第二章 第二節〜Re:白紙の書〜
……すみません、エピソードを丸ごとリライトしました。今回、物語を作ったそばから投稿すると、前後のエピソードの整合性や調整が難しくなる事を学びました。
長期遠征者用宿舎の朝は早かった。
まだ外の鐘が鳴り終わらぬ内から、人の動く気配が聞こえてくる。
◇
休息期間初日。
遠征調査隊の面々は、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。
ビナー出身の騎士は、久しぶりに故郷へ戻ったらしく朝から宿舎を出ている。
「親父殿に顔見せだろ」
盗賊がそう言っていた。
その盗賊自身もまた地元の知人達と会う予定らしく、珍しく早々に姿を消していた。
一方で赤髪の女狩人は市場区画へ向かっていた。
見慣れない土地の商店を覗くのが好きらしい。
「せっかく別の領域まで来たんだからね」
そう言い残して出て行った。
小柄な女僧侶はというと、トンネル都市に存在する礼拝堂を訪れる予定らしかった。
慣れない寒さに少々参っている様子ではあったが、それでも穏やかな笑顔は崩れていない。
研究員達も各々休養に充てている。
長旅の疲労は決して軽くなかった。
今は無理に動く時ではない。
◇
そんな中。
ソフィアは朝食を終えると、クレイスの部屋を訪ねていた。
「本当に付いて来てくれるんですか?」
「昨日も言っただろう」
クレイスは肩を竦めた。
「土地勘が無いんだから案内役くらいはする」
「ありがとうございます」
ソフィアは少し笑う。
本音を言えば。
一人で行くのが少し不安だった。
選定の回廊。
人生を変える試練。
そんな場所へ向かうのだ。
誰かと一緒の方が心強い。
「……それに」
クレイスは視線を逸らした。
「何が起こるか分からない場所だろう」
「心配してくれてるんですか?」
「違う」
「今の間は絶対そうですよね?」
「気のせいだ」
ソフィアはくすりと笑った。
◇
二人が宿舎を出ようとした時だった。
「クレイス君」
背後から声が掛かる。
主任研究員だった。
「少しいいかな」
「……承知しました」
クレイスは表情を引き締める。
ソフィアへ向き直った。
「少し待っていてくれ」
「はい」
◇
主任研究員は人気の少ない廊下へ移動すると、静かに口を開いた。
「選定の回廊へ向かうそうだね」
「その予定です」
「やはり」
どこか満足そうな顔だった。
クレイスは内心でため息をつく。
この人は相変わらずだ。
先回りが上手い。
◇
「君も聞いていると思うが、我々が調査する地底湖は“力の保存と継承”に関係している」
「ええ」
「実は選定の回廊も近い性質を持つと考えられている」
クレイスの眉がわずかに動く。
「学術院は以前から調査を打診していた」
だが。
許可は下りなかった。
書簡による交渉も不調。
内部調査は認められていない。
「しかし今回は違う」
主任研究員は微笑んだ。
「君達は正式な試練の挑戦者として中へ入る」
「俺は付き添いですが」
「それでもだ」
視線が鋭くなる。
「何か見えたら覚えておいてほしい」
研究者らしい目だった。
未知への探究心。
そして知識への渇望。
◇
「……休息日を設けたのも、そのためですか」
クレイスが尋ねる。
主任研究員は答えない。
だが否定もしなかった。
「君は優秀な観察者だ」
代わりにそう言った。
「私が見られない場所を見てきてくれ」
△
▽
ソフィアと合流した頃には、クレイスはいつもの表情へ戻っていた。
「何の話だったんですか?」
「研究の話だ」
「また難しそうなやつですね」
「ああ」
それ以上は語らない。
だが主任研究員の言葉は頭に残っていた。
力の保存と継承。
選定の回廊。
そして地底湖。
偶然とは思えない。
◇
二人は大書庫へ向かった。
トンネル都市の中央部。
岩盤を削り抜いて築かれた巨大施設。
何層もの回廊が重なり、石橋が空中を横切っている。
その最深部に目的地はあった。
「大きい……」
ソフィアが見上げる。
黒い岩盤と白い石材が組み合わされた荘厳な建築。
入口には本を象った巨大な紋章。
静寂そのものを形にしたような場所だった。
◇
受付には年配の司書がいた。
ソフィアは高位僧侶から預かった紹介状を差し出す。
「ケテルの神殿より紹介を受けました。クラスチェンジの試練を受けるために参りました」
司書は書簡へ目を通した。
そして頷く。
「確認いたしました」
その視線がクレイスへ向く。
「こちらの方は?」
クレイスは丁寧に一礼した。
「私はコクマー学術院所属の調査研究員です」
普段よりずっと落ち着いた口調だった。
「彼女とはビナーまでの道中を共にしておりました。この土地に不慣れなため、案内と付き添いを兼ねて同行しております」
司書は少し考えた後、頷いた。
