相談
すっかり汗臭くなってしまった僕は、一度部屋に戻って入浴をしてから着替えをする。ルーラ様を捜して一階に下りると、家令に呼び止められた。
王都から頼りが届いたらしい。手紙を受け取ると、ゲーラー卿からのものだ。その場で開いて目を通した。内容は分かっている。
「公爵様、近いうちに客人が来られるそうですが、本当でしょうか?」
年老いた家令が気を揉むように訊いてくる。あのメイドたちから話を聞いたのだろう。
「ああ、それについて後で相談しようと思っていたんだ。百名ほどこちらに来る予定なんだけど、大丈夫かな? 費用は僕が持つから心配はいらないよ」
「百名でございますか!?」
「護衛の兵と騎士も合わせるともっと増えるかも。兵舎や騎士の館の部屋が足らなかったら、こちらの本館の部屋を貸してもらいたい」
「はぁ……部屋はございます。けれど、清掃が間に合っておらず……」
「それは承知しているよ。信頼できそうな者がいたら雇ってくれてかまわない。給金はこちらで持つから」
「それでしたら探してみますが……すぐには見付からないかもしれません」
「雇用条件次第だろう。清掃と洗濯、それに簡単な食事の用意ができる者であれば、経験は問わないよ。ただ、手癖が悪い者と、口が軽い者は避けてくれ。部屋を整えるのに必要なものがあれば購入を。請求書を後で僕に回してくれたらいいから」
料理人も雇いたいが、腕のいい料理人は自分の店を持っているか、すでに雇用されている。近隣の街や村にはいないだろう。これは、王都にいるゲーラー卿に頼む方がよさそうだ。
あの人なら、すぐに見つけてくれるはずだ。有能だからね。
必要になるものも多そうだし、商人を呼んでもらって直接指示する方が早いか? とはいえ、僕ではこの国で信用できる商人の当てがない。これも、ゲーラー卿に任せよう。「閣下……仕事を押しつけすぎです」と、渋い顔をされそうだけど。帝国に戻った時に、公爵邸のワイン蔵で眠っている秘蔵の年代ものワインでも贈るとするか。それで機嫌を直してくれるだろう。
「その前に、ルーラ様にまず相談しなきゃならないだろうな。どちらにいらっしゃる?」
「居間にいらっしゃいます」
「では、これから行ってみる。君も来てくれ。家政婦も呼んできた方がいいだろうな」
「承知いたしました。すぐに」
僕は居間に向かって歩く。
ゲーラー卿の手紙によれば、三日後にはこちらに移動してくるようだ。
手紙をポケットにしまって、意地悪く笑みを浮かべる。
どうやら、この国の新国王は僕を侮っているらしい。
僕の妻となる女性とその母君や弟君を軽んじれば、どうなるか。
ちょっとばかり、思い知らせてやろうと思う。
◇◇◇
ルーラ様は、かなりの人数の客人が訪れると聞いて、驚いた様子だったが承諾してくれた。
詳しい事情は説明しなかった。同席している家令と家政婦が、完全に信用できるかどうか分からないからだ。国王に通じている可能性もある。
それに、ルーラ様が深く訊かないのは、僕が何かしようとしている事に気付いているからだろう。あの人もかなり聡い。
オフェリアも、イヴァン殿下も母君に似たのだろう。前国王に似なくて心底良かった。似ていたら、あの頭の悪い新国王のような人物になっていたかもしれない。まだ会ったことはないけどね。
一通りの相談がすんで、家令と家政婦が出て行った後、居間には僕とルーラ様だけが残っていた。
「無理なお願いを聞いていただき、感謝します。ルーラ様」
「あら、お母様と……そうは呼んでくださらないのかしら? 寂しいわ」
頬に手を当てたルーラ様は、オフェリアに似た顔でニコッと微笑む。
「もちろん、そう呼ばせていただけるのでしたら喜んで」
「ええ、イヴァンもあなたの事をお兄様と呼んでいるのでしょう?」
「もう、お聞きになっているのですか」
「イヴァンが嬉しそうに報告してくれましたから。あの子に剣術の指導をしてくれたと聞きました」
ルーラ様は紅茶のカップを口に運ぶ。
「その件ですが……少々気になる事があるのです。僕が口を出すような事ではないかもしれませんが」
僕はいい機会だと、話を切り出す。
「イヴァンの学習の事でしょうか……」
ルーラ様はカップを戻して、フッと溜息を吐く。
「ええ、そうです。剣術を教える者もいないと聞きました。もしかして、家庭教師がついていらっしゃらないのではありませんか? オフェリアも、以前は自分が分かる範囲で勉強を教えていたと話していましたし」
オフェリアも、イヴァンの学習については心配していた。
王都にいた頃、オフェリアはルーラ様から作法やダンスは教わっていたようだ。けれど、その他の勉強は図書室の本を読んで独学で学んだと言う。それを、オフェリアがイヴァンに教えていた。オフェリアが国を離れてからは、おそらくルーラ様が教えているのだろう。
「ええ……その通りです。今は私がイヴァンの勉強を見ているのです。ですが、私はマルク王国の生まれではありません。教えられる事にも限界があるのです。本当に、恥ずかしい限りだわ。私が手配すべきことなのに。家庭教師を雇うのも、私の一存ではできないのです。ご存じの通り……この国ではヴァーナ族に対する偏見が強く存在します。そうした偏見なく、指導をしてくれる方を探すのは難しいのです」
