第二章 第一節〜Re:境界を越えて〜
……すみません、エピソードを丸ごとリライトしました。今回、物語を作ったそばから投稿すると、前後のエピソードの整合性や調整が難しくなる事を学びました。
山脈を貫く巨大なトンネルの中を、遠征調査隊は進んでいた。
黒い岩盤を削り抜いて造られた通路は広く、大型馬車がすれ違えるほどの幅がある。
頭上には魔力灯が一定間隔で設置され、淡い光が行く手を照らしていた。
世界柱地上部を越え、山脈へ入った当初はまだ緑も残っていた。
だが進むにつれて景色は変わっていく。
「寒っ……!」
研究員の一人が肩を震わせた。
吐いた息が白い。
壁際には薄く霜が張り始めている。
トンネルは完全な密閉空間ではなかった。
所々に大きな開口部があり、その向こうには山脈の外側が見えている。
かつて掘削時に岩石を廃棄するために設けられた場所であり、現在は換気口としても利用されていた。
そのおかげで空気は淀まない。
しかし同時に。
「うわっ!」
開口部の前を通過した研究員が慌てて身を縮める。
吹き込んできた冷気がまるで刃のようだった。
外では雪が舞っている。
黒い岩肌の崖。
白く染まった斜面。
吹雪の向こうに見える氷の世界。
それはケテルともコクマーとも違う景色だった。
◇
「そろそろ着替えた方がいいな」
クレイスが言った。
騎士も頷く。
「この先はもっと冷える」
彼はビナー出身だった。
故郷へ帰ってきたからか、どこか表情が柔らかい。
遠征隊は一度足を止めた。
研究員達は馬車から防寒装備を取り出し始める。
厚手の外套。
毛皮の手袋。
防寒靴。
首元を覆う防寒布。
ソフィアもまた足元に小さな魔法陣を開いた。
白銀の光が揺らぐ。
次の瞬間。
毛皮付きの外套や防寒具一式が現れた。
「相変わらず便利ですねぇ……」
小柄な女僧侶が感心したように呟く。
「旅の準備だけは得意なんです」
ソフィアは笑った。
防寒具を身に着けながら、ちらりとクレイスを見る。
黒い防寒外套を羽織った彼は、普段よりさらに魔術師らしく見えた。
「似合ってますね」
「そうか?」
「はい。雪国の怪しい魔術師って感じで」
「褒めてないだろ」
「褒めてますよ?」
そんなやり取りに周囲が小さく笑った。
◇
さらに進む。
気温は目に見えて下がっていった。
開口部の外は完全な雪景色になっている。
吹雪が岩壁へ叩き付けられ、白い煙のように舞い上がっていた。
もしこのトンネルがなければ。
もし山脈を直接越えようとしたなら。
旅そのものが成立しないだろう。
ソフィアはそう思った。
「すごいですね……」
「何がだ?」
隣を歩くクレイスが尋ねる。
「こんな場所に街を作った人達です」
黒い岩盤。
極寒。
吹雪。
普通なら人が住もうとは思わない環境だ。
だが人々は山を削り、道を造り、街を築いた。
「生きるためだろうな」
クレイスは開口部の向こうを見る。
「海と内陸を繋ぐ唯一の道だ」
物流。
交易。
人の移動。
この道があるからこそ、ビナーは他領域と結ばれている。
だから人はここに留まり続ける。
厳しい環境であっても。
◇
そして数時間後。
遠征調査隊の前方に明かりが見えた。
「見えてきたぞ」
騎士が言う。
やがてトンネルの先が大きく開けた。
ソフィアは思わず足を止める。
「わぁ……」
巨大だった。
山の内部をそのまま都市にしたような光景。
黒い岩盤を削って造られた建物。
岩壁へ埋め込まれた住居。
何層にも重なる通路。
無数の魔力灯。
荷車が行き交い、人々が忙しなく歩いている。
岩盤を支える巨大な柱。
鍛冶場から響く金属音。
酒場から漏れる笑い声。
それはコクマーともケテルとも違う。
山の中に築かれた街だった。
「ここが……」
ソフィアは呟く。
「トンネル都市か」
クレイスも初めて見る景色だった。
資料では読んでいた。
だが実際に目にすると迫力が違う。
山脈の内部に存在する巨大な人類拠点。
ビナーへの玄関口。
△
