王都より
翌日、王都からゲーラー卿が戻ってきたと知らせを聞いて、一階の広いホールに向かう。家令と家政婦が、あたふたしながらメイドたちを指示して客人の出迎えを行っていた。
「ゲーラー卿、お疲れ様」
僕が声を掛けると、若い事務官と話していたゲーラー卿が振り返って頭を下げる。
「これは、閣下。遅くなりました」
「いいや、問題なく王都を出られてよかったよ。それにしても……思っていた以上に大人数だね」
静かだった城内がいきなり賑やかになった。ホールはガヤガヤして、頻繁に人が出入りしている。
「王都にいる帝国の駐在員と、駐留軍全て引き上げてきましたからな」
ゲーラー卿がフッと笑う。
「よく、すんなり城門を通してもらえたね」
「慌てておりましたよ。ですが、止める権限などありませんからな」
王国側も目障りな帝国の駐留軍が引き上げてくれるのなら願ったり叶ったりと思ったのかもね。けれど、おそらく帝国に引き上げるものと考えていたはずだ。この城にそっくり移住するとは思わなかっただろう。兵士と騎士は外で荷物を運んでいるようだ。一応、騎士の館や兵舎での受け入れ準備はできている。
「ああ、それと……私の独断で王国の事務官数名を引き抜いてまいりました。王国側との交渉には必要になるでしょうから。下級貴族出身の者が大半ですが、本人らの意思は確認済みです。王国側にそれほど思い入れのない者たちですし、裏切りなどの心配はないかと。事後承諾になりますが、よろしかったでしょうか?」
「それはもちろんだよ! ゲーラー卿が選んだ人材なら間違いはないだろうしね。優秀なんだろう。しかし……よく来てくれる気になったね」
王国を裏切り、帝国側につくという事だ。ゲーラー卿がどうやって交渉したのか気になるところではある。
「王国は身分主義が根付いておりますからな。能力が高くとも、見合う働きをする機会を与えられず、くすぶっている者は多いのですよ。貴族の子弟であっても、三男、四男ともなれば、領地も与えられません。妾の子などであればなおさら下に見られますから」
なるほど、それで不満を募らせていた者を引き抜いてきたというわけか。待遇も悪ければ忠誠心など芽生えようもない。それよりも、若ければなおさら出世したいという思いも強いだろう。
「ああ、ちなみに。若手ばかりではなく、隠居間近の老人もおります。窓際に置いておくのは、もったいない人材でしたので」
言われてホールを見れば、青年だけではなく、白髪の老人の姿もある。むしろ、若者より元気な声を張り上げて、青年たちに指示を出していた。ホールには次々と荷物の箱が運び込まれている。老人たちは急に役立つ機会を与えられたからか、やる気満々だ。
「なるほど……確かに、経験豊富な人材は必要だ」
それに、老人たちは侮れない。長年、仕えてきて王国の事情も、王宮内の事もよく知っている。法律に詳しい者も多いだろうし、重要な人脈を持つ者もいる。そうした下級の事務官たちのおかげで、国は支えられてもいるのだから。
「それと、閣下から要請のあった料理人と使用人になる者も、王都から数名雇って連れてきております。急な要請でしたので、それほど多くの者は集まりませんでしたが。必要となる食料と物資も買い入れておきました。数日以内には商人も訪れる予定になっているので、不足しているものは追加でその者に注文を。帝国とも取引のある信用できる商団の者ですから、こちらの情報が王国側に漏れる事はありません」
ホールが狭く感じるほどに積まれている荷物の中身は、食料、布類、リネン、蝋燭や酒など、当面の生活に必要なもののようだ。それを事務官たちが仕分けしている。一ヶ月でも籠城できそうなほどの物資の量だ。
短期間で、これだけ準備するとは!