つまりは、家庭教師を雇おうとしたけれど、来てくれる者がいなかったという事だろう。偏見だけが理由ではない。おそらく、家庭教師を雇わせないようにしていたのだ。山岳民の血を引く無教養な王族であれば、王位に就けようと思う者もいない。だとすれば、新国王のルカーシュ、あるいは前国王の正妃である王太后あたりの指示だろうか。その可能性は大きいだろうなと、僕は溜息を吐く。
側妃の子を玉座から遠ざけるために嫌がらせする事など、どこにでもある。家庭教師も国王や王太后の不興をかって、仕事を失うような事はしたくないだろう。
「……家庭教師の件は考えるとして、ここにいる間、僕も多少ならば教えられる事もあります」
「イグナーツ様が自ら教えてくださるのですか?」
「教えられる事は限られていますよ。僕は帝国の人間で、マルク王国の歴史や文化などは分かりませんから。そうですね……剣術と、算学は教えられそうです。歴史や語学は、オフェリアに頼んでみましょう」
「それなら、以前もオフェリアが教えていました。作法やダンス、音楽は私でも教えられるでしょう」
「では、ちょっと授業内容を考えて、時間割を調節しましょう。イヴァンが勉強熱心だと助かるのですが」
「あの子はイグナーツ様が教えてくださるなら、大喜びで勉強するでしょう。すっかり、心酔しているようですもの。イグナーツ様に剣の稽古をつけてもらったのが嬉しかったのか、ずっとその話ばかりしているのです。そういえば、騎士見習いの子たちとも話ができたとか。ここに移って来てから、ずっと塞ぎ込んでいたのに……あんなに生き生きしているあの子を見るのは久し振りです」
オフェリアもいなくなったから、寂しく不安な思いを抱えていたのだろうな。
「僕としても、イヴァンは教え甲斐があるので楽しいですよ。それに、弟になるのですから。できる限りの事はしたいと思います」
「ありがとうございます。ああ、でも……オフェリアとの時間もちゃんと取ってあげてくださいね。イヴァンにイグナーツ様を取られてすっかり拗ねてしまっているんですもの」
ルーラ様は口元に手をやってクスッと笑う。
「えっ! そのせいで拗ねていたんですか?」
「ええ、当然です。朝食の時も顔を合わせていなかったでしょう?」
「そういえば……」
昨日は寝坊して起きるのが遅かった事を思い出して、僕は額に手をやった。
「僕と顔を合わせなかったくらいで、オフェリアが寂しく思うとは思えないのですが」
むしろ、離れていた母や弟との時間を取りたいだろう。
僕は邪魔なような気がする。
「まぁ、閣下……私、少し心配になってしまいましたわ。閣下に本当にオフェリアを任せてよいものか」
ルーラ様は頬に手をやって、憂いを漂わせた表情で溜息を吐く。
「もちろん、オフェリアの事はとっても大事に思っていますよ! それに、僕だって許される事なら、四六時中くっついていたいくらいなんですから。それだとウザいとか、暑苦しいとか思われそうで控えているのです。妻の実家――と呼んでいいのか分からないですが、ここに来てまで付きまとっていたら、嫌がられそうで……」
焦る僕を見て、ルーラ様はクスクス笑っている。どうやら、からかわれているようだ。ルーラ様は見た目通りのおっとりした女性ではない。なかなかの食わせ物のようだ。
「メイドに聞いたのですが、寝室も別にしているのでしょう?」
「それはまあ……まだ結婚式前ですし。こういう事はちゃんとしないと」
「オフェリアは寂しがっていたみたいですけど。ああ、それだわ。たくさんお客様が来られるのですから、お部屋は空けておいた方がいいのではありません? 見知らぬ客人が大勢いらっしゃるなら、余計に二人は同じ部屋の方がいいと思うの。危ないでしょう?」
ルーラ様は右手の指と左手の指を合わせて、ニッコリ微笑む。
「僕と同じ部屋で寝る方が危険ですよ!」
あられもない寝間着姿でベッドに横たわるオフェリアなんて見た日には、僕の忍耐力なんて吹っ飛んでしまうだろう。理性をなくして何をしでかすか分かったものじゃない。ただでさえ、近頃は彼女の隣にいるだけで頭がクラクラしてくるんだから。我を忘れた姿を見られて、結婚前に軽蔑されるのは絶対ご免だ。
「まぁ、そうなのですか?」
「とにかく……僕はオフェリアを大事にしたいんです。僕を試すような事はなさらないでください。これでも、かなり色々自制しているんですから」
僕は頬が火照ってきて、前髪を軽くかき上げる。
「ええ、閣下のお気持ちは十分に伝わりました」
ルーラ様は可笑しそうにコロコロと笑っていた。
どうやら、本当に遊ばれていたようだ。
話が終わって居間を出ようとすると、扉が何かに当たる。オフェリアがびっくりしたように一歩下がった。その顔が真っ赤に染まっている。
「オフェリア……」
声をかけようとすると、彼女は足の向きを変えてパタパタと走って行ってしまった。あっと呼び止めようとしたけれど間に合わない。
さっきの母君との会話を、聞かれていたのだろうか。
「うわっ……待って、オフェリア!!」
僕は顔を手で押さえて、急ぎ足で追い掛ける。けれど、廊下の角でお茶を運んでいたメイドとぶつかり、トレイが傾いたせいでポットとカップが落ちてしまった。大きな音が廊下に響く。
「申し訳ございませんっ!!」
「いや、大丈夫……こっちこそ、ごめん。火傷はしなかった!?」
あたふたして破片を拾い集めている間に、オフェリアの姿は見えなくなっている。僕はしゃがんだまま、項垂れて深く溜息を吐いた。
しまった。ものすごく恥ずかしい話を聞かれた気がする――。