「問題ありません」
二人は応接室へ案内された。
暖炉の火が静かに揺れている。
司書は席へ着くと説明を始めた。
◇
「まず理解していただきたいのは、選定の回廊は僧侶になるためだけの施設ではありません」
ソフィアが姿勢を正す。
「現在の適性を失い、新たな適性を得るための施設です」
司書は静かに続ける。
「儀式は三段階あります」
第一段階。
挑戦者自身が物語を書くこと。
「物語?」
「はい」
司書は頷いた。
「挑戦者はまず、自らの人生を『白紙の書』へ記します」
◇
第二段階。
その本を携え、選定の回廊へ入る。
回廊には無数の本が納められている。
そして。
その中から自らが求める本を選び取る。
「ただし」
司書の声が少し低くなる。
「回廊内の本は開けません」
「え?」
ソフィアが目を瞬かせた。
「開けないんですか?」
「大書庫の司書以外には不可能です」
つまり。
本の内容は読めない。
感じ取るしかない。
「そこに込められた執筆者の性質を頼りに選ぶのです」
選択を誤れば。
望む適性へ辿り着けない。
僧侶になりたい者が別の本を選べば。
別の適性を得る可能性もある。
ソフィアは思わず息を呑んだ。
「神殿の高位僧侶が貴女を長く見ていた理由も、その辺りでしょう」
司書は言う。
「貴女が僧侶へ至れるかを見極めていたのです」
ソフィアは静かに頷いた。
今なら分かる。
神殿での日々は修行だけではなかった。
見られていたのだ。
自分自身を。
◇
「最後に」
司書は締め括る。
「最奥で、自らの本と選び取った本を用いて儀式を行います」
そして。
完成した自分の本は回廊へ納められる。
未来の挑戦者のために。
◇
その説明を聞いていたクレイスが口を開いた。
「一つ質問してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「ソフィアが僧侶になるなら、僧侶の本を選ぶ必要があります」
司書は頷く。
「つまり過去に僧侶がこの場所へ来て、本を書き残したということですね」
「その通りです」
「放浪者以外も試練を受けられるのですか?」
司書は微笑んだ。
「可能です」
だが。
結果は難しい。
「人は無意識に、自分と似た本を選びます」
戦士は戦士を。
僧侶は僧侶を。
魔術師は魔術師を。
そのため。
儀式を終えても何も変わらないことが多い。
「しかし放浪者は違う」
司書はソフィアを見る。
「柔軟だからです」
だからこそ成功率が高い。
その代わり。
一度別の適性へ変われば。
再び放浪者へ戻るのは容易ではない。
◇
説明が終わる。
司書は一冊の本を差し出した。
「こちらを」
白い装丁。
何の題名も無い本。
中を開く。
全て白紙だった。
「期限はありますか?」
ソフィアが尋ねる。
「ありません」
司書は即答した。
「納得できるまで書いてください」
「持ち帰っても?」
「もちろんです」
△
▽
一通りの説明を終えた二人は大書庫を後にした。
帰り道。
トンネル都市の灯りが岩壁を照らしている。
「思ったより大変そうですね」
ソフィアが本を抱えながら言った。
「ああ」
クレイスも頷く。
「本を選ぶところが特にな」
「私、絶対迷います」
「だろうな」
「ひどい」
そんなやり取りを交わしながら宿舎へ戻っていった。
◇
その夜。
自室へ戻ったソフィアは机へ向かっていた。
目の前には白紙の書。
ペンを握る。
そして書き始める。
◇
白き天空の領域ケテル。
転生。
冒険者。
固定パーティに馴染めなかった日々。
街の仕事。
神殿。
僧侶見習い。
飛空艇。
コクマー。
クレイスとの出会い。
橋上の戦い。
懐かしさ。
前の世界の話。
そしてビナー。
気付けば時間は過ぎていた。
最後の行を書き終えた時。
ソフィアは大きく伸びをする。
「……ふぅ」
ペンを置く。
改めて本の厚みを見る。
白紙だったページの半分ほどが、既に文字で埋まっていた。
◇
まだ一年も経っていない。
それなのに。
これだけのページが埋まるほどの出来事があった。
「濃いなぁ……」
思わず苦笑する。
だが。
同時に疑問も浮かんだ。
本当にこれで終わりなのだろうか。
今提出して。
今試練を受けて。
それでいいのだろうか。
◇
窓の外では、トンネル都市の灯りが静かに輝いている。
自分はしばらくここに滞在する。
地底湖調査もある。
クレイス達との時間もある。
まだ、この本には書かれていない日々が残っている。
まだ、自分の物語は続いているのだ。
◇
ソフィアはそっと白紙の書を閉じる。
白い表紙を撫でながら微笑んだ。
「もう少しだけ、続きを書こう」
選定の回廊へ向かうのは、その後でもいい。
そう決めた彼女の胸には、不思議な納得感が広がっていた。
そして静かな夜が、更けていくのだった。