「ゲーラー卿……君に惚れそうだよ!」
僕はゲーラー卿に向かって両手を広げて抱擁をしようとした。けれど、「妻と子がおりますので」と素気なく断れてしまう。
「冗談ではなく、卿の有能さには脱帽だよ。ゲーラー卿が同行してくれて本当によかった! 僕だけじゃ、こうもうまく事は運べなかっただろうからね」
僕は手放しで賞賛する。
「何をおっしゃいますか。私はただの使いっ走りですよ」
「帝国に帰ったら、卿の働きがいかに素晴らしかったか、カールと宮廷の重鎮たちの前で報告する必要がありそうだ」
「それは勘弁していただきたい。これ以上仕事が増えると、家庭を顧みない薄情な夫として妻と子に愛想を尽かされてしまいます」
「あはははっ、じゃあ褒美は有給休暇にしてもらおう!」
笑って、ゲーラー卿の肩をポンポンと叩く。
卿も「それはありがたい」と、微笑んでいた。
「まあ、これは……随分と賑やかになりましたわね」
ルーラ様が侍女を連れてやってくるから、僕とゲーラー卿は頭を下げた。
「ルーラ様。お騒がせして申し訳ありません」
「いいえ、おかまいなく。お出迎えが遅くなってしまいましたわね」
「お初にお目にかかります、バルト=ゲーラーと申します。ルーラ様。滞在の許可をいただき、感謝いたします」
ゲーラー卿が、ルーラ様の手を取って恭しく挨拶をする。
「ようこそいらっしゃいました。ゲーラー卿。お会いできて光栄です。何か不足があれば、遠慮なく申してくださいませ。私にできる事は限られておりますが……精一杯おもてなしさせていただきますわ」
ルーラ様はニコッと優雅な笑みを浮かべた。
「お気遣いありがとうございます。滞在中、なるべくご不便をおかけすることのないよう、皆の者にも言い聞かせておきましょう」
「お部屋が足りなければ、言ってくださいませ。それと私の事はおかまいなく。城内は自由に出入りしていただいてかまいませんわ。遠慮なく使ってくださいませ」
「お言葉に甘えてそうさせていただきます。ですが、許可は必ず取るようにいたします」
「それでは、何かあれば家令に伝えてくださいませ」
ルーラ様は「では、後ほど」と会釈して、家令の元に向かう。
「ゲーラー卿、到着したばかりで疲れているだろうけれど、少々相談したい事が増えてね。確認したい事もあるし、今からいいかな?」
「閣下の頼みとあらば、きかぬわけにはいかないでしょう」
「じゃあ、客間に移動しよう。昼食はとった?」
「いいえ、まだですな」
「それはちょうどよかった」
僕はメイドを呼び止めて、客間にお茶と軽食を運んでもらうように頼んだ。
◇◇◇
客間に移動した僕らは、お茶とチーズやハムを挟んだパンが運ばれてくるのを待ってから、話を始める。
「国王との謁見で、何か言われなかった?」
僕は紅茶を飲みながら尋ねる。
本来、その場には僕も同席する予定だったのだ。
「いたく機嫌を損ねておいでのようでした。王国を訪れながら、挨拶にも来ないというのはどういう了見かと、閣下の思惑通りに不興を買ったようで。だからといって使節団を追い返すわけにはいきませんからな。親書は渡したので、概ね問題はありますない」
「何て理由をつけておいたんだ?」
「閣下は道中、謎の熱病にかかり疫病の可能性があると医者の診断を受けたため、急遽療養のため、こちらの城で滞在する事にしたと伝えておきました。ひどく、渋い表情を浮かべておられましたよ」
「さすがだよ、ゲーラー卿。完璧な対応だ」
僕はクッと笑う。疫病の疑いがある者に王宮に来られても困るのだから、批判もできないし、かといってこちらの城に人を送って確認することもできない。さらに隔離が必要とあれば、王都に呼び出すこともできないし、こちらの城に長期滞在する理由付けになる。
さぞかし、苦虫を噛みつぶしたような表情になっていたことだろう。