▽
遠征調査隊が最初に向かったのは、冒険者ギルド ビナー支部 トンネル都市拠点だった。
岩盤を削って造られた大きな建物。
入口には剣と盾を模した紋章が掲げられている。
中へ入ると暖炉の熱気が迎えてくれた。
「コクマー学術院遠征調査隊だ」
クレイスが受付へ書類を差し出す。
受付係は事前に届いていた書簡を確認し、すぐに頷いた。
「お待ちしておりました」
手続きは驚くほどスムーズだった。
地底湖調査に必要な申請。
滞在許可。
物資搬入。
全て事前に済んでいるらしい。
「長期遠征者用宿舎をご利用ください」
受付係が説明する。
「部屋も確保しております」
◇
一方。
ソフィアは別窓口で旅人用簡易宿舎の手続きを行っていた。
しかし。
「申し訳ありません」
受付係が困った顔をする。
「現在、満室です」
「えっ」
ソフィアが固まった。
「一部屋も……?」
「空き待ち状態ですね」
笑えなかった。
外は雪と氷の世界である。
野宿など論外だ。
凍死する。
◇
「……どうした?」
戻ってきたクレイスが尋ねた。
事情を聞く。
そして数秒沈黙した後。
「なら、こっちへ来い」
「え?」
「長期遠征者用宿舎ならまだ余裕がある」
「でも私、遠征隊じゃないですよ?」
「途中からだろうが何だろうが、ここまで一緒に来た仲間だ」
騎士が頷く。
「今さらだな」
「そうそう」
赤髪の女狩人も笑った。
「帰りもどうせ同じ方向なんでしょ?」
小柄な僧侶も微笑む。
「一緒の方が安心です」
盗賊も無言で頷いていた。
ソフィアは少し驚いた。
いつの間にか。
自分はこの人達と随分打ち解けていたらしい。
「……じゃあ、お言葉に甘えます」
自然と笑顔が浮かんだ。
◇
長期遠征者用宿舎で荷降ろしを終えた頃。
遠征隊全員が共用ホールへ集められた。
そこにいたのは、一人の中年男性だった。
整えられた髭。
厚手の研究用外套。
鋭いが理知的な目。
遠征調査隊を率いる主任研究員である。
「まずは諸君、ご苦労だった」
落ち着いた声が響く。
「コクマーからここまでの長旅、本当にお疲れ様」
研究員達が安堵したように息を吐く。
主任研究員は続けた。
「まず今後の予定だが、二日間は休息日とする」
誰も異論はなかった。
寒暖差だけでも相当な負担だ。
まして長距離移動の疲労もある。
「体調管理を優先してほしい」
そして話は本題へ移る。
◇
「今回の調査対象は山脈地下に存在する地底湖だ」
主任研究員は地図を広げた。
「我々が調査するのは、“力の保存と継承”に関する現象である」
ソフィアは少し興味を引かれた。
主任研究員は続ける。
「人が一生をかけて得る技術、知識、魔術、経験。それらを保存し、次世代へ受け渡す方法が存在するならどうなるか」
研究員達が真剣な顔で耳を傾ける。
「世代交代による損失はなくなる。知識も技術も積み重なり続ける」
それは壮大な研究だった。
「我々はその手掛かりがこの地底湖にあると考えている」
◇
説明が終わる。
主任研究員は最後にクレイスへ視線を向けた。
「ここから先は私が調査計画を管理する」
「了解しました」
「現場指揮は引き続き君に任せる」
調査研究員。
それがクレイスの役割だった。
研究員達を率い。
護衛と連携し。
現地調査を進める。
ここからが本番である。
◇
会議が終わった後。
ソフィアは宿舎の窓からトンネル都市を見下ろしていた。
遠くには大書庫が見える。
そのさらに奥。
選定の回廊。
自分が目指してきた場所。
放浪者を捨てる試練。
新たな道を選ぶ儀式。
「いよいよだな」
隣へクレイスが並ぶ。
ソフィアは頷いた。
「はい」
そして少し笑う。
「クレイスさんも忙しくなりそうですね」
「ああ」
地底湖調査。
現場指揮。
新たな領域での任務。
やることは山積みだった。
それでも。
二人はどこか期待していた。
雪と岩に閉ざされた新天地で。
それぞれの目的へ向かう日々が、これから始まろうとしていた。




