い出したのは兄だと聞いています」

「君のお兄さん? つまり、今のマルク国王?」

「はい……兄は他国と連携して帝国を討ち滅ぼすべきだと強気な事を申していたと聞いています」

「他国……けど、どこの国も動かず、マルク王国は孤立した? もしかして、密約でもあったのかな」

「かもしれません……ですが、小国がいくら集まったところで帝国に敵うはずがありません。烏合の衆ですから……それなのに、兄はやけに強行に国境に軍を集結するように主張したのです。それに賛同する貴族が多く、父上は反対できませんでした」

「それなのに、責任を取らされたのは国王で、君の兄上が王位に就いた……」

 オフェリアは「はい……」と頷く。

 けれど、その結果に納得がいっていないようだった。

 当然だろう。


 どうもきな臭い。マルク王国の進軍には裏がありそうだ。

 これは密かに調べてみる必要があるかもな。


 





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