ゲーラー卿も「ええ」と、愉快そうに口元を緩める。お腹が空いていたのか、皿のパンは見る間になくなっていた。この様子では朝食すら取る暇もなく、王都を出てきたのかもしれない。僕はすでに空になっている彼のカップに、紅茶のおかわりを注ぐ。これくらい労うのは当然のことだ。彼には苦労をかけているんだから。
「王都を出た帝国の事務官と駐留軍が、まとめてこの城に移動したという情報は、すぐに国王の耳に入るだろうね」
「ええ、我々がこちらに移動する間も、監視の者がついてきておりました。今頃、報告に向かっているでしょう」
「どう出ると思う?」
「あちらは静観するしかありますまいよ。我々の行動を止める権利も、口出す権利もないのですから。ルカーシュ国王は青ざめるでしょうな」
それはそうだ。王国に滞在していた事務官、外交官、全てこの城に移動してきたのだ。しかも、王都に駐留していた兵と騎士も全員伴ってだ。帝国と王国を繋ぐ橋渡し役が王都にはいなくなったということでもある。この古城が、帝国との唯一の窓口にして中心拠点になったというわけだ。
なおかつ、この城にはルーラ様と、イヴァン殿下がいる。
多くの貴族の目には、帝国がイヴァン殿下の後ろ盾になったと映るだろう。今までは何の後ろ盾もなく、脅威にもならなかったイヴァン殿下だが、新国王となったルカーシュは未婚で世継ぎがいない。となれば、彼に万が一の事があれば、次に王位に就くのはイヴァン殿下以外にいない。
例え、ルーラ様が山岳民の娘であったとしても、前国王の正式な側妃である事には変わりない。その子であるイヴァン殿下は、正統なる王位継承者だ。
そんな可能性は、今までは少しも考えなかっただろう。このオンボロの古城にイヴァン殿下とルーラ様を追いやったのが仇となったことに気付いても遅い。
ルカーシュ国王は自分の血統の良さから、地位は盤石なものと疑っていなかったはず。確かに、以前ならそうだったかもしれない。けれど、この国は帝国に敗北し属国となった。
国王の権威が失われて王国軍の保護と支援が期待できない以上、貴族たちはより大きな庇護を求めて帝国側に着くだろう。言わば、国王の地位はすでにお飾りになっている。しかも、ルカーシュは残念な事に人望はなく、統治者としての資質に欠けている。果たして王国への忠義だけで従う貴族が、どれほどいるだろうか。
帝国側につく方がうまみが大きいと判断した貴族らは、すでに帝国にすり寄り始めている。帝国に敗北した王家は、とうに見限られているのだ。そんな状況で、帝国がイヴァン殿下の側につけば、追従する貴族は多く現れる。現状中立の貴族たちも、こちら側に靡く公算は大きい。
帝国がイヴァン殿下を擁立してルカーシュ国王の退位を迫れば、ルカーシュ国王とその派閥の貴族は抵抗しきれない。よっぽどのバカでなければ、その可能性には気付くのだ。
「閣下が、陛下と気が合う理由がよく分かるような気がいたしますよ」
ゲーラー卿はお腹が満たされたところで、紅茶のカップを取る。
「僕はカールほど好戦的じゃないよ」
「いやいや、やり方は違えども、思考が実によく似ていらっしゃる。閣下が帝国の敵ではなくてよかった。そうであれば大きな脅威になっていた事でしょう」
「まさか! 僕はそんなご大層な人間じゃない。まあ、でも思考が似ているというのなら、間違いなくカールの悪影響だろうね。悪巧みに散々付き合わされてきたから」
僕は肩を竦めて答えた。極めて平和主義で穏便を好む性格のつもりでいるんだけどな。一口紅茶を飲んで、カップをテーブルに戻す。
「表立ってはケンカを売ってこないとは思うけど、あの国王が嫌がらせをしてくる可能性はあるだろう? この城を孤立させて、食料などを運び込ませないように街道を封鎖するとか、検問を設けるとか」
「ええ、可能性はあるでしょう。ですから、近隣の村と街の有力者を買収しておきました。緊急時には食料や物資の支援を得られるように手配しております。監視の役目も担ってくれるので、もし王国の軍に動きがあればすぐに知らせが届くでしょう」
「僕はむしろ、ゲーラー卿が帝国の敵でなくて、心底よかったと思うよ。もし、卿が王国側にいたら、帝国は負け戦になっていたはずだ」
こんなに有能な人物に帝国を出奔されないように、今以上の待遇と褒賞を用意するようにカールに進言しておこう。人間の忠誠心は、待遇によるところが大きいのだから。
「それは過大な評価というものでしょう。私は交渉役を担っただけなのですから。全ては先陣を切って戦われた陛下と、帝国軍の勇猛な騎士や兵の功績です」
「君のような優秀な文官が支えてくれるから、憂いなく万全の態勢で戦えるのさ。カールも十分に承知しているよ」
「そのようにお考えになるところが、やはり閣下が非凡である事の証明なのですよ」
ゲーラー卿は僕を見て微笑む。僕は少々照れくさくなって、「あはは」と笑っておいた。
「まあ、卿に任せておけば何も心配なさそうだ。それと、もう一つ相談があるんだけどね」
「うかがいましょう」
「オフェリアとの結婚式を、こちらの城で挙げようと思うんだ」
ゲーラー卿が「グフッ」とお茶をふく。おや、意外だな。ゲーラー卿を驚かせる事ができたみたいだ。
「帝国にお戻りになられてからでは?」
「もちろん、戻ってから正解に挙げるつもりでいるよ。ただ、早めに僕とオフェリアの結婚を、お披露目しておきたくてね。そうすれば、オフェリアが正式に公爵夫人になった事を内外的にも広める事になるだろう? この国での彼女やイヴァンの立場を思えば、その方がいいと思うんだ」
結婚すれば、僕はイヴァンの後見人という立場を確立できる。下手に利用しようと思う者を排除できるだろう。
「政治的な理由ですか」
「いいや、半分は個人的で邪な理由からだ」
僕は正直に答えておいた。どうせ、見抜かれている。
ゲーラー卿は紅茶を啜り、ふっと息を吐く。
「…………なるほど。承知いたしました。かなり、面白い事になりましょうな」
ニヤッと笑っているところを見ると、賛成してくれるようだ。
「けど、僕は熱病にかかっていることになっているんだよね?」
「恋の病も十分に熱病と言えましょう。まあ、それについては問題ございますまい。熱病で命の危機を感じた閣下が、死ぬ間際に結婚式だけでも挙げたいとごねた事にすればいいのです。バレそうになれば、神に祈りが通じて回復したとでも説明しておけばよい」
「言い訳をさせたら、卿の右に出る者はいないよ。素晴らしい考えだ。せっかくだから、オフェリアの異母兄殿にも招待状を送ってやるのはどうかな?」
「まあ、親族の一人には違いありますまい。この城まで乗り込んでくる度胸があるとは思えませんが、様子を確認するために使者程度は送ってくるかもしれませんな」
「もし、カールが彼の立場なら、堂々と乗り込んでくるだろうね」
むしろ、面白がって贈り物持参でお祝いにやってくるだろう。僕はクスッと笑う。
「ええ、陛下は器が違いますからな。むしろ、あの国王に乗り込んでくるだけの度胸があれば、見直してやるのですが」
ゲーラー卿も愉快そうな顔をして頷いていた。
「ないだろうね。その程度の人物で、むしろよかったよ」
「結婚式のために、この城に移ったという事にしておけば、名目も立ちましょう。よい考えです。個人的で邪な理由を抜きにしても。なに、閣下もお若いですし、オフェリア姫はあのように美しい方ですからな。お気持ちはよく理解できますとも。私も閣下の幸福のためとあらば、協力は惜しみませぬ。必要な手配があれば、なんなりとお申し付けください」
顔がにやついていて、面白がっているのは一目瞭然だ。
けれど、ゲーラー卿が協力してくれたら、何事も万事うまくいくだろう。
「そう言ってもらえて、ありがたいよ。遠慮なく、手を貸してもらうさ」
僕は片手をあげて、苦笑いを浮かべておく。




